第十九話
現代の軍隊は眠らない。特に最前線は。不意を衝かれたが国防軍の兵は直ちに機関銃による射撃を開始した。毎秒二十発の連射速度で七.九二×五七ミリ弾が放たれる。一発一発の射撃の間隔は最早聞き分けられず、ミシンのような連続した音が響く。
けれど帝国兵の突撃を破砕するには距離が足りなかった。突撃を発起した時、最も国防軍に近かった部隊は僅か十メートルしか離れていなかった。
帝国軍はあっさりと主陣地に突入した。
陣地に突入したスピネルは陣地の掃蕩をすることなくひたすら敵後方へ突進する。敵が十分に対処できていない状態、麻痺状態にある内に敵後方に突進し戦果を拡張するのは何も戦車を主力とする機甲科に限ることではない。第一線に残る敵は後続の友軍が掃蕩撃滅する。
スピネルは数度発砲したのみで主陣地を駆け抜けた。他の小部隊も概ねスピネルと同様に国防軍の麻痺に乗じて主陣地に浸透した。突撃発起後三十分にして連隊は主陣地の大半を奪回した。
速やかな主陣地の突破を成し遂げた後もスピネルは、また他の小隊も、他部隊と合流のため停止することなくひたすら前進した。
主陣地の先には複数の鉄条網と機関銃で構成された、複数の国防軍の小隊防御陣地があった。行動の容易な街道はこの陣地により閉塞されていた。スピネルは開けた地形に無数の鉄条網を見て、これは手持ちの戦力では突破できないと迂回を決断した。
スピネルが迂回路を探していると、別の小隊が真正面からこれに突入した。あっと言う間もなく、凄まじい機関銃火力が姿を現した。照明弾が発射され、突撃する帝国兵の姿を暗闇に克明に映し出す。そして彼らが一方的に撃ち殺されるのも。
鉄条網は突撃破砕線を形成する役割を担っていた。突撃する帝国兵の足を止め、機関銃の射線は戦術鉄条網に添い、足止めされた帝国兵は次々と嵐の如き弾雨に斃れる。またこの戦術鉄条網の識別を困難ならしめるための鉄条網(補助鉄条網)も使用されていた。
致命的なのは、この突撃を発起した小隊の誰もが鉄条網を切断するための工兵器材を所持していないことだった。通常は爆薬もしくは鉄条鋏を用いて鉄条網を爆破ないし切断する。ところが誰も所持していないのだから鉄条網を処理できない。こうなると鉄条網を超えるか、地面を掘って潜り抜ける必要があるが、そんなことは不可能だった。
この時、国防軍の機関銃の銃口は地面スレスレにあった。接地射と呼称される射法で、弾丸は地面の直ぐ上を飛ぶから、伏せていても被弾する。小隊は数名が鉄条網に倒れ込むように絶命し、瞬く間に文字通り全滅した。
直後、ブル中佐が前線に到着、前線指揮を執り周囲の部隊を纏め一個中隊ていどの部隊に編合すると突撃を再興させた。帝国軍の戦術教本では突撃が頓挫しても「百方手段を尽くして突撃を反復すべし。たとえ後方部隊無き時といえども将校と兵の勇気に依り』突撃を再興し目的を達成せよと記載されている。
ブル中佐はこれに忠実だった。また他の戦術行動を採れない制約もあった。連隊は統制を失いつつあり、また迂回など戦術行動を指揮可能な将校下士官をブル中佐は掌握しておらず、夜間に加え森林という地形のため連携も困難。突撃こそ唯一の選択肢だった。
「突撃にぃっ、前えぇっ!」
多数の部隊による攻撃前進が容易な街道に沿って中隊指揮官の中尉が命令。
万歳の喊声が深まった夜の森林に殷々と反響する。帝国兵はここが晴れの死に場所と心得ていたから、瘦せ細った体であっても気力だけで駆ける。
複数の機関銃を中核とした国防軍の歩兵火力はこの文字通り必死の突撃を破砕せんと全力を指向した。彼らは闇夜に鬼の形相で突撃してくる帝国兵に圧倒されていて、ともかく後先考えず撃ちまくった。砲兵隊及び迫撃砲に緊急の射撃要請が飛んだ。
首を撃たれた兵士が倒れる。噴水みたいに鮮血が噴出してゴボゴボと何回か呼吸した後に死んだ。
下腹部と腰回りを撃たれた兵士は腸が飛び出た。耳の奥深くを突き刺す凄絶な悲鳴を上げるが、機関銃の連射音がそれを隠した。
高威力の銃弾に腕を付け根から吹き飛ばされながら尚走った兵もいた。
国防軍は迫撃砲による緊急火力集中を要請。砲弾が主陣地と突撃する帝国兵に降り注いだ。主陣地への砲撃は主陣地に頑張る国防軍兵からの要請によるものだった。それは友軍相撃だからできないと渋る迫撃砲兵に対し、「うるせぇ、まだわからんのか!どの道俺達は死ぬんだよ!」と一喝して実施させた。
大勢が鉄条網に殺到し、そして死んでいった。鉄条網には数え切れない程の帝国兵がもたれかかり、あるいは突っ伏して死んでいた。さながら屍山血河を成す悲愴の極地だった。
