第八十一話 白き塔のキメラ
通路を抜けたその瞬間、視界が一気に開けた。
そこは、とても「地下」とは思えない空間だった。
天井は見上げても端がわからないほど高く、丸く広がった空洞のあちこちに発光石が埋め込まれている。
乳白色の光が、ゆらゆらと揺れる霧のように天井付近を漂い、巨大な空間全体を淡く照らしていた。
静かだった。
風もないのに、どこか遠くで石がこすれ合うような音だけが、かすかに響いている。
「……あれ、塔だ」
ルインが息を飲むように呟いた。
空洞のど真ん中――
そこに、一本の塔が立っていた。
真っ白な石を積み上げて作られた、細く、長い塔。
地底の空洞の中心からずぶりと突き出た杭のように、まっすぐ……ではなく、どこか途中でくにゃりと歪んでいる。
「穴の周りによ」
アデルが、顎をしゃくって振り返る。
「黒くてツルツルしたのがいっぱいいたけどさ。あれ、もしかしてユーリが言ってたヤス――」
「アデル!!」
リノアが青ざめて叫ぶ。
「それ以上言わないで!! 鳥肌立つから……!」
両腕で自分の体をさすりながら、ぶんぶん首を振る。
「あー、もう思い出した……やだ……長い足……いっぱい……」
自分で言いかけて、さらにゾワッとして身を震わせ、無理やり話題を切り替えた。
「……なんで、こんな下に塔があるんだろ?」
リノアは少し眉をひそめ、白い塔を見上げる。
「あと……やっぱり曲がってるよね、あれ」
「おかしな塔ですね……」
ゼーラも頷きながら、塔を観察する。
「あと、周りには誰もいませんね……」
「オレ達だけかぁ!!」
アデルがにやりと笑う。
「上等だぜぇ!!!」
そう言うなり、迷うことなく塔へ向かって歩き出した。
「塔に入れば、他の聖女パーティーがいるかもしれん……」
ルインが小さく息を吐き、肩を回す。
「そうですよね!!」
ゼーラも、僅かに緊張した声で答える。
リノア達もアデルのあとに続き、四人で白い塔へと向かっていく。
やがて、塔の根元――半円形に広がる石畳の広場へ足を踏み入れたところで、無機質な声が響いた。
「聖女様、そしてそのお仲間様。どうぞこちらへ」
振り向くと、灰色のゴーレムが塔の入口脇に立っていた。
何度も塔で見てきた、あの案内役だ。
四人がゴーレムの示した方へ進むと、足元の感覚がふっと変わる。
瞬きをした次の瞬間――視界が真っ白に弾けた。
眩しいほどに白い石で囲まれた、見慣れた塔の内部空間。
前方には、やはり巨大な扉が一枚、ゆっくりと立ちはだかっている。
「なんか、久しぶりな気がするぜぇ!!」
アデルが肩を回しながら笑う。
「周りには人、いないね」
リノアは左右を見回す。
「わたし達だけかな?」
「そうみたいですね……」
ゼーラも耳を澄ませるが、人の気配はない。
「途中で来たりするんですかね?」
「とりあえず、扉へ向かって歩いてこう」
ルインが前を向き直り、歩き出した。
四人は肩を並べ、白い廊下を抜けて、巨大な扉の前へ進んでいく。
途中、壁に刻まれたレリーフが目に入った。
獅子の身体。背には黒羊。尾は蛇。
異形の姿で描かれた「闇の眷属」キメラと、それに対峙する一人の戦士の姿。
「なあ、この墓、ザイロフォンって何したやつなんだぁ?」
アデルが壁を指差す。
「アデル、壁を見てみろ」
ルインが一歩近づき、指で線をなぞるように視線を追う。
「この獅子の体、背中には黒羊、尾は蛇……異形な形をした闇の眷属、キメラを倒した戦士だな」
