特別編 空っぽに灯るもの
朝になり、鳥車はアルセディア森都へ向かって森を抜けていた。
御者台にはエーナ。
客車の中には、向かい合うようにグリムとトヨウが座っている。
――だが、空気は重い。
昨夜、軽い調子で「仲間いるだろ」と踏み込みすぎたこともあり、トヨウはグリムにうまく話しかけられず、もぞもぞと落ち着かない。
グリムもまた、ただ窓の外の木々をぼんやり眺めているだけだ。
そのかわり、エーナとトヨウの会話だけが、少しずつ日常の色を取り戻していた。
・
・
・
何度も野宿を挟みながら、三人は森都へと近づいていく。
その間も――グリムとエーナ、トヨウの会話はほとんどない。
エーナとトヨウは、くだらないやりとりで笑い合うようになったのに、グリムの存在だけは、ぽっかりと輪の外にあるような感じだった。
「ねえ、二人とも。ここで最後の休憩したあと、一気にアルセディア森都へ向かうね!」
川のせせらぎが聞こえる小さな開けた場所で、エーナが顔を出す。
「わかったぜ!! エーナ!!」
「……ああ」
トヨウが陽気に返事をし、グリムは短く応じる。
近くには澄んだ川が流れていて、冷たい水の音が耳に心地いい。
トヨウは「体洗ってくる!」と勢いよく川の方へ向かい、エーナも「ウチも!」とついていった。
グリムだけが、鳥車の近くに残る。
鳥車の影に腰を下ろし、何をするでもなく空を仰いだ。
アルセディア森都に着いたところで、何をすればいいのか――
考えても、何も浮かばない。
家族も、親友も、もういない。
守りたかったものは、全部こぼれ落ちていった。
(カミル……。
俺に“生きろ”って言ったけどさ……今こうして生きて、俺は何をすればいいんだ?)
拳を握る。
(俺は、家族と親友を守るために強くなった。
でも――もう、そのどっちもいねぇ)
胸の奥が、じわりと痛む。
「……もう、疲れた……」
グリムはぼんやりと遠くの木々を見ていた。
意味もなく、ただ見ていた。
やがて、川の方から足音が近づいてくる。
「オッサン!! ウチの肌見たでしょ!!」
「誰がションベン臭い小娘の肌を見るかよ!!」
大声で言い合いながら、エーナとトヨウが戻ってきた。
「ウチ、ションベン臭くないし!! ……っていうか、その手に持ってる緑色の塊何?」
トヨウの手には、ラグビーボールほどの大きさの、表面がゴツゴツした緑色の果実が握られていた。
「んお!! これを知らんのかよ!! これは“緑塊”と言ってな。中身の緑汁を飲むと、風邪が引きにくくなるんだぞ!! 素晴らしい果実だ!!」
「そんな果実聞いたことないし! その緑汁って甘いの?」
エーナが首をかしげた瞬間、トヨウは近くに生えていたただの草を、ガッと引っこ抜いた。
「オッサン、何してる?」
「これ食えるか?」
「食えるわけないじゃん!!」
忠告を無視して、トヨウはその草をバリッと齧り、もしゃもしゃと噛み始める。
エーナは、じわじわと顔を引きつらせた。
「オッサン……大丈夫……?」
「何故ワシがこの“ただの草”を食べることができるかというとな、この緑塊の中身にある緑汁も、今ワシが食ってる草と同じ味がするからだ!」
「え……それ伝えるために、わざわざ草引っこ抜いて食べたの??」
「そうだとも!!!」
「きっも……」
「キモくない!!」
二人が言い合いを始めたところで――
「休憩が終わったなら、早く行こう……」
グリムが、二人の間にスッと入り込んで言った。
エーナとトヨウはハッとして、口喧嘩を止める。
「そ、そうだね。じゃあ、アルセディア森都へそのまま休憩なしで向かうね!」
エーナは御者台に飛び乗り、手綱を取って鳥車を走らせる。
客車の中は――
相変わらず、静かだった。
トヨウは、グリムに何か話したい。
だが、昨夜聞いた過去があまりにも重すぎて、安易な言葉を投げかけることができない。
その結果、彼はひたすら座席の上でもぞもぞと落ち着かなく動き続けていた。
「トヨウ。ションベンしたいなら、扉開けて立ちションしな」
「なっ!? ち、ちげーよぉ!! この速度で扉開けて立ちションすれば、全部こっちにかかるからな!!」
「それは知らん」
一言だけ淡々と返され――
だが、トヨウの胸は少しだけ軽くなった。
(しゃ、喋った……!!)
