第四十四話 フェルダの置き土産
純白の髪の少女は、まばたき一つせずにルインとゼーラを見つめ――ぽつりと問いかけた。
「……あなた、誰なの?……」
か細いのに、妙に耳に残る声だった。
「誰って……こっちの台詞だわ!! あんた、聖女か?」
ルインが思わず語気を荒げると、少女は小さく首をかしげ、二人を交互に見つめる。
「……そう……聖女。……名前は、カリス」
「そうか! 俺はルイン!」
「私はゼーラと言います!」
二人が名乗ると、カリスはこくんと小さく頷いた。
「で? カリスも塔の攻略に来たんだろ? 一人ってわけないよな。仲間とはぐれたか?」
「……うん。はぐれた。……名前はリナ。獣人族の女の子」
「全く見てねえな……悪い。俺達も仲間とはぐれたんだ。それらしき人物、見たか?」
「……ごめん。見てない……」
「そうだよな……」
ルインは歯噛みし、ゼーラが心配そうに顔を覗き込む。
「ルイン……どうしますか?」
この視界の悪さの中、むやみに動くのは危険だ。だが、このまま立ち止まり続けても、状況は一切好転しない。
ルインは一度、大きく息を吐き――決めた。
「よし。なあ、カリス。俺達も仲間とはぐれてる。この島は危険だ。良ければ、俺達と一緒に仲間探さないか?」
誘いに、カリスは一瞬だけ目を瞬かせ――
「……いいよ……」
あっさりと頷いた。
「お、おう、いいのか。なら行こうか!」
こうして、カリスはルインとゼーラと共に行動を共にすることになった。
三人は白い霧を切り裂くように進みながら、周囲を警戒する。
足音は自然と小さくなり、息遣いだけが近くに感じられた。
「なあ、カリス。ここのこと、どれくらい知ってる? この埃……本当にただの埃なのか?」
ルインが周りを見回しながら問う。
ゼーラも、さっきのジルザの姿を思い出して、口を開いた。
「私は先程の魔物が知りたいです。あの水辺にいた……」
カリスは霧の向こうに視線を投げたまま、ぽつりと呟く。
「……これは、埃じゃなくて……塵華が出す、花粉……」
「え?! これ、花粉なのかよ?! めちゃくちゃ大量に飛ばすじゃん!」
ルインが思わず声を上げる。
「……塵華は、山のように大きな花。この島に、いくつもある……」
「それでこんな景色になるんですね!!」
ゼーラが感心したように呟くと、カリスの視線がふとゼーラの鼻先に止まる。
「……ゼーラ、だっけ? なんで鼻の上に葉っぱ被せてるの……?」
「えっ……そ、それはですね……」
ゼーラの頬が、じわじわと真っ赤に染まっていく。
その様子をじっと見ていたカリスは――
ひゅ、とほとんど残像しか見えない手つきで、ゼーラの鼻の上に乗っていた葉をつまみ取った。
「えええ!! カ、カリスさん!! 何してるんですかっ!!」
ゼーラは慌てて両手で鼻を隠す。
「、、、ゼーラ見せて、、」
ゼーラはカリスに鼻の穴を見せる。
カリスは鼻を覗き込み、露わになった濾息茎をじっと観察する。
「……サイズが違うね。その濾息茎、大きい……。ちょっと待って……」
そう言って、ローブのポケットをまさぐり、細めの濾息茎を数本取り出した。
「……これ、使って。きっとサイズ、合うと思う……」
ゼーラはそれをほぼ反射的に受け取り、素早く古い濾息茎を抜いて新しいものに差し替える。
「は〜……い、痛くないですっ!! カリスさん! ありがとうございます!!」
「……うん。大丈夫……」
ゼーラは一気に表情を明るくし、鼻を押さえながら小さく跳ねた。
「あの……カリスさん。その濾息茎、私の仲間にリノアさんっていう聖女がいるんですけど、見つかったらあげてもらえますか?」
ゼーラの頼みに、カリスはこくこくと頷き、さらにポケットからわさっと濾息茎を取り出してみせる。
「……いいよ。たくさんあるから……」
「助かるよ。リノア絶対、サイズ合ってないやつ突っ込んでるからな……」
ルインが苦笑していると、カリスはふと思い出したように言葉を継いだ。
「……あ。それと、さっきゼーラ達が戦っていた魔物……。あれは“ジルザ”っていう魔物。水辺に多くいるから、気をつけて……」
「ありがとうございます!」
ゼーラがお辞儀をする。
「今歩いてるけど、水辺があったら注意だな。なあカリス、カリスはどこから来たんだ? 俺達はトーメル諸島から来たけど……」
ルインの問いに、カリスは視線だけで応じた。
「……グラマル大陸から来た。……ルイン達は、塔を一回、攻略してるんだね……」
「あ、ああ。ゼーラの右手の模様見たのか」
カリスはこくりと頷く。
「カリス達は初めてか?」
「……うん、初めて。この島に来て、リナとはぐれて……心配だった。でも、ルイン達と出会えて、今は安心してる。……二人とも、強いから……」
無表情に近い顔でそう言われ、ルインは、なぜか口元が緩むのを止められなかった。
「そんな事ないですよね! ルイン!!」
「う、うるせぇな、ゼーラ……」
ゼーラがニヤニヤと肘でつつく。
「あの、カリスさん。リナさんはどんな方ですか?」
ゼーラが聞くと、カリスは少しだけ目を細めた。
「……何も考えずに突っ込む。だから、はぐれた……」
「アデルくんみたいな人ですかね?」
「アデルの女版だな!」
ルインとゼーラが同時に頷き合った、その時だった。
――す、と何かが視界の端を横切る。
空気が、変わる。
次の瞬間、あちこちから低いうめき声が響き始めた。
「なんだ?!」
「……“フェルダ”。この島の狼……」
白い霧の向こうから、一匹の狼が姿を現した。
全身が白く、目も白濁している。
痩せこけた体を震わせながら、「ウッ、ウ……」と濁った声を漏らす。
よく見れば、足音は一匹分ではない。
茂みの中から、次々と影が現れる。
「……フェルダは、目が見えない。……上手くやれば、やり過ごせる……」
カリスの囁きに従い、三人はその場で動きを止める。
やがて、茂みからおよそ二十匹ほどのフェルダが姿を現した。
それぞれが地面に鼻を擦り付けるように動かし、ルイン達の匂いを嗅ぎ回る。
(頼む、気づくな……!)
