第七十五話 理から外れたもの
宴から一夜明け。
まだ空気に少しだけ酒と煙の匂いが残る早朝、トガル族の村の門の近くでは、旅立ちの準備が進んでいた。
「ねえ、グリ兄! 村長が教えてくれた道を、今日行くんだよね!」
御者台で手綱を整えていたグリムが、振り返りながら頷く。
「ああ。あのじいさんが言ってたろ。ドリバスの木が所々に生えてる道だってな。あれの下なら、魔物も近寄らねぇ」
「ドリバスの木、本当にすごいよね。村、全然魔物こなかったし!」
リノアが鳥車の横でくるっと一回転して、伸びをする。
「ゼーラは?」
「昨日のマナ訓練で、頑張りすぎちゃったらしくてな。今、体が重くて動きづらいってよ」
「そっかー。まあ、めっちゃやる気出してたもんね、ゼーラ」
リノアとグリムが話していると、鳥車の後ろから、腰をさすりながらルインがやって来た。
「いててて……。二人とも早えな……」
「お、ルイン。おはようさん」
「ルイン、おはよう! ルインもアデルと昨日、激しい組み手してたらしいじゃん?」
「まあな。そのおかげで、体ボロボロだし、マナもまだ回復しきってねえ……」
ルインはぐるぐると首を回しながら、顔をしかめる。
グリムがふと思い出したように言った。
「あー、それと。ドルガが昨日の夜、アデルに謝りに行ったろ?」
「ああ。タイミング最悪だったけどな」
ルインは苦笑いして肩をすくめる。
「お互い、まだ試合モードだったからよ。ドルガが近づいた瞬間、アデルの殺気にやられて、ドルガ……ションベン漏らしてたからな」
「え、そうなの!?」
リノアが素で引いた顔をする。
「ドルガさん……」
「男には色々あんだよ……多分な……」
ルインが遠い目をする。
そこへ、少し遅れて足取りぎこちなく、ゼーラがやって来た。
「み、皆さん……おはようございます……」
「ゼーラ!! 体大丈夫!?」
リノアがすっと支えると、ゼーラは小さく頷いた。
「あ、はい……。なんとか……動けるくらいには、なりました……」
「おまえら、グリムとどんな修行してたんだよ……」
ルインが呆れたように尋ねると、リノアが胸を張る。
「ふふん! それはまた今度教えるよ! あとはアデルだけなんだけど……ルイン、まだ寝てた?」
「いや、俺が起きたときには、もういなかったな。」
「えー……バカアデル、どこ行ったの?」
その疑問に答えるかのように――
「み、みなさん!! アデルさんを止めてください!!」
テテが村の方から全力で駆けてきた。途中で盛大に転び、土煙を上げるが、そのまま転がるように立ち上がり、さらに速度を上げる。
「テテ!? どうした、朝っぱらからそんな慌てて」
「グリムさん!! アデルさんが村の人達と喧嘩して、手がつけられないんです!!」
「あははは! 流石アデルだな。アイツは、どんだけ元気だよ」
「グリ兄!! なに呑気に笑ってるのよ!! 早く止めないと!!」
リノアが頬を膨らませて怒鳴る。
「おまえらはここで待ってろ」
グリムはシックルの柄に手をかけながら、きっぱりと言った。
「全員で行っても、余計ややこしくなるだけだ。俺だけ行ってくる。テテ、案内してくれ」
「は、はい!! こっちです!」
グリムとテテは、そのまま村の中央へ走り出していく。
「はあ……もう、アデルはなんですぐ暴れるのよ!!」
「アデルくんらしいですね……」
ゼーラが苦笑しながら、そっとストレッチを続ける。
「アイツ……なんで昨日俺と戦ったはずなのに、元気なんだよっ!!」
ルインはガクッと肩を落とした。
・
・
・
「雑魚どもぉ!! かかってこいやぁあ!!」
村の中央。
広場に近い一角で、アデルが全身から戦意を噴き上げながら叫んでいた。
その周囲には、トガル族の屈強な男たちが十人以上。
だが、その半分はすでに地面に転がっている。
「おい!! なんだよアイツ!! デタラメに強いじゃねーか!!」
「村長はまだか!!」
「村長はこねえ!!」
「なんでだよ!! いま何してんだよ!!」
