第六十一話 樹の中の少女
「おい!! カルガル!! 安眠草の匂いの方はどうだ!!」
「アデルさん、まだしっかり匂いが残ってます! 大丈夫です!」
アルセディア森都を出発して二日目の朝。
三人と二羽は森の中の開けた場所で一度足を止めていた。
大木の根元に腰掛けるアデルとカルガル。その少し先で——
「おまえらー、体力が必要だからよ。パガルリタ捕まえてきたぞ!!」
グリムが、ずるずると大きな獣を引きずって現れた。
鹿に似た胴体、角は枝分かれし、毛は少し灰色がかった茶。だが、首元には特徴的な黒模様があり、どこか獰猛な雰囲気を纏っている。
「おい……オレ、コイツ初めて見るんだけど。鹿じゃねえのか?」
「アデルさん、パガルリタ初めて見るんですか? すっごく美味しいですよ」
カルガルの言葉に、アデルはごくりと喉を鳴らす。
グリムは慣れた手つきでパガルリタを解体し始めた。
喉を切り、血抜きをし、皮を剥ぎ、肉を部位ごとに分けていく。
その所作は無駄がなく、まさに“野営に慣れた冒険者”の動きだった。
「カルガル、火を頼む」
「はい!」
カルガルは火の魔石を取り出し、枯れ枝と落ち葉の上で魔力を流す。
ぱち、と火花が散り、すぐに心地よい炎が瞬いた。
「アデルは、肉刺しだ。折れない程度の枝探してこい」
「へいへい、肉刺し担当ね!」
アデルはそこらの木から細めの枝を折り、余分な葉を落とし、尖らせる。
グリムが切り分けた肉を受け取りながら、次々と枝へ刺していく。
「なあ、この肉、なんか硬くねえか? 枝で刺す時、何本かこの肉の硬さでポキポキ折れたんだけど」
「最初は硬いが、焼けば柔らかくなる。パガルリタはそういう肉だ」
焚き火の周りに、肉を刺した枝を円状に立てかけていく。
肉が炙られて、脂が滴り、炎が少しだけ勢いを増した。
香ばしい匂いが、空腹の腹を責め立てる。
「……なあ、まだか?」
「もうちょい待て。我慢しろ」
しばらくして、グリムが一本手に取り、指で押して焼き加減を確かめる。
「よし。アデル、一本めだ」
「きたぁ!!」
アデルは肉を受け取るなり、豪快に齧りついた。
「……っ!! うっまあああああああ!!! なんだコイツ!!! うっまああああ!!」
口の中に、獣肉の旨味と脂が一気に広がった。
見た目からは想像できないほど肉は柔らかく、噛むほどに甘みとコクが増していく。
「ははは、美味いだろ。パガルリタ。じゃんじゃん食おうぜ。
カルガルも、遠慮すんな」
「はい! いただきます!!」
カルガルも少し遠慮がちに肉へ齧りつき、次の瞬間、目を見開いた。
「……お、美味しい……!」
そのあとは三人とも無言で肉を頬張り続けた。
脂で手はベトベト、口の周りにも肉汁がつくが、そんなことはどうでもよかった。
あっという間に肉はほぼ消え、骨だけが残る。
「食ったぞぉおおお!!!」
アデルは立ち上がり、両手を空へ突き上げて叫ぶ。
「待ってろよぉおおお!!!
リノアぁああ!!! ゼーラぁああ!!! ルイン!!!!
しゃー!! ボケええ!!! スッキリしたぜぇ!!」
肉と一緒に、胸に溜まった鬱憤や焦りも多少は吐き出せたようだ。
「内に溜めてたもん、全部吐き出せたか?」
「全部吐き出したぜぇ! アニキ!!」
そんな二人を見ていたカルガルが、羨ましそうに口を開く。
「あの……お二人って、兄弟なんですか?」
「ああ!! オレのアニキだぜ!!」
アデルが胸を張ると、グリムも笑いながら頬を指で掻いた。
「アデルは俺の弟分だ。血は繋がってねえけどな。
気持ちが繋がれば、それで“弟”だ」
「いい関係ですね!!」
カルガルの言葉は、どこか本気で羨ましそうだった。
「まあなぁ!! ——それよりカルガルの仲間ってどんな奴らなんだぁ?」
「僕の仲間ですか? 二人とも面白くて、強くて、優しいです!!
