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第九十三話 絶対的な差

祈り子の平原を、風が渡っていた。


左右から吹き込む風は絶えず草を揺らし、草原全体を、まるで何千何万という人影が祈るように手を合わせているような景色に変えている。

その神聖な光景の只中で、二人の背から伸びた龍翼は、あまりにも鮮烈だった。


白金に近い光を帯びた片翼。


それはまるで、地平の向こうから差し込む朝日そのものだった。

風を受けるたび、羽一枚一枚が淡く輝き、空気の粒まで照らしているかのように見える。


「わあ、きれいー」


ルシヴァラは、素直に感嘆した。

その黒い瞳に、二人の翼が映り込む。

まるで本当に美しいものを見た子どもみたいに、少しだけ目を丸くして。


けれど――その輝いた目は、次の瞬間には、すうっと冷めた。


「なんだー……二人とも、翼片方しかないんだー」


さっきまでの無邪気さが嘘のように、その声は平坦だった。


「翼が多ければ強いって聞くし。レナウス様も翼が二十翼あったって聞くけど……」


「黙ってください!! ルシヴァラ!!

 貴方の口からレナウス様の名を出すな!!!」


地面が弾けた。


ウリンドラが草を踏み砕き、風すら置き去りにする速度でルシヴァラの眼前へ踏み込む。

その一歩で祈り子の平原の草が薙ぎ伏せられ、炎のように赤いマナが彼女の周囲に噴き上がった。


「はやい……」


ルシヴァラの声は、驚き半分、興味半分。


だがウリンドラは止まらない。


「おそいです!! ルシヴァラ!!

 カタクリスムス・イグニス(炎大破壊)!!」


チャクラムが振るわれた瞬間、

空気が裂け、光が走り、次の瞬間には――爆発が起きた。


轟音とともに大地が揺れる。

炎が円を描いて弾け、平原の草を赤く染めながら吹き飛ばしていく。


ルシヴァラは後方へ跳んで避けた。

だが逃げた先に、今度は炎を纏った複数の円月輪が、獲物を追う猛禽のように連続で襲いかかる。


「当たったらやばそー……」


「わたしの事〜、忘れてないですか〜?

 ユディキウム・フルミニス(雷の裁き)!!」


上空が一瞬で白く染まった。


ずどん、と。

天そのものが落ちてきたかのような極太の雷撃が、ルシヴァラの頭上へ叩き落とされる。


「あ、あぶなー……」


ルシヴァラは半歩ずれた。

だが雷は地を穿ち、巨大な焦げ跡を作り出す。


その回避すら、サリンドルは読んでいた。


「まだですよ〜!

 カタクリスムス・フルメン(雷の大破壊)!!」


サリンドルが斧を地面へ突き立てる。


その瞬間――辺り一帯に雷爆が連鎖した。


地を這う稲妻。

草の根を伝い、空気を裂き、石を砕き、ルシヴァラの足元から爆ぜ上がる黄色い閃光。

平原が一瞬だけ昼のように白くなった。


「きゃあああああ!!!」


今度はまともに食らった。

ルシヴァラの細い身体が激しく跳ね、電撃の渦に飲み込まれる。


「い、いたいー!!

 テンペスタス・グラキエイ(氷嵐)!!」


反撃の鎌が振られる。


空気の色が変わった。


ルシヴァラを中心に、黒ずんだ氷の嵐が生まれる。

吹雪のようでいて、もっと鋭く、もっと重い。

触れた草は一瞬で凍り、砕け散り、白く曇った霜が平原一面を侵食していく。


「その程度の嵐、わたしには効きません!!

