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第八十五話 黒禁領域《ヴェルミナ・フォレスト》

黒い森は、静かだった。


風は確かに吹いている。梢は揺れているのに――

葉同士が擦れ合う音さえしない。

鳥も鳴かない。虫も飛ばない。


あるのは、湿った土の匂いと、

肌にまとわりついてくる、重たく冷たい空気だけだった。


 


アデルは、仰向けのまましばらく動けなかった。


背中が焼けるように痛い。

腰も、肩も、腕も、脚も、全部まとめて殴られたみたいに痺れている。

どこが一番痛いのかすら、よく分からない。


口の中には、土と血の鉄臭さが残っていた。


 


「……リノア……」


 


喉の奥を無理やりこじ開けるようにして、名前を絞り出す。


声にならないようなかすれた音。

それでも、その一言に残っている力は、今のアデルが持つすべてだった。


 


少し離れたところで、草を踏む音がした。


しゃり、と控えめな音。

だが、妙にはっきり耳に届く。


 


「……あの……だ、大丈夫でっす?」


 


聞き慣れない声。

おそるおそる、けれど必死に勇気を振り絞ったような女の子の声だった。


アデルは、痛む首に力を込めて、ゆっくりと声の方へ顔を向ける。


 


そこにいたのは――黄色い狐耳をぴんと立てた獣人族の少女だった。


黒く沈んだ森の中で、その姿だけがぽん、と切り抜かれたみたいに鮮明だ。

左目は深いオレンジ、右目は澄んだ青。

左右で色の違うオッドアイが、不安そうにこちらを覗き込んでいる。


大きな尻尾が、落ち着きなくぱたぱたと揺れていた。


 


「……誰だ……?」


 


アデルがうめくように問うと、少女はびくっと肩を跳ねさせた。


 


「あ、えっと……わ、わたしは……」


言葉の先でつっかえながら、彼女は小さく頭を下げる。


 


「ワ、ワタシはケイラっていいまっす、、」


 


「ケイラ、ねぇ……」


アデルは痛む身体を少しだけ起こし、そのまま目だけで彼女を値踏みする。


この森。この状況。

知らないヤツ。

警戒しない方がどうかしている。


 


「おまえは、、オレ達の、敵か、、?」


 


吐き捨てるような声音。

手はまだまともに握れないが、それでも闘う構えだけは崩さない。


ケイラは、目をまん丸に見開いて、両手をぶんぶん横に振った。


 


「ち、ちがいまっす!! 敵じゃないでっす!!」


 


オッドアイが半泣きになりながら、慌てて言葉を継ぐ。


 


「たまたまススラの巣からお二人が落ちたのみたので、その、心配で、、あ、あのっ、これ、どうぞ、、でっす、、」


 


ケイラはちいさなポシェットをあわててまさぐり、

コルク栓の刺さった小瓶――ポーションを取り出して、そっとアデルに差し出した。


アデルは一瞬だけ目を細め、そのまま瓶をひったくるように受け取る。


 


ごく、ごく、ごく――。


 


喉を焼く感覚が、一瞬だけ生きている証みたいにリアルだった。

空っぽになった瓶を離すと、全身の痛みがほんの少しだけ薄くなる。


 


「ア、アデル、、大丈夫、、?」


 


掠れた声が、別の方向から聞こえた。


アデルは首をそっちに向ける。

少し離れた地面の上で、リノアが眉を寄せてゆっくりと身体を起こそうとしていた。


 


「……いった……」


 


顔をしかめて息を呑むリノアに、ケイラが慌てて駆け寄る。


「あ、あの、、聖女様も、、これ、、どうぞ、、でっす、、」


今度はリノアに向かって、もう一本ポーションを差し出す。



「あ、ありがとう、、」


リノアは戸惑いながらも受け取り、アデルと同じように一気に飲み干した。


喉を通る液体が、冷たいのか温かいのかもよく分からない。

けれど、肺に入る空気がさっきより少しだけ楽になっている。


 


「リノア!! 大丈夫か!!」


 


「う、うん、、まだ少し体が痛いけどね、、あのポーションありがとう!!」


 