塔はまだ攻略してないですけどね!」
「まだ行ってねえのか。オレ達は二基攻略したぜ」
「え!? 二基もですか!! すごい……」
カルガルは素直に目を輝かせる。
次の瞬間、カバンから地図を取り出して地面に広げた。
「僕達は今、この塔を目指してます」
地図の一点を指し示す。
「オレ文字読めねえ!! アニキ!!」
「えーっと……“ザイロフォンの塔”だな」
「ああ!! リナがそう言ってたな!!
オレ達もここ目指してたんだよぉ!!」
「僕らも、この塔に行くために鳥車に乗りたかったんです。
でもお金がなくて……。そこへ、見知らぬおじさんが声をかけてきて……それで」
カルガルの耳が、しょんぼりと垂れた。
「なあカルガル、そのジジイからなんて声かけられたんだ?」
アデルが問いかける。
「そうですね……
『わたくし達は困っている人を助けたいので、ぜひタダですので乗ってください』って。
それでその鳥車に乗って……いつの間にか眠らされて、森に捨てられてました……」
「オレ達は、“村に地図職人がいるから案内する”って言われたんだ。
ちゃんと間違えてねえ地図をもらえるってよ。
それでニヤニヤしてるババアの鳥車に乗ったら、このありさまだ……クソがぁああ!!」
地面を拳で殴りつける。
「カルガルとアデルは、このグラマル大陸は初めてか?」
「オレは初だぜ」
「僕はこの大陸出身ですけど、冒険に出るのは初めてで……そんな時に、あれで……」
「なら、やっぱり“右も左もわからない奴”を狙ってるって感じだな。
土地勘もなく、知り合いもいない連中ほど、騙しやすい」
グリムが淡々と分析する。
「それなら——俺達も“初々しい冒険者”になりすましてみるか」
「アニキ、何言ってんだ?」
「確かに……そうすれば、僕達がわざわざ探しに行かなくても、“向こうから”連れてってくれますね!」
カルガルも、すぐに意図を理解して頷いた。
「問題は、安眠草の煙をどうするかだな……」
グリムがそこまで言ったとき、アデルがふとポケットを探り始めた。
「なあ、これって使えるか?」
取り出されたのは、細長い白っぽい茎。
「それは……何ですか?」
「オレ達、塵埃の島に行く時、埃がすっげえ舞っててよ。
息吸うと苦しくなるから、これを鼻の穴に入れてたんだ。
確か……“濾息茎”って言ったかな?」
「アデル、そんなもんまだ持ってたのか。
これ、使えるかもしれねえ」
「そうですね!! これを鼻に差し込めば、安眠草の煙をある程度防げるはずです!
