第十六話
攻勢開始に合わせて、スピネル曹長が配置に就く第二防衛線にも艦砲射撃が行われた。ただし第一防衛線に行われたほど熾烈ではなかった。理由としては、陸軍が第一防衛線を攻撃している間、第二線以降の後方からの増援を避けるためだ。種類としては攻撃準備射撃ではなく擾乱射撃という分類になる。
また別の理由として、偵察の結果陣地が貧弱であることが確認されたのも大きい。戦艦も当然弾薬を始め各種の補給を必要とする。そのため小規模あるいは貧弱な敵陣にまで気前良く砲撃するわけにはいかない。陸軍の砲兵で十分打撃をあたえられる敵陣には砲兵に当たってもらう。
第二防衛線に国防陸軍が接触したのは攻勢開始+一日だった。
シュトゥルムによる急降下爆撃、ロケット弾、機銃掃射、砲兵による攻撃準備射撃が襲った。
攻撃準備射撃では榴弾砲に加え、森林でも展開が容易な八一ミリ、一二〇ミリ迫撃砲が大いに活躍した。
艦砲射撃より威力は各段に低いが、爆発が絶えず続き、台地が揺さぶられる、撃たれ続けるという状況は帝国兵の精神に非常な負荷を掛ける。
スピネルにとって一番精神をすり減らされるのは、退避壕が無いという事実だった。ただ土を掘っただけの個人用掩体には天蓋も無く、砲撃に大しては脆弱である。
友軍砲兵が健在でさえあれば対砲兵射撃を行い、少なくとも一方的に撃たれ続けることはない。もっとも、制空権を奪取されている状況では砲兵はまともに活動できない。射撃を続ければ砲炎を敵機から発見され、各種航空攻撃に襲われる。
ひたすらに精神を苛む砲撃が続き、それが突然ピタリと止んだ。それが何を意味するのか、実戦経験を有する兵士なら即座に理解できる。敵が殺到してくる。
「配置に就け!」
スピネルは叫び拳銃をホルスターから引き抜いた。
周りが陣地を構築している時間にスピネルが考え導き出した、どうやって隻腕で拳銃を扱うか。答えは、拳銃のスライドに掘られている滑り止めのセレーションという溝を噛み、拳銃を前に突き出す、だった。こうすることで片手だけでもスライドを引き、チェンバー(薬室)内に初弾を送り込むことができる。
スピネルは拳銃を構えながら周囲の状況の把握に努めた。見える範囲で、陣地はかなり手酷くやられていた。砲撃されている時間は短かったゆに思うが、それで必要十分だったらしい。砲弾、爆弾に使われていた白と黄色の薬品で染まっている地面がある。焦げ臭さが鼻を衝く。戦車が一両撃破されて炎上していた。
穴倉から出て配置に就いた各員は銃の安全装置を解除し、機関銃のコッキングレバーを引いて射撃に備えた。
既に国防陸軍は塹壕の至近に迫っていた。
「立て!立つんだ!立って戦え!」
砲爆撃からいち早く立ち直ったスピネルは、まだうずくまっている部下に向け怒鳴った。塹壕内は惨憺たる様を呈していた。四肢が千切れている奴、臓器が飛び出ている奴、想像を絶する痛みのあまり必死になって泣き叫ぶ奴、痛みに耐えひたすらじっと空中を睨む奴、右半身のほとんどを失って倒れている奴。「衛生兵、助けてくれ!」という叫び声も聞こえてくる。
助ける余裕なんてものは無かった。
予備陣地後方の迫撃砲陣地から攻撃前進阻止射撃が行われるが、弾薬不足で効果は非常に限定的であるように思われる。
「来たぞ!戦車だ!」
スピネルが叫んで数秒後、木々の奥から全身を追加装甲に身を包んだ敵中戦車二両が姿を表した。
その敵中戦車を木の陰に隠れた帝国軍中戦車が認めた。車長が砲手に方向を伝える。ガソリンを抜かれエンジン駆動で砲塔を回せない砲手は、予備のハンドルを必死になって回転させて砲塔を旋回させる。ゆっくりゆっくりと回転していく。急げ急げと急かされて、砲手はようやく照準器に敵中戦車を捉えた。
十字の照準に敵戦車の砲塔正面を据える。全身を追加装甲で覆っていても、砲塔正面だけは砲身、同軸機銃、照準器のために追加装甲が施されていない。
「照準良し!」
砲手の報告に車長は即座に反応した。
「撃て!」
砲手は発射ペダルを荒々しく踏みつけた。最大貫徹力九一ミリ、弾頭重量六.三キログラムの徹甲弾は初速六一九キロメートル毎時で撃ち出される。
発砲炎と衝撃で舞い上げられた砂塵で照準器は塞がれ、砲手は視界を奪われる。けれど砲手より高い位置にいる車長は、敵戦車の砲塔向かって右側に閃いた火花を見逃さなかった。放たれた徹甲弾の威力をまったく殺さないまま、狙った通り砲塔正面に命中した火花。