「『ウン◯してるから、そっちに集中させてくれ』ってよ!」
「そんちょぉおおおおおおお!!」
絶叫が響く中、アデルは迫り来る村人達を、殴り飛ばし、投げ飛ばし、蹴り飛ばしていた。
「手ごたえねえな!! カスどもぉ!!」
アデルの拳が一つ振るわれるたびに、村人が一人吹っ飛ぶ。
「つ、強い……。これはドルガもションベン漏らすわ……ぐはっ……」
「ハハハハ!! アデル、すげぇ暴れてるなぁ~」
いつの間にか、広場の端にグリムが立っていた。
「お! アデルの仲間の人!! アイツを止めてくれぇえ!!」
村人が半泣きでグリムに縋りつく。
グリムはため息を一つだけ吐くと、すっとアデルの背後へ回り込む。
「ほら、アデル。もう出発の時間だぞー」
「ア! アニキ!? いつの間に!! おい離せよぉ!!」
全く気づいていなかったらしく、アデルは抱え上げられたまま、手足をばたつかせる。
「はいはい……みんな悪いな。うちのアデルが迷惑かけた」
グリムは肩にアデルを担ぎ直し、村人たちへ軽く頭を下げる。
「おい!! こいつら俺の肉、勝手に食ったんだぞ!! ぜってぇ許さねえからな!!」
「肉ならまたいつでも食えるだろーが」
「食えねえ肉もあんだよぉ!! オレが今から食おうとしてた肉だったんだぞぉ!!」
叫ぶアデルを肩に担いだまま、グリムはさっさとその場を後にする。
「……あのグリムって人も、相当な実力者だな」
「聖女パーティーって、化け物だらけなんだな……」
「これは……ドルガじゃ無理だ……村長でも怪しいぞ……」
周囲には、数十人の村人が見事に転がっていた。
・
・
・
村の門の近くまで戻ると、リノアが腰に手を当てて待ち構えていた。
「バカアデル!! 肉を食べられただけで村人に迷惑かけたの!! もう!! ほんっとに!! バカアデル!!」
「ああ!? うるせぇな!! アホリノア!! オレの肉食う方が悪いんだよ!!」
「なあ、面倒になる前に出発しようぜ」
ルインがグリムの方を振り向く。
「せっかく門開けてくれてんだろ? だよな、グリム」
「ああ。もう十分だろ。行くか」
「え!? いいんですかね……迷惑かけましたし、謝りに行った方が……」
ゼーラが小さく不安そうに言うが、ルインが即座に切る。
「めんどいからいいよ。それに、“強い奴が偉い”って村だろ? アデルに負けた奴らの方が悪いって理屈になるんじゃね?」
「ルインの言う通りだ。俺達は“強き者”ってやつなんだろ?」
グリムが少しだけ口の端を上げる。
「た、確かにそうだけど……」
「はいしゅっぱーつ!!」
アデルは、もう完全に気持ちを切り替えていた。
「ハク! クロ! 突っ走れ!!」
「「クエッ! クエェエエ!!」」
二羽のドゥドゥ――モリハクとモリクロが甲高く鳴き、鳥車は一気に加速して村を飛び出していく。
一足遅れて、テテが慌てて広場へ駆け込んでくる。
「はぁ、はぁ……あれ? みなさん……いない……」
鳥車の轍だけが地面に刻まれている。
「もう、行っちゃったんですね……」
テテは、少し寂しそうに笑い、それでも姿の見えない鳥車の方角に向かって、深く頭を下げた。
「グリムさん! 修行、ありがとうございました!! ボク、絶対強くなります!!」
・
・
・
グリム達が村を出てしばらく走ると、空はあっという間に茜色へと変わり始めた。
「夕陽が出ると、本当に砂が真っ赤になるね!」
リノアが客車から身を乗り出して、赤く染まり始めた大地を見つめる。
「ですよね、リノアさん! あっ、あれ見てください!」
ゼーラが指差した先では、二匹の魔物が互いに噛みつき合っていた。
砂煙を巻き上げながら、牙と爪を剥き出しにして――まさに殺し合っている。
「うわぁ……本当だ……。ドリバスの木があってよかったね……」
「村の人たちに感謝ですね……」
ゼーラが胸に手を当てる。
「アデルは、暴れちゃったけどね……ほんとサイテー!」
「聞こえてんぞ! アホリノア!」
「き・こ・え・る・よ・う・に!! 言ったの!!」
