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プロローグ

 総歴1942年、7月上旬。

 スリン島という帝国の戦略的要衝にあって、在スリン島帝国軍最高指揮官であるランド少将はいよいよその焦慮を深くしていた。事の理由は上層部である帝国軍総合参謀本部の優柔不断にあった。

 ランド少将自身、遺憾の念に堪えない事実ではあるが、スリン島の帝国軍は大敗を喫し、今や島の西端の大森林に追い詰められている。今日、戦局は既にスリン島の支配権を争う段階になく、後はどれだけ帝国軍将兵を救い出せるかという段階にあった。加えて、スリン島を帝国の戦略的要衝にしている理由である石油の生産設備は既に帝国軍の手にない。

 ランド少将の感得するところ、どうにも上層部はスリン島の放棄に踏み切れないどころか、将来の捲土重来ではなく速やかな反攻を企図しているようですらあった。

 大軍を率いる将校として教育を受けた少将として、一応理解できないことではない。もし一から上陸作戦を行うとなれば多大な準備と、戦闘に伴う犠牲が出るのは確実。しかし今ならまだ帝国軍は島に地歩を占めているから上陸作戦を行う必要はない。新たな部隊を島に揚陸しさえすれば良い。何より、大陸国家である帝国は上陸作戦について非常に疎い。知識も部隊も、作戦行動のための装備も大したものを有していない。わずか陸軍大学校で細々と資料の収集と研究が行われているのみ。

 そのような困難はランド少将とて十分認識しているが、だからといってもスリン島の帝国軍にはもう戦闘力はほとんど残されていなかった。補給が途絶し、武器も物資もまったく届かないからだ。将兵は飢えている。

 だからこそ、ランド少将はその憂色を深くするのだった。


 同年同月の良く晴れた日の午後、一台の軍用自動車が石造りの、厳正な空気の満ちる帝国軍総合参謀本部の建物前に乗りつけた。降りてきた中将に、玄関前で警衛の任に当たっていた衛兵が捧げ銃で迎える。

 左肩に銃を担う、担え銃の状態から三動作で、小銃を体の前面に保持する捧げ銃の姿勢に。すべて帝国軍の執銃教本通りの見事な動作だった。

 中将は捧げ銃に極めて儀礼的に、機械的に挙手の礼で応えると副官を引き連れ建物内へ入って行った。儀仗仕様に良く磨き抜かれた銃剣が中将の無機質な表情を映した。

 中将の心中は戦局への絶望、憂鬱、不安等々、およそネガティブな感情がほとんど大半を占めていた。衛兵に極めて機械的に答礼したのも、この心中を下位の階級の兵に見せないようにするためであった。およそ指揮官たるもの、麾下将兵を不安にさせるような、つまりネガティブな感情は表に出すな、というのはどの時代、どの軍隊においても共通する指揮官の心得である。

 それではなぜ、この中将の胸中はかくも悲観的になっているのか。理由は今日の戦況会議で出される決論にあった。いや、実を言えば、暗黙裡の内にではあるが、結論は既に出されていた。会議の出席者の誰も、これ以外に方策は無いと確信していた。けれども、その結論が過酷であるがゆえに、居並ぶ将星の誰もがいきなりその結論を認められずにいた。結果、最善のために議論を尽くすべし、との建前のもと、今日まで引き延ばされていた。遅疑逡巡していた。

 巧緻より拙速を尊ぶ帝国軍にあって、かなり異例、批判的に見れば巧緻ですらなかった。しかしそれも、議題がスリン島という戦略的要衝からの全面撤退、となれば叡傑の将軍連をしても、直ちに首肯できるようなものではなかった。

 スリン島は莫大な石油を生み出す。戦時にあって、帝国の石油生産の二割を越す原油の一大産地であった。


帝国と皇国が開戦に至ったのが一九四一年。領土問題の対話による解決の兆しは薄く、それがために帝国は武力による解決を選んだ。

 この決断の背景にあったのが帝国の圧倒的な兵力上の優位である。例えば、開年前の時点で、陸軍兵士の数の差は十倍も開きがあった。また、皇国民は意志薄弱で、戦争を忌避し自ら銃を持つ覚悟も無いとされた。これらの、後に全くの誤りと判明する分析、偏見に導かれ、過信した軍事力を背景に、帝国は戦争へ突入した。

 運命の一九四一年五月一二日、帝国の政治最高指導者であり、軍の最高指揮官である総統は述べた。

 『戦友諸君!帝国の、祖国の守護者諸君!忠武の精兵諸君!

