第九十一話 白き国の影
白い建物が立ち並ぶ聖都レナウス。
この国では、白は祝福の色だ。
街の中心には、それを象徴する巨大な塔がある。
白塔。
そしてその塔を守護する国家――
レナウス聖神国。
その中心、アルカレナウス宮殿のさらに奥。
外界から切り離されたように静まり返る一室、聖議殿で、秘密裏の会議が開かれていた。
巨大な円形の間。
天井は高く、白い柱が幾重にも並び、壁には聖紋と古き聖女たちの壁画が刻まれている。
部屋の中央には、白銀の円卓。
そこに座るのは、この国の頂点に立つ五人――
聖冠五座。
レナウス聖神国の最高権力、その心臓部である。
•聖皇 アウレリウス・レナウス
•神託卿 セラフィエル・ヴァレン
•聖軍卿 カストリアン・ヴァルク
•統治卿 レオニス・カーディア
•守護卿 アルヴェイン・シルヴァ
空気は重かった。
誰一人として無駄口を叩かず、ただ聖皇の言葉を待っている。
やがて、円卓の最奥に座るアウレリウスが、低く口を開いた。
「聖冠五座の方々に集まっていただき、感謝する」
静かな声。
だが、その一言だけで場が完全に締まる。
神託卿セラフィエルが薄く目を細めた。
「聖皇自ら、我々に招集をかけるということは……余程の事態、ということね」
「神託卿セラフィエル、感謝する」
アウレリウスがそう言うと、四人はそれぞれの席に正式に着座した。
白銀の椅子が、かすかに音を立てる。
そして――
「皆の者に集まっていただいたのは、聖書の予言が当たったからだ」
その言葉が落ちた瞬間。
円卓の空気が、一変した。
「……っ」
「まさか……」
「それは……」
ざわ、と小さく緊張が走る。
真っ先に声を上げたのは、聖軍卿カストリアンだった。
「アウレリウス……それは誠か」
「ああ、カストリアン」
短い返答。
しかし、それで十分だった。
守護卿アルヴェインが、低く言葉を継ぐ。
「それなら……現れたのですな。
“闇人”が」
その名が出た瞬間、部屋の温度がさらに下がった気がした。
アウレリウスは全員の顔を見渡して、頷く。
「亀裂の谷にて、聖書の記述通りの事象が起きた。
守護卿アルヴェインの部隊――神影隊からの報告だ」
「事実なのか!? アルヴェイン!!」
カストリアンが机に身を乗り出す。
アルヴェインは重々しく頷いた。
「そうだ、カストリアン。
魔道具による記録もある。だが――映像は乱れている」
そう言って、アルヴェインは円卓の上へ、金色の薄い板状の魔道具を置いた。
直後、そこから青白い光が立ち上がり、空間に映像が浮かぶ。
ざらついた、乱れた記録。
だが、それでも十分だった。
そこには、人の理解を拒む異形が映っていた。
漆黒の肉体。
歪に配置された複数の口。
不自然に重なった眼。
ただその存在を視認するだけで、生理的嫌悪が込み上げるような悍ましさ。
「な、なんだこの姿は……」
統治卿レオニスの声が震える。
「これが……闇人なのか……」
映像は十秒も持たず、激しいノイズと共に途切れた。
沈黙。
その沈黙を破ったのは、再びカストリアンだった。
「他に映像はないのか!? アルヴェイン!!」
「申し訳ない。これだけしか残らなかった」
アルヴェインの答えは短い。
だが、その悔しさは滲んでいた。
しばしの沈黙の後、アウレリウスが再び口を開く。
「以前、闇人が現れたのは……今から三百年ほど前だったか」
セラフィエルが静かに答える。
「聖書には、そのように記されているわ」
「アウレリウス……最近は黒雪も頻発している。
そして今度は闇人……」
レオニスが苦い声で言う。
「我々には、時間がないようだな」
アウレリウスのその一言に、誰も反論しなかった。
「聖女たちには、一刻も早く全ての塔を攻略してもらわねばならん。
セラフィエル、現在、最も塔の攻略を進めている聖女は誰だ」
セラフィエルは指先で机を軽く叩きながら答える。
「今、確認できている中では――
十四基の塔を攻略している“モニカ・ヴェントル”ね」
「ん? “ヴェントル”だと……まさか……!」
レオニスが目を見開く。
セラフィエルはわずかに笑った。
「そう。
十六の塔を攻略し、九つ目の闇獣ラヴァを討伐した一人、
“氷帝レノラ・ヴェントル”の娘よ」
「なんと……!」
「十四基も……!」
カストリアンとレオニスの声が重なる。
「二人とも興奮しすぎよ」
セラフィエルが肩をすくめる。
「ちなみにその子、光・風・氷の三属性持ちでもあるわ」
「三属性持ち……!」
「それは、確かに強い……」
円卓にどよめきが広がる。
だが、アウレリウスはその空気を断ち切るように声を落とした。
「塔の攻略が進んでいるのは、確かに吉報だ。
だが……それと同時に、あまりにも看過できぬ報もある」
その視線が、セラフィエルへ向く。
「そうだな、セラフィエル」
神託卿は先ほどまでの軽さを消し、淡々と告げた。
「ええ。
――聖女狩りよ」
その単語だけで、場の空気が再び硬直した。
カストリアンがすぐにアルヴェインを睨む。
「聖女狩りの件は以前も議題に上がった。
アルヴェイン、お前が対応していたはずだな?」
「ああ。追っている。
だが、未だ尻尾が掴めん」
「掴めんだとぉ!!」
カストリアンの拳が円卓を叩く。
鈍い音が響いた。
「大事な聖女が、正体も知れぬ連中に狙われ、奪われ、殺されているんだぞ!!