「全く、おまえらはすぐ喧嘩するなぁ……」
ルインが苦笑する。
「うるさい! ルイン黙ってて!!」
「なんで俺に飛び火してんだよ!」
鳥車が、一本のドリバスの木の根元に止まる。
枝からは、独特のえぐい匂いを含んだ風が、ひゅう、と吹き降りていた。
「よし、ここら辺で一晩休憩だ」
グリムが御者台から飛び降りる。
「明日には、亀裂の谷に着くぞ」
「やっとかぁ~!」
アデルが真っ先に客車から飛び出し、伸びをする。
他の三人も、それぞれ野宿の準備に取り掛かる。
この日は、カロワン村からもらった干し肉が夕食だ。
焚き火の周りに全員で座り、噛みしめながら、静かな夕餉の時間を過ごす。
「ねえ、ゼーラ! 魔法訓練しよう!!」
「私も、今言おうとしていたところでした!」
ゼーラの目がきらりと光る。
「ゼーラ! あっち、少し開けてるから、あそこでやろう!」
リノアが干し肉を飲み込むなり、ゼーラの手を取って立ち上がる。
「気をつけろよー。マナ切れすんなよ」
グリムの言葉に、二人の聖女は振り返って同時に頷く。
「「はーい!!」」
楽しげに笑いながら、二人は少し離れた平地へ走っていった。
「なあ、グリム」
ルインが、焚き火をつつきながら口を開く。
「二人に、どんな訓練したんだ?」
「ん? ああ……“マナの出し方”を、ちょっとな」
「マナの出し方?」
「そうだ。ゼーラとリノア、見事にマナの使い方が“逆”なんだよ」
「逆?」
ルインが首を傾げる。
「どういうこと――」
「なあ!! アニキ!! ルイン!! もう肉ねえのか!?」
アデルが、急に大声を上げる。
「ねーよ!! アデル!! 明日の分残しとけって言っただろ!!」
「ねぇのかよ!! まあいいや!! オレ、もう寝る!! 今日は疲れたからな!!」
アデルはその場でごろんと横になる。
ルインも、アデルの様子を見て苦笑しながら毛布を被った。
「ルイン、いいのか? さっきの続き――」
「グリム……それ、また今度話してくれ……。俺も、眠い……」
「寝るの早ぇな、おまえら……」
グリムは肩をすくめながらも、空を見上げた。
赤砂の残照原の夜空は、驚くほど澄んでいる。
満天の星が、冷たい光で静かに瞬いていた。
「……まあ、俺も明日に備えて寝るか」
男三人は、星々をしばし眺めたあと、それぞれ静かに目を閉じた。
・
・
・
そして、夜が明ける。
黄金色の朝日が昇るころ、リノア達を乗せた鳥車はすでに赤砂の残照原を抜け、次の目的地――亀裂の谷へと入っていた。
地面は、どこもかしこもひび割れている。
浅いひびから、覗き込むのもためらうほど深い裂け目まで、無数の亀裂が走っていた。
中には、完全に谷となっている場所もあり、その底は暗闇に染まっている。
「こっわ!! 亀裂の谷やべえな!!」
アデルが、客車の隙間から谷底をのぞき込んでは、すぐさま顔を引っ込める。
「アニキ、すげぇな!! よく運転できるよな、こんな所!!」
アデルが感心したように御者台を見上げる。
グリムは額にうっすら汗を滲ませつつも、冷静に手綱を操っていた。
「深い亀裂の上は絶対に通らない。そう決めちまえば、案外なんとかなるもんだ」
ドゥドゥ二羽――モリハクとモリクロも、足場を慎重に選びながら進んでいく。
やがて、周囲と比べると異様に広く、亀裂がほとんどない一帯が見えてきた。
「よし……あそこだな」
グリムは鳥車をそちらへと導き、慎重に進ませる。
そして、何度か向きを変えながら、なんとか安全そうな中央部へと辿り着いた。
「なんでここだけこんな広いんだろうね。他、全部すごいのに」
リノアが辺りを見回す。
「だな。ここだけポッカリ空いてる。地面も、ほとんど割れてねえし」
「とりあえず、この辺は亀裂も浅いし、安全そうだな」
グリムが鳥車から降りる。
「休憩するには、もってこいの場所だ。まだ距離はあるし、一回整えとくか」
アデル達も、次々に客車から降りる。
「なにか食べ物になりそうなものがないか、探してきますね!」
