第七十四話 弱者の烙印
木を粗く組んだ柵にぐるりと囲まれた決闘場の中――
踏み荒らされた土の地面を挟んで、二人の男が互いを睨み合っていた。
一人はトガル族第二位の武人、ドルガ。
丸太のような両腕と岩のような胸板、全身を覆う筋肉に、顔には戦いの傷跡がいくつも走っている。
もう一人は、年の割に小柄で、どこにでもいそうな少年――アデル。
しかし、その全身から立ち上る気配は、ただの「少年」で済ませられるものではなかった。
決闘場を囲むように、村のほとんどの者が集まっている。
柵の外側は、人、人、人。肩が触れ合うほどにひしめき合い、誰もが血の匂いがしそうな熱気を放っていた。
「アデルとドルガの試合見るだけで、こんなに人が集まるの!?」
観客席の端で、リノアが目を丸くする。
「そうなんです!」
横に立つテテが、胸を張って答えた。
「ボク達トガル族は、戦うことがお祭りなんです! だから誰かが戦うってなったら、みんなこうやって集まるんです!」
「アデル、この人数の前で負けたら、マジで“弱い奴”ってことになるな!」
ルインは、どこか楽しそうに口の端をニヤリと上げた。
「でも、大丈夫だろ。アデルの奴、闇獣とも戦ってるしな。見た目はあのドルガって奴の方が強そうだけど、案外中身スカスカかもしれねえぞ!」
「そ、そんなことないです!!」
テテが慌てて振り返る。
「ドルガさんは、ボク達の村で二番目に強いんですよ!!」
「テテさん、それなら、一番強いのは誰なんですか?」
ゼーラが首を傾げる。
「それは、村長です!」
「えっ、あの人村長じゃないの!? わたし、あんな偉そうにしてたから、ずっと村長だと思ってた!」
リノアが指さしたのは、今まさに決闘場の前で腕を組み、試合の開始を見届けようとしているドルガだった。
そのとき――
カーン、カーン、と金属を打ち鳴らす音が決闘場に響き渡る。
場のざわめきがすっと薄れ、注目がリングの中の二人へと集中した。
ドルガが片頬を吊り上げ、唇の端から牙を覗かせる。
「おい、弱者!」
怒号が場に響く。
「こんな大勢の前でおまえは半殺しだ!!」
「おい、アホ面!」
アデルは一歩も引かず、逆に煽り返した。
「おまえって、今まで雑魚としか戦ったことねえんだなぁ!!」
「ほざけ……弱者がぁああ!!」
ドルガの吠え声とシンバルの音が重なる。
――試合開始。
次の瞬間、ドルガの巨大な身体が地を蹴り、丸太のような腕がアデルへと轟く。
「死ねぇえ!! 弱者ぁああ!!」
勢いだけで人を粉砕しそうな大振り。
しかし――
「おっせぇーよ」
アデルは、ただ一歩、半歩。
ほんのわずかに体重をずらしただけで、その豪腕を空へと空振らせた。
空いたボディへ、左フックがねじ込まれる。
ドスッ。
「うぅっ……」
ドルガの腹部がたぷんと震える。
しかし――
「全身筋肉が……あまり手応えがねえな……」
アデルは鼻で笑う。
観客席から、どよめきが一気に爆発した。
「おい、今の見たか!?」「ドルガに一発入れやがったぞ!」
「外のガキが、ドルガに拳当てやがった!!」
地鳴りのような歓声が、決闘場を揺らした。
「ワハハハハ!!」
ドルガは笑っていた。
だが、その目は笑っていない。獣の目だ。
「死ね、死ね、死ねぇええ!!」
怒涛の連打がアデルを襲う。
左右、上下、斜め、あらゆる軌道から振るわれる巨大な拳。
だがアデルは、一歩も引かなかった。
身体を反らし、肩をひねり、顎をすべらせ、腕で受け流し――
まるでそこに見えない道筋があるかのように、全ての攻撃を紙一重で躱しきる。
「おい……それが全力かよ」
息一つ乱さず、アデルが挑発する。
「なめるなよ!! 弱者がぁあ!!」
ドルガの動きが変わる。
拳を止め――腰を低く落とし、肩を前に出す。
「ッ――! 突っ込んでくる!」
ルインが客席から息を呑んだ。
次の瞬間、ドルガは全身の筋肉をばねにして、猛牛のような突進を繰り出す。
ドガァッ!!
アデルは正面からそれを受け止めた――が、その巨体に押し負けた。
「うおっ――!」
土煙を巻き上げながら、アデルの身体が決闘場の地面を滑り、そのまま吹き飛ぶ。
「マジか……っ」
「弱者ぁああ!!!」
ドルガが追い打ちをかけるように前に出る。
吹き飛ばされたアデルの片足を、右手でガシィッと掴み――そのまま振り上げる。
「このまま、体が砕けろぉお!! ワハハハハッ!!」
地面へ叩きつける。
再び振り上げる。
まるで木槌で地面を打ち付けるように、左右に、上に下に。
ドガァン! ドガァン!
