第四話
「敵機来襲!」
前線へ向け移動中の帝国軍の隊列。その先頭を行く中戦車の戦車長が絶叫した。
隊列はすぐさま反応し、戦車やトラックの乗っていた歩兵は大急ぎで飛び降り、蜘蛛の子を散らすように木々の下目掛けて逃げた。その慌てようは、さながら新兵訓練学校で、鬼教官に尻を蹴り飛ばされる様子を想起させる光景だった。
戦車やトラックは、せめてもの悪足掻きで路面脇の木々の、生い茂る枝葉の下に身を潜めようと試みた。
しかし遅すぎた。戦車、トラックから飛び降りる歩兵が僅かな内から上空では国防空軍の爆撃機が急降下に入っていた。
スリン島の元帝国軍航空基地、現国防空軍航空基地から飛来した六機の単発急降下爆撃機、シュトゥルム。見た目に強烈な逆ガル翼、一千五百馬力の強力な液冷エンジンを備ている。これが隊列の上空で翼を翻し、七〇度という鋭角の急降下で隊列に迫った。
甲高いエンジン音はドップラー効果でさらにその響きを増し、主翼下の展開されたエアブレーキが空気を搔き乱し震わせる。
帝国兵の目には、たった六機の単発機がまるで空すべてを埋め尽くし自分を圧するかのように映った。
シュトゥルムのパイロットは狙いを十分引き絞り、そして胴体下の五〇〇キログラム爆弾、両主翼下の二五〇キロ爆弾を投下した。
合計して五〇〇キロ陸用爆弾六発、二五〇キロ陸用爆弾十二発が正確無比に隊列に降り注いだ。着弾と同時に炸裂。その破滅的な破壊力を余すことなく発揮した。戦車すら軽々と破壊し、道端の木々を薙ぎ倒し、あるいは空高く放り上げ、人体を跡形もなく消し飛ばした。炸薬の黒煙がもうもうと立ち昇り、砂塵が巻き上げられ茶色い煙を成す。
隊列に巻き上げられた土砂、戦車やトラックの破片、そして人間だったものの一部が降り注ぐ。
シュトゥルムは対空砲火のほとんど無いのを認めると機銃掃射に移った。シュトゥルムは固定武装に三十ミリ機関砲および七.九二ミリ機関銃各二門計四門を主翼内に装備している。勇敢にも戦車の砲塔天板に装備されている機銃で反撃した者もいたが、すぐさま掃射を浴び、見るも無残な姿になってしまった。
三〇ミリ機関砲は特筆に値する優秀な航空機用機関砲である。良く低進する優れた弾道特性を備え、また抜群の威力を誇る。航空機の射撃には、射撃時の初速に加え、航空機自身の速度も初速に加わる。機関砲の曳光徹甲弾もしくは徹甲弾ならば、中戦車の側面装甲すら貫通することができた。貫通即ち撃破ではないが、内部の人員を殺傷し、機器に損傷を与える。搭載の弾薬に命中すれば誘爆を引き起こした。燃料に引火しても撃破間違いなしだった。
今回もその圧倒的な攻撃力を遺憾なく発揮した。隊列後方から接近し、装甲の薄い背部を狙うのが国防空軍のセオリーだ。三〇ミリが弾切れになった後は七.九二ミリ機銃の出番だ。対航空機では威力不足甚だしいが、目標が人間や非装甲車両であれば話は別で十分な破壊力を持つ。
乗っていた帝国兵が逃げ、無人になったトラックは格好の的だった。動かないならば訓練用の的と何ら変わらない。
トラックが正面から銃撃を浴びた。運転席のフロントガラスは蜘蛛の巣模様に打ち砕き、エンジンから出火し、車体構造を滅茶苦茶に破壊した。
かくしてこの隊列は一度の攻撃で中戦車八両、トラック十三台を失った。歩兵については数えられない。微塵にふきとばされたり、土中に埋められてしまったりで物理的に数えることができないのだ。こうした兵は、公式書類には戦闘中行方不明(MIA)と記載された。ただしこの時期の帝国軍にそのような書類を書く余裕のある将校は皆無だった。酷い場合だとそもそも書類が無かったりした。ゆえに戦後多くの家族が、自分の夫、息子、兄弟の最後の地もその死の模様も知ることはできなかった。遺骨の収集にも難儀することになった。
閑話休題。
「畜生!航空隊は何してる!?」
対地攻撃を受けた兵士が叫んだ。
スリン島の空に帝国軍の航空機は絶無だった。スリン島は他の島あるいは本土から遥か遠くに位置しており、単発、双発機はその行動可能半径の外に所在する。敵の工場や都市などを攻撃するための戦略爆撃機ならば辛うじてその行動半径に収めるのみ。つまり、戦闘機を常時z空に上げ、地上部隊掩護の任に当たらせるならば滑走路は必須になる。
実を言えば、帝国軍支配地域にも滑走路はあった。しかし戦前に実業家が自家用機のためにと設けた小規模なものでしかなかった。戦争に伴い拡張されたものの、戦闘機の運用が関の山であった。そうであっても国防軍が見逃す道理もなく、今やただ一本の滑走路は爆弾により生じたクレーターまみれになり、どころかブルドーザーなどの建設用重機の残骸までも転がっていた。
小さいとは言え帝国軍唯一の滑走路であるから、毎日航空機による偵察も行われ、復旧は事実上不可能だった。このような状況だったから、戦闘機の機銃は大部分が陸戦部隊に譲渡され、た。爆弾やロケット弾も同様に譲渡され、地雷と組み合わされることで、その威力を増すために使用された。さらに、最低限のパイロットと整備士を除いて大部分の人員が陸戦部隊に転用された。
