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第六十五話 血の匂いの村

硬い石の床の冷たさが、じわじわと背中から骨にまで染み込んでくる。


 天井のどこかから——

 ポタ、ポタ、と水滴が落ちていた。


 その落ちる先には、一人の少女が横たわっている。

 落ちた水滴が、白い頬に当たっては伝い、また一滴…また一滴…。


「ん……っ……んん……」


 まぶたが震え、ゆっくりと開く。


 聖女ゼーラは、ぼんやりとした視界の中で、まず自分の手を見た。

 動かそうとしても、力がうまく入らない。指先が痺れている。


「……ここ……どこなんです……か……」


 かすれた声が、冷たい空間に吸い込まれていく。


 とりあえず起き上がろうとして、ゼーラは床に手をついた。

 だが、腕にも脚にも、身体全体にも軽い電流のような痺れが走り、力が抜けてくる。

 うまく身体を起こせず、ズルッと肩から床に滑り落ちた。


「いっ……」


 痛みよりも、動かない自分の身体に恐怖が走る。

 それでも、ゼーラは歯を食いしばって体をもぞもぞと動かし、なんとか上半身だけを起こした。


 視界に入ってきたのは——薄暗い石造りの牢屋だった。


 灯りは少ない。壁の隙間から漏れるのか、ぼんやりとした光が床を照らしているだけ。

 けれど、その薄い明かりでも分かる。


 この空間には、鉄格子で仕切られた牢が、合計六つ。

 どの牢にも、二人ずつ——それぞれ服を着た聖女たちが横たわっている。


「……聖女さんたち……」


 ゼーラは自分のすぐ右側に目を向けた。

 自分と同じ牢の中、そこにも聖女が一人、床に横向きで倒れている。


「あの……だいじょうぶ……ですか……?」


 喉がうまく回らない。声が掠れて、ほとんど空気しか出てこない。


 それでも必死に声をかけながら、ゼーラはその聖女の方へ身体を動かそうとした。

 しかし、足に全く力が入らない。膝が笑い、手を伸ばした拍子に、再び前のめりに倒れてしまう。


 その時——


 奥の階段の方から、コツ、コツ、と複数の足音が近づいてきた。

 男たちの、低い話し声も聞こえる。


(……っ!)


 ゼーラは反射的に、さっき倒れた姿勢のまま、目を閉じて動かなくなる。

 まるでまだ目覚めていないかのように、浅く、ゆっくりと呼吸を整える。


「捉えてきた聖女達、どうだ?」


「安眠草と痺羽(しびば)の粉を吸わせてるからよ。

 そう簡単には起きねーよ」


「よし。聖女は貴重だからな。

 ……とはいえ、ブッチャー様が“聖女を欲してる”からよ。とりあえず四人、連れてくぞ」


「ええ!! そんなに持ってくのかよ!!

 さっき聖女は貴重だって言ってたじゃん!」


「気にすんなって。新しい聖女も追加したろ? 数は足りてんだよ」


 ガチャリ、と鉄格子の鍵が回る音。


「入り口近ぇ牢からにするか。よし、こいつらのいる牢と……その前の牢の聖女だな」


「あいよー」


 重い足音が近づき、鉄格子の開く音が続けざまに響いた。

 男たちは床に転がる聖女たちを、乱暴ではあるが慣れた手つきで肩に担ぎ上げていく。


 ゼーラは目を閉じたまま、気配で人数を数えた。


(四人……連れて行かれてる……)


「よし、ブッチャー様のところへ持って行くぞ」


 階段を上がる足音が遠ざかっていき、やがて静寂が戻る。


 石の床に響くのは、再び——

 ポタ、ポタ、と天井から落ちる水滴の音だけ。


「……聖女達を……連れて、どこに行くんですか……」


 ゼーラは、痺れる身体をなんとか起こし、さっきまで横たわっていた聖女のもとに滲り寄る。


「あの……起きてください……お願いですから、起きてください……!」


 肩を揺する。しかし反応はない。

 まぶたも、指も、ピクリとも動かない。


 ゼーラは鉄格子の方へ顔を向け、マナを練ろうと集中した。


(……ソルマなら……鉄を砕ける……)


 だが、意識を集中しようとした瞬間、じわっと痺れが強まり、頭がぐらつく。


「くっ……ソ、ソルマ……!」


 放とうとしても、形にならないマナが指先でほどけるだけ。

 鉄格子に当たった小さな岩片が、カラン、と虚しく音を立てて砕け散る。


「まだ……諦めない……」


 もう一度、もう一度と唱えるが、ソルマはただの小さな石片として鉄格子に弾かれるだけだった。


「ダメ……体が痺れて……上手くマナを制御できない……

 ソルマの威力が……弱すぎる……」


 ゼーラは、自分の身体を蝕んでいるこの痺れの正体を思い返す。


(さっきの人が言ってた……“痺羽の粉を吸わせてる”って……)


