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特別編 空っぽの英雄 

家族を失った。

仲間を失った。


――じゃあ、俺は何のために生きてる?


グリムは、ただ、ラバン王国の石畳を歩いていた。


魔獣シルバーメイグリズリーを討伐し、最も活躍した冒険者として、王城に呼ばれ、王自ら感謝状を渡されたこともある。

城下の人間は、その功績を噂していたはずだ。


だというのに――いま、グリムに声をかけてくる者は、ほとんどいない。


すれ違いざまに「あ…」と口を開きかけて、すぐに視線を逸らす者。

勇気を振り絞ってかけられた賛辞も、グリムの耳を素通りしていった。


(……何も、感じねぇ)


喜びも、誇りも、満足感も。

胸の中は焦げ跡みたいに空っぽで、触れるたびに、カミルとマルタの顔だけが焼き付いて蘇る。


何度も、何度も、自ら命を断とうとして、そのたびに――


(……グリ……ム……)

(お前は……いき……ろ……)


血に濡れたカミルの声が、耳の奥で反響した。


その一言だけが、グリムをこの世界に無理やりへばりつかせている鎖だった。


トーメル王国では家族を亡くし。

ラバン王国では親友を亡くし。


居場所など、もはやどこにもない。


グリムの足は、自然と港へ向かっていた。


「……この島から、もう出よう。俺には何も残ってないからな……」


トーメル諸島から、グラマル大陸へ。

グラント湾港に船が着くと、グリムは荷物ひとつだけを肩に、ふらふらと石畳を歩き出した。


目的もなく、宿を探すわけでもなく。

歩くたび、カヒラパでの光景が、カミルとマルタの笑顔が、断末魔が、脳裏に浮かんでは胸を抉っていく。


「……チッ」


やがて、街道から外れて茂みの中へと足を踏み入れ、そのまま雑草を薙いで仰向けに倒れ込んだ。


「もう……歩きたくねぇな……疲れた……」


青い空が視界に広がる。

木々の隙間から覗く空は、やけに遠かった。


(このまま、ここで誰にも見つからずに――)


瞼が重くなり、思考が途切れる。

何時間経ったのか、一日か二日か、あるいはまだ数時間か。時間の感覚は、とうに失われていた。


ただ――やたらと、額や耳元が騒がしい。


ぴちゃ、ぴちゃ、と妙に生々しい音と、間の抜けた声が聞こえてくる。


グリムは、ゆっくりと片目を開けた。


「おっ!? にーちゃん起きたか!!」


見知らぬオッサンの顔が、至近距離にあった。


「いやーびっくりしたぜー。いつものようにこの茂みでションべンしてたらよ、ションべンが地面に当たる音が違ったんだよ! ワシ驚いてよ! ションべンの当たる位置を見たら、にーちゃんが倒れてるじゃねーか!! ワシてっきりションべンでにーちゃん殺してしまったと思ったわけよ!! ワハハ!」


「……おまえ、さっきから何言ってんだ?」


思わず声が出ていた。


「あ! にーちゃん喋ることできるのか!! ん? おっ! にーちゃん四つ星プレート冒険者か!! すげーな!!」


オッサンは、グリムの胸元に下がるプレートを見て、目を丸くする。


グリムはうんざりしたように視線を逸らした。


「別にすごくねえよ。こんなの、ただの飾りだ……」


「四つ星プレートをただの飾りって……。にーちゃん、なんかあったのか? 話ならワシが聞くぞ!」


「別にいい。……あと、うるせぇ」


「うるせぇのは仕方ねーぜー。ワシ、ずーーーっとこんな感じだからな! で? にーちゃんここで何してるんだ? ワシのションべンスポットで……」


「汚ねぇな……。別に、ただ横になってただけだ……」


「もう夜だし、宿へ泊まればいいじゃねーかよ! 金もあるだろ?」


「別にいい。このままでいい……」


「そんな、まだ若いのに寂しいこと言うなよー。……じゃあ今、暇ってことか! ならよ!」


オッサンは、ふと思いついたように手を打つ。


「ワシさ、アルセディア森都から鳥車に乗ってグラント湾港まで飲みに来たんだよな! 一週間かけてな! ここの魚がどうしても食べたくなったから来たんだけどよ、帰りの鳥車が見つからんくてよ。朝まで待てばいいが、ここの宿高いからお金使いたくねーのよ。だからワシと一緒に野宿してくれねーか?」


