第九十話 守護の風霊
「おい! ケイラ!! まだ着かねえのかよぉ……流石に歩き疲れたぞぉ!!」
アデルがぶすっと顔をしかめて文句を漏らす。
黒い森の中を、もうどれくらい歩き続けているか分からない。
湿った土の感触が靴裏にねっとり張りついて、気持ち悪さに拍車をかけていた。
「アデルさん、も、もうすぐ着くでっす!!」
ケイラは相変わらずちょこちょこと軽い足取りで獣道を進み、狐耳をぴんと立てたまま振り返る。
アデルも同じ道を辿るが、筋肉量の違いなのか、妙に足取りが重く感じた。
魔物避けの小袋が腰で揺れるたび、周囲の気配が薄いことを思い出す。
「なあケイラ。この小袋身につけてても大丈夫か? 竜まで逃げねえのか?」
「ア、ハイ、大丈夫でっす……。あれは“特別”でっす。
ワタシ達が、魔物に会いに行くぶんには、関係ないでっす……」
ケイラが言いながら前を指差す。
「あ、アデルさん!! みてください……
あれがヴェルミナドレイクの巣でっす!!」
「はあ? あれがか??」
視線の先――森の中に、異様な“塊”があった。
大木が何本も何本も、乱暴に積み上げられ、絡みつき、
まるで巨大な鳥の巣を、そのまま地上に押し潰したようなドーム状の構造物。
「……巣っつーか、でけぇ焚き木の山じゃねえか……」
「アデルさん……ヴェルミナドレイクは縄張り意識が、とても、とっても高いでっす。
だから、その巣の中に“入った瞬間”、一気に襲いかかってくるでっす!!
ほんとに危険でっす!! 挑むんでっすか!?」
ケイラの声には、本気の怯えが滲んでいた。
尻尾が、いつものリズムよりもずっと速く左右に揺れている。
「ああ。オレは行くぜぇ」
アデルは、きっぱりと言った。
「強くなる為に――行くぜぇ!!」
迷いの欠片もない笑顔でそう言い捨てると、躊躇なく駆け出した。
獣道から外れ、木々の間を縫うように走り、
ドーム状に積まれた大木の壁へ、そのまま拳と蹴りを叩き込む。
「どけやあああ!!」
バキバキバキッ!!
何本もの丸太が一気に弾け飛び、木屑と葉が舞う。
その先――
「……なんだよ、ここ……」
中に足を踏み入れた瞬間、アデルは思わず息を呑んだ。
外よりもわずかに明るい。
天井に空いた隙間から木漏れ日が入り込み、筋になって差し込んでいる。
舞い落ちる葉が、光の中でふわりと浮かび上がり、その中心――
そこに、“竜”がいた。
全身を覆う、緑色の鱗。
肌の代わりに、木の幹を削り出したかのような硬そうな肢体。
翼には無数の木の葉が絡みつき、広げたときには森そのものの影を落としそうだ。
大きさは――七メートルほど。
世界を埋め尽くすような巨竜ではない。だが、目の前にすると圧が違う。
「……は」
アデルの口元が、にやりと吊り上がる。
「意外に小せえんだな!!」
挑発するように叫び、拳を鳴らす。
「チビ竜が、潰れろやぁあ!!」
まだ動かないヴェルミナドレイクに向かって、一直線に駆け出す。
床を蹴る度に、筋肉が爆ぜるように熱を帯びる。
「うおおおおお――!」
間合いに入った瞬間、アデルは拳を振り抜いた。
――ガンッ!!
硬いものを殴った感触ではない。
だが、確かな“反発”が拳を弾き返した。
「なっ――!?」
見えない壁にぶつかったみたいに、拳が跳ね返される。
「ざけなぁあああ!!
プグヌス・ディレクトゥス(直進拳)!!」
再び拳にマナを込め、ひねりを加えた打撃を叩き込む。
風圧が竜の顔面に届きかけた、その瞬間――
――バチィンッ!!
弾かれた。
アデルの拳が、今度は逆に押し返され、腕ごと身体が後ろへ持っていかれる。
「クッソ……この感じ……」
喉の奥に、嫌な記憶がこみ上げる。
「アイツと……似てる……カルミネと……」
人間のくせに、殴りかかるだけで弾かれた、あの不可視の壁。
同じ“何か”が、竜の周りを覆っている。
その時、ヴェルミナドレイクの瞼が、わずかに震えた。
ゆっくりと目を開け、瞳孔が細くなる。
「ゴラァアアアアアアアア!!」
森を震わせる咆哮。
翼が、ぶわりと広がる。
――ドオオオオッ!!