ゼーラも説明を補うように口を開く。
「キメラは洞穴に潜んでいたそうです。ザイロフォンは、キメラの居場所を突き止めて、討伐したらしいですよ!」
「ザイロフォンは、その後どうなったの?」
リノアが、壁画の続きを追いながら問う。
「キメラと戦っていた際、蛇の毒をもらい……そのまま亡くなってしまったらしいですね……」
ゼーラの声は少し沈んでいた。
壁には、剣を振るうザイロフォンの腕に蛇が噛みつく場面から――
膝をつき、やがて倒れ伏すまでの一連の流れが、容赦なく刻まれていた。
「壁画に、最後まで描かれてるんだね……」
リノアは唇を噛む。
「じゃあ……あの扉の先にいるのは、キメラ。毒に、気をつけないとだね……」
そう呟いたところで、四人は巨大な扉の前へと辿り着いた。
鈍い重低音とともに、扉がゆっくりと開き始める。
「オレ達しか、いねぇんだな」
アデルが拳を握る。
「そうみたいだな……気を引き締めるぞ」
ルインの声が、わずかに緊張を帯びる。
「全員で生き残って、次の塔へ行こう!!」
リノアが、皆の顔を順に見ながら強く言った。
「いつでも行けます!!」
ゼーラが胸元で手を組み、決意を込めて頷く。
アデルを先頭に、四人は扉の中へと足を踏み入れた。
中は、今までの塔と同じ構造――白い石の壁、滑らかな床。
だが、今回の広間は一段と広く、天井も高い。
その中心に、それはいた。
獅子の顔。獅子の体。
その背に乗る、羊の顔をした、やけに人間に近い体格の怪物。
さらに尻尾だけが蛇となり、うごめくように床を這っている。
「おい……」
アデルが顔をしかめる。
「頭だけじゃねぇのかよ……この羊、まるで騎乗してるみたいだな」
ルインはじっと相手を観察する。
「行くぞ……」
四人は慎重に距離を詰め、キメラの正面へと立った。
しかし――
キメラは、ピクリとも動かない。
「なんで、動かないの?」
リノアが眉をひそめる。
「今までの塔の怪物は、すぐに襲ってきたのに……」
「皆さん!!」
ゼーラが目を見開く。
「キメラの腹部、見てください!! 魔石があります!!
ルインは近づき、腰を落としてキメラの腹を覗き込んだ。
「……本当だ」
獅子の腹部、毛の隙間から、淡く輝く魔石が顔を覗かせている。
「どうする……」
ルインが皆の方を振り返る。
「このまま魔石に一気攻撃して、破壊するか……?」
「そうしましょう!!」
ゼーラが決意を込めて頷く。
「私が先に、キメラに攻撃を仕掛けます!!」
「お願い、ゼーラ!」
リノアが背中を押すように言う。
「いきます!!」
ゼーラは両手を地面へ向け、強くマナを込める。
「ソルマ・アクス!!(岩針)」
床がずん、と鳴った。
次の瞬間、キメラの足元から、鋭い岩の針が一斉に突き上がる。
狙いすましたように、その一本が、獅子の腹に埋まった魔石を正確に貫いた。
「やった!!」
リノアが喜びの声を上げる。
直後――
「キィイイイイイイイイイイイイ!!」
耳を裂くような悲鳴が広間に響き渡った。
「うるせぇ!!」
アデルは両耳を押さえて顔をしかめる。
四人全員が耳を塞ぎ、歯を食いしばる。
悲鳴がピークに達したそのとき――羊の手に握られていた鞭が、獅子の体をぱしん、と打った。
その瞬間――獅子の身体が爆発するように動き出す。
「おい!! くるぞ!!」
ルインが叫ぶ。
「アネマ!!」
リノアは即座に風魔法を放った。
キメラへ向かって疾走する風の壁――だが獅子は軽く身を捻り、それを避け、そのまま突っ込んでくる。
