第二十三話
艦の防御力には有形のものと無形のものがある。有形の防御力とは主に艦の装甲。無形の防御力とは被弾時に乗組員が行うダメージコントロール、つまり防火防水を始めとして、艦の損害を極限する行動。
空母マーズの艦内では必死のダメージコントロールが行われていた。主役を担うのは普段は補給、需品、給養を担当する第四科科員達だ。最も緊急度が高かったのは大炎上してる格納甲板だった。最早同甲板内に守るべきものはないが、延焼を食い止めないと航空機用弾薬及び燃料に誘爆する危険性があった。
ところが火災の黒煙、火災により生じた有毒ガスが格納庫内を満たしていた。幸か不幸か側壁を爆発が食い破ったため煙やガスの多くがその破孔から排出されていたが、それでも作業に多大な支障を来していた。艦首及び艦中央に被弾、黒煙はそこから発生しているのを鑑み、マリーンマンは咄嗟の機転で両舷後進を下令。煙とガスを艦首方向へ流した。
これで相当作業がやりやすくなった。ところが今度は消火用ホースから水が出ない。これは艦のそこかしこで一斉に放水したために水圧が減退したことが原因だった。ダメージコントロールを管轄する応急指揮所はこれを鑑み、科員居住区など、格納庫以外での放水を停止させることで対処した。
火災が発生している区画は電気火災が発生するのを防ぐために電源が落とされる。このため当該区画は暗く、さらに煙が蔓延しているため視界が非常に制限を受ける。火災が発生している部屋には防火服を着用した班が飛び込み火元に向けて直接放水する。これが煙の逃げ場のない密室だと真っ先に部屋に飛び込む一番員は凄まじい煙のために火元がまったく見えない場合もある。その時は後方に控える班長の指示の下で放水を行う。
鋼鉄の城とも表される軍艦で、火災により構造物が崩壊することはあまり考慮しなくて良いが、万が一を防ぐために炎上している部屋の上に位置する部屋では床に放水することで温度を抑える。
浸水に対しては、亀裂の入っている箇所、あるいは隔壁が水を堰き止めていない場合、ゴムシートなどで浸水箇所を覆い、角材などでつっかえ、補強することでさらなる浸水を食い止めた。
それでも根本的な破孔が塞がれない限り完全な排水は不可能。浸水による艦の傾斜を復元するために、マリーンマンは右舷側の浸水が発生していない区画への注水を命令した。命令に基づき注排水指揮所が実施。これで左右の海水僚のバランスをとることで傾斜を回復した。
太陽が水平線に近づきつつある夕刻にはダメージコントロールが功を奏し、火災は完全に鎮火され、傾斜も零度に回復していた。一時マリーンマンは総員退艦を下命すべきかと覚悟していたが幸いにも杞憂に終わった。
「酷いな」
頭部の受傷部に包帯を巻いたマリーンマンは艦橋から飛行甲板を見ながら誰ともなく呟いた。
艦橋はガラスが無いため冷えた海風が無遠慮に吹き込むため寒い。
飛行甲板では多くの乗組員が復旧作業に従事していた。明日以降また艦載機を飛ばすためだ。激烈な航空戦と、それに伴う損耗を予期して後方の補給船団に予備の機体とパイロットがいる。これを受領してまた航空戦に参加することが空母マーズに求められていた。
しかし本来であれば即刻回航、つまり母港に帰還せねばならない損害である。飛行甲板には二か所に大穴が開き、格納甲板の大半は吹き飛ぶか焼失してしまった。また艦載機へ兵装の搭載、あるいは転換を行うのに必要な台車や燃料ポンプも同様に喪失していた。修理のための予備部品や工具もまた同様。
人員の消耗も深刻だった。航空要員を含めて三千人を超える乗組員が乗艦していた。未だ混沌としていて正確に人員数を掌握できたわけではないが、現段階でおよそ三分の一ほどが戦死傷、行方不明になっていた。行方不明の意味するところは、爆発で遺体が残らないほど損傷したか、落水したか、浸水区画に取り残されたか。あるいは遺体が見つかっていないだけかもしれないし、ダメージコントロールに駆け回る内に元の所掌とかけ離れた箇所に所在して、上官が掌握できていないだけかもしれない。
余談だが、水密区画に閉じ込められた遺体は帰港し修理のためのドックに入渠した時に海水の排水とともに出てくる。これの悲惨なところは、遺体など見たこともない工員が直接見てしまうところだ。しかも海水でふやけているために大変グロテスクで、場合によっては身体の欠損もあった。
開戦後、これにより工員がトラウマを負い職務の遂行が不可能になってしまった事例も生じた。そのため帝国軍は排水専門も工員をドックに派出した。
閑話休題。総じて言えば、空母マーズは空母ではなく巨大な船となっていた。それでもスリン島救援艦隊に同道するのは応急処置を行えば艦載機の発着艦が可能になるためだ。海上に於いて航空機の運用(偵察と艦相互の連絡専用の水上機を除く)が行えるのは空母だけだからだ。今日の海戦では投入可能な航空機の量が死活的に重要になる。だから運用に多大な支障があっても、最悪発着艦だけでもこなせれば十分存在意義があった。
以上の理由から空母マーズは応急処置を行いつつスリン島への航海を続けた。




