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第六十六話 ブッチャーの屋敷

 「はあ……はあ……この村……人間を、食べてるの……」


 ゼーラは震える息を押し殺しながら、人気のない路地の物陰に身を滑り込ませた。

 鼓動はうるさいほど早く、胸の奥をドクドクと叩いている。


 血の匂い。腐りかけた肉の匂い。さっきからそればかりが鼻をつく。


(落ち着いて……私。

  怖い……でも、立ち止まってる暇は……ない……)


 壁に背を預け、ゼーラはそっと視線を横に向ける。

 少し開いた窓から、淡い光が漏れていた。


 ——中の様子を確かめるか、それとも見なかったふりをして通り過ぎるか。


 恐怖が足を縫い止めるが、ゼーラは奥歯を噛みしめ、小さく息を吐く。


(リノアさん達を、探さないと……)


 恐怖を振り払うように、ゼーラは窓の下まで身をかがめ、そっと中を覗いた。


 そこには——部屋の隅に積み上げられた、何かの巨大な骨。

 家族らしき男女四人が、膝を床につき、その骨に向かって両手を合わせていた。


「……何、してるんですか……」


 ゼーラは思わず小さくつぶやく。


 ただの骨ではない。人間にしては大きすぎるが、どこか歪で、禍々しい。

 そんな異様な骨を神像のように祀り、その前で祈る光景は、常識から大きく外れていた。


 奥の部屋から、もう一人の男が現れる。

 その手には、透明なガラス瓶——中には、赤黒くドロリとした液体が揺れていた。


「さあ……ブッチャー様が、我々に聖水をくださった……」


「ああ……ブッチャー様……ブッチャー様……」


 四人は恍惚とした表情で、胸の前で(さかずき)のように両手を形作る。

 男は順番に、その手のひらへ赤い液体を注いでいく。


「さあ、受け取れ……ブッチャー様の恵みを……」


 ぽたり、ぽたり、と鈍い赤が手のひらに落ちる。


「ああ……ブッチャー様に感謝を……」


 四人は一斉に、手の中の液体を口へ運び、一気に飲み干した。


「これで……ブッチャー様に、また一歩近づけた……」


「感謝……感謝……」


 うっとりと目を閉じ、言葉を反芻する家族。その背後に鎮座する巨大な骨。


 ゼーラはその異常な光景から、目を背けるように静かにその場を離れた。


「ブッチャー様……牢屋にいた時も言ってた……

 やっぱり、この村全体が……」


 胸の奥の恐怖を押し込みながら、ゼーラは決意を再確認するように自分へ言い聞かせる。


「まずは……ルイン達を、探さないと……」


 ゼーラは村全体を見渡せる高い場所を探し、物陰から物陰へと気配を消しながら移動した。

 やがて、少し開けた場所に出る。

 そこから村を見下ろすと、少し離れた場所に、粗末な畜舎が建っているのが見えた。


「畜舎……?」


 普通なら、家畜が飼われている場所。

 だが、この村の異常さを考えれば、そこに“人間”が閉じ込められている可能性は高い。


「この村の人は、人間を食べてる……

 だったら、あの畜舎に……ルイン達がいるかもしれない……」


 ゼーラは身を低くして走り出した。

 夜の空気が冷たい。頬を刺す風も、血と肉の匂いを運んでくる。


 なるべく人目につかないように、家の陰、樽の後ろ、崩れかけた塀の影を縫うように進み——

 やがて畜舎に辿り着く。


 隙間から中を覗いたゼーラは、目を見開いた。


「……家畜が、一匹もいない……?」


 干し草が敷かれた広い空間に、牛や羊の姿は一切ない。

 代わりに残っているのは、乾いた藁、小さな血の染み、そして微かな鉄錆びの匂いだけ。


「ここは……何のためにあるんですか……」


 ゼーラは慎重に中へ足を踏み入れた。

 畜舎の中は、不自然なほど静かだった。

 虫の声も、家畜の鳴き声も、風の隙間を抜ける音すらほとんどしない。


 ——その沈黙の中、コツ、コツ、と乾いた足音が聞こえてきた。


(誰か来る……!!)


 ゼーラは咄嗟に近くの柱の影に身を隠し、息を潜める。

 足音は徐々に近づき、やがて目の前あたりで止まった。


 次の瞬間——ゼーラの視界の端で、床が“開いた”。


(床……?)