 ロタ・エクステルミナティオ(殲滅円)!!」


ウリンドラは真正面から突っ込んだ。


炎を纏ったチャクラムが高速回転し、その身ごと氷嵐へ飛び込む。

火と氷がぶつかった瞬間、爆ぜるような轟音が連続し、衝突地点で巨大な爆発が起こった。


「うわぁああ!!」


ルシヴァラはその爆風に吹き飛ばされ、地面を何度も転がる。

髪が乱れ、白い肌に煤が付く。

さっきまでの余裕が、明らかに剥がれ落ちていた。


「ルシヴァラ……終わりです!!」


「ルシヴァラさん、そろそろ決着ですよ〜」


ウリンドラとサリンドルが、並んで武器を構える。


片翼の龍翼が、大きく開く。

その姿は未完成であるはずなのに、それでもなお圧倒的だった。

片翼だけでここまでの威圧感なら、完全な龍翼顕現とはどれほどのものなのか――そう思わせるだけの光が、確かにそこにあった。


ルシヴァラは、ふらつきながら立ち上がる。

衣服は裂け、腕や肩には焦げ跡と裂傷。

それでも、その口元にはまだ笑みが残っていた。


「強いなー、アセンシオは……。たかが片翼だけなのに、全部の能力が上がってるんだもんー」


ウリンドラの視線が鋭くなる。


「ルシヴァラ……最後に言い残す事は?」


「えー? 最後ー? 何がー?」


くっ、と喉が鳴る。


その笑いが、急速に歪んでいった。


「……くっくっく……

 あっはははははは!!」


乾いた笑い声が、平原に響く。

風がその音を運び、祈るように揺れていた草まで不吉にざわめかせる。


「ルシヴァラさん、おかしくなりましたね〜。

 トドメ、刺してあげますね〜」


サリンドルが斧を構え、踏み込もうとした――その時だった。


空気が、凍った。


冷気、ではない。

もっと根源的な、嫌な気配。

皮膚の内側に爪を立てられるような寒気が、ルシヴァラから迸る。


「最後の悪あがきです!! 行きますよ!! サリンドル!!」


ウリンドラが叫ぶ。


だが、その言葉を切り裂くように、ルシヴァラは静かに告げた。


「アセンシオ(龍翼顕現)」


その瞬間。


ルシヴァラの周囲を、光と闇のマナが同時に包み込んだ。


「そ、そんな……」


「ルシヴァラさんも……使えるんですか……」


サリンドルの声が、初めて震えた。


光と闇。

本来なら相容れない二つの属性が、矛盾なくひとつの渦となってルシヴァラを包み込み、膨れ上がり、やがて爆ぜるように晴れる。


そこに立っていたのは、もう先程までの少女ではなかった。


背丈が伸びている。

髪は長く流れ、その一本一本が夜のような黒を帯びて揺れている。

白かったはずの肌は、逆にその白さが異常なまでに際立ち、瞳からは絶えず黒い涙が流れ続けていた。


そして何より――


その背に広がるのは、黒い六翼。


禍々しく、しかしあまりにも美しい、絶望そのものの翼。


「その姿は……」


「ウリンドラさん……あの姿……」


ウリンドラもサリンドルも、言葉を失う。


ルシヴァラが一歩、前へ出た。


その一歩だけで、空気が変わる。

いや、平原そのものが、彼女を中心に別の世界へ塗り替えられていくようだった。


祈り子の平原を吹く風が止まる。

草はもう祈らない。

ただ圧に押し潰されるように地へ伏していく。


「すまんが……お前達は余に勝てん」


口調すら変わっていた。


先ほどまでの軽さはない。

感情の色が抜け落ちた、冷たい声音。


「あまりにも、余と力が違いすぎる……」


その目は、まるで虫でも見るようだった。


二人の身体が硬直する。

殺気ではない。

圧倒的な格の差を前にした本能が、勝手に“動くな”と命じてくる。


「ウリンドラさん!! 六翼って……!!」


「あ、ありえません!! な、なんで……何処でそんな力を……!!」


ルシヴァラは答えなかった。


ただ鎌を前に出す。


その刃へ、氷のマナが集まっていく。

冷気は瞬く間に濃縮され、刃の周囲で白い霜嵐を巻き起こした。


「先程のお返しだ……」


