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沈む子供  作者: あさま
第二章 ガラス越しの再会
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第1話 手合わせはガラス越しで

スカイくんと過ごした日々は、

私にとって、唯一の安心できる時間だった。


祖母の厳しい言葉も、夜の寒さも、

スカイくんの大きくてあたたかい体に顔をうずめると、

全部、遠くにいってしまうようだった。


でも、どんなにスカイくんに癒されても、

その優しさだけで、すべてを忘れられるわけではなかった。


忘れていたはずの“父”という存在――

それを、思い出すことになったのは、小学1年生の時。

私は、初めて刑務所の面会室に向かっていた。




私は、優しさというものを、

少しずつ外からもらって、覚えていった。


けれど——


小学一年生のある日、私はもっと別の

「思い出せない過去」と向き合うことになった。


それは、父と初めて会う日だった。

場所は、刑務所の面会室。


その日は、朝から外がまぶしいくらい晴れていた。

青空はどこまでも続いていて、

季節の風が気持ちよく吹いていたように思う。

だけど私の心は、なぜかザワザワしていた。

行き先もよくわからないまま、

祖母に手を引かれ、電車に乗った。


たぶん、私にとって初めての電車だった。

駅で祖母が買ってくれたあんまきを、

小さな手で持ちながら、椅子に座っていた。

外の景色が流れていくのが面白くて、

ぼんやりと窓を見ていた気がする。

だけど、どこかで「特別なことが起きる」

そんな予感がしていた。


電車を降りて、歩いて、門をくぐって、

いくつかのドアを通った。

中はすべて無機質で冷たく、音がやけに響いた。

人の気配はあるのに、あたたかさがなかった。

金属のドアが閉まる音、歩くたびに鳴る足音。

私はきゅっと祖母の服を握った。


面会室に通されたとき、

そこには大きなガラスが一枚あった。

その向こうに、父が座っていた。


だけど——

「この人が、お父さん?」と、私は思った。


記憶の中には、父の顔はなかった。

手紙はもらっていた。

だけど、自分で読むには難しい字だったから、

祖母が代わりに読んでくれた。

便箋には、うさぎや小鳥の絵が

描いてあったことを覚えている。

でも、どこか遠い世界の話のようで、

心にしっかりとは残らなかった。


その人が、ガラスにそっと手を当てた。

私は、それをまねして、自分の手を重ねた。


だけど、ぬくもりは感じなかった。

ただ、冷たいガラスの感触だけが、

私の掌を包んだ。

「お父さん」が、目の前にいるのに。

そこにいるはずなのに、遠かった。


「○○、元気にしてたか?」

そう声をかけられても、

私はうまく言葉が出なかった。

小さくうなずくだけで、あとは目をそらした。


父の顔は、どこか悲しそうで、

嬉しそうで、寂しそうで、

何とも言えない表情をしていた。

私はそのとき、

それをどう受け取ったらいいかわからなかった。

祖母はずっと泣いていた。

目元にハンカチを当てながら、父と話していた。


右奥の椅子には、警察官がひとり座っていて、

なにかをノートに書き込んでいた。

私はその人のペンの音だけを、

ぼんやりと聞いていた。


それでも——

そのガラス越しの手合わせが、

私にとってはじめての“つながり”

だったのかもしれない。


それまで、父という存在は、

夢の中にしかいなかった。

記憶の奥に、ぼんやりとした影のようにいて、

声も顔もよくわからなかった。

父がいないことを、

私はそれほど不思議に感じていなかった。

あまりに長く“そこにいなかった”からだ。


でも今、目の前にいる。


ガラスのせいで遠く感じたけれど、

「たしかにそこにいる」ことだけは、わかった。

それは、幼い私の心にとって、

強くて深い発見だった。


帰り道、私は電車の窓から空を見ていた。

行きよりもずっと疲れていて、

あんまきの袋を手に持ったまま、

口数も少なかった。


祖母もあまり話さなかった。

あの面会が、祖母にとっても私にとっても

大きな出来事だったのかもしれない。


私は、何も感じていないようで、

少しだけ心がぴりっと動いていた。

よくわからない感情だったけど、

それが何かの“はじまり”だった。


父との、最初の記憶。

ぬくもりのないガラス越しだったけれど、

たしかにそこに、

“誰かを思う気持ち”があったような気がした。


私は無性にスカイくんに

会いたくなってオリの外から

手を伸ばし触れ合ってから帰った。






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