第三十九話
同日夕刻、多数の舟艇が陸地と艦隊とを往復する海上、水面下から帝国軍艦隊に忍び寄る影があった。国防海軍の潜水艦だ。
水上艦ほど速力の発揮できない潜水艦にとって敵艦の所在が判明していることほどありがたいことはない。しかもスリン島の西方海域から移動しないのだ。
早い艦は既に襲撃を掛けており、昨日も輸送船三、駆逐艦一を撃沈していた。
今も一隻の潜水艦が日頃の研鑽、実戦で研ぎ澄まされた牙を突き立てるべく静かに、着々と近付いていた。聴音探知を避けるために機関を停止し、潮流に乗って近接していた。
「あれは……。たまげたな」
艦長が潜望鏡を用いて視認したのは豪華客船だった。潜水艦は豪華客船の左舷八十度に占位している。
驚きだった。戦艦や空母に迫り、一部ではそれらよりデカい船体。にも関わらず今まで潜水艦や航空機の襲撃から生き残っていた。対空砲は積めないか、できたとして少し。つまり防御力は当然戦闘艦に大きく劣る。速力だってでないのではなかろうか。運が良かったらしい。これまでは。
豪華客船は隔壁などの防禦設備は座礁などの海難事故に備える程度しかない。莫大な予備浮力があるだろうが、それでも魚雷を喰らえば撃沈は必至。艦長にとっては撃沈トン数も伸びる絶好の獲物だ。しかもスリン島からの兵を収容するために停船している。
潜望鏡を巡らせると一隻の戦艦が目に留まった。後部甲板の砲身があり得ない仰角をとっている。その他どこか違和感を覚える艦影だが新鋭艦というわけではなさそうで、戦闘による損傷でそのように見えるようだった。
その戦艦の奥に駆逐艦が速力を落として近接する。接舷するのだろう。スリン島から収容した将兵を移乗させるものと思われる。たしかに戦艦なら大きい分艦内スペースに余裕がある。移乗中なら現在戦艦は隔壁の大部分を開放中なのではないか。大勢が通るのに一々隔壁を開閉するのでは遅々とした進捗になってしまう。撃沈しやすいはずだ。
艦長は豪華客船と手負いの戦艦に目標を定め、雷撃に必要な諸元を算出していく。敵艦までの距離、的針(敵艦の針路)、的速(敵艦の速度)。
距離は敵艦の大きさを知っていれば潜望鏡のミルスペックのメモリと照らし合わせて距離を測ることができる。敵戦艦との距離は六キロメートル。次に的針的速。とは言っても敵艦は停船しているからあまり関係無い。ただ戦闘海域で機関の火を完全に落としていることはない。そんなことをすれば機関の再始動に多大な時間が必要になるからだ。魚雷が迫っているのを発見したら即座に回避運動をとるだろう。
その回避運動がどのようなものになるかは想像がつく。艦首か艦尾を魚雷の針路と並行になるように操艦するだろう。そして舵やスクリューの存在する艦尾への被雷は避けようと努める、つまり魚雷の来る方向に艦首を向けてかわそうとするはず。
もっとも、以上は敵艦が魚雷に気付けばの話。発射するのは無航跡の酸素魚雷。魚雷の機関が燃焼効率の良い純酸素で駆動する。燃焼の終わった純酸素は二酸化炭素を排出するが、これが水に良く溶けるため結果として無航跡になる。ただし最初の五百メートルは空気で駆動し、窒素が水中に排出されるため航跡は視認できる。
付近に敵艦は存在しないためこの航跡が発見されるおそれは無い。また戦艦はその大きさゆえに俊敏には運動できない。考慮すべきだがそこまで悩む必要も無いと艦長は判断した。
次に豪華客船への発射の諸元算出だが、ここで少し困ったことになった。豪華客船の全長もしくは全高がわからない。遭遇する可能性のある敵艦や補給船については全長や全幅、速力などの各種諸元をまとめたノートが各艦に配布されているのだが、さすがに豪華客船は想定外で記載が無い。誰か知らないかと艦内各員に尋ねてみたが誰もが首を振るばかりだった。