単純な男である。
それだけで、テンションが急速に回復していく。
「なあ、グリム! ワシ、店やってるから食いに来いよ! ワシの手料理、振る舞うぜ!!」
「……そうか。検討する」
「あと!! この地図やる。護衛してくれたお礼だ!」
「別に、護衛したつもりはない」
「グリム……おまえってやつは!! ここは“ありがとう”だけでいいんだよ!!」
トヨウは、ぐっと親指を立てるような勢いでそう言い切った。
「ほらよ! 受け取ってくれ」
差し出された地図を、グリムは少しだけ迷ってから、素直に受け取る。
「……ありがとうな。あと、その緑塊、切ってやろうか?」
「おお!! いいのか!! 先端で切ってくれると助かる!!」
トヨウは嬉しそうに緑塊を差し出す。
グリムがシックルの刃先で器用に実を切ろうとした――その瞬間。
鳥車が、ガツン、と急ブレーキをかけた。
「っ――!」
身体が前に投げ出される。
手元が狂い、緑塊は勢いよく真っ二つに切断され、中のどろりとした緑色の汁が、盛大にグリムの頭にぶちまけられた。
「…………」
「ぬおおおおお!! いってぇええ!!」
トヨウは反動に耐えきれず、客車の壁に思い切り頭をぶつけてうずくまる。
「どうしたんだよ!! エーナ!!」
トヨウが叫ぶと、前方からエーナの声が返ってきた。
「ご、ごめん!! なんか、道の真ん中に長い剣を持った人がいたから……!」
声は怯えたように震えていた。
トヨウとグリムは客車を飛び出し、鳥車の前方へ回る。
そこに立っていたのは――
古びた長衣をまとった、痩せた老人だった。
ボロボロに擦り切れた裾。
腰には、反りのある細身の刀身を持つ剣。
長く伸ばし放題の髪は、灰色に近い白だ。
「おい……なんだあの爺さん。髪も長えし、見た目ボロボロだし……大丈夫かよ?」
トヨウが小声で言う。
だが、グリムはすぐに空気の異常さに気づいていた。
(……妙だな)
ただそこに立っているだけなのに、空気が冷え込んだように感じる。
グリムはエーナとトヨウの前に、一歩進み出た。
その瞬間――
老人から、凄まじい殺気が放たれた。
「ひっ……ウ、ウチ……怖い……」
「くうう……冷や汗が……」
エーナとトヨウの膝が同時に震える。
鳥車を引いているドュドュも、ギャッと短く悲鳴をあげて縮こまり、動けなくなった。
グリムだけが、平然と老人を睨み据えていた。
老人の口が、ひくひくと動く。
「……殺す……殺す……殺す……」
ぼそぼそと、呪詛のような声。
言葉が終わるか終わらないかのうちに――
老人の姿が、グリムの視界から掻き消えた。
「っ!」
気配が、目の前。
振り向くより先に、刃の感触が迫る。
目の高さに、反りのある刀身が迫っていた。
グリムは反射で、右手のシックルを振り上げる。
ガキィィィンッ!!
火花を散らして、二本の刃がぶつかり合った。
「おい。なぜ、いきなり攻撃する……?」
「殺す……殺す……」
老人は、ただひたすらに「殺す」とだけ呟く。
その言葉と同時に、恐ろしい速度で剣を振るった。
斬撃の嵐。
すさまじい速度の剣筋が、グリムの胴、首、手足を、寸分違わぬ精度で狙ってくる。
だが――グリムは、両手のシックルで、そのすべてを弾き返した。
キィン、ギィン、ガガガッ――!!