 畜舎の中央付近の床板が四角く持ち上がり、その下から男女二人が姿を現した。

 地下から上がってきたらしい。二人とも村人の服装をしている。


 床の横に据え付けられたレバーに、男が手をかけて引く。

 ガコン、と音を立てて、開いた床がゆっくり元に戻り、完全に閉じた。


「よし、行くか」


「ああ。どんどん餌を捕まえに明日行ってくるわね」


 二人は畜舎の外へ出て行き、足音は遠ざかっていった。


 ゼーラはしばらく待ってから、物陰からそっと姿を現す。


「さっきの……レバー……」


 レバーの前に立ち、周囲を確認。気配はない。

 ゼーラは意を決して、レバーを引いた。


 ギギギ……と鈍い音を立てて、床板が開く。

 黒い穴の向こうには、下へ続く階段が現れた。


「ルイン……アデルくん……リノアさん……

 ここに、いるんですか……?」


 暗闇の中へ飲み込まれるような階段を前に、一瞬だけ足が止まる。

 だが、ゼーラは唇を噛み、踏み出した。


 階段を降り切ると、空気が一気に変わった。

 湿った土と血の匂い。閉ざされた空間特有の重たい空気。

 所々に掛けられた松明の明かりが、長い廊下といくつもの扉を照らしていた。


 その時。


「やめろぉおおお!! やめてくれぇえ!! あぁぁああああああ!!」


 男の悲鳴が、壁を震わせるほどの勢いで響く。


「いい叫びだねぇ〜。

 恐怖と痛みを知った人間の肉は甘味が増すからな。最高だよな」


「でもよ、ちょっとうるせーんじゃねーか?」


「それがいいんだろうが! なあ!」


 下卑た笑い声。肉を切る鈍い音。骨が砕ける乾いた音。


 ゼーラは呼吸を押し殺しながら、その部屋の扉の隙間から中を覗いた。


「———ッ!」


 そこでは、一人の人間が台の上に縛り付けられ、男二人の手によって“解体”されていた。

 皮膚が剥がされ、肉が削がれ、骨から切り離された腕や脚が脇に積み上げられていく。


 男の一人が、削いだばかりの肉片をつまみ、軽く齧って笑う。


「ほらな、言ったろ。苦しめば苦しむほど、甘くなる」


「マジだな、これ。旨ぇわ」


 ゼーラは、今にも叫び出しそうな喉を押さえ、視線を逸らすようにそっと扉から離れた。


(助けたい……でも……今、ここで飛び出したら……)


 廊下を進み、別の部屋の扉の隙間から覗く。

 そこでも同じように、人間の解体が行われていた。

 内臓を器用に取り出し、臓物を品定めするように笑いながら、時折指先で皮膚をちぎり、舌で味を見る。


「やめろぉおお!! 熱い!! 熱い!! 出してぇええええええ!!」


「お願いです、お願いです、お願いです……やめてぇ!! やめてぇええ!! ああああああぁあああ!!」


 別の部屋からも、男も女も、老いも若きも、悲鳴と懇願の声が途切れることなく響いてくる。


 ゼーラの足は震えていた。


(今いる人たちも、助けたい……

 でも、敵が何人いるのかも、どれくらい強いのかもわからない……

 リノアさん達の居場所も……知らない……)


 感情だけで動けば、全員まとめて殺される。

 それだけは、わかっていた。


「……ごめんなさい……今は……」


 ゼーラは唇を噛み締め、感情を押し殺して先へ進む。


 廊下の奥へと足を向けていた、その時だった。


 ドドドドッ、と一斉に複数の足音が近づいてくる。

 急いでどこかへ向かう足音だ。


(まずい……!)


 ゼーラは近くで扉が開いていた部屋へ飛び込み、そのまま中に身を潜める。


 中を見た瞬間——呼吸が止まりかけた。


 山のように積み上げられた人骨。

 天井から吊るされた皮膚。

 腹だけを裂かれ、逆さに吊られた死体がいくつも並んでいる。


 血が乾き、黒ずんだそれらは、もう“モノ”でしかなかった。


 ゼーラは強く目を閉じ、鼻から長く息を吐く。


(落ち着いて……今は、外の気配だけに集中するの……)


 足音がすぐ側まで迫り、廊下で何人かが立ち止まる。


「おい! 餌共(えさども)監視してた男がやられたぞ! しかも四人だ!!」


「マジかよ! どこでだ!」


「まだ近くにいやがるかもしれねぇ! 探せ!!」


 怒鳴り声が、地下全体に響いた。

 別の場所でも、同じような声が次々と上がる。


(誰か……逃げた……? ルイン……それとも……)


