第四十七話 一つ目が笑う時
サイクロプスは、ぐらりと巨体を起こし――
その一つ目を細めて、低く、くぐもった笑い声を漏らし始めた。
「ハハハ……ハハハ……」
胸の奥から、石が軋むような笑い。
足元の床が、そのたびにビリビリと震える。
「……ちっ、気持ちわりぃ笑い方しやがって」
アデルが眉をひそめたその瞬間。
視界から、サイクロプスの巨体が消えた。
「――ッ!!」
次にそれを捉えた時には、もう目の前だった。
サイクロプスは一気に間合いを詰め、丸太みたいな木の棍棒を、アデルめがけて振り下ろす。
「ーーーーッ!! やっべぇ!」
避けきれない。
アデルは瞬時に判断し、腕を交差して真正面から受けにいった。
「アデル!! ラミーナァア!!」
リノアの風刃が横からサイクロプスの胴を斬りつける。
だが、勢いは――まるで落ちない。
棍棒が、そのままアデルの腕ごと叩きつけた。
「――――っ!! かっ、は……!」
鈍い衝撃音。
アデルの身体が床を砕きながら吹き飛び、転がっていく。
「アデルゥ!! ゲネシス・マレウス(槌)!!」
すかさずルインが叫び、岩のハンマーを生成しながらサイクロプスへ踏み込む。
棍棒を振り抜いた直後、一瞬の隙を狙って肩口めがけて振り下ろす――
「おらあああ!! ヒットォオオ!!」
しかしサイクロプスは、振り向きざまに左腕を振るった。
「――?」
その“予兆のない”一撃に、ルインは反応が遅れた。
ガードを組む暇すらなく、巨腕が真横からまともにぶち当たる。
「ぐっは……!」
肺の空気を全部吐き出すほどの衝撃。
ルインの体が宙を舞い、石床を転がりながら遠くへ吹き飛ぶ。
サイクロプスはまた、口の端を吊り上げて笑った。
――だが次の瞬間、その足元にピシピシと亀裂が走る。
「ソルマ・ルーガ(地の皺)!!
――リノアさん!! 今です!!」
ゼーラの魔法により床に皺が生まれ、サイクロプスの片脚が崩れた地面に取られる。
巨体のバランスが一瞬崩れた。
「後ろからなら反撃もできないでしょ!!
アネマ・フルゴル(瞬風衝撃)!!」
リノアはその隙を逃さず、背後に回り込み、凝縮した風の塊をサイクロプスの背中へ叩き込もうとする。
だが――
サイクロプスは“何か”を感じ取ったのか、振り返りもせず、ただ裏拳を横に振り抜いた。
「え……っ、う……そ……」
視界が回転する。
リノアの身体は、風の塊ごと横からはたき飛ばされ、そのまま石壁に激突した。
「リノアさぁあん!!」
ゼーラの悲鳴がこだまする――その眼前へ。
ズドン、と棍棒が投げ込まれた。
「―――ッ!! ソルマ・パリエース(岩壁)!!」
ゼーラは咄嗟に両手を前に突き出し、岩壁を生成する。
棍棒がぶつかり、壁は粉々に砕け散ったが、衝撃はそこで大きく殺された。
けれど、ゼーラが安堵する暇はなかった。
サイクロプスは――いつの間にか目の前にいた。
「え……い、いつの……ま……っ、くっ……ソルマ――」
伸びてきた右腕が、ゼーラの身体をわし掴みにする。
浮き上がる足。締め付ける力。
「っあ、あああああっ!! は、はな……しぇ……ぁぁあああ!!」
肺を潰されるような痛みと圧迫に、ゼーラの悲鳴が広間に響く。
サイクロプスは顔を近づけ、その様子を楽しむように「ハハハハ」と笑った。
そして――そのまま地面へ叩きつけようと腕を振り上げた、その瞬間。
サイクロプスの動きが、ほんのわずかに鈍った。
「あたし達もいるんだよぉ!!
