第九話
スリン島西方の群青の空を四十機の黄土色の帝国軍四発爆撃機が編隊を密にして飛んでいた。重装甲と合計十門に及ぶ防御火器を備える。あだ名は空の要塞。進路はスリン島帝国軍支配地域。
のだがよく見ると側方及び前方、上部銃座の一部が取り外されており、その防御力を減じさせていた。これは下した分の重量分の爆弾を積載しようという攻撃精神の発露ではなかった。元より、彼らの任務は爆撃ではない。スリン島帝国軍への補給である。爆弾倉には下した機銃と人員分の補給物資を搭載していた。
現状、帝国軍の採れる輸送手段は爆撃機による物資の空中投下か、潜水艦による輸送しかなかった。輸送機による空輸という手段は既に取り止めになった。爆撃機以上に脆弱で遅いため、飛ぶたびに大損害を出し続けたからだ。とうとう四十機が全機未帰還になる事態が発生するに至り、輸送機による空輸は中止になった。
編隊がスリン島に近接し、邀撃機が飛んでくる距離に至り編隊内の空気が張り詰め始めた。
「太陽から敵機!」
編隊の上部に位置している『ベル』機内、上部機銃手が叫んだ。
編隊内で反応して防御機銃を射撃できたのは十機ほどだった。気付くのが遅すぎた。元々太陽の方向を警戒していたのでなければ、機銃を太陽に指向した時にはとっくに敵機は編隊の下へ突っ切っていた。
ベル機長は自身の右に位置していた機が被弾する様子を見ていた。左翼、機体側のエンジンあたりに曳光弾の束が吸い込まれるように命中した。火花を撒き散らし、二十ミリ機関砲弾はエンジンカウルに装着された装甲を食い破り、散々にエンジン本体を破壊した。たちまちプロペラは吹っ飛び、エンジンカウルは脱落し、エンジン本体は激しく炎上している。
さらにその被弾した機は、主翼内燃料タンクも装甲が施されているにも関わらず機関砲弾に貫通され燃料に引火、炎上していた。ゴム製のセルフシーリング式タンクは防弾性能、そして貫通された際の燃料の漏出を防ぐ役割があるが、意味を成していないようだった。十発に及ぶ被弾の前では無力だった。
重装甲を誇る爆撃機の装甲を簡単に食い破ったのは機関砲弾の弾種の一つ、薄殻榴弾。砲弾内の炸薬量が他国の二から三倍となる二十グラム。連合皇国の技術力が成した、精密なプレス加工の賜物だ。屈指の高威力を誇る薄殻榴弾は無数の構造材を粉砕し、頑丈な主翼桁にすら深刻な損傷を与えた。辛うじて破断は免れたものの、、高熱の炎に晒されて急激にその耐久力を減じていく。
当該機の機長は手順通りエンジンへの燃料供給を遮断、炭酸ガスを噴射した。迅速な行動のおかげでエンジン火災は食い止め、鎮火できたものの、燃料タンクは依然として燃え続けている。
被弾によって主翼外板に穿たれた穴は空気抵抗を増大させ、気流を搔き乱し、機体を揺らす。左翼の揚力が失われ始め機体が左に傾く。フラップで補助しようとしても上手くいかない。揚力も速力も水平飛行を維持するのに足りない。機体は滑り落ちるように緩やかに降下を始めた。
加えて、外板や細かい構造材が空気抵抗により剝がれ始め、太陽光を反射しキラキラと輝きながら後方へ流れて行く。
炎上の負荷に耐え切れず主翼が曲がりだした。緩やかな逆ガル翼になりつつある。
ここまで来たら終わりは直ぐだ。機長が脱出を指示する直前、とうとう火災が主翼桁を焼き切った。一瞬、機体が苦悶するかのように微かに震えた直後、金属の断裂する音を響かせながら主翼が破断。機体は乗員全員を乗せたまま錐揉みしながら海面へ落ちていった。
爆撃機ベルの前上方の一機の爆撃機『リング』の胴体が火に包まれていた。リングは胴体へ被弾が集中、火災が発生し火の手は積載している補給物資にまで及んでいた。
機内の状況は機外から見たよりも深刻だった。胴体内燃料タンクも燃え、火災は全てを吞み込みつつあり、キャビンは火と煙で満ちつつあった。
とにかく火災を何とかしなければならない。爆弾倉を開け、燃え盛る補給物資を投棄した。八方手を尽くして、だが火勢は収まらない。猛烈な火災は飛行機としての機能さえ奪いつつあった。もうここまで。機長は脱出を決断した。
「先に行け!」
煙渦巻くコックピットで機長は声を張り上げる。機長の責務として、脱出するのは最後だ。それに下手に全員が一度に脱出すると操縦を失った機が落下傘で降下している自分達の上に降ってきかねない。
「了解!海面で会いましょう!」
「おう!そういえばお前とはまだ海水浴をしてなかったな!」