リノアがケイラに向けてふにゃっと笑うと、ケイラは慌てて視線を泳がせて、

耳と尻尾を同時にぴょこっと跳ねさせた。


「リノア、こいつはケイラって言うらしい」


「ケイラ、ありがとう、、」


リノアが改めて礼を言うと、ケイラは両手を胸の前でばたばたさせる。


 


「いえ、、それほどでもないでっす、、」


 


まだ昼のはずなのに、空気は暗い。

黒い葉が太陽を塞ぎ、森全体が、昼と夜の間みたいな、妙な薄闇に沈んでいた。


 


「ねえ、ケイラ、、」


リノアは立ち上がりきれないまま、膝に手をついて息を整え、ケイラを見上げる。


「わたし達、この森を出て、モラカエルの塔って場所に行きたいんだけど、どうやっていけるかわかる?」


その言葉に、ケイラの尻尾がぴたりと止まった。


さっきまでそわそわ揺れていた耳も、ぴんと固まる。


 


「おい! どうした?」


 


アデルが怪訝そうに眉をひそめると、ケイラの肩が小さく震えた。


 


「あ、あの、、この森からは出れないと、、思いまっす、、」


 


「はあ? 出れねえだと?! どういうことだよ!!」


 


怒鳴るアデルに、ケイラはさらに縮こまる。

リノアが慌てて割って入った。


 


「魔女の森だから……魔女の魔法で入り口が現れないとか?」


「んー、、、」


ケイラはもじもじと指を絡め、ちらりと二人を見た。


 


「魔女はワタシの、お師匠様なんです、、」


 


「はあ〜? 師匠だと、、」


アデルが目を細める。

 


「ならケイラ! 魔女に会わせろ!! 直接聞いた方が早え!」


 


「え、えっと、、あの、、二人共、、」


ケイラは言いにくそうに視線をさまよわせ、

ぽすんと自分の尻尾を抱えるように掴んだ。


 


「体がまだ、癒えてないと思いますので、近くにワタシが住んでる家がありまっす、

そこで、とりあえずお話しとかどうでっすか?」


 


「アデル、無理は良くないから、ケイラの家で一旦休まない?」


 


リノアが真剣な顔で言う。

アデルは舌打ちしそうになるのをぐっと飲み込み、肩を回してみた。


まだ全身が重い。

気合いだけではどうにもならない痛みが、じわじわ居座っている。

 

「……わかった、、この森の事あまり知らねえしな、、

魔女だかなんだかの話も、そこで聞けばいい」

 


「で、では、ワ、ワタシについてきてくださいでっす、、」

 

ケイラはほっと息をついて、平坦な獣道をすばしっこく歩き出した。

アデルとリノアも、遅れないように足を引きずりながら後に続く。

 


黒い幹が並び、葉は夜の闇をそのまま固めたような色をしている。

地面は湿って柔らかく、踏みしめるたび、ぐじゅ、と嫌な音がした。


ケイラだけが、この異様な森の中を迷いなく進んでいく。

獣道が途切れそうな場所でも、ためらいなく枝をくぐり、木々の間を縫う。


 


「こ、ここが、家でっす、」


 


やがて辿り着いた先――


そこには、不自然なほど丸い巨木が一本、どん、と立っていた。


幹全体が、丸ごと膨らんでいるような奇妙な形だ。

表面は黒ずんだ茶色だが、節目の模様が渦を巻いているせいで、遠目には大きな眼球がいくつもこちらを見ているようにも見える。


 


「丸い木だ、、」


 


「わたしこんな木初めてみた、、、」


 


リノアがぽつりと言い、アデルも僅かに眉を上げる。


樹皮にドアも窓もない。

普通なら、どこからどう見てもただの木だ。


 


「ど、どうぞ、、」


 


ケイラは幹の前まで進むと、何もない空間にそっと手を伸ばした。


その瞬間――


空気が、ぐにゃりと揺らいだ。


見えない膜が裂けるみたいに、木の表面の前に黒い渦がじわじわと広がっていく。

インクを水に垂らしたような黒が、中心から外へと渦を描き、やがて人ひとり通れるほどの闇穴が開いた。


ケイラは一度だけ二人を振り返り、小さく頷くと、ためらいなくその闇の中へ消える。


 