アネマ・アキエス(槍刃風)!!」
リナの槍先から放たれた鋭い風槍が、サイクロプスの手首目がけて飛ぶ。
風の刃が肉を裂き、その巨大な手からゼーラが解放された。
「きゃ――!」
落下していくゼーラの下へ、白い影が滑り込む。
「……大丈夫……?」
カリスが両腕でゼーラを受け止め、そのまま膝をついて衝撃を殺した。
「カリスさん……だ、大丈夫で……す……」
ゼーラは苦しそうに息をしながらも、なんとか笑みを作る。
聖女同士の光魔法は効率が悪い。
それでも、何もしないよりはずっとマシだ。
「……ヒール」
カリスはそっと手をかざし、ゼーラへ回復魔法を流し込んだ。
サイクロプスはリナの存在を捉え、ニヤリと笑う。
リナは槍を構え、その視線を正面から受け止めた。
「よし! いくよっ!!」
リナはまっすぐサイクロプスへ向かって駆け出す。
サイクロプスは棍棒を失っている手とは逆、素手で殴りかかってきた。
その拳は、目で追えるギリギリの速さだった。
「一撃が重い……当たったらまずい……!」
リナは身を捻ってギリギリで躱し、すれ違いざまに槍を突き込む。
「アネマ・インペトゥス(突進の風)!!」
風を纏った穂先がサイクロプスの足を抉る。
だが、想像していたほどの手応えはない。血がわずかに滲むだけだ。
サイクロプスは、いつの間にか投げ捨てた棍棒を再び右手に握っていた。
巨体に似合わぬ素早さで拾い上げ、そのままリナへと振り下ろす。
「……リナ! アネマ・レント(遅緩の風)!」
カリスの風がサイクロプスの身体を撫でる。
その瞬間、僅かだが、棍棒の振りが重く、鈍くなった。
リナはその隙に足へと何度も槍を叩き込むが――
やはり決定打とは言えない。
「ちぇ……っ!」
サイクロプスは苛立ったように足を大きく上げ、そのまま地を踏み鳴らした。
ドンッ――その衝撃で生じた風圧がリナの身体を吹き飛ばす。
「きゃ!」
「……リナ!!」
カリスが手を伸ばすが、届かない。
サイクロプスは次の標的を、今度はカリスへと定めていた。
巨体に似合わぬ速度で走り、カリスのもとへ迫る。
「……っ、アネマ・レント!」
カリスは再び遅緩の風を放つ。
だが、サイクロプスはすでにその感覚に慣れ始めているのか、かけてもかけても効果時間が短くなっている。
棍棒が、振り上げられる。
「カリス!! 逃げてぇ!!」
リナの叫びが響く。
カリスは横へ飛び退こうとするが、棍棒のリーチからは完全には逃げ切れない。
棍棒の影が、カリスを覆う――その直前。
「クソ目玉がぁ!! オレまだくたばってねえぞ!!」
アデルの声が割り込んだ。
いつの間にか立ち上がっていたアデルが、サイクロプスの横腹へ全力の蹴りを叩き込む。
巨体がわずかにのけ反り、棍棒の軌道がそれる。
サイクロプスはゆっくりと首を回し、アデルを睨みつけた。
「こいよ、クソ目玉……」
アデルは人差し指をクイクイっと動かし、完全な挑発のポーズを取る。
その挑発に乗ったのか、サイクロプスは全身の力を乗せて棍棒を振るい始めた。
棍棒の連撃が嵐のようにアデルへ襲いかかる。
「おっせぇ!! 当たんねえよ!!」
アデルはその巨撃のすべてを、紙一重でかわす。
足元を滑らせ、身を屈め、寸前で跳ね上がり――そのたびに棍棒がすぐ近くの床を砕いた。
やがて、アデルは一気にサイクロプスの懐へ潜り込む。
「真ん中がガラ空きだぜぇ!
プグヌス・ディレクトゥス!!」
腹部へ向けて放たれた直進の拳が、またしても同じ場所を打ち抜く。
サイクロプスの動きが目に見えて鈍った。
「ゲネシス・マレウス(槌)!!
