第四十二話 島へ渡る前に
〜翌日〜
白い朝靄がまだ地面のあたりをうろついている時間。
リノアたちは荷物の最終確認を終え、モルドンの鳥車へと乗り込んでいた。
「皆さん、忘れ物ないですか?」
入口でゼーラが、ひとりひとりの荷物に視線を走らせる。
「大丈夫だよー、ゼーラ〜」
リノアはいつもの調子でひらひらと手を振る。
「なあアデル、起きてるんだよな?」
「昨日の夕食時はっちゃけたからね!」
「ホレは、ホキてる……」
アデルは座席の角にもたれ、半目のままぼそっと呟いた。
明らかに脳みそだけ寝ぼけている口ぶりだ。
「こいつ寝ぼけてやがる……」
ルインが小さく吐き捨てる。
全員が客車に乗り込んだのを確認し、ルインが扉を閉めようとした――その時。
「待ってください!! 聖女様!!」
遠くから必死な声が響いた。
振り返ると、サーラク村長が大きく手を振りながら、土煙を上げて全力疾走してくる。
「いや〜、よかったです! 間に合わないかと思いました!」
ようやく鳥車の前までたどり着くと、肩で息をしながらも笑顔を崩さない。
「サーラクさん、どうしました?」
リノアが身を乗り出すと、サーラクは改めて深々と頭を下げた。
「聖女様とそのお仲間さん達には、本当に感謝しています! もし聖女様たちがいなかったら、今頃僕たちは風化翼王に殺されていました。本当にありがとうございます!」
その言葉に合わせるように、避難していたウェール村の人々も、どっと頭を垂れる。
年寄りも、子どもを抱いた母親も、皆、胸に手を当て、震える声で祈る。
「皆さんにレナウス様のご加護があらん事を……」
サーラクは最後にそう言い、顔を上げた。
リノアたちは慌てて鳥車の窓から身を乗り出し、全員に向かって手を振り返す。
モルドンが御者席でドゥドゥに軽く合図を送ると、鳥車はきしむ車輪の音と共に、ゆっくりとアイスタース村を後にした。
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「いや〜、うまかったな、昨日の夕食の料理!」
街道に出て少し揺られた頃、ルインがふっと思い出したように口を開く。
「わたしもお腹いっぱい食べちゃったよ!」
「私、あの“馬魚”ですか? 魚の身が歯応えあって美味しかったです!」
「ねえモルドン! 昨日の夕食、しっかり食べた?」
リノアが御者席の方へ声を飛ばす。
「リノア嬢ちゃん、俺はほぼぶどう酒だけ飲んでたぜ! それとカラバオの干し肉が合って最高だったな〜」
「わたしぶどう酒、味にがてぇ〜」
「私は案外いけましたよ!」
「俺もだな」
そんな会話の流れで、三人の視線が自然と座席の隅――ぐったりしているアデルに集まる。
「アデルの坊主は酒ダメみたいだったな……」
モルドンが苦笑交じりにぼそっと漏らす。
「まあ、モルドンのお酒勝手に奪って飲んだバカアデルが悪いから、気にしなくていいよ」
リノアが肩をすくめる。
アデルは周囲がこんなにも賑やかなのに、いまだに眠りの世界の住人だった。時折、「んご」とよく分からない寝言を漏らすだけだ。
「なあモルドン、白樹林ってどれくらいで着くんだ?」
ルインが前の席にもたれながら尋ねる。
「んー、そうだなぁ。ざっと見て小一時間ぐらいか?」
「まあ、リノア達と喋ってればあっと言う間か……」
「白樹林で濾息茎を入手しましたら、遂に塵埃の島に行くんですよね……」
ゼーラがそっと声のトーンを落とす。
「ゼーラ、その前に白塵港だよ!」
「そうでした。船で向かうんですよね……ッ!」
何かに気づいたように、ゼーラがビクッと肩を震わせる。
「ゼーラ、どうしたの?」
「あの……船ってお金必要ですよね……。私達、今ほとんどお金がないので……どうすればいいんですか……?」
「え! 船……そうだったじゃん!! ルイン!! どうしよう!!」
「そうじゃん!! 風化翼王の素材、もらっとけばよかったぁああ!! チクショウ!!」
ルインが頭を抱えて座席に突っ伏す。
「わたし達、カッコつけちゃったからね……」
リノアも苦笑いを浮かべ、頬をかく。
そこへ、御者席からモルドンの声が飛ぶ。
「あのよ、船に乗る代金なら、俺が出すぜ!」
「ええ!! いいの!! モルドン!!」
リノアがガバッと窓辺にへばりつく。
「そうしてくれると、わたし達すごく嬉しい!!」
ルインとゼーラも、リノアに続いて前の方に乗り出した。
「全然構わねえよ。つーかおまえらさ、あの村から金、要求すればよかったのにな。たとえ弱っていたとしても偽竜を倒したんだぞ? 偽竜だぞ偽竜! おまえ達、結構すげえことしたんだぞ!」
モルドンは心底不思議そうだ。
「ん〜、でも、村の被害すごいし、きっと復興にお金かかると思うからさ。だから素材ももらわなかったんだよね……」
リノアはきっぱりと言う。そこに欲の色は見えない。