ゼーラが小さく手を挙げる。
「俺もそうするかな。この辺の魔物、どんなのがいるか気になるしな」
ルインも、グリムに軽く頷いてから歩き出す。
「じゃあ、私もゼーラと一緒に行く!!」
リノアが元気よくゼーラの腕を取る。
アデルだけは――谷底を見て青ざめた顔のまま、その場に残った。
「……」
グリムがちらりと視線を送る。
「……高いところが苦手なら、無理すんな」
「べ、別に怖くなんかねぇよ!!」
アデルは虚勢を張りながらも、目線だけは谷の方を避けている。
三人が食料探しに向かう中、アデルは暇を持て余して、ふらふらと周囲を歩き出した。
少し行くと、他よりも明らかに深そうな亀裂が口を開けている。
「……クソ。アイツら、オレのこと絶対バカにしてるよな。高いとこ怖えって、わかっててよ……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、結局、亀裂の縁まで歩いていってしまう。
アデルはごくりと唾を飲み込んだ。
谷底は、完全な闇だった。
覗き込んでも、何も見えない。ただ、時折、下からひゅうっと冷たい風が吹き上がってきて、頬を撫でる。
「……下、全く見えねえな。あー、気持ち悪ぃ」
鳥肌が立ったアデルは、そそくさと谷から離れ、鳥車の方へ戻ろうとした――その時だ。
視界の端。
何もないはずの空間に、黒い“何か”が、細い枝のようにぬるりと突き出してきた。
「……はあ? なんだ、あれ……?」
アデルは思わず足を止める。
その“枝”のようなものは、空中に刺さっているように見えるのに、どこにも繋がっていない。
まるで、空間そのものが裂け、その隙間から黒いものが漏れ出しているようだった。
しかも、その“枝”は、生き物のようにゆっくり上下へと揺れている。
「……気味悪ぃな……」
アデルが眉をしかめて見ていると、今度は少し下方の空間からも、同じように黒い細い“枝”が数本、にゅるりと伸びてきた。
それが、カチリ、と何かにはまるような感触と共に――
「……は?」
何もない空間が、ひび割れたガラスのようにぐにゃりと歪み、ひとつの“形”へと収束していく。
そこから、出てきた。
「……ハァ。やっと出てこれました……」
ざらついた声が響く。
「にしても、やっぱりここはワタシにとって、きついですね……」
それは、“何”かとしか言いようがなかった。
全身が、墨のように真っ黒で、異様に細い。
人間のように手足は四本ある――ある、のだが、その長さも太さもバランスも、すべてが「どこかおかしい」。
そして、顔。
その顔を見た瞬間、アデルの背筋を氷の刃が撫でた。
左半分には、口が五つ。
縦に、横に、斜めに、無理やりねじ込まれたように並んでいる。
“何”かが一言喋るたびに、その五つの口が、同じ言葉を異なるタイミングで、ずるり、と動く。
右半分には、目の下に――もう一つ、目がある。
本来あるべき位置の瞳と、そのすぐ下に、感情の抜け落ちたガラス玉のような瞳が、じっとこちらを見ている。
形こそ人型に近いが、その存在から溢れ出す気配は、この世界の“生き物”とは全く違っていた。
この世界の理から、半歩ずれたような、おぞましい違和感。
「ん? おや?」
その“何か”が、首を傾げる。
五つの口が、ずる、と歪んだ笑みを形作った。
「もしかして、ニンゲンがいますか??」
その瞬間――
アデルの全身を、見えない冷水がぶちまけられたような感覚が襲う。
心臓を鷲掴みにされたように、ドクン、と一度だけ強く鳴った。
呼吸が、うまくできない。
「な、なんだ……」
喉が乾き、声が掠れる。
「……な、なんだ、あれ……」
一歩、後ずさる。
足がもつれて、そのまま尻餅をついてしまった。
地面の冷たさも感じない。
目の前の“何か”から放たれる、おぞましい“気配”に、意識の半分以上を持っていかれていた。
「……」
“それ”は、そんなアデルを、なんとも愉快そうに見下ろしていた。
本日も見てくださりありがとうございます




