第五十九話 夜の独白
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ほっぺを、つん、つん、と突かれる感覚がした。
「ん……クッソ……」
アデルは顔をしかめながら、ゆっくりと瞼を開けた。
視界に入ってきたのは、もふもふとした濃い緑色の体毛と、まん丸な黒い瞳。そして、やたら近いクチバシ。
「……ドゥドゥか……? ーーー!! グリム!!」
はっとして横を見る。そこには、まだ仰向けに倒れたままのグリムの姿。胸はかすかに上下しているが、目は閉じられていた。
「グリム!! 起きろよ! グリム!!」
アデルは痛む体を無理やり動かし、両肩を掴んで激しく揺さぶる。
「……俺は……」
かすれた声とともに、グリムのまつげがわずかに震えた。
ゆっくりと瞼が開き、黒い瞳が夜の闇を映す。腕に力を込め、ゆっくりと上体を起こした。
「グリム!! 大丈夫か!?」
アデルが身を乗り出す。グリムは額に手を当て、辺りを一周見渡した。
「いつの間にか……俺は意識が飛んでたんだな……。だいぶ暗くなったな……」
頭上には、木々の隙間から覗く夜空。月明かりが、境風の森を青白く照らしている。
「あのクソキノコ……どこまで逃げやがった……。見つけ次第、必ず残りの目も潰す……」
歯ぎしりするアデルに、グリムは首を横に振った。
「アデル……ドンテンを追いかけるのはやめよう」
「はあ!? なんでだよ!!」
「一つ目になった分……どんな攻撃してくるかわからねぇ。それに——」
グリムは自分の体を見下ろす。
服は裂け、至るところから血が滲んでいる。呼吸のたびに、肺の奥が焼けるように痛む。
「俺達は体がボロボロだ……。今戦ったところで……勝てるかどうかわからん」
アデルは何か言い返そうと口を開きかけたが、自分の腕や脚の震えを見て、奥歯を噛み締めたまま黙り込んだ。
立っているだけで精一杯——その事実が、悔しいほどよくわかっている。
沈黙を破るように、グリムはふとアデルのそばにいるドゥドゥへ視線を向けた。
「……そのドゥドゥはなんだ?」
「知らねえ……。コイツにほっぺ突かれて起こされた」
ドゥドゥは小さく鳴き、首を傾げる。
逃げる様子もなく、アデルたちのそばから離れようとしない。
「アデル……俺は今からアルセディアに行こうと思う」
「アルセディア? 何処だそこ?」
「ここから東に、ずっと行った先にある……大きな森都だ」
「ああ!! 思い出した……ルーズ爺さんが言ってた場所だ。
グリム、オレもそこへ行く。オレは探さないといけない仲間がいるからな……」
「そうか……。なら決まりだな。丁度ドゥドゥもいるし、コイツ乗ってアルセディアに向かうぞ」
グリムは重い体を引きずるようにして立ち上がり、ドゥドゥへ近づく。
ドゥドゥはグリムが近づくと、ふいにすとんと腰を落とし、まるで「乗れ」と言わんばかりに背を低くした。
「気が利くじゃねえか、おまえ……」
アデルもふらつきながら立ち上がり、後ろ側へ回る。
そこでふと、尻尾の先が真っ白なことに気づいた。
「このドゥドゥ……オレが捕まえようとしてた鳥だ……」
「そうなのか?」
「ああ。でもなんで、オレが追いかけ回した鳥が、こっちに来てんだ……?」
「……まあ、“遊んでもらった”と勘違いしたんだろ」
グリムは肩を竦める。
「それより行くぞ」
「……ああ、そうだな」
アデルも、白い尻尾に一度だけ触れてから、ドゥドゥの背に飛び乗る。
二人を乗せたドゥドゥは、ふわりと地面を蹴り、暗い森の中を駆け出した。
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夜の境風の森を、一本の影が駆け抜ける。
木々の間をすり抜け、根を飛び越え、ドゥドゥの足音だけが静かな森に規則正しく響く。
月明かりがちらちらと木漏れ日のように差し込み、二人と一羽の影を細かく揺らしていた。
しばらく、会話のない時間が続いた。
やがて、アデルがぽつりと口を開く。