 警戒は一気に強まり、廊下を走り回る足音が増えていく。


 この状況で奥へ向かうか、それとも一度引くか。

 ゼーラは数秒だけ迷い、拳を握った。


(……行きます。ここで立ち止まったら……

              何も変えられない)


 扉を少しだけ開け、廊下の様子をうかがう。

 誰もいない瞬間を狙い、ゼーラは奥の扉へ向けて一気に駆け出した。


 だが——


 急に、目の前に村人の男が現れた。


「!! ——聖女!! なんでここに——」


 ゼーラが魔法を放とうとした、その瞬間。


 男の胸元から、岩で出来た刃が“生えた”。


「……え?」


 刃は下から上へと斬り上げ、骨ごと胸を裂き、そのまま男の身体を後ろへ弾き飛ばす。

 ドサッ、と干からびた肉塊のように床に倒れる村人。


「ゼーラァアア!!」


「ルイン!!!」


 血煙の向こうに立っていたのは、褐色の肌に鋭い瞳を持つ少年——ルインだった。

 手には岩で生成された剣。鋭い眼光は、まだ周囲の気配を警戒している。


「ルイン……! よかった……よかった……」


 ゼーラの目から、安堵の涙が溢れる。

 しかしルインはその感傷に浸る暇も与えず、素早くゼーラの腕を掴んだ。


「話は後だ。こっち来い!」


 二人は近くの空き部屋へ飛び込み、ひとまず身を隠す。


「ゼーラ!! 生きててよかった!! アデルとリノアは見たか?!

