第六話
スリン島において、帝国軍の治療剤がその効果を発揮しない難治性のマラリアが流行していた。より詳細には、帝国軍の使用する塩酸キニーネ系の治療剤では効力がなかった。
このマラリアに罹患した帝国軍兵士の容態をさらに悪化させたのが質量ともに不足する給養、つまり食事である。ある軍医は『このマラリアの難治性はむしろ栄養失調状態に着せられる』と結論付けた。
マラリアに罹患すると、四十度を超える高熱が一週間は続く。免疫力を高めようにも体力を回復しようにも食料が無い。結果として罹患した者は極度に衰弱し、小銃を構えて保持することはおろか、持ち上げることすらできなくなってしまう。
また単一の感染症に感染しているのではなく、マラリアをはじめアメーバ赤痢、細菌性赤痢など、各種感染症を併発している者も決して少数ではなかった。
一方の国防軍は、殺虫剤であるDDTの大量使用でマラリアを媒介する蚊を駆除することで予防を実現していた。さらに、もし罹患してもクロロキン系、メフロニン系抗マラリア薬の投与で症状を大きく抑えることができた。
医療技術、科学力に於ける敗北。兵器だけに限らない、技術力という国家総力戦を担う一翼における、帝国の敗北の一実態だった。
先述の軍医の初見に依れば、戦死病者の数をより大きなものにしたのが戦争神経症とも関連する戦争栄養失調症である。高度の羸痩(瘦せ衰えること)、食欲不振、下痢を三主徴候とするこれは、質量ともに不足する栄養に戦争性過労が加わり発症する。
ストレス、不安、緊張や恐怖などによって恒常性維持と呼ばれる生命維持に必要な体内の調節機能が崩壊し、摂食障害、より重篤な場合には拒食症を起こす。一度こうなってしまうと、ようやく食べられた食事を吐き戻し、さらには下してしまう。もはや本人の意志に関係無く身体が生存を拒否しているようなものである。
罹患者は下痢が止まらず、私大に全身の栄養状態が低下し、羸痩が加わる。ついには皮下脂肪も消え失せ、外見は皮が骨に張り付いているがごとき惨状を来す。やがて脈拍は緩徐に、体温は正常以下になり、顔からは活気どころか表情まで失せ、睡眠を貪り言葉を発さなくなる。
とうとう最後には蝋燭の火がゆらめいて消えるように死亡する。
その一方で、栄養失調が深刻でないにも関わらず突然虚脱状態となり、心臓麻痺もしくは呼吸麻痺で死亡する者がいた。
戦争栄養失調症に重なる神経症が、戦時神経症である。シェル(砲弾)・ショックとも呼称される、戦時の軍隊において発生する神経症の総称である。時代を下るとPTSD、心的外傷後ストレス障害とも呼称されるようになる。
ヒステリー性の痙攣発作、驚愕反応、不眠、記憶喪失、失語、歩行障害、希死念慮等々、様々な症例が存在する。
スリン島の帝国軍将兵は惨烈な戦闘行動に由来する恐怖、不安、疲労が発症理由だった。
国家社会主義、ファシズム体制の帝国では幼年期から行われる強力な愛国教育により、帝国軍の兵士は他国の兵士よりも野蛮に勇敢に、狂信的に死を恐れずに戦う。そんな帝国兵も人間であることは変わらず、陰惨な戦闘による神経過労と続く飢餓、暴威を振るう伝染病に次々と戦時神経症を発症していった。
このように神経症、感染症が猛威を振るう惨禍にあって、ある集団は全く現れなかった。自傷兵である。
酸鼻極まる戦場では、その悲惨、苛烈な状況から逃れるために自傷行為におよぶ兵がしばしば現れる。戦局芳しからざる時局にあっては特にだ。負傷兵として後方へ、可能なら負傷兵として本国送還になることを期待しての行為である。
帝国軍に限らず、およそあらゆる国の軍隊において自傷行為は軍法裁判の対象である。帝国軍では愛国教育の結果、総統と祖国のために死ぬことが最も尊いとされていたから、逃亡者であり卑怯者である自傷兵には非常に苛烈に対処した。上官の命令に従わない、あるいは拒む抗命罪、脱走と並び銃殺刑の対象である。帝国軍軍法は記す。
『帝国軍将兵の生命及び身体は帝国と帝国軍の財産である』
自傷兵を見分けるためのマニュアルも存在した。自傷兵は爾後の生活に差し障らないように、より直截に言えば身障者にならないように傷付ける箇所を選ぶ。利き腕と反対側の腕の肘から先が一番多い。また、状況によっては戦場から自力で離脱する必要があるため、歩行困難に陥る足への自傷も避ける。
また傷口の観察も重要である。傷の形状ではなく、傷口の周囲に硝煙が付着していないか確認する。帝国軍憲兵隊の行った実験に依れば、二メートル以内からの射撃だと表面に硝煙が付着する。
負傷時の状況にも注意を要する。自傷行為が軍法会議の対象であることは周知であり、知っていなくても卑怯な振る舞いであるとの認識は帝国兵全員が持っている。そのため、自傷を決意した者は立哨任務中などの単独行動時の自傷行為に及ぶ。
要約すれば、単独行動時の受傷で、四肢(特に腕の先)に傷があり、かつ硝煙が付着している場合、かなりの確立で自傷兵である。
しかし本土との連絡線が途絶しているスリン島においては、負傷は重篤な感染症を引き起こし死に至ってしまう。
死にたくない帝国兵は降伏を選んだ。そうした帝国兵(特に前線の兵)にとって幸いだったのは、大森林のために部隊からの脱走が容易だったことである。加えて全員が栄養失調からくる注意力散漫の状態だった。そのため、歩哨任務中や夜間など、状況を選べば脱走は簡単に行えた。
記しておかねばならないことは、脱走を選んだ者は全体数から見れば一握りに過ぎない事実である。絶望的な状況ではあったけれども、大多数の帝国軍将兵は依然として勇敢だった。
帝国がファシズム体制になってから四十年ほどが経つ。最前線に立つ将兵はそのほとんどが、生まれた時から愛国者として育てられた。帝国軍では総統と祖国のために死ぬことが至上の名誉という精神教育を受けた。このため倫理的な善悪は別として、帝国軍将兵は死ぬまで戦い、時として戦死を前提とした作戦を平気で展開した。
また死兵への志願を募集したからこそ、志願に応じた将兵は喜んで死ぬまで戦うと心に固く決めていた。