  今や戦いの時がきた。野蛮なる皇国は度重なる対話に耳を傾けなかった!どころか国境 に軍隊を展開させ、彼らは今尚蟠踞している!

  真に平和を求めんとする我が国の願いは卑劣にも踏みにじられたのである!

  光輝ある帝国の戦友よ、今や事態は諸君の本領である!

  帝国万歳! 勝利万歳!』

 こうして始まった戦争は、当然の帰結として帝国の思い描いた通りの推移をたどらなかった。戦前の帝国が考えた、強烈な一撃をかませば皇国は和平を求めるといった、いわゆる一撃講和論はまったくの夢物語だった。そして大敗を喫した。

 一,二世代先の技術力、望み得る最高の練度を誇り、先進的な軍事的知見を有する皇国の軍隊である国防軍は、各所で非常に頑強に抵抗した。

 概観して、開戦劈頭こそ、帝国軍は数を恃みに優勢を得た。しかし、技術と練度に支えられた国防軍は強靭で、強固な陣地に拠っての防衛戦で徐々に帝国軍の戦闘力を削ぎ落した。そして帝国軍が攻勢限界点迎え、前進が停止した瞬間を見逃さず、反撃に打って出た。結果は鮮烈で、一時は皇国領土に百キロメートルも侵入していた帝国軍を、完全に駆逐、戦線は帝国内へ移った。


 帝国軍はあらゆる点で劣っていた。代表的なのが指揮能力である。後世、しばしば帝国軍は巨人に例えられた。これは、絶対的な上意下達の命令系統と、その膨大な兵力を束ねて運用したことに由来する。広域正面戦略と呼ばれる、全戦線において強圧を掛ける戦略が基軸であったことも大きい。

 対する国防軍は、上意下達を基本としながらも、下級指揮官の大幅な裁量権を認めていた。これは、指揮官、参謀を高い水準に均したことで初めて可能になる。例え指揮通信が断絶しても、各級指揮官は事前に定められた目標を達成するため、臨機に行動する。行動できる。語弊を恐れず書けば、国防軍は独断専行をかなりの程度認めていた。国防軍の教本には次の一節がある。

 『戦場にあって真に決定的な威力を発揮するは兵器にあらず。冷静で大胆不敵な、臨機応変の将校なり。ゆえに国防軍は、自ら各種の状況を活用し得る独立独行の戦士を所望するに至れり』

 このドクトリンが帝国軍に対し真に猛威を振るったのは、国防軍が攻勢に転移した時、つまり反撃時だった。

 広域正面への攻撃を基調とする、例えてみれば巨人が全てを薙ぎ払うのとは対照的に、国防軍は巨人の神経を断ち切って回るような攻撃を仕掛けた。

 航空機や砲兵の援護の下に戦車を戦力の基軸とする装甲師団が敵地深くまで突進、街道や橋などの後方要点を一挙に奪取。また通信を断ち切ることで帝国軍は各所で分断された。通信が途絶し、兵力としては存在していても、後方の司令部からは指揮できない、言わば戦力としては存在していない状況にされてしまった。

 これらは、近代に入り、どんどんと巨大化していった軍隊の弱点を巧みに衝くものであった。

 こうして、戦線は小康状態になった。互いに消耗し兵士、兵器、その他物資を集積せねばならない段階へと至ったからだ。

 そして国防軍はスリン島へと攻撃の矛先を向けた。国防軍による初の戦略的攻勢は、帝国軍には完全に奇襲になった。国防軍による徹底的な企図の秘匿により、帝国軍は予兆すら掴めていなかった。