じゃあ、この茎を使って“初心者冒険者のふり”をしましょう!!」
カルガルが前のめりになる。
「ここまで来ましたけど、どうしますか? 一旦、引き返します?」
「なあ、ヒトガタって、どの辺りで出るんだ?」
「まっすぐ進めば、もうじきです」
「アデル、どうした? 気になるのか?」
「いや……そうじゃねえけどよぉ……」
アデルは腕を組みながら、前方の森の奥を睨む。
「でも、安眠草の匂いも、だんだんきつくなってきてます。
もしかしたら……僕の仲間か、アデルさんのお仲間が近くにいるかもしれません!」
「それなら、もう少し進もう。
それで何もなかったら、一旦引き返す。……それでいいか?」
「ああ、それでいこう」
「わかりました」
三人は支度を整え、再びドゥドゥに跨がって出発した。
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しばらく進んでいくと、前方に“不自然なもの”が見えた。
「なんだ、あれ……」
アデルが目を細める。
少し先の街道の脇——いや、ほとんど道のど真ん中に、“人の形をした何か”がぽつんと立っていた。
全身がツタで編まれたような、人間サイズのシルエット。
手足の長さや顔の位置も、確かに“人型”だが、そこに生物的な気配はない。
「アデルさん。あれが——“ヒトガタ”です」
「……これが、か」
アデルはドゥドゥの上からじっと観察する。
ヒトガタは微動だにしない。風に揺れるツタ以外、まるでただの人形のようだった。
「何も動かねえな……」
「アデル、こいつらは“一定の範囲内”に侵入しなければ、攻撃してこない。
見てるだけなら、ただの置物みたいなもんだ」
「マジかよ……でも、コイツ一体くらいなら、今のうちに叩き潰してもよくね?」
拳を鳴らすアデルを、グリムが目だけで制する。
「アデル、とりあえず進むぞ」
三人はドゥドゥをゆっくりと歩かせながら、ヒトガタの横を通り過ぎる。
——一体。
——三体。
——十五体。
——三十体。
気づけば、左右には数え切れないほどのヒトガタが立ち並んでいた。
「なんだよ……コイツら……クソ多いじゃねえか……」
周囲をぐるりと見渡せば、森の木々のあちこちに、人型のツタが立ち尽くしている。
腕を広げた者、片膝をついている者、壁に背中を預ける者——ポーズこそ違えど、全員がこちらを“向いている”。
「なあ、コイツらって……どうやって動くんだ?」
アデルの疑問に、カルガルが答える。
「確か……マナで動くはずです」
「マナ? どういうことだ。こいつら、自分でマナ持ってんのかよ? 魔獣なのか?」
「んーと……このヒトガタ達は、“人体樹”っていう木から生み出されるんです」
カルガルは真剣な顔になる。
「人体樹は、まず“苗木”を生み出します。その苗木が人間を攫って、人体樹に届けるんです。
人体樹はその人間を体内に取り込み、マナを吸って——ヒトガタを産み出す」
「……じゃあコイツら、“吸い取った人間のマナ”で動いてんのかよ」
「おかしな魔物でしょう?
このヒトガタの数を見ればわかります。この量……“かなりのマナを持った人間”が吸収されてる可能性が高い」
アデルの拳が、ギシッと音を立てる。
「……進みますね」
先頭を進んでいたカルガルのドゥドゥが、一歩、前へ出た瞬間——
ピキッ。
森全体に、乾いた何かが“ひび割れるような音”が走った。
「おい……この音……」
「ここから先が、“テリトリー”です」
カルガルがごくりと唾を飲み込む。
「アデル。ビビってるか?」
「アニキ! んなわけあるかボケェ!!
このヒトガタども、全部ぶっ飛ばしてやるぜぇ!!」
「えええ!! 皆さん!! 僕、普通に怖いんですけど!!」
「カルガル!! 勇気振り絞って、一気に駆け抜けるぞ!!」
「ええええ!! ムリですぅうううう!!!」
「俺が合図を出す。
三、二、一——突っ込めぇ!!」
「ひいいいいい!! 怖いですぅううう!!」
三人と二羽のドゥドゥが、一斉に駆け出した。
その瞬間——今まで微動だにしなかったヒトガタ達が、一斉に動き出した。
ギギギギギッ。
軋むツタの音とともに、人型たちが首をこちらへ向け、一歩、また一歩と動き出し——
次の瞬間、凄まじい速度でアデルたちへ殺到してくる。
「掴まれよ、アデル!!」
「おう!!」
「あああ!! 僕を置いていかないでーー!!」
後方から、無数のヒトガタが追いすがり、前方からも道を塞ぐように現れる。
グリムはモリハクの手綱を操りながら、わずかな隙間を縫ってすり抜けていく。
「やんじゃねえか!! アニキ!!」
カルガルもそれを真似て、半ばパニックになりながらも、ぎりぎりのところでヒトガタを回避していく。
「ほ、ほぉ……で、できた……!」
「やるな、カルガル!」
グリムが短く褒める。
だが先へ進めば進むほど、ヒトガタの数は増え続けた。
「くっそ……どんだけいるんだよ!!」
「しつけえな!! このツタどもが!!