「でも、最初はもらおうとしてただろ? アデルの坊主が“金いらん”って言ってから、おまえらもアデルに賛同したよな。なんでだ? アデルを説得すればよかったんじゃねえのか?」
今度はゼーラが口を開く。
「アデルくん、あまりお金に頓着ないんですよね。でも、私達も本当はお金があった方が色々と楽です。
でも、村の現状を見ると、村の復興にきっと多くのお金が必要だと思いますし……私達のお金は、なんとかすればどうにかなるかなって。だから求めませんでした」
「そ、そうか……おまえら、いい奴すぎんか?」
モルドンが頭をかく。
「それはそうですよ! 私達、聖女パーティーですから!」
ゼーラは胸を張り、ぱちんとウィンクを送る。
それを見て、ルインが鼻で笑った。
道中は、驚くほど静かだった。
魔物の気配はなく、聞こえるのはドゥドゥの足音と、車輪が土を踏みしめる音、そして草を撫でる穏やかな風の音だけ。
「ここら辺、静かだね〜」
「そうですね……偽竜との戦いの疲れがまだ抜けきってないので、ゆっくり移動ができて、私は嬉しいです」
「ふぁああああ〜……」
ルインが盛大な欠伸を一つ。
「なあ、アデル起こしていいか? こいつ夢の中で誰と戦ってるか知らんが、ちょいちょい蹴りが俺の脛に当たるんだけど……」
その時、鳥車が大きな石を踏んづけたのか、ガタンと大きく揺れた。
御者席のモルドンが振り返り、「すまん、すまん」と、手で謝るジェスチャーをする。
「なんだぁあああ!! 魔物かぁあああ!!」
飛び起きたアデルの叫び声が客車内に響いた。
「アデルてめぇ!! 急にでかい声出すな!! ビックリするわ!!」
「アデル、おはよう!!」
「アデルさん、おはようございます!」
ゼーラとリノアは、何事もなかったかのように挨拶をする。
「ん? 村から出たのか?」
「おまえが寝てる時に、とっくに出発したよ!」
ルインが、ほんのり機嫌の悪い顔で答える。
「どうしたんだよ? ルイン! 機嫌悪いなぁー!」
「別に悪くねえよ!」
そのやり取りを遮るように、モルドンの声が客車に届く。
「おい! 白樹林が見えたぞ!!」
「マジか!! どれだ!!」
アデルはいち早く窓から顔を突き出した。
鳥車の進行方向、少し先――木々が密集した一帯が広がっている。
どの幹も真っ直ぐ天へ向かって伸びており、そのてっぺん付近には、うっすらと白い粉のようなものが積もっているのが見えた。
「ねえ! あれって雪なのか?」
「どうでしょう? 今、寒くないですよ?」
ゼーラがきょろきょろしながら首を傾げる。
モルドンが説明を引き継いだ。
「あれは、塵埃の島から風で飛んできた埃だ」
「え! そうなの!!」
「そうなんですか!!」
「ああ。おまえらの目指す“塵埃の島”は、島全体がほとんど埃で真っ白なんだ。
あとで、この白樹林を越えたら、塵埃の島が見える丘まで行くから、そこから確認してみな。……ほら、白樹林の入り口に着いたぞ」
鳥車がゆっくりと速度を落とし、林の手前で停まる。
リノア達は、さっそく客車から外へ飛び降りた。
「しゃあ!! 久しぶりに歩くぜ!!」
「アデル! どっか行っちゃダメだよ!」
「うるせぇー! わかってるわ」
アデルはぶつぶつ言いながらも、ちゃんと一行の近くにいる。
「リノアはアデルの母さんみたいだな!」
「そうですね!」
ルインとゼーラは、そのやり取りを見ながら思わず笑う。
モルドンも御者席から降り、腰を軽く伸ばした。
「モルドンさんも一緒に来てくれるんですか?」
「ああ。そうだろ? 濾息茎がどれか、まだわからねえだろ?」
「確かにそうですね!」
白樹林の中は、思った以上に静かだった。
木々の幹は淡い灰色で、葉は薄く白みがかっている。
上方からは時折、はらはらと白い粉が落ちてきて、陽の光を浴びてちらちらと舞う。
「なあ、結構上見ると木々高いよな。ラウスリーフよりは低いけど」
ルインが何気なく空を見上げた、その瞬間――モルドンの怒号が飛ぶ。
「おい! ルインの坊主! 上を向くな!! 下を見ろ!!」
「え? なんでだ、モルド――」
言いかけたルインの目に、上から舞い落ちた白い粉が入った。
「いってぇえ!! な、なんだよぉおお!! いってぇ!!」
ルインは反射的に目をこすり始める。
ゼーラが慌てて回復魔法を唱えるが、症状は変わらない。
「おい!! ルイン!! 大丈夫か!!」
「ルイン! 大丈夫?!」
アデルとリノアも駆け寄る。
「おまえら、ちょっとどいてろ!!」
モルドンが割って入り、右手には先端が丸く膨らんだ奇妙な茎を持っていた。
ナイフでその膨らんだ部分だけをスパッと切り落とすと、中から透明な液体がとろりと出てくる。
モルドンはルインの手を強引に退けると、その液体をルインの目に直接垂らした。
「いってぇえええ!! モルドン!! 俺に何したんだ!!」
「ルイン!! 絶対こするな!! 今“目通し草”の液体を差した! しばらくするとよくなるから我慢しろ!!