「……」


 


「……行くしか、ないよね」


 


リノアがごくりと唾を飲み込み、アデルを見上げた。



「ちっ……」


アデルは舌打ちを堪え、拳をぎゅっと握る。


 


「ビビってねぇからな、オレは」


 


強がり半分、本音半分。

そのまま闇穴に足を踏み入れる。


一歩、二歩。

重力の向きが一瞬分からなくなる感覚とともに、視界が裏返った。


 


次に瞬きをした時には――


 


中は、外見からは想像もつかないほど広かった。


丸い木の幹の中に収まっているとは到底思えない、石造りの部屋。

壁一面には、本、本、本。

ぎっしりと本棚が並び、天井まで本が詰め込まれている。


ほのかな明かりは、天井に浮かぶ小さな光球から降り注いでいた。

ろうそくでもランプでもない、魔法の光だ。


 


「お客様ですか? ケイラ」


 


柔らかい、落ち着いた声が室内に響いた。


 


「う、うん、、連れきましたでっす、、」


 


ケイラが答えると、奥の方からコツ、コツ、と規則正しい足音が近づいてくる。


現れたのは――メイド服を着た、人形だった。


顔から足の先まで、全身が木でできている。

関節の部分にだけ金属の輪が挟まっていて、そこで曲がるようになっている。

なのに、ぎこちなさは不思議とない。

まるで本物の人間のような動きで、アデル達の前にやって来る。


木でできた顔には、目も口もない。

それでも、どこか「こちらを見ている」感覚があった。


 


「おいなんだその木の人形は?! 口動いてねえのに喋ってるぞ、、」


 


アデルが思わず声を上げる。


「もしかしてゴーレム?」


リノアが首を傾げると、木のメイド――人形は、彼女の前まで歩み出て、優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をした。



「そうです、私は魔女グラヴェル様に作られたゴーレム、モッカと申します」



口は動いていない。

それでも、確かに声が聞こえる。


モッカはお辞儀を終えると、両手に持っていた銀のトレイをテーブルにそっと置いた。

トレイの上にはカップが三つ。

湯気の立つお茶が注がれている。


「お客様、どうぞお茶を飲んでください」


勧められるまま、二人は椅子に腰を下ろす。

ケイラも、申し訳なさそうにしながら、そっと同じテーブルの端に座った。


黒禁領域の重たい空気とは違い、この部屋の空気はほんのり甘い香りがする。

乾いたハーブと木の匂いが混じった、落ち着く香りだった。


リノアがおそるおそるカップを口に運ぶ。

アデルも怪訝そうな顔をしながら、一口だけ舐めるように飲んだ。


 


悪くない。

むしろ、美味い。


 


ケイラは、そんな二人をじーっと見つめていた。

アデルとリノアが視線を向けると、ケイラは急に顔を真っ赤にして、慌てて目をそらす。

尻尾が机の下でばさばさ揺れた。


 


「お客様、ケイラがすいません、、人と巡り合うのが久しぶりですので、、」


 


モッカがさらりとフォローを入れる。


アデルは、カップをテーブルに戻し、身を乗り出した。


 


「なあ、オレ達はこの森を抜けてぇ、モラカエルの塔に行きてぇんだ。

どうやっていけばいい?」


「モッカさん! 近道とか知らない?」


リノアも、カップを両手で包みながら首を傾げる。


モッカは一瞬沈黙し、二人の顔を一人ずつ見つめた。


 


「結論から言いますと、近道はあります」


 


「あるのかよ!」


 


アデルの声が、ぱっと明るくなる。

しかし、そのすぐ後に続いた言葉が、がっつりとその希望をへし折った。


 


「ですが、貴方達では勝てないと思います」


 


「はあ? オレ達が勝てねえだと!? 何にだ!!」


 


アデルが机をドンと叩く。


ティーカップがカタカタ震えたが、モッカは微動だにしない。


 