最近は殺人組織ヒューリーまで聖女を狙っていると聞く!
聖女狩りと無関係なはずがあるか!!」
そこで、アルヴェインが静かに言葉を差し込んだ。
「今はもう、ヒューリーではない」
「……何?」
「奴らは名を変えた。
現在は――聖骸衆と名乗っている」
その名が落ちた瞬間、全員の視線がアルヴェインに集中した。
「聖骸衆……だと?」
レオニスが眉をひそめる。
「なんだ、その不気味な名は……」
アウレリウスの眼差しが鋭くなる。
「意味は掴めているのか」
アルヴェインは一瞬黙り、そして答えた。
「断定はできん。
だが、奴らは“聖女の肉体”そのものに異常な執着を見せている。
生死を問わず、聖女を“器”として扱おうとしている節がある」
「器、だと……?」
セラフィエルが目を細める。
「まるで、聖女を人として見ていない物言いね」
「ああ。
連中にとって聖女は“崇める対象”でも“守る対象”でもない。
もっと別の、悍ましい用途があるように見える」
カストリアンの顔が怒りで歪む。
「ふざけた連中だ……!」
「さらに悪い報せがある」
アルヴェインの声は低いままだった。
「聖骸衆は、単なる誘拐・殺害に留まらん。
聖女の移動経路、地方の鳥車商、港、辺境集落……
複数の土地に潜り込み、選別して狩っている形跡がある」
「選別……?」
レオニスが息を呑む。
「つまり、行き当たりばったりではない。
最初から“誰を狩うか”を見ているという事か」
「その可能性が高い」
「なおさら厄介だな……」
セラフィエルが指先でこめかみを押さえた。
「闇人まで現れた今、聖女は国の希望そのもの。
その希望を狙って刈る集団がいる……。
最悪のタイミングね」
アウレリウスは円卓の中央を見つめたまま、低く言う。
「聖骸衆――
その名を、ここで正式に脅威認定する」
その宣言は、静かだった。
だが、絶対だった。
「アルヴェイン、引き続き追え。
だが今後は“行方を追う”では済まさん。
発見次第、殲滅対象とする」
「承知した」
「セラフィエル。お前もアルヴェインに同行しろ。
……お前の眼が必要になる」
「ええ、分かったわ」
カストリアンが低く唸るように言う。
「アウレリウス……ならば、我が聖軍も動かすべきではないのか」
「まだ早い」
アウレリウスは即答した。
「闇人の件だけでも民に広がれば混乱は避けられん。
そこへ聖骸衆の名まで表に出せば、聖女達の移動はさらに難しくなる。
今はまだ、水面下で潰す」
「……ちっ」
カストリアンは不満げに歯噛みしたが、反論はしなかった。
その時、レオニスがふと別の件を思い出したように口を開く。
「そういえば、アルヴェイン。
お前の裏組織――戒罪の八印の裏切り者の件はどうなった。
今は七印、だったか」
部屋の空気がまた少し変わる。
アルヴェインの表情が、ほんのわずかに硬くなった。
「それに関しては問題ない。
元戒罪の八印――ルシヴァラ・ノクティラの居場所は、既に掴んでいる」
「しっかり始末するんだよな?」
カストリアンが睨みつける。
「まさか闇のマナに染まるとは……聖女でありながら……!」
「裏切り者の始末に関しては、既に二人を向かわせた」
アルヴェインは静かに告げた。
「会議の前に連絡も入った。
丁度今頃、黒涙の聖女ルシヴァラ・ノクティラと接触しているはずだ。
今日中には報告が来るだろう」
「必ず仕留めろ」
カストリアンの声は、もはや怒声に近かった。
「闇に染まった聖女は悪魔だ。
必ず殺さねばならん!!」
アウレリウスもまた、厳しい目で言葉を重ねる。
「カストリアンの言う通りだ。
闇に染まった者は、この世に在ってはならぬ。
レナウス様が守り抜いた世界を、我々が護らねばならん」
その言葉に、誰も異を唱えない。
そして、アウレリウスは最後の報告に移った。
「――皆に、もう一つ知らせねばならぬ事がある」
四人の視線が集まる。
「エルティア様が、“星祈”に入られた」
息を呑む音が、確かにあった。
「そうか……遂に入られたのですね……」
セラフィエルが静かに目を伏せる。
「どれほど先まで視るつもりなのかしら……」
レオニスが呟く。
「それはエルティア様にしか分からん」
アルヴェインが低く返す。
アウレリウスは、円卓をゆっくり見回した。
「次の方針は、エルティア様が星祈を終えられてから改めて定める。
それまでは――」
白い聖議殿に、聖皇の声が重く響く。
「闇人の監視。
聖骸衆の追跡。
聖女の保護。
そして塔の攻略支援。
この四点を最優先とする。皆、異論はないな?」
聖冠五座は、無言で頷いた。
「それでは――これで解散とする」
アウレリウスの言葉で、全員が立ち上がる。
白い法衣が揺れ、椅子が引かれ、重苦しい会議は終わりを迎えた。
だが、誰一人として軽い足取りではなかった。
闇人。
聖骸衆。
闇に染まった聖女。
そして、星祈に入った預言者。
白き国の中枢に集う者達は、皆分かっていた。
これはまだ、嵐の前触れに過ぎないのだと。