「サリンドル!! 避けろぉ!!」


ウリンドラが叫ぶ。


サリンドルは反射的に後方へ跳んだ。

だが、その回避行動すら、ルシヴァラの掌の上だった。


「余の攻撃範囲内だ……

 グラキエス・エクステルミナティオ(氷の殲滅)」


巨大な氷の鎌撃が、横薙ぎに放たれた。


それはもはや“斬撃”ではない。

氷の災害そのものだった。


視界を埋め尽くす白。

轟音とともに平原が薙ぎ払われ、地面が抉れ、草木が一瞬で凍りつく。

逃げ場など、どこにもない。


「あぁああ!!」


「きゃあぁああ!!」


二人はまともにそれを浴びた。


裂けた身体の傷口から、じわじわと氷が広がっていく。

冷たい、などという生易しいものではない。

肉そのものが凍りつき、神経が軋み、骨の芯まで砕けるような痛み。


ウリンドラが膝をつく。

サリンドルも、斧を杖にしなければ立っていられない。


「サリンドル……大丈夫ですか……」


「だいじょばない……かもです……」


それでも、二人は倒れない。


片翼がまだ光っている。

誇りまで折れてはいない。


ウリンドラは震える手でチャクラムを握り直した。


「ここまでの威力……。

 私の全てのマナを、ルシヴァラに撃ち込みます……」


サリンドルも、唇を震わせながら笑った。


「わたしもやりますよ……。

 全てのマナを、ルシヴァラさんに叩き込む……」


二人は、ふらつきながら立ち上がる。


「お前達、まだ立てるんだな……」


ルシヴァラが、少しだけ目を細めた。


ウリンドラから、赤いマナが溢れ出す。

サリンドルから、黄色い雷光が漏れ出す。


片翼が、悲鳴を上げるように輝いた。


「オルビス・ウルティムス(終焉の円)」


ウリンドラが、自らの全火力を解放する。

体内から火のマナを一気に噴き上がらせ、その身ごとルシヴァラへ突っ込んだ。


「ルシヴァラ!!」


その背後で、空が裂ける。


サリンドルの上空に、幾筋もの雷が集束し始める。

さっきまでの雷とは、密度が違う。

色が違う。

空気が重くなるほどの神威が、一点に集まっていく。


「フルメン・ディヴィヌム(神雷)」


雷が、落ちた。


一本。

だがそれは“雷”ではなく、まるで神の裁きそのものだった。


ウリンドラの終焉の円がルシヴァラを呑み込み、

サリンドルの神雷がその中心へ叩き込まれる。


光。炎。雷。

三つの破滅が一点で重なり、祈り子の平原を白く消し飛ばした。


地面が崩れ、草原は焼け、爆風で地形すら変わる。

煙が上がり、熱気で視界が歪む。


二人は息を切らしながら、その先を見た。


そして――絶望した。


ルシヴァラは、そこに立っていた。


無傷だった。


掠り傷すらない。


黒い六翼だけが、ゆっくりと広がっていく。


「片翼如きが……余に傷を与えられるわけないだろ……」


二人の心が、音を立てて沈む。


「もう飽きた……。これで終わりだ……」


ルシヴァラの瞳から、黒い涙がぽた、ぽた、と落ちる。

その涙が地面に触れるたび、草が黒く腐っていく。


ウリンドラもサリンドルも、もう武器を上げる力が残っていなかった。


「クソ……」


「みんな……ごめんなさい……。

 ルシヴァラさんには……勝てなかった……」


辺りが、急に暗くなった。


昼でも夜でもない、光そのものが死んでいくような暗さ。

温度が一気に下がる。

息を吸うたび、肺の内側まで凍りつく。


ルシヴァラが、静かに詠唱する。


「ノクス・ウルティマ・フリグス」


その魔法は、祈り子の平原一帯を飲み込んだ。


黒い冷気が大地を這い、空を染め、風を凍らせる。

草原の“祈り”は、その瞬間に死んだ。


すべてを終わらせる夜のように。

すべてを凍てつかせる絶望そのもののように。


世界は、ただ黒く、静かに、凍りついていった。


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