表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/89

第五十五話 守れなかった日の続き

目を瞑ると、あの光景が、嫌でも蘇る。


逃げまどう人。

その場で血を流し倒れていく人。

目の前で、化け物に喰われる人。

破壊されていく家々。

そして、絶対に思い出したくない——三つ目の闇獣の姿。


忘れたくても忘れられない、昔の光景が、鮮明すぎるほどに浮かび上がる。


「うぁあああああ!!」


 ルーズは喉を裂くような叫び声をあげ、跳ね起きた。

 息は荒く、胸は激しく上下している。額には冷や汗がびっしりと浮かび、全身が震えていた。


 薄暗い住処。

 簡素なベッドの隣では、コルクが無邪気な寝顔のまま、小さな寝息を立てている。

 反対側の寝床には、アデルが大の字で眠りこけていた。少年らしからぬ傷の跡だらけの身体なのに、その寝顔だけはどこか年相応だ。


「……はぁ、はぁ……」


 シャールドから闇獣の話を聞いてからというもの、ルーズの胸の中では、ずっとソワソワと落ち着かない何かが暴れ続けていた。

 さっき見た夢は、その不安がそのまま形になっただけだろう。


 目を閉じれば、喰われる村人の顔。

 耳を塞いでも、肉を噛み千切る音がよみがえる。


「……寝れん……」


 ルーズはベッドから静かに抜け出し、足音を殺して台所へ向かう。

 棚をごそごそと探り、手触りで目的のものを探り当てる。


「あ、あったわい……安眠草……」


 皺だらけの指先が掴んだのは、乾燥させた薄緑色の草束だった。

 ルーズは火の魔石を取り出し、安眠草に近づける。淡い火花が散り、じわり、と煙が立ち上る。


 安眠草特有の、甘ったるくて、どこかとろけるような香りが、ゆっくりと部屋に広がっていく。


「こ、これで……寝れるわい……」


 ルーズはその安眠草を泥で作られた瓶の中に押し込み、瓶の口を軽くふさぐ。煙は瓶にこもり、部屋の空気には既に十分な香りが漂っていた。


 ふらふらとベッドに戻り、シーツをかぶる。

 確かに、瞼が重くなっていく。意識も、ふわりと霞んでいった。


 ——だが。


 しばらくすると、再び目が覚めた。


「……はぁ、はぁ……」


 胸のざわめきは、まるで収まってくれない。

 闇獣に襲撃されたあの日の光景が、目を閉じるたびにまぶたの裏を焼く。


 喰われた声。折れた骨。

 家が砕ける音。

 コルクの両親の、最後の表情。


「……いかん……ここにおっては……いかん……」


 ルーズは決意したように息を吸い込み、ゆっくりと服を着替え始めた。

 棚から丈夫そうな袋を取り出し、食糧や予備の服、最低限の道具を素早く詰めていく。


 そして、コルクのベッドに近づき、その体をそっと抱き上げた。


 コルクは、先ほど焚いた安眠草の香りのおかげで、深い眠りに落ちている。

 少し揺らしたくらいでは、まったく目を覚ます気配がない。


 アデルも同じだ。

 多少の物音など、まるで気にならないように、ぐっすりと寝込んでいる。


 ルーズは眠る少年の顔を、しばし見つめた。


「アデル……すまないの……」


 震える声が、夜の静けさに溶ける。


「本当に……すまない……すまない……」


 小さく何度も呟きながら、ルーズは家の扉へ向かう。

 コルクを抱きしめたまま、そっと外へ出ていった。



「ん……? こ、この匂い……」


 アデルは寝返りを打ちながら、鼻をひくつかせた。


「嗅いだ事あるぞ……なんだっけ、これ……」


 まだ意識はぼんやりしている。

 しかし、甘ったるい空気が鼻腔を刺激し、脳裏に嫌な記憶が浮かび上がる。


 ——鳥車の中。

 わけもなく眠気に襲われた、あの瞬間。


「……思い出したぁあ!!」


 ガバッと跳ね起きたアデルは、半分寝癖のついた髪をかきむしりながら部屋を見回した。


「……ん?」


 視界に入ったのは、小さなテーブルの上に転がる泥の瓶。

 アデルは近づき、瓶の蓋を開ける。


「……草の灰?」


 中には、既に燃え尽きた草の灰が残っているだけだった。

 瓶の縁には、まだほのかに、甘い匂いがまとわりついていた。


「この……草……コイツが、この匂いを出してたのか?!」


 アデルはまだある安眠草ポッケに入れる、

そして、アデルは舌打ちし、部屋を見渡す。


 ——ルーズはいない。

 ——コルクもいない。


 嫌な予感が、背中を走った。


 外へ駆け出す。

 家の周囲は静まり返り、誰の声もしない。


「ルーズ爺さん!!! コルクぅう!!!」


 アデルの叫びは、森に吸い込まれていくだけだった。

 返事はない。


「おい……どこいきやがった……」


 焦燥を押し殺しながらも、まず前を見る。

 湿った土に、くっきりと足跡が残っていた。


「……一人分……だけか?」