「……知らんし、話なげぇ」


「そこまで長くねーだろーにーちゃん!!」


その「にーちゃん」という呼び方が、胸の古傷をえぐる。


ジート、サミン。

あの二人が、同じように笑いながら自分をそう呼んでいた。


「……おい。俺を“にーちゃん”って呼ぶな。グリムだ。これが俺の名前だ」


「おおお! 悪い悪い! グリムな!! よし、覚えた! ワシはトヨウって言うだ!」


グリムは、ふらりと立ち上がった。


「……じゃあな、トヨウ。俺はもう行く」


「お、おいおい! 待ってくれよぉ! せっかくの縁だから一緒に野宿してくれよ〜頼む!」


「なんでお前と野宿しないといけないんだ。森でドュドュ捕まえるから、それ乗って帰れよ……」


「へっ!? グリム、そんなことできるのかよ!! なら頼む!!」


トヨウは目を輝かせて、グリムに縋る。


「正直言うと金もないんだよな……。結構盛り上がっちまって、ほとんど金使っちまった! ワハハッ!」


グリムはため息をひとつつき、森の方へ足を向ける。


「ちょ、ちょ、ちょっと待て、グリム! 適当に行くなよ!! これを見ながら行くぞ!」


トヨウは慌てて地図を広げ、ポケットから発光石を取り出して広げた紙を照らす。


「アルセディア森都は北に行けばあるからな。せっかく探すなら、近い場所がいい。だから、この少し行った場所に開けたところがあるから、そこ行けばドュドュが確かいた!」


グリムは黙ってトヨウの手から地図と発光石をひったくる。


「グ、グリム!! この地図は大事にしてくれよ! 信用度が高い地図だからよ! ジュダ・カーガリーが作った地図だからな!」


トヨウの声を半分聞き流しながら、グリムは地図を一瞥し、足早に森へと入っていった。



森の中は薄暗く、湿った土と草の匂いが充満していた。


「森の中こえーー……。魔物、襲ってこないよな……。すっげー暗い……ワシ、またションべン出そう……」


トヨウはブツブツと独り言を漏らしながら、グリムの少し後ろを歩く。


グリムは一切振り返らず、地図と足元だけを見て進んでいく。


「なあーグリムー。怖いからワシと喋ってくれよー。さっきからよくわからないうめき声が聞こえるし、怖くてしょうがない……」


その時だった。


グリムが、ぴたりと足を止める。


「ひっ……! な、なんだよグリム、急に止まんなよ……」


トヨウも慌てて立ち止まり、グリムの視線を追った。


そこには、木々の間にぽつんと停められた鳥車があった。

だが、牽くはずのドュドュの姿が見当たらない。


グリムは鳥車に近寄る。


「お、おい! 大丈夫か!! 盗賊の罠かもしれんぞ!!」


トヨウは警戒しつつも、グリムに置いていかれまいと、背中を追いかける。


グリムが客車の扉を軽く叩くと、中からごそごそと音がした。


「おい。誰かいるのか?」


「グリム……話しかけてもいい奴なのか……?」


トヨウが小声で問うが、グリムは無視して扉の前に立ち続ける。


中から、震えるような若い女性の声が返ってきた。


「え!? 人、ですか!! ウチ、今一人で怖くて……盗賊や人さらいですか?」


「おい、女。扉を開けろ。俺たちは盗賊でも人攫いでもない」


「グリム! そんな言い方だと余計に警戒させるぞ!!」


トヨウのツッコミも虚しく、少しの沈黙のあと、ギィ、と扉が開いた。


「……あの、助けてほしいです……」


怯えた瞳でこちらを見上げてきたのは、黒髪に黒い瞳、ぱっちりとした目をした可愛らしい少女だった。


「すんなり開けるんだな、お前……」


グリムは思わずぽかんとする。


少女は必死に言葉を繋いだ。


「何があった。なんでドュドュだけがいないんだ?」


「タガカインに、ウチのドュドュが襲われそうになったの……」


「タガカイン? なんだそいつは?」


「グリム、タガカインはドュドュを襲って喰らう魔物だ。見た目はデカい猿だが、腕が四本ついている魔物で、気性も荒い。今まで数多くの旅人や冒険者が殺されてる」


トヨウが真面目な声で説明する。


「へえ。そんな奴がいるのか……」


少女は唇を噛みしめながら続けた。


「ドュドュを逃がすために、ウチはドュドュの縄を解いたの。タガカインは、逃げたドュドュを追いかけて行った……あの、どうか、ドュドュを……ウチの“メル”を助けてください!! お願いします!!」


