第5話 幸せの白い犬
家にいるのが、好きじゃなかった。
母がいなくなってから、祖母の家はどこか寒くて
狭くて、息が詰まるようだった。
暴言も暴力も減ることはなかった。
辛く苦しかった。
ストレスもあったんだろう。
私は、アリや毛虫をいじめたりしたことがあった。
誰にも大事にされなかったから、
何が大事かもわからなかった。
同じアパートのおばさんに、
そのことで強く叱られた。
「この毛虫があなたになにをしたの?」
私はムッとした。
「こんな気持ち悪いやつがいるから
いけないんだ!ころすべきだ!」
私は悪くないと突っぱねた。
でも、言葉の意味を
わかっていたからこそ、
そんな事をした自分が泣くほど悔しくて
行いを反省した。
「ごめんね。」とすり潰してしまった毛虫を
土に運んだ。
虫殺しが趣味となっていたが反省し、
新しい遊びを探しに毎日外へ出かけた。
1人でも平気だった。
むしろ、1人のほうが、気持ちが軽くなった。
そんなとき、家の向かいにある大きな一軒家に
白くて大きな犬がいる事に気付いた。
広い庭の奥にある、大きなオリの中。
まるで雪のようにふわふわの毛、やさしい目。
犬種はグレートピレニーズ。
大人になってから調べた。
彼の名前は「スカイ」だった。
スカイくんは、私が近づくと、
しっぽをふってうれしそうに立ち上がった。
目を細めて笑っているような顔。
高い声で「くーん」と鼻を鳴らして、
私の前に寝そべってくれた。
私は、毎日そこへ通った。
オリの外から話しかけて、
その日にあった楽しかった話や
悲しかった話をした。
特に多かったのは祖母の悪口だ。
スカイくんはゲンバタロウに、どこか似ていた。
前に、父が現場から拾ってきた、白い雑種の犬。
やさしくて、私が大好きだった犬。
でも、あの犬はもういなかった。
祖父が、ある日山に捨ててしまったから。
その寂しさを埋め合わせるように
私は、スカイくんがどんどん大好きになった。
ある日、向かいの家のおばさんが出てきて、
私に声をかけてくれた。
「こんなに懐いてるなら、中に入っていいよ」
ニコッと笑い、オリの扉を開けてくれた。
その日から私は、毎日、オリの中に入っては
スカイくんと遊んだ。
日が暮れるまで、ずっと。
スカイくんの背中によりかかって、
もふもふの毛に顔をうずめた。
手をぎゅっとにぎって、目を閉じた。
体があたたかくて、
どこかに帰ってきたような気持ちになった。
離れるのがさびしくて、帰りたくなくて、
泣いてしまうこともあった。
ある日、私はスカイくんの体にもたれて
そのまま眠ってしまった。
向かいのおばさんも気づかなくて、
朝になっても私はそこにいた。
祖母にはものすごく怒られたけど、
おばさんはやさしく言ってくれた。
「よっぽど安心するんだね。
スカイも嬉しそうだよ」
スカイくんも、怒ることなく、
朝まで私のそばにいてくれた。
ぬくもりが、まだ体に残っていた。
それからは「夕方までね」と
時間の約束ができてしまったけど、
私はそれでもよかった。
毎日スカイくんに会えることが、
何よりもうれしかった。
外の世界は、やさしかった。
祖母に怒られて泣いた日も、
外に出れば空が広くて、風が吹いていて、
そしてスカイくんが笑ってくれた。
前を向ける気持ちが、そこにはあった。
スカイくんは、言葉を話さないけど、
すべてをわかってくれているようだった。
私が何も言わなくても、体をくっつけてくれた。
泣いていると、そっと顔をなめてくれた。
家の中ではもらえなかった安心を、
私は外の世界で、スカイくんのそばで、
少しずつ手にしていた。
それが、私の中でたったひとつの「幸せ」だった。