第五十三話 境風の森
老人と少年・コルクに先導されて辿り着いた家は、森の中にひっそりと建つ、小さな木造の家だった。
磨かれた木の扉、年季は入っているが、丁寧に手入れされているのがわかる。
「坊主、家に上がるのじゃ。とりあえず服を脱がんとの」
軋む床板を踏みしめながら中に入ると、簡素なテーブルと椅子、石造りの竈。
余計な物はないのに、不思議とあたたかさを感じる空間だった。
アデルは腰かけをすすめられ、そのままドサッと座る。
上着に手をかけるが、両腕に鋭い痛みが走り、思うように上がらない。
「……チッ」
腕を持ち上げようとするたび、噛まれた跡や打撲した部分がビリビリと悲鳴を上げる。
「ほら、ワシも手伝ってやるから」
老人が近づき、袖口へ手を延ばす。
「いいから! オレは一人で脱げんだよぉ!」
「おにいちゃん、脱ぐのつらそうなのに、おじいちゃんに手伝ってもらえばいいじゃん!」
「うるせぇ!! チビすけ!!」
「ぼく! チビすけじゃない!! コルクって言うの!!」
口では噛みつきながらも、腕は思うように動かない。
言い合っている隙をついて、老人が手際よくアデルの服を掴む。
「よーし、そんじゃあ――」
ぐいっ、と一気に引き剥がす。
「いってぇえ!! ジジイ!! 何してんだぁ!!」
「何って、服脱がしただけじゃ。……坊主、体、傷だらけじゃの」
露わになった上半身――無数の噛み跡、殴打痕、擦り傷、青痣。
肩から胸にかけて、特に狼に噛まれた跡は、まだ生々しく赤い。
「今から傷を早く癒す軟膏を持ってくるでの」
老人はそう言って部屋の奥へと消える。
アデルは思わず視線をそらしたが、目の前の少年――コルクが、じっとこちらを見上げていた。
同じように、目を凝らし、ただまっすぐに。
「……なんだよ」
「ねえ! おにいちゃんって名前なんて言うの? ぼくはコルクって言うんだ!」
「オレはアデル……」
「アデルにいちゃんだ!! アデルにいちゃんってよんでいい?」
「……別に好きに呼べよ」
本当はいつもの調子で「よろしくな」と言いかけた。
だが、その一言が喉の奥で引っかかる。
――ジート。
カヒラパで、守れなかったジートの顔が、ふっと脳裏に浮かんだ。
「アデルにいちゃん? どうしたの? 泣いてるの?」
「は、はあ!? 泣いてねえよ! チビすけ、こっち見んな!!」
「チビすけじゃなくて! コルク!!」
コルクの指摘で気づく。
頬を伝っていたのは、汗じゃなくて――涙だった。
そこへ、軟膏を持った老人が戻ってくる。
「コルク、お友達が出来てよかったの」
「うん!! ぼくうれしい!!」
「別に友達になった覚えは――いってええええ!! てめえ!! ジジイ!! いてえじゃねえか!!」
「男が何、悲鳴をあげておるのじゃ」
「そうだぞ! そうだぞ! アデルにいちゃん!!」
「チビすけ!! てめえ……っ、いってえ!!! クソジジイ……!」
老人はアデルの文句など意に介さず、手慣れた様子で軟膏を塗り込んでいく。
傷口に触れた瞬間、強烈な沁みが走るが、その分、じわじわと熱が和らいでいくのがわかった。
塗り終わると、布を巻きつけて固定していく。
「アデルにいちゃん、ぼくこの薬塗っても全然いたくないよ!! みてね!!」
「当たり前だろ!! 傷口に塗られるとしみんだよ!!」
アデルが噛みつくように返すと、老人がくつくつ笑った。
「よし、コルク。朝飯作るから手伝ってくれんかの?」
「うん!! わかった!!」
二人は台所へ行き、手際よく動き始める。
野菜を刻む音、鍋が煮立つ音、コルクがはしゃぐ声。
アデルはその背中を、じっと見つめていた。
「……パニア爺……元気かな……」
木の竈の前に立つ老人の姿が、叫び島にいた頃の自分と、パニア爺の姿と重なる。
胸の奥に、懐かしい痛みが浮かんだ。