軽い冗談をと交える副機長。副機長の敬礼に、操縦桿を離せない機長は首肯で返した。副機長、航法手兼爆撃手、航空機関士は次々と脱出していった。残念ながらコックピット上部機銃手は先の被弾時に死亡していた。また尾部機銃手と機体下部、ボールターレットの機銃手は炎と煙に巻かれて既に事切れていた。
機長は懸命に燃える爆撃機を操り、落下傘で降下中の部下に爆撃機が覆い被さらない距離まで来た。幸い、脱出した部下の落下傘は全部開傘している。
尾翼が一切の操作を受け付けなくなった。火が操縦系統を焼いてしまったと思われる。操縦系統は複線化してあり、多少の被弾でも操縦不可能に陥らない仕様になっている。ところが猛火はその全てを焼き切ってしまったようだ。
尾翼を操作できなくなったことで機体が横滑りのような挙動を始めた。急いで脱出しようと試みる機長だが、体にかかるGで動きが制限される。必死にもがく内に機体はバレルロールの出来損ないのような機動をした後、一気に海面へ向け急降下に入った。
爆撃機はアクロバティックな機動を行うようには設計されていない。そうでなくても火災で方々にダメージを受けていた機体は急降下の過重もあり直ぐに空中分解、横方向にスピンした。凄まじいGにより機長は機内に磔にされたまま、機と運命を共にした。
編隊は初撃で五機が撃墜された。加えて三機が程度の差こそあれダメージを喰らった。邀撃機は八機。つまり全機がきっちり攻撃を命中させた。この時邀撃に上がってきた国防空軍の一戦級戦闘機『アドラー』の武装は二十ミリ機関砲四門。まともに射線に捉えられたら重防御の爆撃機でも一瞬で撃墜される。
『編隊を乱すな!はぐれた奴は格好の餌だぞ!』
編隊長が無線越しに怒鳴り、編隊を密に保つよう命令。声には緊張の色がありありと見てとれた。編隊がバラバラになればそれだけ各自の発揮する防御機銃の形成する弾幕が薄くなる。
邀撃機は編隊の下に突き抜けると編隊の前方に進出、反転すると機の上下を逆さまにして再び爆撃機編隊に向かってきた。天地を逆にしているのは、射撃後、操縦かんを手前に引き付けて重力に従うままに下方へ離脱するためだ。
ヘッドオン。相対速度が時速一千キロメートルを超える。邀撃機隊は少しでも射撃時間を稼ぐために速度を落とした。
前方機銃を取り外していた各爆撃機は、それでも反撃手段が無いわけではない。編隊は上下に厚みを持っていたから、自機は撃てなくとも他機の上部、下部機銃は射界に納めていた。
それでも、物理的には機銃の射界に納まるというだけで、実際に射撃を命中させられるかは別問題だった。大抵の機銃手にとって、時速一千キロメートル超はあまりに早すぎて、まともな照準などできなかった。よって命中弾もなし。
編隊長は正面から邀撃機が迫ってくる様をしかとその目に焼き付けていた。鈍重な機動性の爆撃機は回避機動など取りようない。上下の反転した邀撃機の機影が綺麗に正面に見えた。つまり真っ直ぐ自らの機に向かってきている。敵弾は、当たる。戦闘機の武装は正面を指向しているのだから、敵機のパイロットが射撃をしくじらない限り、敵弾は自機に命中する。
敵機が射撃する。微かながら敵機の機首と両主翼前縁に発砲炎が視認できた。まばたきをするよりも短い数瞬後、眼前で多数の機関砲弾が急速にその姿を大きくした。弾頭が緑色ということすらハッキリ見えた。
絶大な威力の薄殻榴弾はその他徹甲弾などと共に分厚いコックピットの防弾ガラスを撃ち砕き、計器や操縦桿を破壊、最後に容易く人体を引き裂いた。
「隊長機がやられた!」
爆撃機『ベル』の副操縦士が叫ぶ。機長が副操縦士越しに目をやると、編隊長機は粉々に粉砕されたコックピットから火災による黒煙を吐き出しながらゆっくり降下していく。どうやら操縦桿を握れる人はいないらしく、急に大きくグラリと傾き腹を晒すと視界から外れた。
この一通過で四機が撃墜され、一機が損傷を負った。いかに訓練精到、高い練度を誇る国防空軍パイロットも、相対速度が時速一千を越し、尚且つ投影面積の少ない正面からではこんなもんだった。
邀撃機隊の腕に自信のないパイロットは一工夫加えていた。予想される敵機の未来位置を狙い射撃するのではなく、敵機の遥か手前に照準を定めて、敵機が通過するまで引き金を引き続けた。この方法ではピンポイントで敵機を狙うより、より多くの弾を射耗するが、より確実に命中を見込むことができた。
