動く死体
夫婦生活というのは、意外と閉鎖的なものだ。妻が家で何をしていようと、近所の人々はほとんど気にしないし、夫の顔さえ覚えていないことが多い。もちろん、社交的な夫婦なら別だが。
幸運なことに、私の妻は内向的だった。かつて友人もいたようだが、家庭の事情でずいぶん前に疎遠になっているらしい。そのおかげで、妻がゾンビになってから一週間経った今も、誰にも気づかれずに済んでいる。
そう、ゾンビだ。
『ゾンビ』と一口に言っても、その種類は多岐にわたる。走るゾンビ、考えるゾンビ、新たな生命体としてのゾンビ、治療可能なゾンビ。それらに共通しているのは、どれも少なからず“社交的”だという点だ。幸いなことに、私の妻はゾンビになってもなお内向的だった。つまり、人肌を求めることがない。『動く死体』と呼んだほうが正確かもしれない。
「フッ、フッ、フー、フー……」
彼女はドアの鍵を開けて外に出ることはない。手がうまく動かないからだ。まるで無重力空間のシャトルの中の物のように、家の中をぶつかりながら漂っている。
叫ぶこともない。声帯を失ってしまったのだ。だが、これは悲しむべきことではない。神経質なご近所さんからの苦情を避けるために、犬の声帯を手術で取り除くことがある。それと同じだ。
だから、彼女が転ばないように床に物を置かず、棚の中身を空にしておけば、大きな音を立ててご近所さんの好奇心を刺激することもない。ベッドに拘束しておけば、安心して外出もできる。ガスの元栓を絞めておけば完璧だ。ただし、窓だけはしっかり閉めておいたほうがいい。臭いがひどいためだ。
「フッ、フーッ、フーッ……」
なぜ彼女が動く死体になったのかはわからない。世間で原因不明のウイルスが流行しているわけでもなく、彼女が先駆者ということもない。彼女は流行に疎い人間だった。
医者に連れて行く前に、ああなってしまったのだから今となっては知る術もないだろう。
もしかすると、遺伝のせいだったのかもしれない。たぶん、母親からの。
彼女の父親は幼少期に事故で亡くなり、私は彼女の母親とは一度しか会ったことがない。そのとき、すでに彼女の母親は『動く死体』のようだった。出会った頃の妻は、母親の介護に疲れ果てて、今にも消え入りそうだった。
ただ、彼女のその姿に同情し、私は他のマッチング相手と会う予定をすべて見送ったのだから、何がどう転ぶかはわからないものだ。
「フー……フー……」
転ぶと言えば、彼女の母親は家の中で転び、頭を打って亡くなった。
だが、どうやって一人で家の中を歩き回り、転んだのかは今でも想像がつかない。
彼女と初めて寝た翌朝、帰る前に挨拶をしようと彼女の母親の部屋を訪れた。そこには、ベッドに縛られ、口枷をされた彼女の母親がいた。痣の様子から、長い間その状態だったようだ。
「フーッ、フッ、フッー!」
母親の死後、彼女は私にプロポーズし、私はそれを受けた。私は彼女の若さに惹かれ、彼女は私の“医師”という肩書に惹かれて。
だが私は獣医であり、結婚から数年後には、彼女もまた『動く死体』となり果てた。物事はうまくいかないものだ。
「……じゃあ、行ってくるよ。留守番よろしくね」
若年性アルツハイマーは、二十代でも発症することがあるらしい。また、遺伝する可能性もあるという。
いずれにせよ、今の彼女は『動く死体』だ。