地面に手をつき、額を擦りつけるようにして頭を下げる。


「グリム、どうするんだ? タガカイン、相当強いぞ」


「……おい、女。名前は?」


「ウチは、エーナ……」


「エーナか。ドュドュは必ず助け出す。だから、そこでこのオッサンと待ってろ。……あと、金はいらん。ドュドュを助け出したら、俺たちをアルセディア森都へ連れていってほしい」


「えっ……それだけでいいの……?」


「ああ」


「冒険者さん……お願いします!!」


エーナが顔を上げた瞬間、突風が吹き抜けた。


バサァッと草がなぎ倒され、エーナが瞬きをしたときには、グリムの姿はすでにそこにはなかった。


鳥車の前には、トヨウとエーナだけが取り残される。



グリムは、地面にくっきり残るドュドュの足跡を追って走っていた。


土を蹴る爪痕。慌てて走ったのか、ところどころ深く抉れた跡がある。

周囲の木々を見れば、何本かの太い幹が横倒しになっている。


(……タガカイン。木を使って移動してやがるな)


上方では、枝が不自然に揺れた跡が続いている。


「急がねえと……」


喉の奥で呟き、グリムはさらに速度を上げる。


しばらく進んでいくと、茶色い羽根が地面にばら撒かれている場所に出た。


「……近いな」


視線の先。

少し離れた木々が、ガサガサと揺れ、ドュドュの悲鳴のような鳴き声が響く。


「見つけた……!」


グリムの足が土を抉る。

一気に加速し、音を引き裂くような勢いで揺れている木々の方へ飛び込んでいく。


そこには、太い幹から幹へと、四本の腕を使って猿のように移動する異形の影――タガカインの姿があった。


筋肉で膨れ上がった腕が四本。

鋭い牙を覗かせた口。

毛むくじゃらの巨体は人間の倍はあり、その眼には残虐さと空腹しかない。


その進行方向。

岩壁に追い込まれ、ぶるぶると震えながら鳴いているドュドュ――メルの姿があった。


(間に合う)