羽ばたき。
それだけで、圧縮された空気の塊が、矢のようにアデルへ飛んでくる。
「ぐっ――!」
避けるより早く、風がぶち当たった。
肺の中の空気を全部かき回されたような衝撃。
体ごと後方へ吹き飛ばされ、背中が地面に叩きつけられる。
「かっは……ッゲッホ、ゲホッ……」
喉に血の味。
胸が焼けるように痛いのに――アデルは笑っていた。
「このクソ竜……たったそれだけで、この威力……」
痛みをごまかすように、喉を震わせる。
「くっはははは!!」
笑いながら立ち上がる。
「おもしれぇえええ!!」
再び地面を蹴る。
痛みはある。だが、それがむしろ「生きてる」と体に刻みつけてくる。
「ア、アデルさん!!!!!」
どこか遠くで、ケイラの叫び声が聞こえた。
――その声を最後に、アデルの意識は、闇に引きずり込まれた。
・
・
・
〜魔女の家・客間〜
「うぅ……うぅう……っ……ここは……」
重い瞼をゆっくり上げた瞬間――
「アデルゥウウウウウ!!!!」
叫び声と共に、視界いっぱいに淡い白髪が飛び込んできた。
「おわっ――」
リノアが泣きながらアデルに抱きつき、そのまま胸に顔を押し付ける。
「もう!! 無茶しないでって言ったじゃん!!!」
声がしゃくりあげで詰まり、言葉が途切れ途切れになる。
「ぅぅっうう……!」
アデルは、自分の胸元を濡らす感触で、初めて事態の重大さを知った。
「オレ……どうなったんだ……?」
自分の体を見下ろす。服は血に染まっていたが、傷そのものは――ない。
「あ、アデルさん!!」
ケイラが、ベッドの横から顔を出す。
「アデルさんは、ヴェルミナドレイクの尻尾の攻撃をくらって、
そのまま、お、お腹が裂けて――意識を失ったんでっす!!」
「……っ!!」
アデルの背筋に冷たいものが走る。
「う、そ、だろ……き……傷は……」
「傷は!! わたしが治したから!!」
リノアが顔を上げる。
目は真っ赤で、涙の跡が頬をつたっている。
「わたしが、全部――治したから!!」
必死に、何度もヒールを重ねたのだろう。
その声には、途切れそうな自信と、安堵と、怒りと、心配が全部混ざっていた。
「あ、ありがとう……リノア……」
アデルは、素直に礼を言った。
その時、奥の部屋からモッカが静かに歩いてくる。
木の足音はほとんどしないのに、気配だけが近づいてくる。
「リノアさんの修行の成果もあって、傷口が一瞬で塞がりましたね」
モッカはアデルの腹のあたりを見て、木の手でそっと触れる真似だけをする。
「それで……どうでした? ヴェルミナドレイクと戦ってみて」
アデルは、天井を見つめたまま、記憶を掘り起こすようにゆっくり口を開く。
「オレは……あのクソ竜に攻撃を当てる事が出来なかった……」
拳に残る“弾かれた感触”が、鮮明に蘇る。
「なんか、見えない壁があって……殴ると跳ね返されるんだ……」
「アデル……見えない壁って……」
リノアがごくりと唾を飲み込む。
「以前カヒラパで戦った……」
「ああ。カルミネっていう奴と同じだった……」
アデルは眉間に皺を寄せる。
「殴ろうとすると、弾かれる。
なんだよぉ、あの力は……」
モッカは少しだけ首を傾げ、しばらく沈黙した後、静かに尋ねる。
「アデルさん、リノアさん。そのカルミネとやらは、人間ですか?」
「うん」
「……ああ」
二人が同時に頷く。
「まさか人間でも、その力を使う者がいるとは……」
モッカは木の指を組んで、少しだけ上を向いた。
「おいモッカ! あれはなんだよ……」
アデルが身を乗り出す。
「その力は――風鎧の最上級魔法。
“スピリトゥス・クストス(守護の風霊)”」
「は? スピ? クス?」
「アデルさん、“スピリトゥス・クストス”でっす……」
ケイラが小声で訂正する。
「モッカ、それはどんな魔法なの?」
リノアが前のめりになって聞く。
「リノアさん、アデルさん、先ほどお話ししましたね。
“マナは微精霊”だと」
「う、うん……」
「おう....」