砲塔内で炸裂した砲弾は炸薬量こそ少量だったものの、砲塔内の全員を戦死あるいは重傷に追いやった。
眼前で敵戦車が撃破されたことに塹壕内の帝国兵は歓喜の声を張り上げた。
「命中!次、右の戦車!」
勢いのまま車長は次目標を指示。アドレナリンにかられた砲手は勢い良くハンドルを回す。
砲手が再び敵戦車を照準に捉えた時、敵戦車の砲身もまた自身を捉えていた。砲身から吹き出る発砲炎、真っ直ぐ自分目掛けて飛んでくる、目に点と写る敵戦車の砲弾。
敵弾は車体正面装甲を貫通すると搭乗員全員を悲願の彼方へと追い立てた。
残る一両は国防陸軍歩兵相手に存分に持てる火力を発揮していた。木や地形に隠れる敵歩兵には炸薬量六六六グラムの榴弾を撃ち込む。銃弾からは隠れられても爆発や爆風、衝撃波から逃れることはできない。同軸機銃を横薙ぎに撃つ。五発に一発の割合で混ぜられた赤の曳光弾が森林の深い緑を切り裂いて飛ぶ。装甲という圧倒的な盾、主砲という絶対的な矛は歩兵相手ならば敵無しである。
しかしその奮戦も長くは続かなかった。倒木や地形に隠れて近接した歩兵が、立て続けに四発のファウストを浴びた。戦車は全周を装甲で覆っているためにその視界は著しく制限される。その弱点を突かれた形だ。ファウストは着弾と同時に起爆、一次爆発により秒速が五キロメートルを優に超す摂氏数千度の金属ジェットが装甲を食い破った。そして猛熱と鋼鉄の槍四本が車長、砲手、装填手を串刺しにした。駄目押しとばかりに敵戦車も砲撃を加えた。
一転、帝国軍は頽勢に陥った。今度は敵戦車が榴弾と機銃で帝国軍の陣地を蹂躙する。辛うじて木材で造成した機関銃陣地も榴弾の前にはあまりに無力だった。
国防陸軍部隊は交互躍進を繰り返し帝国軍陣地に肉薄する。これは部隊の片方が制圧射撃を行い帝国軍を釘付けにし、その間隙を衝いてもう片方の部隊が肉薄するというもの。国防軍に限らず、帝国軍でもどこの軍隊でも行う常套戦法だった。
問題は帝国軍には補給不足により国防軍に勝るだけの火力が付与されていないことだった。
潤沢な補給を得て弾薬を惜し気もなく撃つ国防軍。対する帝国軍は無駄弾を避けるために敵をギリギリまで引き付け、可能な限り少数回の射撃に留めざるをえない。敵に脅威を与えるだけの弾数を撃ち返せないから火制され、前進を阻むどころか頭を抑え付けられて身動きがとれなくなってしまう。
帝国軍にも個人携行式対戦車擲弾発射機、通称バズーカが配備されていた。ファウストと同じく成形炸薬弾(HEAT)を使用する。ただし、国防軍の戦車はこれの対策のために全周を追加装甲で覆っていた。この装甲が成形炸薬弾の天敵となる空間装甲として機能するために、バズーカはその威力を大きく削がれていた。
またこの陣地には対戦車砲や対戦車地雷や梱包爆薬は配備されていない。この第二防衛線に限ったことではないが、帝国軍は歩兵の対戦車火力が不足していた。手榴弾では利泰を破壊するのが関の山。
「クソッタレめ!やってやる!」
バズーカの担当だった兵士は敵中戦車に狙いを定める。敵中戦車は彼から見て二時方向、右斜め前に位置している。砲塔正面かキューポラであれば追加装甲が無いため有効打を与えられる。他には履帯や転輪が露出しているが、これらは破壊しても一次的に行動不能にするに過ぎない。
ところが彼が狙いを定めた直後、敵戦車の砲塔は別の方向を向いてしまった。本来なら発射後直ちに反撃の銃火を受けないので良いことだが、これでは追加装甲以外の箇所を狙えない。
「畜生が!」
それでも彼は撃った。一発目で追加装甲を破壊し、二発目でむき出しになった素の装甲を狙おうという算段だった。今撃たねば砲塔の指向されている先で戦友が殺されるという重圧もあった。ヤケクソというのも否定できなかった。
バズーカの弾頭は一秒も掛からず敵戦車に命中した。
「装填、装填急げ!」
彼は相棒の装填手を急かす。バズーカは砲身後部から次弾を装填する作りになっている。
砲塔が彼に向きはじめていた。さながら鎌首をもたげる怪物だった。理屈では分かっていても、バズーカを喰らい無傷で即座に反撃に移るなど、やはり怪物じみていた。
「急げ急げ急げ急げ!」