だが打つ手が無いわけではない。周囲には既知の艦艇が存在するからそいつらと比較すればある程度の推測がつく。
余談だが、各国海軍はこのように諸元を計測されることを防ぐため、新鋭艦の就役時は各種諸元を過大、過少に発表する。そもそも艦によってはしないこともある。
閑話休題。諸元の計測および魚雷の調整を終え、いよいよ発射の段階。最初に戦艦に四発、次に豪華客船に二発。
『魚雷発射管注水完了』
「魚雷発射管開け」
『魚雷発射管開口良し』
「撃っ!」
魚雷が圧縮空気により押し出された。素早く艦首を豪華客船の方を向き発射した。
「急速潜航、ベント開け。針路まま。両舷最微速。ダウントリム二〇、深度二〇〇につけ」
機関をバッテリー駆動で指導させ、また艦内タンク内に海水を取り込みながら鋭角で水中深くへ潜航していく。向かうは沈むであろう敵艦。聴音されても沈み行く敵艦の発する、海水が流入する音や艦隊が水圧でダメージを受ける軋む音に紛れることを意図してだ。
そうでなくても先程駆逐艦が接舷していたことが示す通り、将兵を艦隊に収容するために多数の艦艇、舟艇が往復している。聴音はほとんど不可能なはず。帝国海軍の装備の質、練度も合わせて考えれば発見される恐れは非常に低いと艦長は判断した。
肉眼での視認が難しい潜水艦では、魚雷が命中したかどうかは時間の経過で判断する。敵艦までの距離と雷速から命中までの時間を導き出し、その時間の前後に爆発音が聞こえたら命中と判断する。
果たして、聴音手が爆発音を報告した。戦艦に二発以上、豪華客船には最低一発。かみしめるような歓喜が艦内を満たした。静音性を重視する潜水艦の都合上、はしゃぐわけにはいかないからだ。
そして敵は潜水艦を探知できていないようだった。
実際、帝国海軍は艦隊外周を重点的に捜索した。まさか敵潜水艦が雷撃後に艦隊に突っ込んでくるとは思わなかったのだ。潜水艦艦長の判断はそういった点でも回避に寄与していた。
魚雷の命中後、歓喜に包まれていた潜水艦とは逆に戦艦と豪華客船は地獄に包まれていた。装甲を持たない豪華客船二発の魚雷は深々と突き刺さり、その破壊的な威力を余すところなく発揮した。おおよそ横二十メートル、縦十メートルを超える破孔が二つ穿たれ大量の海水が恐ろしい勢いで流入した。被雷から沈没までの時間は僅か十分。乗組員、将兵合わせて二千人を超える人数が乗船していたが、退船できたのは両手で数えられるほどだった。
戦艦は三本の魚雷を被雷した。さすがに戦艦だから十分で海面下に没することはなかった。直ちに沈没しなかっただけで、海水の流入は止まらなかった。艦長の予想通り、戦闘時ではなかったこと、移乗中だったために大半が開放されていた。
そして地獄絵図が繰り広げられた。艦体が傾く中、乗組員と将兵は我先にと上甲板へと急いだ。特にスリン島から収容されてきた将兵はこの上なく必死だった。せっかく飢餓と病魔の蔓延する地獄から逃げ出せたのだ。ここで死にたくはない。なまじ生還の希望を持っただけに生への渇望は一層だった。
問題は彼らの健康状態だった。数日前まで極度の飢餓状態にあったために体力が全くなく、ために素早く行動できない。また戦闘艦は通路は狭く、ラッタル(階段)も非常に急で、慣れていないとただ移動するだけでも手間取る。ラッタルで将兵は詰まった。そこに傾斜も加わり、下からは海水が迫る。パニックが引き起こされ、伝染し、将兵は今や規律ある軍人ではなく生を渇望する一個人になっていた。戦友を押し退け、踏み付けてまで甲板を目指した。
それでも遥かに多い人間が艦内に存在していて、その大多数は体力の衰えた者達だ。通路はひしめき合うばかりで遅々として動かず、海水は無数の無念、望郷の念、何より生への渇望を無慈悲に呑み込んだ。