おいカルガルゥウ!! いつ頃抜けるんだよ!!」
「僕にもわかりません!! ———え……」
突然、カルガルの鼻がひくひくと動いた。
次の瞬間、カルガルは急に進行方向を左へ切り替える。
「アニキ!! カルガルがぁ!!」
「どうしたんだ、あいつ!!」
グリムも舵を切り、カルガルのあとを追う。
「なんで……なんで……なんで、この匂いが……」
カルガルはヒトガタの攻撃を死に物狂いで躱しながら、森の奥へ飛び込んでいく。
その鼻には、安眠草とは別の——もっと強く、もっと馴染み深い香りが届いていた。
「なんで……なんで……
ミゾラさんの匂いが、こんなに強いんですか……!!!」
茂みを抜けたその先——カルガルの視界に、それは現れた。
他の木々とは比べ物にならないほど巨大な樹木。
幹は脈打つように、ゆっくりと膨らんだり縮んだりしている。まるで“呼吸”しているかのように。
木の表面には、ツタに絡め取られた人の姿がいくつも張り付いていた。
その中の一人——下半身を木に飲み込まれ、顔にもツタが巻き付いている女性を見て、カルガルの顔色が変わる。
「ミゾラ……さん……」
それは、カルガルと共に旅をしていた聖女・ミゾラだった。
「カルガルゥウウ!! てめえ!! 何先行って——……ん?」
追いついてきたアデルが叫びかけ、言葉を飲む。
「アデル、どうした……?」
グリムも視線を向ける。
アデルは樹木の“中心”を凝視していた。
樹皮が裂け、半透明の膜のようなものが張っている“芯”の部分。
その内側——ヌルヌルとした液体の中に、一本一本のツタに手足を縛られ、吊るされるような姿勢で封じられている——白い髪の少女。
見間違えようもない。
「リ……リノア……」
喉が絞られる。
「リノアァアアアアアアア!!!」
叫んだ瞬間には、もうアデルはドゥドゥから飛び降りていた。
「おい! 待て!! アデル!!」
グリムの制止も聞かない。
アデルはヒトガタの群れへ真っ正面から突っ込む。
「邪魔だぁああ!! クソどもぉおお!! どけやぁああ!!」
迫りくるヒトガタの腕、足、長く伸びたツタ。
それらを殴り飛ばし、蹴り飛ばし、掴んで叩き付け、道をこじ開ける。
「リノアぁあ!! 今出すぞ!!」
人体樹の中央——ツタ膜へと飛びかかろうとした瞬間。
横合いから、鋭い衝撃が走った。
「がっ……は……!!」
何かに思いきり蹴り飛ばされ、アデルの身体が地面を転がる。
「クッソ……誰だぁ……」
よろめきながら立ち上がり、前を見る。
そこには——赤いツタが幾重にも束ねられてできた“ヒトガタ”が、仁王立ちしていた。
他のものよりも一回り以上大きく、身体のバランスも“限りなく人間に近い”。
腕には棘のようなツタが絡み、胸元には樹木から伸びる太い蔓が繋がっている。
まるで、人体樹が“本気で作った兵士”のような存在。
「クソが……邪魔すんなよぉ……」
アデルは血を拭い、構えを取った。
その背後には、まだ救えない聖女と——膜の奥で目を閉じたままの聖女、リノアがいる。
もう、二度と——目の前で“大事なもの”を奪わせないために。
魔物図鑑
パガルリタ
二メートルある鹿、角が首元まで生えている全部の角合わせると六本、肉は生のままだと硬いが、やけば柔らかくなる
人体樹
人からマナを吸収して、人によく似た魔物を生み出す
本日も見てくださりありがとうございます!
いつのまにか六十一話です!