邀撃機隊は各機銃撃を終えると海面方向に離脱、弾薬を射耗し尽くした三機を覗いて再び爆撃機編隊の正面から迫った。
ベル機長は無い物ねだりに過ぎないことを承知の上で切実に願わずにはいられない。機首に前方機銃が装備されていたなら。あったならもっと防戦できただろうに。命中は見込めなくても、自身に向かってくる機銃弾というのはそれだけで敵機パイロットに脅威を感じさせる。恐怖を感じれば狙いも甘くなるというもの。
再度、敵戦闘機編隊が迫り、機長は祈った。
そして、そして死神の鎌が首筋にピタリとついているような悪寒。。曳光弾がやけに間延びして見え、敵機の射弾は機長のコックピットのすぐ横をすり抜けていった。青色の弾頭までハッキリ見えた。それぐらい近かった。背中を大量の冷や汗がぐっしょりと濡らした。
敵機は再度海面へ向け降下後、爆撃機編隊から離脱、去っていった。
敵機による迎撃を掻い潜ったことに深く安堵した機長は座席に深く沈みこんだ。
スリン島までもうすぐの距離。編隊は指揮を継承した新たな編隊長に従い、物資投下に適した高度まで緩降下を開始した。
機長は海面に目を走らせる。帝国軍は潜水艦でもスリン島に補給を行っている。その潜水艦対策のため、眼下のスリン島西方海域には国防海軍の駆逐艦が常時展開している。そしてこの駆逐艦は潜水艦を追跡していない時に爆撃機編隊をレーダーで発見すると、撃墜せんと編隊の進路に立ち塞がるのだ。もっとも所詮艦船なので速力的に間に合わないことが大半だが。それだがもし一隻でも存在した場合、低空を低速で飛ぶ四発爆撃機というのは格好の的だった。実際、ベル機長は一度駆逐艦からの対空砲火を浴び、不時着を余儀なくされた。機体下部機銃手は即死し、航空機関士が負傷、機内は流血の惨事になった。燃料漏れも発生し、何とか帝国本土まで飛行できたものの、あわや海面に着水せねばならなかった。
だからこそ機長は執拗に海面を捜索した。そしてどうやら敵艦船は存在しないようだった。航跡は無く、海面上に何ら物体は存在しない。
機長は一息吐き、物資の投下に専心した。
『見えた。投下地点だ』
先行する編隊長が投下地点を目視で確認した。機長も編隊長機に続いて投下態勢に入る。高度二百メートル、速度二百五十キロメートル毎時。フラップを展開し揚力を確保、巡行速力以下の速力でも失速し墜落しないギリギリの速度を維持する。機長自身も目視で投下地点を確認。開けた土地に種々雑多な布で十字が形取られている。爆弾倉を解放。
投下は爆撃手の仕事になる。爆撃手は機体が開豁地に進入したのを確認、規定通り「投下!」と声を上げると一挙に投下レバーを引き倒した。
機長は流し目に爆弾倉から投下された物資に取り付けられた落下傘が全て正常に開傘したのを見届けた。
一機、左主翼と尾翼に被弾して不安定に飛行している機があった。撃墜、あるいは墜落は何も銃砲弾によってのみ引き起こされるものではない。この機は、投下のために速度を絞ったところまでは不安定ながら何も問題なかった。しかし爆弾倉を開放したことで空気抵抗が増加、被弾痕と合わせて気流が一気に不安定になった。さらに被弾を考慮せずに減速したことで、予定していたより大幅に減速してしまった。結果、操縦が著しく困難になり、次に左主翼の空気が剥離を起こし左翼だけが失速してしまった。
それらが、駒のように水平に回るフラットスピンを引き起こし操縦不能のまま左回りに落ちていく。致命的だった。元々高度は二百メートルしかない。この高度でスピンを起こしたなら、アクロバット飛行用の軽飛行機でも回復は困難。まして被弾し、操縦性を損ねた大型の四発爆撃機なら不可能だった。
大きく回る機内、搭乗員はGにより機体に押し付けられるのを何とか脱しようと悪戦苦闘、生存のために必死になったが、努力虚しく物資諸共地面に叩き付けられた。
墜落地点は物資投下地点を外れていたから、他の機が投下した物資は無事だった。しかし、当該機は不幸にも物資回収のために控えていた人員の上に墜落した。
そこは、物資の投下地点に選ばれなかった、木々の密生する場所だった。爆撃機が操縦を失って墜ちてくるのに気付いても足場が悪く、木々が移動を妨げる。
航空燃料によって巨大な爆弾とかしていた爆撃機は二十人弱を巻き込む大爆発を起こした。
帝国軍は爆撃機約四十機編隊による空中補給を日に一度行っているが、在スリン島帝国軍の必要量を満たすことはなかった。