「なあ、グリム……オレ達があのカヒラパ出た後、どうなったんだ……? あの苔頭、どうなった……?」
ジートが殺され、仲間が死に、全てを壊したあの男——
カルミネ。
アデルの声には、押し殺した怒りと後悔が混ざっていた。
「逃げられた」
短く、重たい答え。
「ジート達の敵を取れなかった……。その後は、俺達が住んでいた場所に墓を立てた……」
言葉の端に、まだ癒えぬ傷が滲む。
数ヵ月前のことだから、その痛みは今も現在進行形だ。
「なあ、アデル。ジートとはどう知りあった?」
アデルは息を吸い、ゆっくりと語り出した。
カヒラパでの出会い。
最初の会話
アニキがすげーって会話。
そして、誓った約束。
グリムは一言も挟まず、ただ黙って聞いていた。
「約束は……守れんかった……」
吐き出すような声だった。
拳を握りしめる手が震えているのが、グリムにも伝わる。
「約束か……俺もだ……。
話してくれてありがとな……アデル……」
その一言に、アデルは顔を背けるようにして前を向いた。
月光に照らされた横顔には、まだ消えない悔しさが色濃く残っている。
再び、静寂。
今度はグリムが沈黙を破る番だった。
「なあ、“仲間を探さないといけない”って言ってたよな? はぐれたのか?」
「ああ……知らねえババアに仲間を連れてかれた……」
アデルはポケットをまさぐり、一枚の草を取り出す。
乾いたそれは、まだほのかに甘ったるい匂いを放っていた。
「おい、これ……安眠草じゃねーか」
グリムが眉をひそめる。
「鳥車に乗せられて、しばらくしたらこの甘ったるい匂いがして……気づいたら意識が飛んでた。
起きた時には、もうこの森の中だった。今のところこの草しか手がかりがねえから……森都に行っていろんな奴に聞くつもりだ」
「何を聞くんだ?」
「何って……それは……」
アデルは言葉に詰まる。
“安眠草を使って、聖女パーティーを攫うような女を知らないか”——
そんな話は、おそらくこの大陸でもそうそう聞くものじゃない。
だが、何もしないわけにはいかなかった。
グリムは少しだけ考えたあと、ふっと笑った。
「なあアデル。俺も、おまえの仲間探し手伝っていいか?」
「……急にどうした……グリム……」
「俺は特にやる事ねーからな……」
首からぶら下がった四つ星プレートが、月明かりの中でかすかに揺れる。
アデルはゼーラの言葉を思い出した——グリムの仲間は、魔獣との戦いで死んだ、と。
(グリムも、今一人なんだな……)
それがわかった瞬間、アデルの顔に、いつものようなニヤリとした笑みが戻る。
「グリム、頼む。手伝ってくれると助かる!!
ありがとな! アニキ!」
「……ふふ……アニキ、ね。
そうだ……俺は、お前らのアニキだ!」
「お前らって、今オレしかいねえぞ?」
「アデルの仲間達もだ! そいつらも含め、俺はアニキだ!」
アデルは一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。
「ああ、アニキ! 頼んだ!」
ふと、何かを思い出したように眉を寄せる。
「なあ、アニキが、あのクソキノコの場所に来る前に、子供と、爺さん見なかったか?」
「ああ、見たよ。アデルの事助けてくれって言われてな。
その後は、俺が乗ってきたドゥドゥを渡したから……あの爺さん達も森都を目指したんじゃねーかな?」
「そうだったんだな……。なら森都で会えるかもな!
でよアニキ、後どれくらいでアルセディア森都へ着くんだ?」
「後三日だな」
「三日もかかんのかよぉ!! まだボロボロの体だから、ベッドで寝てえよぉ!!」
「俺もだわぁ! 本当はポーションを飲みたいが全部割れてんだよな、、」
「全部割れてんのかよぉお!!」
くだらないやり取りが、闇の中を少しだけ明るくする。
そうして二人と一羽は、月明かりが細く差し込む境風の森を、アルセディア森都へ向けてひた走るのだった。
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