グリムは片手でシックルを抜き、空気の流れを斬るように刀身を振る。


「――ラーミナ・ファルキス(風刃斬)!!」


風が唸りを上げて圧縮され、鋭い刃と化してタガカインの腕へ飛ぶ。

ズバァン――と、肉と骨を断ち切る破裂音。


タガカインの一本の腕が、空中で千切れ飛んだ。


「ウキィィィィィィーーー!!」


痛みと怒りで、タガカインが耳障りな奇声を上げる。

勢いのまま枝から降り、地面にドスンと転がった。


地面に血飛沫が散る。


タガカインは素早く体勢を立て直し、牙を剥き出しにしてグリムを睨んだ――が、次の瞬間、その眼に浮かんだ感情は怒りではなかった。


恐怖だった。


グリムの纏う“気”を、本能で察したのだろう。

タガカインの獣じみた瞳がすくみ上がり、肩を小さく震わせる。


「どうした? お前、気性が荒いんじゃねーのか?」


ゆっくりと歩み寄りながら、グリムが低く問いかける。


タガカインの切断された腕からは、どくどくと大量の血が流れ続けている。地面に黒い水たまりが広がっていく。


タガカインは後ずさるが、岩壁が背を塞ぐ。


「来ねえなら、俺から行くぞ」


グリムの姿が、視界から掻き消えた。


刹那。

タガカインの視界に残ったのは、自分の腕が二本、くるくると回転しながら空中へ舞い上がる光景だった。


「……エ?」


飛んだ腕を目で追い、戻した視線の先に――グリムがいた。


いつの間にか、目の前に立っている。

シックルの刃先から、まだ血がぽたりと滴っていた。


「じゃあな」


冷たい一言と同時に、タガカインの首が音もなく飛んだ。


身体が一歩遅れて崩れ落ちる。

たっぷりと蓄えられた血が、土に吸い込まれていく。


「……弱いな、お前」


グリムは一瞥しただけでタガカインから目を離し、岩壁の方へ向かった。


岩の陰で震えているドュドュ――メルが、グリムを見て目を見開く。


「怖がらなくていい。お前の飼い主から、依頼で来た」


グリムは手を伸ばし、ゆっくりとメルの首元を撫でた。


最初こそ身をすくませていたが、やがて安心したのか、メルはくちばしでグリムの頬をそっとつつく。


「……よし、帰るぞ」



「ねー、オッサン……」


「なんだ、小娘」


「さっきのグリムさんって人、強いよね……」


「四つ星プレート見たろ……」


「偽物とかじゃないよね……?」


「そんなことして何になる。ギルドの奴らにバレたら半殺しと、ギルド永久追放だぞ」


「だよね……オッサン……」


「なんだ、小娘」


「名前なに?」


「ワシはトヨウだ……」


「小娘は……?」


「さっき言ったよ、エーナだよ!」


「ワシに向けられた自己紹介じゃなかったからな!」


「オッサンって面倒くさい奴だね!」


「うるさい! 小娘!!」


くだらないやり取りをしていると、森の奥からドュドュの足音が近づいてきた。


木々の間から姿を現したドュドュ、その背にはグリムの姿。


「え? まだ一時間も経ってないよ……」


エーナが呆然と呟く。


「グリム……お前、すげーな……」


トヨウもただただ感心するしかなかった。


グリムとドュドュ――メルは、二人の目の前で止まった。


「依頼は完了した。アルセディア森都へ連れてってもらう。いいな?」


「う、うん……もう、出発する……?」


エーナが期待を込めて聞くが、グリムは横に首を振る。


「いや、いい。ドュドュも疲れてるだろ。明日の朝出発で頼む」


「わ、わかった……」


「トヨウも、それでいいか?」


「お、おうよ……構わねー……」


こうして三人は、その場で野宿することとなった。



グリムの手際は、プロの冒険者そのものだった。


森に入り、あっという間にウサギを数匹仕留め、木の実を集めて戻ってくる。

倒木を組み、火打石で火花を散らし、手際よく焚き火を起こす。

ウサギの毛皮を剥ぎ、内臓を取り除き、串に刺して火の上に並べた。


ジュージューと肉の焼ける音が、夜の静寂に心地よく響く。

脂が炭に落ち、香ばしい煙が立ち上る。


やがて三人は、焚き火を囲むようにして座った。


「お前ら、食っていいぞ。今が一番うまい」


「……あ、ありがとう……」


「……あ、ありがとな! グリム……」


エーナとトヨウは、それぞれ焚き火の周りに刺さっている肉を取って、遠慮なくかぶりついた。


「美味しい!!」


「うめぇ!!」


二人の感想が、ぴったり同時に重なる。


次々と肉を頬張り、グリムが器用に剥いてくれた木の実を口に運ぶ。

焚き火のぱちぱちという音と、咀嚼する音だけが、しばしあたりを支配した。


……だが、会話はそれほど弾まない。


グリムの方から話題を振ることはない。

エーナは、ちらちらとグリムの横顔を気にしながら、何度も口を開きかけては閉じた。


(今、聞いていいのかな……でも……)


やがて、エーナは意を決して口を開く。


「グリムさんって、強いですよね!! 家族みんな冒険者してたりしてます? お仲間さんもいますか?」


トヨウもそれに便乗するように身を乗り出す。


「グリムに仲間はいるだろ。だって強いし、野宿の準備も手際がいいからな!! な! いるんだろ、グリム!」


焚き火の炎が、グリムの横顔を赤く照らす。


彼は、しばらく沈黙した。


燃える薪の音が、やけに大きく聞こえる。


やがて――ぽつりと、押し出すように言葉が零れた。


「……俺の家族は、盗賊共に殺された」


エーナとトヨウの手が止まる。


「仲間は、魔獣に殺された」


焚き火の火の粉が、ふっと舞い上がる。


「俺は何も強くないし……弱い」


その言葉には、誇張も、強がりも、哀れみもなかった。


ただ、淡々とした事実の告白。

けれど、そこに込められた重さは、風のように冷たく、刃のように鋭かった。


二人は、言葉を失う。


エーナは、握っていた串を震える手でそっと置いた。

トヨウは、軽口を叩こうとして、うまく声が出てこないことに気づく。


見上げれば、夜空には星が瞬き、風が枝を揺らしていた。


その夜の風は――やけに、冷たかった。

魔物図鑑


・タガカイン

四本の腕を持つ、大きな猿、主にドュドュを狙う

気性も荒く、一度暴れると手がつけられない


本日も見てくださりありがとうございます!

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