リノア達も目に差しとけ! こいつの液体は、目を守ってくれる!」
「わ、分かった!」
モルドンに手渡された目通し草を、リノアたちもおそるおそる目に差す。
じんわりとした熱さと少ししみる感覚の後、すっと視界がクリアになっていく。
少しして、ルインの目の痛みと痒みも和らいできた。
「モルドン……ありがとうな……。てか先に言えよ!!」
「俺が言う前に上向くからだろ!!」
「オレも危なかったぜ!! あんがとな、ルイン!」
「何がだ?」
「犠牲になってくれて!」
「おい! アデル! ふざけんな!!」
「もう、アデルもルインも、一旦落ち着こう!」
「そうです! 早く濾息茎、見つけましょう!」
リノアとゼーラにたしなめられ、二人は一応口を閉じる。
モルドンは咳払いひとつしてから、改めて説明を始めた。
「濾息茎は、地面からまっすぐ生えてる“黒い茎”だ。多分すぐ見つかると思うぞ!」
言われて下を見て歩いていると――アデルが、ぴょんと跳ねる小さな影に気づいた。
「ん? なんだこのカエル! 背中しっろ!!」
地面には、背中だけ真っ白な小さなカエルが乗っている。
周囲の白い粉と同化して、よく見ていないと見逃してしまいそうだ。
「これは“埃カエル”だな。地面見てみろ、白い粉があるだろ。自分を食いに来る敵がいたら、地面の粉と同化してやり過ごすんだ」
「へえ!! よく考えるな!」
アデルが素直に感心していると、少し離れた場所からリノアの声が飛ぶ。
「ねえ!! モルドン!! これ濾息茎かな??」
リノアが指差した先には、地面からまっすぐ伸びる黒い細い茎が群生していた。
「おお! これだこれ!!」
モルドンが駆け寄り、一本をナイフで切り取る。
切り口をリノアたちに見せると、内部には細かな穴が無数に並んでいるのが分かった。
「へえ!! 茎の中、すっごく小さい穴がいっぱいある!!」
ルインとアデル、ゼーラも覗き込む。
「そうだ。この小さな無数の穴のおかげで、空気を綺麗にして息を吸えるようになるんだ。
よし、この辺りにはかなりありそうだ。見つけ次第切って、布袋に突っ込んでけ!」
「了解!」
リノアたちは散らばり、地面を見ながら濾息茎を探し始めた。
見つけては切り取り、ゼーラが用意した土製のカゴから布袋へと詰めていく。
「いっぱい取れた! わたし、もう疲れたよ〜」
「オレはまだまだいけるぞ!!」
「そんなに取ってもしょうがないだろ。袋いっぱい詰め込んであるし、それだけあれば十分だろ?」
「そうですね、私も大丈夫だと思います」
袋はずっしりと重みを増していた。
「よし! おまえ達、ここを抜けて見に行くか! 塵埃の島を!」
「おお、一旦見とかんとな!! オレ達が行く島!」
「早く鳥車乗って行こうー!」
四人は濾息茎をしっかりと積み込み、再び鳥車へ乗り込む。
そして白樹林を後にし、街道をしばらく進んだあと――
モルドンは鳥車を、なだらかな丘の上で止めた。
「ここが、“塵埃の島”が見える丘だ!」
リノアたちは客車から飛び降り、足元の草を踏みしめながら丘の先端まで歩いていく。
そこから見えたのは――
遠く海の彼方に浮かぶ、一つの島だった。
だがそれは、ただの島ではない。
島全体が、白い霧か煙のようなものに包まれている。
陸地の輪郭だけは見えるものの、その上は全て、ふわりと揺れる白いベールに覆われていた。
「あ、あれが……わたし達が目指す島、“塵埃の島”……」
リノアの喉がごくりと鳴る。
「マジで真っ白だな!! 塔がここにあんのか?」
「なあモルドン、ここに塔あるんだよな!」
ルインが横から問うと、モルドンは真剣な顔で頷いた。
「ああ。確実にある……」
「なんか……緊張してきました!」
ゼーラが胸に手を当てる。
白く霞む島。そのどこかに、次の塔――ヘルドレスの塔がある。
偽竜、風化翼王を越えた先に待つ、新たな試練の舞台。
四人はそれぞれに複雑な想いを抱えながらも、もう一度、塵埃の島を見据えた。
そして心の中で静かに、覚悟を固めるのだった。
魔物図鑑
埃カエル
背中に塵華の花粉をつけているカエル、地面にある花粉と同化して天敵からやり過ごす
植物図鑑
清瞳草別名 目通し草
茎の先端が丸くなっており、その中に目を保護する液体が入っている
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