 その言葉を反芻していると、ふと一つの感覚が蘇る。


「あっ……!」


 ゼーラは慌てて、自分のポケットを探った。

 指先に触れる、固い茎の感触。


 取り出してみると、それは以前塵埃の島でリナから渡されていた——濾息茎(ろそくけい)だった。


「リナから貰っといて……よかったです……」


 震える手でそれを鼻に差し込み、しっかり固定する。

 とりあえず伏せた姿勢のまま、ゼーラは深く呼吸を整えた。


(……まずは痺れが抜けないと、どうにもならない……)


 時間の感覚が曖昧になるほど、じっと横たわって待つ。

 やがて——


 また、階段の上から足音が近づいてきた。


 今度は一人分の気配だ。瓶がこすれるような、ガラスの音がする。


(来た……)


 ゼーラは薄く目を開け、まつ毛の隙間から男の動きを観察する。


 男は袋の中から小さな瓶を取り出し、蓋を開けると、近くの牢屋の前に立った。

 次の瞬間、白い粉が鉄格子の隙間から中へと振り撒かれる。


「これで、起きても体が麻痺して動けねぇだろう。クックック……」


 粉を吸い込んだ聖女たちの身に、すぐ変化が現れる。

 身体がビクン、と小さく跳ね、軽い痙攣を起こし始めた。


「よし、効いてるな」


 男は満足そうに笑い、次の牢へ進む。

 同じように痺羽の粉を撒き、そこでも聖女たちが痙攣を見せる。


 そして——ゼーラのいる牢の前に立った。


「ほらよ」


 白い粉末がふりかかる。リナにもらった濾息茎が、鼻腔をしっかりガードしているのをゼーラは感じた。


(……効かない。効かないけど……)


 効かなければ怪しまれる。

 ゼーラは、必死に自分の身体を震わせ、他の聖女と同じような痙攣を真似た。


「クックック……いい感じだ。

 また三時間後になァ、聖女様〜」


 男は上機嫌のまま、瓶を袋にしまい、階段を上がっていく。


 足音が完全に遠ざかったのを確認してから、ゼーラは息を吐いた。


「……痙攣しなかったら、茎の存在がバレちゃいますから……

 ちゃんと、真似しないと……」


 痺れは残っているものの、濾息茎のおかげか、さっきより頭がはっきりしてきていた。


「まだ体の痺れが取れないから……もう少しだけ、ここで……」


 再び横になり、じっと時を待つ。


 三時間を境に、同じ男がやってきては、また粉を撒いていく。

 そのたびに他の聖女たちは震え、ゼーラもそれに合わせて演技を続けた。


 そうして、さらに三時間。

 およそ六時間ほど経った頃——


「……指先の痺れが……引いてきました……」


 腕を握り、足首を回す。

 ようやく、自分の身体に自分の意志が戻ってきた感覚。


「よし……これで、魔法も思う存分撃てます……」


 ゼーラは濾息茎を新しいものと交換し、しっかりと鼻に差し込んだ。


「次の巡回が終わったら……脱出します」


 耳を澄まし、階段からの足音を待つ。

 やがて、予想通り、男が再び姿を現した。


 同じように粉を撒き、痙攣を確認し、満足した顔で階段を上がっていく。


 音が消える。


「……よし。今です!」


 ゼーラは鉄格子の前に立ち、深く息を吸った。

 今度は、痺れのない、澄んだ感覚でマナが流れ始める。


「ソルマ!!」


 地面が振動し、濃い土のマナが凝縮されて岩塊となる。

 鉄格子に叩きつけられた瞬間、鈍い衝撃と共に、鉄がねじ曲がり、砕け散った。


 ガシャァンッ!!


「……っ!」


 思いのほか大きな音に、ゼーラは肩をすくめた。

 だが、上から誰かが降りてくる気配はない。


「よし……!」


 ゼーラは、出来るだけ音を立てないように、割れた鉄格子を跨いで牢の外へ出る。


 湿った地下通路を抜け、階段をそっと上がっていく。

 上へ近づくほど、空気が変わる。湿気と土の匂いから、木と油と布の匂いへ。


 階段の上から、やわらかな灯りが差し込んでいた。


 こっそりと顔だけを覗かせると、そこは——


 木張りの床に、程よく磨かれた壁、天井から吊るされたランプ。

 一般の民家よりもずっと上等な造りの、どこか裕福な家の一角だった。


「……ここ……屋敷……?

 なんで、その屋敷の地下だけ牢屋なんですか……」


 廊下には扉がいくつも並んでいる。

 遠くの部屋からは、人の話し声がぼんやり聞こえてくるが、言葉までは聞き取れない。


(とにかく……外へ出ないと……)


 その時、前方から足音が近づいてくる気配がした。


(まずい……!)