「その微精霊が、とても“居心地の良い身体”を見つけて住み着いた時に、発現する魔法です」
「おいモッカ!! なんだよ!! その“居心地”ってよぉ!!」
アデルが噛みつくように言うと、モッカはなぜか少し楽しそうに言葉を続ける。
「アデルさん、元気になってきましたね。
では、例え話をしましょう」
モッカは手近な椅子を指でとん、と叩いた。
「ある家があります。その家には、食べ物、寝床、風呂……あらゆるものが揃っています。
何でも揃っているので、外に出る必要がありません。
ですが――そんな“最高の家”があると知れたら、どうなりますか?」
「決まってんだろぉ。奪いに来る奴が出てくる」
「そうですね。
ではアデルさん。
自分がその家に先に住み着いていました。
そこへ、家を奪おうとする奴が現れました。どうしますか?」
「決まってんだろぉ!! ボコす!!」
「それと一緒です」
モッカは木の手をぽんと打ち合わせた。
「微精霊達も、せっかく“居心地の良い身体”を手に入れたなら、奪われたくないのです。
なので、その身体を守るために、全力で“外からの干渉”を弾き返す」
「……それが、“スピリトゥス・クストス”」
リノアが小さく呟く。
「つまり、ヴェルミナドレイクやカルミネの身体は、微精霊にとって“最高の家”って事だな……」
「はあ? なんだよぉ!! それはよぉ!!」
アデルは頭をがしがし掻く。
「モッカ、それならどうすればいいの?
どうしようもないじゃん!」
リノアの声には焦りが滲む。
モッカは、二人の顔を順に見て、はっきりと言った。
「打開策はあります」
「!」
「“スピリトゥス・クストス”を破壊できるほどの攻撃を叩き込むか――
もしくは、相手のマナを減らし、維持できない状態に追い込むか。
その二択ですね」
アデルの瞳に、一気に火が灯る。
「……ってことはだ」
ベッドから勢いよく上体を起こし、足を床につける。
「リノア」
名前を呼ばれ、リノアがびくっと肩を震わせる。
「オレがあのクソ竜を倒せる時は――」
アデルはぎゅっと拳を握りしめた。
「カルミネもぶっ潰せるって事だぁ!!」
「え!? そ、そう、だけど……!」
リノアの胸にも、燃えるような感情が生まれる。
グリムを殺した闇人。
ルインとゼーラを奪った塔。
そして、リノアとアデルの体と心に傷を刻んだカルミネ。
全部まとめて、“超えるべき壁”だ。
「アデルさん。もう挑まれるんですか?」
モッカが確認する。
「ああ」
アデルは即答した。
「オレはあの竜をぶっ飛ばす!」
「アデル!! さっきやられたばかりじゃん!!」
リノアが思わず声を荒げる。
「大丈夫だぁ!!」
アデルは笑ってみせる。
「もう見切った!!」
「見切ったって、さっき一瞬で――」
「ケイラ!! もう一度行くぞ!!」
「えぇ!! 本当に行くんでっすか!?」
ケイラの尻尾が恐怖でしゅっと細くなる。
「ったりめぇだぁ!!」
アデルが立ち上がり、拳を握ったまま玄関へ向かおうとしたその時、モッカも立ち上がってアデルの前に回り込む。
「心が折れていると思いましたが……」
モッカの木の瞳が、アデルを見つめる。
「違いましたね」
「当たり前だぁ!! 舐めんなぁ!!」
アデルはムッとして叫ぶが、その声には確かな力があった。
「リノアさんのマナ修行と、アデルさんの身体修行。
二人とも――頑張ってください」
「わたしも強くなるから!!」
リノアが胸に手を当てる。
「早くマナフィールを覚えて、もっともっと強くなる!」
「オレもだ」
アデルはニッと笑う。
「あの竜をぶっ飛ばせば――
前のオレを、やっと超えたって言える気がする」
グリムがいた頃の自分。
ルイン、ゼーラが隣にいた頃の自分。
すぐに誰かに頼って、すぐに誰かに守られて――それでも
「一撃で倒す」と吠えていた自分。
「それをちゃんと証明してえからよ」
「二人共、頑張るでっす!!」
ケイラも力いっぱい拳を握る。
黒い森の奥で、それぞれの“修行”が、再び始まった。