 それと……ゼーラはどこに閉じ込められてたんだ!!」


「ルイン……私も、よくわかってないの……

 アデルくんとリノアさんは、見かけなかった……」


「俺のところにもいなかった……

 このクズ共に喰われた、ってことは……ないよな……」


 ルインの拳が、小さく震える。

 だが、その瞳には諦めの色は一つもない。


「そ、それは……」


 ゼーラは息を整えながら、覚えている限りを話し始めた。


「私、グラント湾港で会った女の人に鳥車に乗せられて……

 そこまでしか覚えてなくて……次に気づいたら、あの屋敷の地下の牢屋で……

 牢屋には他にも聖女たちがいたけど、リノアさんはいなかった……」


「俺も同じだ……鳥車に乗った後からここまでの記憶が、ふわふわしててよく覚えてねぇ……

 俺がいた牢屋には、男女問わずたくさんの人間が詰め込まれてた。アデルはいなかった」


 ルインは鼻を指差す。


「監視役のやつらが、定期的に“痺れ粉”を撒いてた。

 ……けど、丁度俺は濾息茎を持ってたからな。鼻に突っ込んで、粉の効果を防いだ」


「私も、一緒……濾息茎、鼻に詰めた……」


「それと——コイツら、人間食ってるらしいな。

 監視達がベラベラ喋ってやがった」


 ゼーラは表情を曇らせ、小さく頷いた。


「……わたしは見た。

 部屋の中で、人を……解体して、食べてた……

 村の人達も……家で、手足や首を……」


「胸糞悪ぃな。まとめて叩き潰してぇが……」


 ルインは一度深く息を吐き、目を細める。


「とりあえず、今はここから出るぞ」


 二人が状況を確認している間に、解体場にいた連中は「逃げたやつは外にいる」と思い込んでいるらしく、次々と地上へ向かっていった。

 畜舎へ続く床の扉も、開け放たれたままだ。


 二人もその隙を逃さず、同じ階段を駆け上がり、畜舎の中へ出る。


「……俺、こんな場所に閉じ込められてたのかよ」


 ルインは歯噛みしながらあたりを見回す。

 ゼーラは小さく息を吐き、彼の顔を見る。


「ルイン……ここから、どうする?」


 そう問いかけた瞬間——


 カン、カン、カン——と、どこかの塔から鳴らされるような鐘の音が、村中に響き渡った。


「なんだよ、このうるせぇ音は!!」


「脱走したの、完全にバレたのかも……」


 鐘の音は、村の隅々まで届いている。

 逃げ出した獲物を見逃す気はない——そんな意思表示。


「ここってさ、他にも誘拐されたやつを閉じ込めてる場所、あんのか?」


「わからない……私がいた屋敷の地下牢屋以外に、牢屋は見てない……」


 ゼーラは少し考え、口を開く。


「でも、あの屋敷……“ブッチャー”って呼ばれてる人がいるみたい……

 ここの人達は、ブッチャーを崇めてる気がする……」


「ブッチャー……さっきから聞く名前だな。

 なんだそいつ、村のボスか?」


「多分……」


 ルインは舌打ちし、瞳に冷たい光を宿す。


「なら、とりあえずブッチャーの屋敷に行こう。

 ゼーラが見た牢屋以外にも、聖女を閉じ込めてる場所があるかもしれねぇ」


「うん……行こう。

 リノアさんがいるかもしれないし……アデルくんも、脱出してリノアさんのところへ向かってるかもしれない……」


「だが、ただ突っ込むだけじゃ情報が足りねぇ。

 まずはここのカス野郎ども一人捕まえて、色々話を聞き出す」


「わかった……」


 二人は畜舎を抜け、再び夜の村へ出る。


 月明かりに照らされた道を進んでいると、前方から一人の村人の男が面倒くさそうな顔で歩いてくるのが見えた。


「あいつを捕まえる。ゼーラは茂みに隠れてろ」


「うん……」


 ゼーラは茂みの陰へ身を潜める。

 ルインは一本の木の陰に隠れ、男が近づいてくるのをじっと待った。


「あーあー、なんで俺がここで脱走したやつ探さなきゃなんねーんだよー。めんどくせー……」


 男が不満たらたらで歩いてきた、その瞬間——


 ザシュッ。


「——あ?」


 男の右足が、膝から下ごと熱を感じた。

 次の瞬間、鮮血が噴き出し、男は悲鳴をあげる。


「うああっ!? い、いてええええ!!」


 悲鳴に重なるように、腹部へ鋭い蹴りが叩き込まれる。

 男は盛大に地面へ転がった。


 そこへ、褐色の少年が現れる。


「おい、カス野郎。

 おまえら、人間食ってるよな? あの畜舎以外に、人間を閉じ込めてる場所はあるか?」


 冷たい目で見下ろすルイン。

 足を押さえて転がる男の顔が、怒りと恐怖でゆがむ。


「なんだよぉお!! おまえは!!

 食料のくせによぉ!!」


 言い切るより早く、ルインの土剣が男の左太ももを貫いた。


「ぎゃぁあああ!!」


「早く答えろ。次はどこ刺されてぇ?」


 べっとりと血に濡れた剣先を、男の顔の近くで揺らす。


「な、ない!! あの畜舎だけだ!!

 い、いっぱいあったら管理できなくなる! だからあそこの畜舎だけだ!!」


 涙目で必死に声を張り上げる。


「次の質問だ。

 あのデカい屋敷はなんだ? 聖女でも閉じ込めてんのか?」


「あ、ああ……あの屋敷は、ブッチャー様の屋敷で……

 せ、聖女を……牢へ入れてる……

 定期的に人を捕まえて……聖女だけが……ブッチャー様の屋敷へ、運ばれるんだ……」


「なるほどな。

 じゃあ最後の質問だ」


 ルインはさらに剣を近づけ、男の瞳を射抜くように見つめる。


「おまえら村人、なんで人間食ってる?」


「そ、そ、それは……う、うまいからだ……

 それ以外に、何があるんだよぉ!!」


 男は泣き叫びながら訴える。

 心底“おかしい”とは思っていない目だった。


「——そうかよ」


 ルインの瞳から感情が消える。


「消えろ、クズ」


 一閃。

 土で形作られた剣が、首元を横一文字に薙ぎ払う。


 骨が砕ける鈍い音と共に、男の首がゴロリと地面に転がった。


「ゼーラ。出てきていいぞ」


 茂みから出てきたゼーラは、足元に転がる死体を一瞥し、すぐに目をそらした。

 血と鉄の匂いが、さっきの部屋の光景を連想させる。


「ブッチャーの屋敷へ行く。

 さっきのカスから聞いたが、聖女は捕まえ次第、屋敷の牢に入れられるらしい」


「私がいた牢屋以外にも……あるかもしれないね……」


「ああ。全部ぶっ壊して、聖女も、それ以外の奴らもまとめて連れ出す。

 そのついでに、ブッチャーってやつもぶちのめす」


「……うん」


 月は高い位置から村を淡く照らしていた。


 ゼーラとルインは夜の闇を裂くように、

 人肉を喰らう村と、その中心にいる“ブッチャー”の屋敷へ——静かに向かっていった。

地図に載ってない村って怖いですよね、、


本日も見てくださりありがとうございます

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