しばらくして、テーブルの上に湯気の立つ料理が並べられる。
「アデルよ、ご飯出来たぞ」
「アデルにいちゃん! この肉、ぼくが切ったんだよ!」
コルクは誇らしげに胸を張る。
アデルは木のスプーンを取り、肉入りのスープを一口すくって口に運んだ。
――じわり、と温かさが広がる。
「……うっま!! クソうめえじゃねえか!!」
「そりゃ、ワシが作った飯はうまいんじゃよ!!」
「おじいちゃん!! ぼくも作ったー!」
「そうじゃったのう。二人で作った料理じゃ」
笑い声が弾む。
久しぶりに、ちゃんとした「食事」をしている気がした。
腹が落ち着いた頃、アデルが口を開く。
「なあ、ジジイ。名前なんて言うんだ?」
「んあ? 名前、言ってなかったのう。ワシはルーズと言うんじゃ」
「そうか、ルーズか……。
なあ、コルクとルーズは家族か?」
アデルが尋ねると、コルクがぱっと顔を輝かせる。
「そうだよ!! ぼくはおじいちゃんと家族だよ!」
「そうか。……お父さんと、お母さんは、いねえのか?」
問いかけた途端、コルクの表情が急激に曇った。
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
「アデル……ここの森“境風の森”はの。
昔は多くの村があったんじゃよ」
ルーズが、静かに語り始める。
「だが、この森のどこかで黒雪が発生したらしくてな。
レナウス聖神国の天唱聖団が来て、黒雪の汚染を浄化してくれたんじゃが――」
アデルの脳裏に、黒く降り積もる雪と、汚染されていく生き物たちの光景がよぎる。
「……そいつらが国へ帰って、しばらくした後じゃ。闇獣が現れた」
川辺で見た三つ目のキノコが、頭に浮かぶ。
あの、常識外れの圧。
「村は、あっと言う間に襲われた。
その闇獣は“人の味”を覚え、次から次へと村を喰らっていったんじゃ。
――境風の森から、村が消えたわい」
ルーズの視線が、そっとコルクへ向く。
「闇獣に襲われた時、コルクの両親は、目の前で喰われた。
ワシは……ワシは……小さなコルクを連れて、逃げるしかなかったんじゃ……」
拳が震えている。
噛み締めた奥歯の隙間から、悔しさが漏れ出ているのがわかる。
「……なあ、ギルドとかに頼んで、討伐してもらえばよかったんじゃねえのか?」
アデルの質問に、ルーズは苦々しい表情で首を振る。
「当時の村長達がのう、ここから一番近い都市――“アルセディア森都”にイルバードを飛ばし、ギルドへ依頼を出したんじゃ。
じゃが、返答がこずのう。
それで、鳥車で一週間かけてアルセディア森都まで行って、直接確認したらしい。
確かに依頼は出されていた、とギルドは言ったそうじゃ」
「じゃあ、なんで――」
「それでも、助けくれるようギルドに頼んだのだが、ギルドは村長達を追い出した、そして、一度も応援は来ることはなかった。
そのうち、村は一つ、また一つと闇獣に喰われて……結局、全滅じゃ」
「……なんだそのギルド。クソだな」
アデルは低く吐き捨てる。
その横で、ルーズはコルクを抱き寄せ、膝の上に乗せた。
「だからワシは、コルクを連れて、闇獣の出た場所から一番遠いこの場所で……ひっそり暮らしておる」
「……そう、だったんだな」
アデルの胸に、重いものが積もっていく。
自分一人が不幸な世界じゃない。誰も彼もが何かを失っている。
「アデルよ。お主、最初会った時“仲間が連れてかれた”と言っておったの」
「ああ、オレは――」
アデルは、これまでの経緯を二人に語る。
トーメル諸島、塔、塵埃の島、そしてステと名乗った女に案内され、鳥車の中で眠らされたこと。
目が覚めたら、森の中に一人だったこと。
「まさか、聖女パーティーじゃったとはのう!」
「アデルにいちゃん! すごーい!!」
「なあ、ルーズ!!
そんな“初めて来た奴に優しくしてくれる村”なんて、本当にあんのかよ!!