 その足跡は大人のもの。

 コルクの小さな足跡は、見当たらない。


「——抱えて、行ったってことかよ……」


 舌打ち一つ。

 アデルは、、足跡の痕を追い始めた。

 ひたすら、真っすぐ。

 曲がりもせず、迷いもない足取り。


「なんでオレ、こんなことしてんだよ……」


 ぼやきが口をつく。


「早くリノア達探さねえといけねえのによぉ!!」


 心の中では確かにそう思っている。

 それでも、足は止まらない。


 それが、今のアデルの答えだった。


 ルーズの家を出てから、どれくらい歩いたのか。

 太陽の位置も、時間の感覚も、どうでもよくなっていた。


 ただ、ルーズとコルクが、どこへ向かったのか。

 それだけが気がかりで、足を前へ前へと運ぶ。


「おい……どれくらい歩いたんだよ、オレわぁああ!!」


 鬱蒼とした同じような景色が続く中、不満混じりの声だけが響く。


 ——だが、やがて。


 目の前の風景に、僅かな異変が現れた。


「……ん?」


 数本の木が、根元から折れている。

 近づいてみると、その先にも、複数の木々が薙ぎ倒されていた。


 ただの老木の倒木ではない。

 “何かが通った”痕跡だ。


「どう……なってやがる……」


 折れた木々の並びは、まるで巨大な獣が突進していった軌跡のようだ。

 アデルは走り出す。木々の裂け目を縫うようにして、その痕跡を追っていく。


 程なくして、木で作られた、小さな小屋が見えてきた。


「……あそこか……」


 近づいてみれば、その小屋の壁や屋根には、大きな穴がいくつも開いている。

 まるで巨人の拳で殴りつけられたみたいだ。


 そして小屋の周囲には、いくつもの落とし穴が口を開けていた。

 どれも人一人なら余裕で飲み込める深さだ。


 アデルは一つの穴の縁にしゃがみ込み、中を覗き込む。


「……杭か」


 底には、鋭く削られた木の杭が多数突き立っている。

 ——だが、その多くが、折れていた。あるいは、何か重いものを受け止めて砕けたかのように、根元からねじ曲がっている。


「これは……魔物がやったのか……? いつやられた……」


 胸にざわり、と嫌な感覚が走る。

 アデルは小屋の扉に向かって、一歩踏み出した。


 その途中で——足が止まる。


 視線が、右側の地面に吸い寄せられた。


「……っ」


 そこには、“人の頭”が転がっていた。


 アデルは、信じたくないと心の底で叫びながら、ゆっくりと近づく。

 間違いであれ、と願うように。


 しかし、近くで見た瞬間、その願いは無惨に砕かれた。


「……シャールド……」


 皺だらけの顔。

 首元まで伸びた無精髭。

 昨日まで、森の中で騒がしく笑っていた顔。


「てめえ……なんで……」


 昨日会ったばかりの男だ。

 それでも、この世から消えたとわかってしまえば、胸の奥が重く沈む。


 シャールドは、闇獣を狩ると言っていた。


 罠を張り巡らせ、全てを仕留めるつもりでいた。

 その結果が——これ。


「闇獣と……戦ったのか……? キノコの闇獣と……」


 アデルの脳裏に、川で見た三つ目の闇獣が蘇る。

 巨大なキノコのような体。

 頭部辺りに並ぶ三つの目。

 水を吸い上げていた、気配だけで肌が粟立つ怪物。


「あのクソキノコが……コルク達の村を滅したのか……!!」


 奥歯を噛みしめる。

 拳が震える。


 周囲を見渡しても、今は闇獣の姿も、気配も感じない。

 それが逆に、不気味さを増していた。


「ルーズ爺さん……コルク……」


 最悪の光景が頭をよぎる。


 喰われ、踏みにじられ、血に染まる二人の姿。


「ざ……ざけんなぁ……」


 アデルは無理やりその想像を振り払うように、首を振る。


「ルーズ爺さん、コルクはまだ生きてる……大丈夫だ……大丈夫だ……」


 自分に言い聞かせるように、何度も呟く。

 闇獣が通ったであろう痕跡を、再び追おうとした、その時。


 北の方角で、木々の上から一斉に鳥が飛び立った。


「急に……!?」


 ざわめく羽音。

 その下で、何か巨大なものが動いている。


 アデルは目を閉じ、深く息を吸い込む。


 耳に集中する。

 森のざわめきを突き抜けるように、“足音”が聞こえた気がした。


「——あっちだな」


 瞼を開き、アデルは走り出す。

 地面を蹴るたびに、肺が焼けるように痛むが構っていられない。



「やめろぉお!! やめてぇ……くれ……コルクを放して、くれええ!!」


 悲鳴混じりの叫びが、森を裂く。


 そこには、地面に這いつくばるルーズの姿があった。

 膝と手を擦りむき、土まみれになりながら、必死に何かに手を伸ばしている。


 ルーズの視線の先——


 三つ目の巨大なキノコの闇獣がいた。


 太い茎のような本体から、無数の触手じみた腕が伸びている。