必死に催促した彼だったが、砲塔上部に備え付けの車長用機銃が周囲を薙ぎ払い、相棒は撃たれて即死した。彼自身、左腕に被弾したが強烈な敵愾心のみで耐え、立っていた。装填はされていなかった。それを見て取り自ら装填しようとしたが、直後に榴弾が塹壕の胸壁に着弾、バズーカ諸共彼を四散させた。
スピネルから見て国防軍は塹壕から指呼の距離に迫っていた。銃撃はますます苛烈になり、より精度を増して体の近くに着弾する。敵兵の怒鳴り声さえ聞こえる。
後方、予備陣地のあたりから台地を轟かす大爆発があって、迫撃砲による射撃が途絶えた。
射撃を繰り返していると拳銃の残弾が無くなり、スライドが後退して止まるホールドオープンの状態になった。
グリップのマガジンリリースボタンを親指で押しながら拳銃を勢いを付けて下に振り、途中で止めて急制動を掛けて慣性の力でマガジンを振り落した。次いで拳銃を左脇に挟み、空いた右手で新しいマガジンを取り出して挿し込んだ。後はスライドをリリースすればリロードは完了。
再び敵兵に向けて撃った。銃弾は敵兵の前の倒木に当たり、驚いた敵は頭を引っ込めた。
「手榴弾を使え!」
スピネルは怒鳴りつつ、拳銃をホルスターに収めると手榴弾を取り出した。ピンを歯で噛んで抜くと部下と息を合わせて敵兵の方へ力の投擲した。
ゴト、と塹壕の胸壁に何かがぶつかり落ちた。木製の柄の先端に短い円柱形の鉄。
「手榴弾だ!」
叫ぶと投擲された手榴弾をあらかじめ掘ってあった三十センチメートルほどの小さい縦穴に放り込んだ。この穴に放り込むことで、手榴弾は炸裂しても破片は真上にのみ噴き出すからほとんど無力化できる。
スピネルは無傷で済んだが、他はそうもいかなかった。散発的に投擲されたのではなく、複数人から一斉に投擲されたため、すべてに対応できたわけではなかったからだ。一つしか転がってこなかったスピネルは運が良かった。
いくつもの手榴弾が発する炸裂音で耳が遠のく。この一斉投擲は、敵が突撃を発起する前のの露払いだろう。もう敵兵が陣地に雪崩込んでくる。左右を見ると、スピネルの部下含め戦友は大幅にその数を減らしていた。塹壕は直線ではなくジグザグだし、個人用掩体に拠って戦っている兵もいるから、見えないからといって死んだわけではない。手榴弾のもたらした衝撃から立ち直っていない兵もいるだろう。
けれど連続して聞こえる手榴弾の炸裂音に、我を圧倒する射撃音は、我の頽勢を嫌でも感得させた。
戦車が砂塵を巻き上げながら前進し、土砂を撒き散らしながら塹壕を越える。それに続くように突撃を発起した敵兵は陣地に侵入し手榴弾と火炎放射器を恃みに塹壕を掃蕩する。火炎を浴びた兵士の絶叫が聞こえる。しわがれた声。極度に飢えていたのにそんなに大きな声が出るのかと、なぜだかそんなことが思い浮かんだ。
帝国兵は各個に分断、撃破され急速に陣地を奪われ、スピネルはなんとか分隊(と言っても半数以下に減っていたが)の統率を保ちながらも、陣地の一角に押し込められた。
とうとう死ぬのだ。スピネルは唐突に悟った。さながら、荒ぶる濁流に飲み込まれる小石が如くあまりにあっけなく死んでしまうのだ。もとより軍人である以上、生死須らく祖国と軍のもの。生き死にはすべて運と割り切ってはいた。時至り、数多の戦友のように自分の番が巡ってきただけのこと。
降伏する、という考えが脳の片隅に浮かんだ。そうすれば死なずに済む。それに自身にできることはせいぜい敵兵一人を道連れにすること。いや、拳銃しかないのではそれすら厳しいかもしれない。
そんな風に命を粗末に扱うことはないじゃないか。生への欲望というか、本能的なものがスピネルに降伏せよと訴える。
けれどスピネルはその考えを即座に切り捨てた。自身は志願して戦友が撤退するための時間を生み出すべく戦っている。己の責務は一秒でも長く敵を拘束することにある。非常に名誉な軍務に他ならない。
ほんの僅か遠い本土へ思いを馳せる。妻であるマリアを思う。友人、両親、兄弟を思う。父よ母よ兄弟よ、どうか戦友のために死ぬ俺を誇りに思ってくれ。マリアよどうか許してくれ。
帝国の愛国教育ではなく、戦友愛によってスピネルは拳銃を構えた。引き金を絞ろうとした瞬間、照準の先の敵兵が倒れ、後方から万歳の喊声が響いた。
驚いて振り返ると予備陣地から出撃した友軍の攻撃だった。局所逆襲を発動したものと思われる。国防軍は後退した。