それでも国防軍陣地は造成が完了していたわけではなかった。もとより最前線に近いため鉄条網と機関銃を組み合わせた応急的な性格が強く、恒久的な、それこそ防衛線を成すものではなかった。
帝国兵はその未完に乗じ、あるいは街道から逸れた森林の中の錯綜地形を利して突破し始めた。水で満たされた部屋の扉が、水圧に耐えかねて四方から滲み出す様を想起させるものだった。
さらに帝国兵が主陣地前縁の国防軍防禦陣地の間隙から溢出し始めたタイミングでスピネルやスピネルのように独断で迂回したさらに後方の国防軍部隊と接触、戦闘に突入した。
このあたりから国防軍はその混乱を深めていく。連隊は統制のおおよそを喪失しているが、それがために烈度も方向もタイミングもまるでバラバラの攻撃になり、却って国防軍はどの程度の敵が攻撃してきているのか、攻撃の方向、予備を投入すべきか、するならばどの程度か、どの地点に重点を置くか、迫撃砲の火力をどの地点に振り向けるか、まったく決定できないでいた。
スピネルの小隊は獣道を前進中、前方より機関銃の猛射を受けた。これは主陣地前縁の複数の小隊陣地をさらに本格化した陣地で、国防軍の防衛線の一部だった。
スピネルは迂回を試みた。一般論として、防禦の堅い正面に突っ込むのは愚策。防禦の薄い側背を求め機動し、突入するのが上策である。
スピネルはまず銃撃を受けている分隊を呼び戻そうとしたが、敵の銃火が激しく離脱できない、つまり釘付けにされているとのことだった。やむなくスピネルは当該分隊に二個分隊を増派し一個小隊にした上で現在地での戦闘を命令した。一個小隊に陽動を任せ、スピネルは一個小隊を率いて敵の側背を求めるに決した。
向かって左側が敵陣の端であり、かつ地形は高低差があり茂みも濃く、攻撃の発起点には最適であるように思われた。側面に回り込むと鉄条網でこそあるものの、敵兵の姿は極少数しか認められない。その敵兵も正面方向に注意が向いている。さらに深さ三十センチメートルほどの溝があり敵陣近くまで身を隠して近接できそうであった。
正面方向からは激しい銃撃音が響く。大半は国防軍の銃器の射撃音。帝国兵の射撃はやはり弾薬が欠乏しているから少ない。と、さらに遠くで国防軍の射撃が始まった。帝国軍の射撃音も混じっている。スピネルが残置してきた小隊の他にも国防軍陣地と交戦している部隊があるようだ。これを受けてか眼前の敵部隊の一部が移動を開始した。増援か。
残った敵兵は、表情こそ窺い知れないものの、その挙動はそわそわと落ち着きが無い。不安の表れだろう。
敵が減り、かつ少なくなった敵は浮足立っている。今ぞ突撃の好機。
溝を一列に並んで匍匐前進し、突撃発起点に着くと無言の内に突進。鉄条網は上に上衣複数枚を掛け、さらにその上から人一人が倒れ込み、その上をスピネル達が駆ける。
無言ではあれど、二十人強が駆ければ注意が散逸な敵も気付く。敵の銃撃の開始された直後、藪に潜ませて、弾薬を多く配分しておいた部下が援護射撃を開始。ほんの僅か、敵が怯んだ隙を衝いてスピネルは敵陣に突入した。
驚愕に目を見張る若造の敵兵を拳銃で射殺しながら塹壕に飛び込んだ。短機関銃を持つ部下が先行。短機関銃の射撃を繰り返しながら前進する。
突如、死んだと思っていた敵が動いて先行していた部下の足を掴んだ。もう片方の手には手榴弾を握っていた。その敵が部下を見上げた時にその横顔が見えた。まだまだ若く、学び舎から飛び立って間もないような顔。その顔が雄弁に「死なば諸共」と決意を物語っていた。見れば胸部及び腹部からの出血が酷い。死ぬことが分かっていて、自分の命を少しでも高く売りつけようとしていた。
「な」
一瞬、完全に意識の外からの事態にスピネルも部下も驚きで固まってしまった。兵士としての本能が咄嗟に体を動かしその敵兵を射殺した。
ぐらりと敵兵の体が傾き、手榴弾も転がる。まずい。転がる手榴弾を見て脳裏に死がよぎる。
足を掴まれた部下とともに背を向けて逃げようとした直後、手榴弾が炸裂。部下は吹き飛ばされた。
「ク、クソ」
体をまさぐったスピネルはとりあえず外傷のないのを確認した。炸裂時、手榴弾との間に部下が存在したから破片が直撃することなく、致命傷を免れたようだった。しかし爆発の衝撃波かあるいは吹っ飛ばされた拍子に頭をぶつけたのかもしくは両方か、頭が痛み常に揺さぶられているような感覚がある。それでも体を起こすと部下とともに再び前進した。




