第十話
同日深夜、スリン島西方海域の水中に一隻の補給任務に従事している帝国海軍の潜水艦がいた。
「艦長、時間です」
腕時計を注視していた副長が定刻を告げる。
「了解。聴音手、周囲に感は?」
「ありません」
「よし。潜望鏡深度まで浮上する。メインタンクブロー。深度十メートルにつけ」
艦長の号令を受け、潜水艦がそのタンク内に溜めていた海水を排出、浮力を得ることで徐々に浮上、指定された深度についた。
艦長は潜望鏡を用いて周囲の海上を確認した。潜水艦による、いわゆる『もぐら輸送』を帝国軍が行っていることは国防海軍は周知のこと。そのため駆逐艦が頻繫に沖合を哨戒している。エンジン音や推進機音を聴知できなかったとは言え、まれに推進機を動かさず、じっと息を潜めて待ち構えていることがある。また敵艦が存在しなくとも、漂流物の存在に注意しなければならない。事実、過去には潜望鏡で周囲を確認せずに浮上し僚艦に激突した事例も存在する。
周囲に目を巡らせた艦長は、幸いにして水上艦は認められず、浮上に際し危険な漂流物も認められない。見えるのはどこまでも広がる漆黒の海原、東に夜闇に包まれるスリン島だけ。
「周囲に艦影無し。浮上!」
波間に通信塔が現れ、次いで司令塔、そして船体が姿を見せた。
補給任務に従事していることを良く示すように、甲板にも補給物資が括り付けられている。こうすると、水中での騒音増加、速力及び操作性が悪化する。
セイルに登った通信員がライトの周りに覆いを付け光が一方向にしか飛ばないようにしたカンテラの、微弱な光で陸に合図した。その合図を受けて、森の中で待機していた帝国陸軍兵の一団が手漕ぎボートと共に出て来た。
ボートは行きに負傷者を帰りに補給品を載せて陸地と潜水艦を往復する。
甲板、艦内から物資が運び出されるのと入れ替えに負傷者が艦内に運び込まれる。
潜水艦で帰還の対象となる負傷者には一般社会とは変わった優先順位があった。普通ならより重傷の者をとなるが、座ることができる者に優先権があった。食い扶持を可能な限り減らすためにも、一回で可能な限り多くの人員を運びたいがゆえである。同じ空間なら寝たきりの一人より、座れる者二人を乗せたいのだ。またあまりに重傷だと、過酷な環境の潜水艦での移動に耐えられないという実際的な問題もあった。
重傷者については高位の将校か、高位勲章受勲者でなければ運ばれることはなかった。残酷だが、どうしたって各種物資の消費を抑えたかった。
このように負傷者をスリン島から収容できるのが潜水艦の強味だった。爆撃機編隊と比べて一度の輸送量に劣り、また爆撃機より遥かに時間が掛かる潜水艦。
セイルの頂上で艦長と副長が陸軍の士官から聞いたことを話し合っていた。
「僚艦は二割程度が到着できていないようです」
艦長は重々しく頷いた。
「うむ。だが爆撃機の方はもっと酷い損害を出しているようだし、それに比べれば我々はまだ良い方だよ」
「違いありません」
海面下に潜航し隠れられる潜水艦はやはり爆撃機と比べて損害は少ない。とは言えこの時代の潜水艦は可潜艦と表した方が適切で、通常時は水上を航行している。そのため航空機や艦船に発見され、攻撃を受けることもある。
常時の潜航というのは技術的に不可能で、連続潜航可能時間はおよそ四十八時間。また潜航時は機関をバッテリー駆動に切り替えるため、六ノット(時速約十一キロメートル)の速力しか発揮できない。なお水上航行時は二十ノット(時速約三十七キロメートル)の速力を発揮できる。可及的速やかに物資を運ぶためにもやはり水上航行が望まれた。
「艦長殿」
先任伍長が艦長の元にやって来た。様子から判断して何か言いたい事があるようだった。
「何か?」
艦長は発言を促す。
「皆自分の私物から食料を提供したいと言っています。ぜひ許可願います」
潜水艦はその性質上、任務中は長期の航海を閉鎖された非常に狭い空間で過ごすことになる。そのためストレス発散の手段として食事は非常に豪勢。またチョコレートなどの嗜好品も存分に積んでいる。その他に乗員は少ないながら、私物として食料や嗜好品を持ち込んでいる者が多い。
多くの乗組員がスリン島から回収されてきた瘦せ細った戦友の姿を目にした。その中の自前の食料を所持している乗組員が、ぜひスリン島で苦しんでいる戦友達に食料や甘未を提供したいと申し出ていた。
艦長にその戦友愛溢れる行動を止める理由は寸分たりとも無かった。
「許可する。直ちに取り掛かれ」
艦長はさらに、乗組員の合意がとれたなら厨房の食料も提供してよろしい、とした。料理が質素になることなど、スリン島にいる戦友に比べれば何でもないと、直ちに合意がなされた。
ボートがスリン島に着き、その篤志の食料が渡されると、スリン島の帝国兵は涙しながら受け取った。
やがて物資を下ろし終え、負傷者を乗せた潜水艦は静かにまた海に潜っていった。