リノアの方に襲いかかる――かと思いきや、そのすぐ脇を駆け抜けた。
「……なんで?……?」
振り向くリノアの視界の先で、獅子は一直線にゼーラへ向かっていた。
「ゼーラ!!」
巨大な爪が振り下ろされる。
「……ん!!! ソルマ・パリエース!!(岩壁)」
咄嗟にゼーラが杖を突き出す。
床から岩の壁がせり上がり、ゼーラの前に立ちはだかる。
キメラはその岩壁に、何度も何度も爪を叩きつけた。
「行くぞぉおお!! クソ獅子!!」
アデルが飛び込む。
「ルーナ・カルキブス!!(三日月蹴り)!!」
しなやかな軌道を描いたアデルの足が、獅子の脇腹にめり込んだ。
「俺もだ!!」
ルインも駆け込み、手に武器を生成させる
「ゲネシス・マレウス!!(槌)!! ヒット!!」
槌での衝撃が、逆側の脇腹に叩き込まれる。
「アネマ・ラミーナァアア!!(風刃)!!」
リノアの風刃も肩口に吸い込まれるように当たった。
だが――
キメラは、一切振り向かない。
ただただ、ゼーラの作り出した岩壁だけに執着し、狂ったように爪を立て続ける。
「おい!! カスゥ!!」
アデルが歯ぎしりをする。
「オレを無視してんじゃねえ!!
ペガルイム・プルス!!(殴衝撃)!!」
ぶわん、と空気が弾ける。
打ち込まれた一撃は確かに手応えがあった――が、それでもキメラはゼーラ以外眼中にないかのように、爪を岩壁へ突き立て続けた。
「な、なんだよ……こいつ……」
ルインが唇を噛む。
「ゼーラだけを……狙ってる……?」
ゼーラの額には、冷や汗がにじんでいた。
岩壁は魔力に応じて補強されているとはいえ、獅子の一撃一撃は重い。
何度も繰り返し叩きつけられるたび、壁の表面にはひびが増えていく。
「これなら、どう!!」
リノアが歯を食いしばりながら詠唱に入る。
「アネマ・フルゴ――」
その瞬間だった。
ぱしん――。
乾いた音とともに、腰のあたりに鋭い衝撃が走る。
「え――?」
リノアの胴に、黒い鞭が絡みついていた。
獅子の背中――羊の手に握られている鞭だ。
何が起きたのか理解する前に、視界がぐにゃりと回転する。
羊が手首を返すように軽く腕を振る。
鞭はリノアの身体を円を描くように振り回し、そのまま地面へ叩きつけようとする。
(まずい、このままだと……床に叩きつけられる!!)
「アルマ!!(風鎧)!! 間に合って……!」
リノアは必死に魔力を絞り、己の身体を風で包む。
その直後――
「きゃあああ!!!」
凄まじい衝撃が広間に響いた。
地面が、リノアの落下地点を中心に、大きくへこんでいる。
「メエエエエエ!! メエ!! メエエエエエ!!!」
羊が甲高く鳴きながら、楽しげに鞭を振り払った。
(なんとか……アルマが、間に合って……よかった……)
衝撃を殺してくれなければ、骨が砕けていてもおかしくない一撃だった。
「リノアァアア!! 大丈夫かぁあ!!」
アデルの叫びが飛ぶ。
「わたしは……大丈夫!!」
リノアは歯を食いしばりながら体を起こす。
「この羊は、わたしに任せて!!」
リノアは羊をまっすぐ睨みつけ、一歩前に出る。
「……わたしも、鞭使うの得意なんだよ……」
そう呟き、指先にマナを集中させる。
「フラッゲルム……!」
空気が巻き上がる。
リノアの手元に、風の縄が現れ、鞭のようにしなって伸びた。
「メエエエエエ!! メエエエエエ!!」
羊は、その様子を見て――
楽しそうに、喉を鳴らして笑っていた。