アデルの身体が土に叩きつけられる度に、砂塵が舞い上がる。
観客席の一角で、テテが血の気を失った顔で叫んだ。
「あああ……!! 早く止めないと!! あの人、死んじゃいます!!」
「テテ、何驚いてるの?」
横のリノアが、わりと落ち着いた声で言う。
「聖女様!! あの人!! あのままだと本当に死んじゃいますって!!」
「ドルガだよね! でも、今止めちゃうとアデル怒っちゃうし……」
リノアは柵の向こうを見据えたまま、迷うように唇を噛む。
「グリ兄ー。いつ頃止める?」
「まあ、アデルも殺すまではしねぇだろ。とりあえず様子見だな」
グリムは腕を組み、視線だけを決闘場に向けていた。
「あなた達……何言ってるんですか……ドルガに殺され――」
テテが青ざめながら言いかけると、ルインが肩をすくめる。
「おまえさ、アデルを舐めすぎだろ。確かに魔力はねえけど、戦闘になったら、アホみたいに強ぇんだよ」
ゼーラも静かに頷く。
「そうですよ、テテさん。アデルくん、まだ本気出してないですし。本気で戦うことは、ドルガに対してきっとないです」
「な、何言って……」
テテが言葉を失っていると――グリムがふらりと前に出て、ドルガを見ながら小さく笑った。
「まあ――見てみろって」
決闘場の中では、まだ殴打が続いている。
「ワハハハハ!! 潰れろぉお!! 弱者ぁあ!!」
ドルガが叫び、渾身の力で最後の一撃を叩きつける。
ボフンッ!
重い音と共に、砂煙が激しく舞い上がった。
ドルガは勝利を確信し、ニヤリと口元を歪める――
が、その笑みがすぐさま引きつった。
「……は?」
土煙の中から、何かがおかしい。
観客たちの熱狂も、一瞬にして静まり返る。
煙が晴れていくと――そこには、地面にめり込んでいるはずのアデルがいた。
両手で地面を押さえつけるようにして、振り下ろされた衝撃を真正面から受け止め、その体勢のまま踏ん張っている。
「……」
ドルガは思わず、掴んでいた足を放してしまった。
アデルはゆっくりと立ち上がる。
頭から土をぱっぱっと払うと、ギロリとドルガを睨んだ。
「おい、カス」
静かな声だった。
「もう終わりかよ……。じゃあ――行くぜぇ!!」
ドルガが我に返るよりも早く、拳を振り下ろす。
「らぁあ――」
だが、その視界からアデルの姿が消えた。
「なっ!!」
次の瞬間、アデルはドルガの懐に入り込んでいた。
「とりあえず、三発!!」
バババッ!!
ドルガが瞬きをする間に、アデルの拳が腹へ三度めり込んだ。
「ぐっ……弱者がぁああああ!!」
ドルガは苦痛に顔を歪めながらも、両腕を広げ、アデルをまとめて抱き潰そうと掴みにいく。
しかし、その腕は空を切った。
アデルは、すっと一歩横にずれ、その両腕を叩き払う。
ドルガの胸元に、大きな隙が生まれた。
そこへ、アデルの人差し指が、そっと添えられる。
「寝てろぉ! ペガルイム・プルス――(殴衝撃)!!」
パンッ、と乾いた小さな音が響いた。
ほんの指先で小突かれたようにしか見えない。
だが、次の瞬間――
ドルガの身体が、膝から崩れ落ちた。
「……は?」
土を抉るようにして前のめりに倒れ、そのまま動かない。
観客席から、割れるような歓声が上がる。
「おおおおおおお!!」
「ドルガがぶっ倒れたぞ!!」
「外のガキがドルガに勝ちやがった!!」
興奮と驚愕で、決闘場が揺れた。
テテは呆然としたまま、口をパクパクさせる。
「す、すごい……ボクはてっきり負けるかと……。もし、魔法を使ってたらどうなってたんだろう……」
「アデルは魔法使えないよ!」
リノアがドヤ顔で胸を張る。
「ずっと魔法なしで戦ってるからね。負けるわけないよね!」
アデルとドルガが入っていた柵がガラガラと開かれ、アデルがゆっくりと観客の前へ歩み出てくる。
「おお、あのドルガ倒すなんて、すげーじゃねーか!!」
「まだ小僧のくせに、すんげー強えな!!」
「いい試合だったぞ!!」
村人たちから口々に称賛の言葉が飛ぶ。
アデルはそれを浴びながら、ニヤニヤと満更でもなさそうに笑い、リノア達の方へ向かってくる。
「へっ!! 余裕だったぜ!!」
「余裕じゃなきゃ困るけどね!!」
リノアとアデルは、互いに顔を見合わせて笑った。
その背後から、ふいに声がかかる。
「お主、強いのぉ!!」
「うおっ!?」
アデルが振り向くと、いつの間にか背後に、小柄な老人が立っていた。
腰は曲がっているが、その目は鋭い。