金属音が連続して弾け飛ぶ。
剣圧がぶつかり合い、周囲の草が風に押し倒される。
エーナとトヨウは、目の前で繰り広げられる攻防を、ただ呆然と見ているしかなかった。
「は、速っ……!」
「なんだよ、これ……」
「殺す……その緑の頭ぁああ!!」
老人が、怒りを増したように叫ぶ。
「……チッ。――はあああああ!!」
グリムも吠えるように声を上げ、力任せに剣と刃をぶつけた。
ガァンッ!!
ぶつかり合った瞬間、二人の間に圧縮された風が爆ぜる。
その風で、グリムの頭にべったりついていた緑汁が飛び散り、べちゃ、と地面に落ちた。
露になった髪は、元の黒い色を取り戻している。
その瞬間――老人の剣が、ピタリと止まった。
濁った瞳が、じっとグリムの顔を見つめる。
「……ヒト、違いか……」
それだけ言うと、老人はふっと刀を下ろし、背を向ける。
そして、何事もなかったかのように森の中へ姿を消していった。
「う、うぉおおおお!! グリム!! お前すげーな!! さすが四つ星プレートだぜ!!」
「グリムさん!! 怪我なくてよかった!!」
エーナとトヨウは一斉に駆け寄る。
「でもアイツ、なんだったんだ? グリム、知り合いか?」
「……俺は、あんな奴知らない」
グリムは短くそう答え、何事もなかったように客車へ戻る。
トヨウは、胸のモヤモヤを抱えたまま、その後ろ姿を追った。
鳥車は再び走り出す。
目指すは――アルセディア森都。
・
・
・
「ウォオオオォォォ!! 着いたぁああ!! 腰いてえーーー!!」
森を抜け、巨大な樹々と木造の家々が重なり合う、樹上都市――アルセディア森都の入口で、トヨウが全身で叫んだ。
「オッサンうるさい!!」
エーナに即座に叱られる。
三人は無事に森都へと辿り着いた。
木造の橋が枝から枝へと渡され、蔦の絡まる建物が、森と一体になって空中に広がる。
鳥の声と人の声が混ざり合い、独特の活気が溢れていた。
エーナは鳥車を停めると、グリムの前にちょこちょこと駆け寄る。
「グリムさん!! ここまで、なんとか着けました! しっかり依頼完了です!」
「ああ、ありがとうな……」
グリムが答えると、エーナは少しだけ迷ってから、もう一歩踏み込んだ。
「グリムさんは、このあとどこへ行くんですか?」
「……俺は、別に考えてない」
「え、あ……そうなんだ……」
エーナは一瞬、言葉に詰まり――それでも、勇気を振り絞って口を開いた。
「ああ、そうだ!! グリムさんって、面倒見いいなって思ってました! 優しいし、かっこいいし!! だから、グリムさんのこと、みんな好きになりますよ!!」
「……俺のことは、好きにならなくていい」
「なんで、そんなこと言うんですか……」
エーナの眉が、キュッと寄る。
グリムはゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺は、家族と仲間を失った。
家族に関しては、いつも肝心な時、俺はいない。
仲間の場合は、俺の力不足で死なせた」
視線を落とし、拳を握る。
「こんな奴、好きになったってどうしようもない」
「グリムさん……」
「俺の仲間は、死ぬ間際に俺に“生きろ”って言った。
……でも、俺に“生きてどうしてほしい”のかわからない」
エーナは、グリムの顔を真正面から見上げた。
「それは――ウチにもわからないです」
正直に、そう言う。
「グリムさんが今まで歩んできた道は、確かに過酷です。
グリムさんは“生きてどうしてほしいのかわからない”って言いました」
一度言葉を切り、胸に手を当てて続けた。
「それなら――生きて、見てください」
グリムが、顔を上げる。
「……何を」
「亡くなった家族、そして仲間のぶんまで」
エーナの瞳は、まっすぐだった。
「“俺には今、何もないのに、生きろ”だと……?」
絞り出すような声。
「はい。そうです!」
エーナは一歩、グリムに近づく。
「むしろ、もしグリムさんがここで死んだら――家族やお仲間さん達は、絶対に許さないです!」
胸に手をトン、と当てた。
「家族は、グリムさんが死んで喜ぶ人達ですか?