ルインは息を殺し、ゼーラは祈るように目を閉じ、カリスは変わらぬ無表情で一点を見つめる。
一定時間匂いを嗅ぎ回った後、フェルダたちは何事もなかったかのように茂みへ戻っていった。
――一匹を除いて。
「……あ?」
残った一匹が、ふらりとルインの足元に近づく。
目は白濁しているのに、迷いのない足取り。
ルインの右足のあたりでぴたりと止まり――
後ろ足を、おもむろに上げた。
「――――――ッ!?!!!」
生暖かい液体が、右足をつたって流れ落ちる。
濾息茎である程度は塞いでいるはずの鼻にも、微妙に漂う尿独特の臭い。
ルインは顔をしかめ、鼻呼吸を諦めて口で息を吸った。
――その瞬間。
花粉まじりの空気が、喉へ一気に流れ込んだ。
「ゲッホ……ゲッホ! ゲホッ!!」
堪えきれず、咳がこぼれる。
その音を合図にしたかのように、周囲のフェルダたちが一斉に「ウゥゥウウウ」と低く唸り始めた。三匹のフェルダが襲ってくる。
「……戦うしか、ないね……」
「すまん! 二人共……」
「ルイン、大丈夫です!! それより戦いましょう!!」
ゼーラが構える、ルインも濡れた右足を振り払って前に出る。
「……支援魔法しか、ないから……」
「支援魔法!? なんだよ、それ」
「支援魔法ですか……」
ルインとゼーラが顔を見合わせている間にも、三匹のフェルダが、そこそこの速度で一直線に突っ込んでくる。
「ゲネシス・ノワークラ(武器生成・短剣)!」
ルインの手に、岩の短剣が二本、音もなく生成される。
その一歩前へ、カリスが進み出た。
「……アネマ・レント(遅緩の風)……」
彼女の足元から、ほとんど目に見えない微かな風が広がった。
それがフェルダに触れた瞬間――
三匹の動きが、露骨に鈍くなる。
「一体、何が……」
「ルイン!! 今のうちです!!」
「ああ!! オキデレ(斬撃)!!!」
ルインは地を蹴り、一瞬で間合いを詰める。
鈍った動きの隙を逃さず、一閃、二閃、三閃――
フェルダの首が三つ、時間差で宙に舞い、白い地面へと落ちた。
「カリス……すげー魔法だな……」
ルインが感嘆の声を漏らした、その時。
周囲のフェルダたちが、一斉に天を仰ぎ、長い遠吠えをあげた。
「ウオオオオオオオン!!」
「はあ? なんでフェルダ達、逃げたんだ!?」
次の瞬間、彼らは一斉に身を翻し、茂みの奥へと消えていく。
「わ、分かりません。何かあったんですかね……」
ゼーラが辺りを見回した――その時。
森の奥から、低く、地面を震わせるような唸り声が響いた。
「グルァアアアアアアアアア!!」
「……この声は……まさか……」
カリスの表情が、初めて険しくなる。
その直後、灰銀の狼耳を持つ獣人族の少女が、茂みをぶち破るように飛び出してきた。
「……リナ……」
カリスが名を呼ぶが、リナは振り向きもしない。
転がるように地面を滑り、体勢を立て直すと、そのまま再び吹き飛ばされてきた方角――森の奥へ飛び込んでいく。
「行くぞ!!」
ルインは叫び、カリスとゼーラもその背を追った。
白い霧を切り裂きながら駆け抜け、リナが飛び出してきた地点を抜けると――視界が開ける。
そこは、白塵に固められた木々が乱立する、小さな開けた空間だった。
中心では、体毛が白塵で固まり、口だけが異様に大きく裂けた四足獣の魔物が暴れ回っている。
クマに似た体格だが、関節の角度がおかしく、動くたびに骨が軋む嫌な音がした。
その魔物に対し――
「ルーナ・カルキブス!!」
「アネマァ・ラミーナ!!」
「アネマ・アキエス(槍刃風)!!」
アデルとリノア、そして先程の獣人族の少女リナが、三方向から同時に攻撃を仕掛けていた。
爪と牙が、風刃が、蹴りの衝撃が、白塵の獣を中心に渦を巻く。
「……いた……」
カリスの小さな安堵の声が、白の戦場に吸い込まれていった。
魔物図鑑
フェルダ
体格はハイエナサイズ、目が見えない、体は細く白い体毛
基本集団で行動し、唸り声を出して仲間と連携を取る
ジルザ
ワニ型
水辺に主に生息している、獲物が来るまで水中でずっと待機している大きさは六メートルある