 ゼーラは慌てて、近くの扉のノブをそっと回し、その部屋の中へ身を滑り込ませる。


 扉を閉めて振り向き——そして、絶句した。


 そこは、乾いた風と鉄の匂いが充満する、異様な部屋だった。


 天井近くに渡された物干し竿のような棒に——

 人の手足が、数十本。

 まるで洗濯物のように、ぶら下げられている。


「———ッ!!?」


 喉が、叫び声を絞り出そうとしている。

 ゼーラは両手で口を押さえた。


 胃の奥から込み上げてくる、強い吐き気。

 視界がぐらりと揺れる。


「な……ななな……な、に……」


 自分が見ているものを、脳が理解するのを拒否している。

 だが、それでも目は逸らせない。

 ひとつひとつの手足には、まだ血の色が生々しく残っていた。


 ゼーラは身体を震わせながら、後ずさるようにして部屋を出た。

 扉を静かに閉めたあとも、膝の震えは止まらなかった。


(落ち着いて……落ち着いてください、ゼーラ……)


 鼓動が早鐘のように暴れ続ける胸を押さえながら、廊下を進む。

 やがて、外へつながっているらしき、大きな扉を見つけた。


 ゆっくりと開けると——


 そこには広い庭が広がっていた。

 石畳と芝生、ところどころに木が植えられている。

 庭の先には、高い柵がぐるりと屋敷を囲っていた。


「あの柵まで行けば……」


 ゼーラは、自分に言い聞かせるように呟き、足を前に出す。


 恐怖が喉を締め付ける。

 だが、それ以上に——仲間たちの顔が脳裏に浮かんだ。


(怖いからって……ここでうずくまってなんかいられません……)


 ゼーラは小さく息を吸い込み、魔法を発動する。


「ソルマ……」


 柵のすぐ前に、踏み台になる岩を作り出し、そのまま駆け上がる。

 上から庭を見下ろし、しがみつくようにして柵を乗り越えた。


 柵の向こうには、しばらく続く土の道。

 その先、林の合間から見える屋根——家々が集まった、小さな村の姿があった。


「……村……」


 ゼーラは喉を鳴らし、走り出す。

 助けを求められる人がいるかもしれない。

 誰か、この状況を知っている人がいるかもしれない。


「はぁ……はぁ……はぁ……やっと……村……」


 肩で息をしながら、村の入り口に立つ。


 だが——妙だ。


 人の気配が、ほとんどない。

 家はある。窓もある。扉もある。

 けれど、笑い声も、話し声も、生活音も聞こえない。


 代わりに、風に晒され、乾きかけた血の匂いだけが漂っている。


 ゼーラは、一番近くの家の方へ足を向けた。

 救いを求めて、扉へ手を伸ばそうと——した、その瞬間。


 視界に飛び込んできた光景に、その手が凍りついた。


 家の前の杭に——

 人の首が、串刺しにされて並べられていた。


「…………ッ!!」


 喉が悲鳴を上げる前に、ゼーラはまた口を手で押さえる。


 隣の壁には、さっき屋敷の中でも見たように、手足が吊り下がっている。

 乾きかけの血が、筋になって石にこびりついていた。


「な……んで……」


 足を引きずるようにして、別の家の前へ移動する。

 だが、どこの家にも同じような装飾が施されていた。

 首、手、足——人間の一部が、まるで見世物のように並べられている。


 ある家の窓の奥から、人の声が聞こえた。


「……」


 ゼーラは、壁に身を寄せ、そっと窓から中を覗く。


 中には、一人の男がいた。

 テーブルの上に何かを置き、それをナイフで切り刻みながら、口へ運んでいる。


 角度を変え、テーブルの上のものをはっきりと見たゼーラは——


 息を呑んだ。


 男が切り分けているのは、血の気を失った、人の肉だった。


「もう……なんなんですか……この村は……」


 胸の奥からこみ上げる吐き気と恐怖を、ゼーラは必死に押し込める。


(ルイン……アデルくん……リノアさん……

 この村にいるんでしょうか……?

 食べられてなんて……いないですよね……)


 最悪の想像が、頭をよぎる。

 喉の奥が詰まり、目の前が滲んだ。


「……うぅ……」


 込み上げる涙を、手の甲でごしごしと拭う。


(泣いてる場合じゃありません……

 怖いです……本当に怖いです……でも……)


「……ルイン……アデルくん……リノアさん……

 どこにいるんですか……絶対、見つけますから……」


 ゼーラは震える膝を叱咤し、血と肉片に彩られた異様な村の中を——

 仲間たちを探して歩き出した。

痺羽の粉

マンヒドガムガと言う虫から取れる粉、羽ばたくだけで、粉が舞う、近くにいると若干痺れる事がある場合はマンヒドガムガがいるとされている


本日も見てくださりありがとうございます

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