仲間の方たちは、グリムさんが死ねば踊り狂って喜ぶ人ですか?」
その問いかけに――
グリムの胸の奥で、何かがじわりと熱を帯びた。
(そんなことは、絶対ない)
ジート。
ドラン。
スーニャ。
タタン。
サミン。
皆、いつもグリムのことを気にかけていた。
からかい半分で、心配を隠しながら、背中を預けてくれた。
マルタも、カミルも。
家族のことを案じ、時々はカヒラパに顔を出せと笑って叱ってくれた。
二人とも、命をかけて戦って――守ろうとした大切な仲間達だ。
(これで、俺が勝手に死んだら……)
――きっと、全員にぶん殴られる。
そんな光景が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ。
次の瞬間、視界が滲んだ。
「……俺の家族、仲間は、絶対そんなことしない」
頬を伝って、涙が零れる。
「グリムさん。とりあえず、生きてください」
エーナの声は優しく、けれど揺るがない。
「グリムさんみたいな人を、絶対に必要とする人が、どこかに現れます。必ずです」
「……俺なんかを、必要とする奴が……?」
「はい。だから――今度こそ、そんな人達が現れたら」
エーナは、ぎゅっと拳を握る。
「命をかけて守ってください」
「……エーナ」
「グリムさんにしか、きっとできないことです。
だから、そんな人が現れるまで――絶対に死んじゃダメですから!! 絶対ですよ!!」
エーナは満面の笑みを浮かべてから、くるりと背を向けた。
「グリムさん! ウチとも、また会ってくださいね!!」
そう叫んで、鳥車へ駆け戻る。
御者台へ飛び乗り、手綱を引く。
ドュドュが鳴き、鳥車は軋む音を立てながら走り出した。
「小娘のくせに……いいこと言うな!」
トヨウが、ふっと笑ってから真顔になる。
「なあ、グリム」
グリムの前に立ち、拳を軽く胸元に当てた。
「今おまえが死んだら、死んだ奴らのぶんの人生、誰が背負うんだよ。今は、おまえが背負って生きるしかねえ」
言葉をひとつひとつ噛み締めるように、続ける。
「グリム。家族や仲間は、まだここで生きてる」
トヨウは、自分の胸をコツンと叩いた。
「おまえが生きてる限り、そいつらは死なん。本当に死ぬときってのはな、死んだ奴らの記憶が誰からもなくなったときだけだ」
グリムは、トヨウの顔をじっと見つめる。
「だから、グリムがみんなのことを思い出として語るまでは――本当に死んでない。
だからワシからも言う。絶対に命を投げ出すな!!」
トヨウの目尻に、うっすら涙が浮かんでいた。
「グリムが死んだら、ワシ、泣く!」
言い切って、鼻をぐいっとこする。
「グリム、絶対ワシの店来いよ!!」
それだけ言うと、トヨウは森都の中へ走り出した。
人の流れに紛れ、姿が見えなくなる。
グリムはしばらくその背中を見送ってから――両手で自分の頬をパン、と叩いた。
痛みとともに、ぼんやりと霞んでいた視界が少しだけ澄み渡る。
胸の奥に、まだ小さく、けれど確かに灯がともる。
(……生きろ、か)
カミルの声。
ジート達の笑顔。
マルタの小言。
サミンの悪ふざけ。
全部が、少しだけ、前に進む力をくれる。
「――あぁ。俺は、まだ……生きてていいのかもな」
小さく呟いたその男は――
このしばらく後、ジートの友達を名乗る、茶髪の少年・アデルと再び出会うことになる。
そして、聖女たちの旅に、共に踏み出すことになるのだった。
本日も見てくださりありがとうございます!