全身からただ者ではない気配が漂っている。
「誰だ? ジジイ?」
「ジジイとはなんじゃ!!」
老人が杖で地面をドンと突く。
「ワシはこの村の村長じゃぞ!!!」
「はあ!? 村長だと?」
アデルが目を丸くする。
「お主ら、客人じゃろ!」
村長は、前に立つグリムたちを順に見回した。
「強き者は歓迎する。……テテ!」
「は、はい!!」
「客人を案内せい!」
「皆さん、どうぞついて来てください!」
テテが先頭に立ち、村の奥へと歩き出す。
アデル達は、その後に続いた。
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しばらく進んでいくと、開けた広場に出た。
そこには、長い木のテーブルがいくつも並べられ、その上には湯気を立てる肉料理、煮込み、焼き魚、山菜料理など、豪華な料理が所狭しと並べられている。
村人たちもテーブルを囲むように大勢集まっており、すでに待ちきれないと言わんばかりに酒の香りも漂っていた。
先頭の方には、黒い毛皮を肩に羽織った少年たちが並んで座っている。
「今日は断命の試練の日だからのぉ」
村長が前に出て、杖を掲げる。
「無事に試練を合格した者もおる。皆で一緒に祝おうではないか!!」
「なあ、テテ。あの毛皮はバロッファの毛皮か?」
グリムが隣で尋ねる。
「そうです、グリムさん!」
テテが誇らしげに頷く。
「バロッファを倒した者は大人として認められるんです。その証として、あの黒い毛皮を渡されるんです!」
「テテも、頑張らないとな!」
「はい!!」
村長が杖を高く掲げ、声を張り上げる。
「では、皆の者――宴の開催じゃあ!!」
「おおおおおおおお!!」
雄叫びのような歓声が上がり、村人たちは一斉に料理へと手を伸ばした。
「よっしゃああ!! 肉だぁあ!!」
「アデルくん!! わたしの分も残しておいてくださいね!!」
「それは知らん!!」
リノア達も負けじと料理の争奪戦へ飛び込んでいくのだった。
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宴が終わるころ、空は赤く染まり始めていた。
地平線に沈みかけた太陽の光が、赤砂の残照原を照らし、土や砂を少しずつ血の色に変えていく。
「なあ、この時間になると、魔物が活性化するんだろ?」
ルインが、テテに問いかけた。
「村が魔物に襲われることはないのか?」
「はい! 大丈夫です!」
テテは村の外周の方を指さした。
「村に入る前に、赤茶色の木がありましたよね? あの木は“ドリバスの木”って言いまして、魔物が嫌がる臭いを出してるらしいんです」
「ドリバスの木……」
「その木が生えてるところには、魔物は近づかないみたいです! だから、ボク達の村は、あの木が生えてる場所を選んで作られてるんですよ!」
「なるほどな。だから、赤砂の残照原の真ん中でも、こうやって暮らせるわけか」
ルインは感心したように頷く。
「おおっ……」
テテがふいに空を見上げて顔をしかめた。
「そろそろ、ボク、グリムさんに軽く修行つけてもらう時間です! 行ってきます!!」
そう言って、テテは慌てて走り出し、広場のはずれへ向かって行く。
「ルイン!! そこで何してるの?」
背中から声が飛んできた。
「なんだ、リノアか」
ルインは振り返る。
「さっきまでテテと話してたんだ。そしたら、グリムとの修行時間ってことで行っちまった!」
「そうなの!!」
リノアの目がきらきらと光る。
「わたしも、グリ兄に修行つけてもらおっと!」
「なんか覚えたい魔法でもあるのか?」
「んー、それもあるけどね」
リノアは自分の両手を見つめるようにして笑った。
「わたし、魔法撃つと結構マナが減るからさ。どうやればマナの消費を抑えて、強い魔法を撃てるか教えてもらうの!」
「……確かに、リノアの魔法は威力バカ高いもんな」
ルインは、先ほどの戦いを思い出しながら苦笑する。
「ゼーラも、グリ兄に聞きたいことあるらしいから、一緒に連れて行かないと!」
リノアは、ゼーラを探すべく、ぱたぱたと走り出した。
「修行、か……」
ルインは空を見上げる。
赤く染まり始めた雲の向こうに、まだ見ぬ塔の姿を重ねながら、静かに息を吐いた。
「……俺も、アデルと久しぶりに組み手でもするかな」
自分も強くならなきゃならない。
そう思ったルインは、アデルを探すために、村の中を走っていくのだった。