帝国軍に上空掩護はなかった。ために国防軍機の跳梁を許し、帝国軍は移動するだけで甚大な損害を積み重ねていた。副次的な効果として、街道が穴だらけになり、それが部隊の移動を阻害していた。歩兵は比較的簡単に航空機から身を隠せるだけに移動中の損害は抑えられているのが唯一の救いだった。
×××
隊列への攻撃は空からのみ行われるわけではなかった。
一つの小規模な隊列が木々とその生い茂る枝葉の下を通過していた。頭上を覆う木々のために、敵機による襲撃はないだろうと隊列は緊張が解けていた。しかしそんなことはなかった。確かに敵機による攻撃される状況ではない。だが攻撃してくるのは敵機だけではなかった。
国防軍最精鋭の特殊部隊、特別工兵連隊。
国号軍は戦略として敵の輜重団列への攻撃を重視している。数の不利を強烈に自覚しているからである。そのため軍隊のアキレス腱である補給への徹底的な攻撃を志向した。いかに多くの兵隊も強力な戦車、航空機も補給が無ければ機能しない。敵輜重団列への攻撃ないし補給路の破壊を主目的として編成されたのが特別工兵連隊だった。なお工兵連隊との名称は欺瞞のため名付けられたものであり、実態を反映してはいない。
同部隊の将兵は空、陸、海の全軍種から、兵科も歩兵、戦車兵、砲兵に工兵など、あらゆる兵科から集められている。規模は二個師団になる。
この部隊は、シュタイナ少佐率いる二個小隊がランド少将殺害を目的として投入される以前から、創隊本来の目的のために投入されていた。
隊列は予め特別工兵連隊の存在についての警告を受けていた。既に別の隊列が戦線後方で敵歩兵の奇襲攻撃を受けていた。ために、どうやら敵後方において破壊活動を行う、帝国軍で言うところのレンジャー部隊の存在は既知のものだった。
ところが、世の中には予測できていても回避できない事柄というのが存在する。特別工兵連隊による奇襲も同じだった。頭上が樹木の濃い枝葉により覆われる道。当然道の脇には樹木が密生していて、茂みも濃かった。そしてそれらは伏撃を仕掛けようとする者にとっては絶好の隠れ場所だった。付言すれば、隊列の兵隊は慢性的な栄養失調のために注意力が散漫で周囲の警戒はおざなりだった。
まず先頭を進んでいた戦車が、地面に埋伏し仕掛けられていた爆薬により爆破された。爆薬には一工夫、施されていた。上面が取り払われた薄い金属製の箱に収納されていた。これにより、爆発は上方向に指向性を持っていた。
この爆発を合図に潜んでいた特別工兵連隊の一個小隊二十人が一斉に攻撃を開始した。個人携行式対戦車擲弾発射機『ファウスト』を射撃し、手榴弾、火炎瓶を投げつけ機関銃、小銃弾を驟雨が如く浴びせる。
火炎瓶にはガソリンとこれに粘性を増すためのゴム、それから軍機に指定されている薬品が封入されていた。これが投擲され、瓶が割れると内部の薬品が空気と反応、発火する優れ物である。即席の火炎瓶と異なり、投擲前に火を点ける必要の無い点が白眉である。
この火炎瓶はエンジン部に投擲されると、粘性を増したガソリンがエンジンルーム内に流れ込み、エンジンを焼き尽くした。一度これが歩兵を満載したトラックの荷台に投げ込まれれば、そこには言語を絶する惨状が表れた。十人ほどの人間が全身を炎に包まれ絶叫する。その絶叫は耳の奥深くに突き刺さる。耐えかねて戦友がそいつを射殺するほどだ。
一個小隊は持てる限りの火力を叩き込んだ。
最初に撃破され炎上する戦車の砲塔ハッチから燃える手が出てきた。この手の主である砲手は爆発を生き延びたが瀕死の重傷を負っていた。上がる火は瞬く間に砲手に及んだ。それどもこの砲手は生存を諦めずに、諦め切れずにいた。中空に伸ばされた手を取る者は誰もいない。
完全に、とは言わないまでも、かなりの程度緊張が弛緩していた隊列はにわかに大混乱に陥った。そしてその衝撃から隊列が回復し、指揮統制を取り戻さない内に一個小隊は離脱した。いくら最精鋭といえども、絶対的な数の差には抗し得ないからだ。
ようやく隊列が秩序を取り戻した時には、小隊はとっくのとうに、遥か遠方にいた。
こうした襲撃は散発的なものだった。しかしながら帝国軍将兵に与えた心理的負荷には相当のものがあった。大森林の中を自由自在に駆け回り、不意に自分達を襲撃する敵特殊部隊。この特殊部隊が跳梁跋扈しているという恐怖は実態以上のイメージを作り出し全軍に伝染病の如く伝播していった。以降、しばしば歩哨が枝葉や茂みが揺れたのを気配を感じ取ったという理由での発砲が相次いだ。昼間でもこれは変わらなかった。そして一人が射撃すれば全員が続く。これは歩兵戦闘の教範がそうすべしと定めていたからだった。これが基調な銃弾の乱射濫費を招いた。結果的に特別工兵連隊は、補給中の銃弾だけでなく、既に前線に届いた銃弾すら撃破したことになる。
この『幽霊』への射撃が頻発したことが、彼らに如何に多大な心的負担がのしかかっているかを良く表していた。