あのクソ女、ステ、、 何か情報、ねえのか?」
アデルの問いに、ルーズは申し訳なさそうに目を伏せる。
「すまない……全く知らんのじゃ。聞いたこともない」
アデルは拳を握り、深く呼吸を整えた。
「アデルや。アルセディア森都へ行ったら、何かわかるかもしれん。
あそこは都市じゃからの。人も多い」
「……わかった。
オレはそこへ行って、リノア達に繋がる手がかりがねえか、調べてくる」
「え……アデルおにいちゃん、行っちゃうの?!」
コルクが、今にも泣き出しそうな顔で見上げてくる。
「まだ行かねえよ」
アデルは、頭をガシガシとかきながら立ち上がった。
「なあ、ルーズ爺。ドゥドゥって、この辺にいるのか?」
「ああ、おる。捕まえるつもりか?」
「移動手段が歩きだけだと、クソみてえに時間かかるからな」
「わかった。それなら、ドゥドゥ達をよく見かける場所へ行こかの。……コルク、準備せい」
「うん!! わかった! おじいちゃん!!」
アデルは立ち上がり、拳をぎゅっと握る。
「待ってろ……リノア、ゼーラ、ルイン……」
仲間の名を小さくつぶやきながら、彼らと再び会うための足――ドゥドゥを手に入れるべく、ルーズとコルクと共に家を出るのだった。
ーーーーーー
――その頃。
グラマル大陸・アルセディア森都。
巨大な大樹を中心に築かれた森の都の一角、冒険者ギルドには、今日も依頼書の貼られたボードと、酒をあおる冒険者たちのざわめきが渦巻いていた。
その喧騒の中、一人の男がギルドの扉を押し開く。
重い空気が、ほんの一瞬だけ揺れた。
ざわ……と、周囲の視線が一斉に男へと集まる。
彼が通りそうな通路からは、自然と人の気配が退いた。
男は、誰一人として見ようともせず、無言のままクエストボードの前まで歩いていく。
乱雑に貼られた依頼書の中から、一枚の、やけにボロボロになった紙に目を留めた。
角は擦り切れ、紙は黄ばんでいる。
それでも「境風の森」「闇獣」の文字は、まだかすかに読めた。
男は無言で依頼内容を確認すると、その紙を剥がし取り、受付カウンターへ向かう。
「おい、アイツ……」
「マジかよ。あの依頼、受けるのか……?」
周囲の冒険者がざわめく。
数年前から貼られたまま、誰も手を出さなかった“忌み依頼”。
男はそのざわめきなど、まるで聞いていないかのように歩く。
「これを受ける。いいか?」
低く押し殺した声。
受付嬢は顔を上げ、その男の右頬に刻まれた、大きな爪痕の傷を見て、びくりと肩を揺らした。
「なんだ?」
視線に気づいた男が、わずかに眉をひそめる。
受付嬢は慌てて首を振った。
「い、いえ!! すみません……。
本当にこの依頼を受けられるんですか? その依頼、数年前の物でして……
一応掲示はしておりますが、依頼主さんが生きているかどうかも……」
言葉の途中。
男から、微かに“殺気”が漏れた。
空気が、ぎゅっと締まる。
受付嬢の喉がひゅっと鳴り、視線が男の胸元へ落ちる。
そこには――四つ星のプレートが揺れていた。
「ひ、ひいっ! し、失礼いたしました!!
“グリム”様!! クエスト、受理します!!
ど、どうか、ご無事で……!!」
「ああ」
グリムと呼ばれた男は、短く返事をすると、依頼書を懐にしまい、踵を返す。
扉が開き、外の光が差し込む。
彼の背中がギルドの外へ消えると、ようやく場の空気が解放された。
「おい……アイツ、本気で行くのかよ……」
「境風の森の闇獣だぞ……。何人、あれで死んだと思ってんだ……」
「でも、あの傷と星見たろ。……やるのは、あのクラスの化け物だけだ」
ざわめきを背に、グリムは森都の門を出て、境風の森の方角へと歩き出す。
目的はただ一つ――
数年前から取り残されたままの闇獣討伐依頼を、終わらせるために。
本日も見てくださりありがとうございます!