俺も忘れんじゃねえ!! ヒット!!」
いつの間にか復活していたルインが、サイクロプスの肩口へと岩槌を叩き込む。
ハンマーはその衝撃に耐えきれず、ヒビもなく粉々に砕け散った。
「クッソ……ミノタウロスより硬ぇ体してるな……」
ルインが舌打ちする。
サイクロプスは一つ目を光らせ、ルインを睨む――その頭上に。
いくつもの岩釘が生成される。
「ソルマ・クラヴィス(岩釘)!!」
ゼーラが両手を掲げ、頭上の岩釘をサイクロプスへ向けて一気に放つ。
鋭い岩の針が頭部へ次々と突き刺さった。
「オォオオオオオオ!!」
サイクロプスが頭を抱え、咆哮を上げる。
そこへ――
「ラミーナァア!!」
リノアも壁から転がり落ちるようにして立ち上がり、何発も風刃を撃ち込んだ。
風の刃がサイクロプスの皮膚を細かく斬り裂いていく。
「はあっ……はあっ……ほんとっ! 硬い皮膚……」
息を切らしながらも、リノアは攻撃の手を止めない。
ゼーラも同じく肩で息をしていた。
隣でカリスがゼーラの様子を見て、不安そうに眉を寄せる。
ゼーラはそれに気づき、息を荒くしながらも笑顔を浮かべて「大丈夫」と頷いた。
その間に、体勢を整えたリナが再び動き出す。
「こいつ、まだあたしのことわかってない!! 一気に懐に入って叩く!!」
リナはスピードを活かし、再びサイクロプスへ接近する。
カリスはリナが飛び込むのを見て、仲間全員へと風を纏わせた。
「……リナ、気をつけて。みんなにも……
アネマ・ヴェーロ(覆いの風)」
薄い風のバリアが、リナとアデル、ルインの身体を包む。
「カリス! ありがとう!!」
リナは叫び、サイクロプスの一つ目めがけて槍を構える。
「穴でも空いて!!
アネマ・インペトゥス!!」
風を纏った槍が、サイクロプスの一つ目を真正面から貫いた。
リナはその場に留まらず、すぐさま後方へ跳び退く。
サイクロプスは巨体を揺らしながら後ろへよろめいた。
「リナ!! やんじゃねえかぁ!!」
アデルが笑いながら声をかける。
「あたしだってやれるの!」
リナは胸を張って、ふふんと笑ってみせた。
「サイクロプスはどうなったんですか?」
ゼーラが息を整えながら周囲を見回す。
「わからない……。わたしの魔法も効いてるのか心配……」
リノアが唇を噛んだその瞬間――
「ウォオオオオオォオオオオオ!!」
先程とは比べ物にならないほどの大音量で、サイクロプスが咆哮を上げた。
空間そのものが震え、耳の奥に痛みが走る。
「……なに……これ……」
「耳が、壊れる……」
カリスとリナは両耳を押さえ、その場にうずくまった。
サイクロプスは雄叫びを上げながら、手に持っていた棍棒を無造作に振り回し始める。
「こいつ急になんだ!?」
「クソ目玉野郎! アホになったか?!」
アデルが叫ぶ。
「アデル、今ならアイツ冷静じゃねえ! 行くぞ!」
「ルイン! オレは元々行く気だったわ!!」
ルインとアデルは走り出し、無秩序に振り回される棍棒をすべて避けながら間合いを詰める。
「ゲネシス・グラディウス(武器生成・剣)!」
ルインが剣を生成し、サイクロプスの腹部へ向けて踏み込む。
「とりあえず食らっとけ!! オキデレ(斬撃)!!」
刃が腹を斜めに切り裂き、その直後――
サイクロプスの棍棒がルインを薙ぎ払おうと迫るが。
「その武器、壊してやるよぉお!!
ルーナ・カルキブス(三日月蹴り)!!」
アデルが跳躍し、回転しながら棍棒の側面へ踵を叩き込む。
メキィッ――と嫌な音を立てて、棍棒が真ん中からへし折れた。
「アデル! ナイス!」
「ルインもだぞ!!」
二人が一瞬だけ笑い合う。
サイクロプスは腹部を左手で押さえ、右手に握っていた棍棒の残骸を見下ろす。
次の瞬間、その残骸をリノア達の方へ思いきり投げつけた。
「っ――!」
全員が散開するようにして回避する。
折れた棍棒が床に突き刺さり、石の破片が四方八方に飛び散った。
サイクロプスは再び咆哮を上げる。
その皮膚の色が――じわり、と赤く染まり始めた。
「ねえ、これって……!」
「ミノタウロスと同じ状況です……」
リノアとゼーラは、トラウスの塔での戦いを思い出す。
サイクロプスはリノア達を睨みつけた。
さっきまで浮かべていた嘲るような笑みは、もうどこにもない。
一つ目の奥に宿ったのは――純粋な「殺意」だけだった。
本日も見て下さりありがとうございます!