 スリン島では本土でのように、大きく上回る兵力を恃みに戦うことができなかった。原因はひとえに島という地形に求められる。

島へ兵員、物資を運ぶには当然のこととして海を渡らなければならない。

 そして、そのための戦力である海軍は、技術色が強い軍種である。これは、数百、戦艦だと一千を超える人員が共同して、主砲、レーダーを始めとする技術を駆使し、一つの艦船として戦闘力を発揮するからである。そして国防軍は技術も練度も、帝国軍とは隔絶していた。

 帝国海軍の敗因は制空権を確立できなかったことにある。戦闘機を始めとした、艦載機の性能の問題ではなく(それも一因ではあるが)、帝国軍の常套戦法である、数を活かした戦いができなかった。理由は単純明快で、いざとなればいくらでも簡易な飛行場を造成可能な陸地と根本的に異なり、海上での航空戦力の数は航空母艦の数に依存する。乱暴だが、空母の数すなわち航空戦力との理解で問題ない。

 スリン島を巡る戦いは、国防軍の空母六隻による、スリン島帝国軍航空基地への空襲から始まった。この初撃において航空基地は混乱も加わり麻痺に陥り、その状態のまま、在島の航空戦力諸共覆滅されてしまった。この航空基地さえ健在であれば、帝国軍はその後の戦いで一方的な敗北を喫することはなかった。なぜならば、基地には空母六隻分より多い航空機があったし、海上の艦船にあって、種々の制約を受ける空母よりも、機材や整備等の制約を受けないからだ。

 その後、上陸した国防軍は航空基地を奪取、再建し、空母六隻と合わせて制空権を確立した。在島の帝国軍は抗すること敵わずじりじりと後退、いまや島の一角に追い詰められている。

 本土の帝国軍も拱手傍観せず、直ちに空母を中核とする艦隊を派遣、戦史上、そして人類史上初となる空母機動部隊同士の海戦が生起した。

 合計三度の海戦が生起し、結論を先取りすれば帝国海軍はその全てで惨敗した。述べ十二隻の帝国海軍正規空母が出撃し、そして半数の六隻が撃沈された。対する国防海軍が失った空母は一隻だけである。

 国防軍の戦闘機は帝国軍のものより優速で、上昇力でも勝り、運動性能も勝っていた。およそ全ての性能が上回っていた。個々のパイロットの練度は、比べるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの開きがあった。

 制空権を奪われ、丸裸になった帝国海軍の艦隊上空には国防軍機が殺到。次々と艦船が撃沈される憂き目に遭った。こうして制海権を喪失し、スリン島への補給は途絶えた。

 

 会議室で待機する中将に通信兵がスリン島からの無線報告を手渡した。今度はどのような内容だろうか。およそ暗鬱たる内容であることには違いない。在島の部隊に現局を打開するだけの力が無いのだから、どうせ悪いこと以外の報告など入るはずがないのだ。

 以前は武器弾薬、医療従事者、医薬品、食料、およそありとあらゆる物資が欠乏しているだとか、現状では敵との交戦時、過酷なる手段を用いて士気及び軍紀を維持せねばならなくなる、といった報告ばかり飛び込んできていた。過酷なる手段、つまりは、指揮下の将兵に銃を突きつけて戦闘の継続を強要させるという意味である。報告というより、悲鳴とでも表した方が適切に思えた。

 そう心にして通信文を読み上げた中将は、それでも顔を顰めずにはいられなかった。敵の戦力の集積が確認され、それも日に日に大規模になっているという。元より、潜水艦からの報告で、国防軍の輸送艦が頻繁にスリン島に向かっているのが確認されていた。前線が騒がしくなっているといういうことは、敵の攻勢は間近に迫っているのだろう。

 中将は大きな溜息を吐くと報告書を机上に投げ出し、天を仰いだ。もっとも室内にあって目に映るのは質素、というより無機質な天井だったが。それでも、慨嘆せずにはいられなかった。

 敵は、国防軍はとうとうスリン島から帝国軍を駆逐する準備を完成させつつあると見える。

 しばらくして、参加者が揃い戦況会議が始まった。そして出された結論は次のものである。

 撤退、もはやそれしかない。

 居並ぶ星をして、暗雲のスリン島を照らすことはできなかった。

 翌日、スリン島への増援として編成されていた艦隊は救援艦隊に名を変え、出撃した。


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