黒禁領域ヴェルミナ・フォレストを支配する者――

聖骸樹姫(せいがいじゅきセラフィル・ドライア」


 


「聖骸樹姫……セラフィル・ドライアってどんな魔物なの、、?」


 


リノアの問いに、モッカは静かに答える。


 


「簡単に言いますと、この森で死んだ聖女の成れの果てです」


 


室内の温度が、すっと下がった気がした。


リノアは思わず、自分の胸元をぎゅっと掴む。

聖女――その言葉は、今や自分たちにとって他人事ではない。


 


「なんで、、聖女は死んだの、?」


 


リノアの声は、少し震えていた。


 


「魔女グラヴェルと共同で魔法の実験をしていまして、それで失敗して亡くなりました」


 


「実験? なんの実験を、、、」


 


リノアが詳しく聞こうとしたが――


 


「んなことはどうでもいい!!」


 


アデルが割って入った。

椅子から半ば立ち上がり、モッカを睨みつける。


 


「その木の聖女を潰せばいいんだなぁ!? 何処いけば会えるんだぁ?」 


モッカは少しだけ首を傾げる素振りを見せた。


「とりあえず、黒禁領域を出て下さい。

その後はひたすら北へ行ってください。そうすれば現れます」


「はあ? それでいいのかよ?」


「はい」


モッカは、すっと手を伸ばし、テーブルの端に置いていた小袋を二つ、アデルとリノアの前に滑らせた。


 


「後、お二人共これを持ってください」


 


小さな麻袋。

開けてみると、乾いた草と黒ずんだ木片、見慣れない種のようなものが入っている。


 


「これは、魔物避けです。黒禁領域には危険な魔物も多いですので」


 


「へぇ……」


リノアは、ふんわりと香る匂いに鼻を近づける。


 


「ちょっと苦い匂い……。でも、魔物には効くんだね」


 


「成分を理解しようとしないでください。鼻が慣れます」


 


「え、あ、うん?」


 


さらっと言われて、リノアは慌てて袋を閉じる。

アデルはそのやり取りを横目で見ながら、袋をベルトに括りつけた。


 


「リノア、いくぞ、、」


 


「う、うん」


 


二人が席を立つと、ケイラも慌てて立ち上がる。


モッカは扉のない壁の前まで行き、同じように黒い渦を開いた。


 


「出口はこちらです。黒禁領域から出たら、決して立ち止まらず北へ。

セラフィル・ドライアが、きっと“貴方達を見つけます”」


 


「……さっきから、ちょいちょい怖ぇ言い方しやがるな」


 


アデルがぼやきつつも、渦の中へ足を踏み入れる。

リノアも続く。


ケイラは、その背中が闇に飲まれていくのをじっと見つめていた。


 


二人が完全に消えたのを確かめてから、モッカは静かに口――いや、声を発した。


 


「モッカ、、二人共大丈夫でっすかね、、」


 


ケイラが不安げに尋ねる。


 


「おそらく無理でしょ、、森そのものを相手にするのですから」


 


モッカの声は淡々としている。

だが、その奥底には、ごく僅かな憂いのような揺らぎがあった。

 


「ケイラ、二人についてってもらえますか?」


「分かりましたでっす!」


ケイラはぐっと拳を握る。

耳がぴん、と立ち、尻尾が力強く揺れた。


 


「二人をお願いしますね」



「任せてほしいでっす!」


ケイラはモッカにこくりと頷き返すと、

一度深呼吸をしてから、先程二人がくぐった黒い渦へ、軽やかに飛び込んでいった。


闇が彼女を包み込み、次の瞬間には、黒い森の冷たい空気がケイラの鼻先をくすぐる。


 


「アデルさん、リノアさん……」


 


ケイラは、ひとりぽつんと呟くと、

耳をぴんと立てて、その気配を追うように駆け出した。


黒禁領域ヴェルミナ・フォレスト――

聖骸樹姫が支配する、黒い森の奥へと。

魔物図鑑

・ススラ

岩壁に穴を開けそこに住むミミズのような魔物、魔物だけが感じる匂いをだし、巣の中に誘い込み、捕食するが、それ以外がくると、風を出して巣から追い出す

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