 その一本が、コルクの小さな体を絡めとり、ずるずると持ち上げていた。


「おじいちゃん!! たすけてぇええ!! たすけてぇええ!!」


 宙吊りにされたコルクは、必死に足をバタバタとさせる。

 だが、細い腕では触手を引き剥がすことなど到底できない。


 三つの目は、冷たい光で少年を見つめていた。

 巨大な傘の下——闇獣の口が、ぐわぁ、と不気味な音を立てて開く。


 触手が、ふっと緩んだ。

 捕らえていたコルクの体を、あえて放す。


「あっ——」


 コルクの体が、闇獣の大きく開いた口の中へ、真っ直ぐ落ちていく。


「おじいちゃん!! アデルにいちゃん!! たすけてえええ!!」


 泣き叫ぶ声が、森に響き渡る。


 ルーズは爪が剥がれそうになるほど地面を掻きむしりながら、前へ進もうとする。

 だが、老いた足では、間に合わない。


 ——その光景を、少し離れた木陰からアデルが見ていた。


 頭の中で、何かが爆ぜる。


(間に合わねぇ……)


 胸が凍りつく感覚。

 塔に挑み、多少は強くなっても、闇獣に挑めば、逆に殺されるかもしれないという現実。


 ——「アデルにいちゃん」。


 コルクが呼ぶ声が、ジートの声と重なって聞こえた。


 血に染まった家。

 血に染まった地面。

 守れなかった、友達の顔。


 間に合わなかった。

 届かなかった。


 ——また、同じ事を繰り返すのか?


 何度も、何度も、目の前で誰かを喪うのか。


(……ふざけんな)


 頭の中で、何かが音を立てて切り替わる。


「今度は——」


 視界から色が消えていくような感覚。

 世界の音が遠くに追いやられていく。


「今度は、助ける……」


 喉の奥から漏れた声は、驚くほど冷たかった。


「オレの命なんざ……どうでもいい……」


 次の瞬間、三つ目の闇獣の口が、パクッと閉じられた。


 肉を噛み砕く音が、森に響く——はずだった。


 だが、闇獣は何も噛んでいないことにすぐ気づいた。


 口の中に広がるのは、空虚な感触。


 三つの目が一斉に正面を捉える。


 そこには——


 コルクをしっかりと抱きしめたアデルが、無言で立っていた。


「ア、アデルにいちゃん……! アデルにいちゃん!!」


 コルクは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、アデルの胸にしがみつく。

 助かった安堵と恐怖で、全身が震えている。


 だが、アデルは一言も返さない。


 その背中から、普段とはまるで違う“何か”が溢れていた。


「アデル……にいちゃん……?」


 コルクが怯えたように呟く。


 アデルはコルクを抱えたまま、ゆっくりとルーズの方へ歩いていく。


「アデル……お主……」


 ルーズは言葉を失った。

 アデルの体から噴き出している殺気に、喉がひゅっと締め付けられていく感覚を覚えたからだ。


 森の空気自体が、重く沈み込んでいく。


 アデルは無言のまま、コルクをルーズの元へと預ける。

 ルーズがその小さな体を抱きしめた瞬間——


 闇獣の太い触手が、アデルの背後から一気に伸びた。


「アデル! 後ろじゃぁ!!」


 ルーズの叫びが飛ぶ。


 触手がアデルの背を叩き潰そうと迫る——が、その瞬間。


 バチッ、と耳鳴りのような音が走り、触手が弾かれた。

 まるで見えない壁にぶつかったかのように、ねじれながら横に逸れる。


「……殺す」


 アデルは、ただ一言だけ呟いた。


 その声は低く、冷え切っているのに、背筋に電撃が走るほどの“圧”があった。


 次の瞬間、アデルの姿が掻き消える。


 闇獣の三つの目が追いつく前に——アデルは既にその懐へ入り込んでいた。


 傘の巨大な外殻。

 脈打つ茎。

 腹にある大きな口。


 その間近に立つアデルは、そっと右手を伸ばし、人差し指を闇獣の体に触れさせた。


「ペガルイム・プルス」


 静かに放たれた言葉と同時に、空気が一瞬、粘つくように重くなる。


 次の瞬間——


 ドッッッッ!!


 鈍い衝撃音と共に、闇獣の巨大な体が、軽々と弾き飛ばされた。

 三つの目を見開いたまま、キノコの頭が地面を擦り、木々をなぎ倒しながら遠くへ転がっていく。


「アデルにいちゃん!!」


「アデル!!!」


 コルクとルーズの叫びが重なる。


 アデルはいつの間にか——


 “ヴォイドセンス(虚無感覚)”を発動していた。


 世界の色は薄れ、音は遠ざかり、肌に感じる気配だけが、凄まじく鮮明になる。


 アデルの周囲からは、凍てついた殺意が、もはや目に見えるほどの濃度で溢れ出していた。

本日も見てくださりありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