第四十一話 龍の翼の刻印
――走る。走る。走る。
「はあ、はあ、はあっ……もうダメだ……早く逃げないと、俺もあの偽竜に殺される!!」
モルドンは一度も振り返らず、ただひたすら前だけを見ていた。
背後から聞こえてくる咆哮と揺れる地面の振動が、今もなお足首を掴んで引き戻そうとしてくる。それでも彼は、歯をガチガチと鳴らしながら前へ前へと足を運ぶ。
ウェール村の村人たちも、悲鳴を上げながら、家族の手を握り、とにかく村から遠ざかるように必死に逃げていた。
「なんで、なんで俺がこんな目に遭うんだよぉお!!」
言葉にならない叫びを吐き出したその瞬間、モルドンの足が石に引っかかった。
「うおっ――!」
派手に前のめりに転び、顔と両手を地面に叩きつける。
「クソッ、クソクソクソ!! 早く立って逃げねえと……あ……」
痛む膝を押さえながら、よろよろと立ち上がった時だった。
脳裏に、ふと四人の姿――リノアたちの顔がよぎる。
(……聖女パーティーのガキ共……)
彼はギュッと拳を握る。
「……俺には関係、ねえ……!」
そう吐き捨てて走り出そうとした、そのとき――
前方から、こちらに向かってくる小さな影が目に入った。
五歳くらいの、小さな女の子だ。
「おい!! そっちへ行くな!!」
思わず怒鳴るような声が出る。
「偽竜が現れたんだ!! 危険だから後ろ向いて走れ!!」
モルドンが声を張り上げても、少女は彼の言葉を聞いていないのか、そのまま彼の横をすり抜けようとする。
咄嗟にモルドンは少女の手首を掴んだ。
「死ぬぞ!!」
「おじさん、放して!! お姉ちゃんがいないから探すの!! だから放して!!」
少女は必死に手を振りほどく。大きな瞳が涙で揺れながらも、まっすぐ前だけを見ていた。
そして――彼女はモルドンの手から抜け出すと、そのまま村の方角へ駆けていく。
「あの偽竜は……闇獣になるかもしれないんだぞ……」
モルドンは誰に聞かせるでもなく、押し殺した声で呟いた。
だが、その言葉は虚空へ吸い込まれ、誰の耳にも届かない。
「聖女達はもう死んでる……死んでるんだよ!! 風化翼王に勝てるわけないんだよ!!」
自分に言い聞かせるように叫び、再び踵を返す。
――だが、今度は足が動かなかった。
頭の中に、リノアたちと囲んだ焚き火の光景が浮かぶ。
岩魚を焼き、ロックベリーを齧り、くだらないことで笑い合っていた時間。
「あいつら……俺よりかなり年下なのに……俺より体ちっせえのに……なんであんなに、たくましいんだよぉおお! ちくしょうがぁああああ!!」
叫んで気づけば、モルドンは少女とは逆方向に走っていたはずなのに、いつの間にか――少女と同じ方向へ。
風化翼王の咆哮が轟く、あの場所へ向かって走っていた。
「四人とも一気に担ぎ込んで逃げればいい!! 簡単だ、簡単だぁあ!!」
そう叫び続けるのは、己に言い訳を重ねているからだ。
そうすれば、震える膝を誤魔化せる。胸の奥で渦巻く恐怖を、少しでも薄められると、どこかで信じたかった。
「ギィヤァアアアア!! ギィガアアアアアア!!」
風化翼王の咆哮が、空気ごと世界を震わせる。
「うっ、ぅう……うううう!!」
全身が竦み上がる。
それでもモルドンの足は、止まらなかった。震えながら、それでも一歩一歩、前へ。
(頼む……間に合ってくれ……間に合ってくれよ、クソ……!)
やがて、地鳴りと咆哮がピタリと止んだ。
「……静かだ……どうなったんだ……闇獣になったのか……?」
喉がカラカラに乾く。
モルドンは大きな木の影に身を潜め、恐る恐る顔だけを覗かせるように前を見た。
そして、息を呑んだ。
四人の少年少女が、ボロボロの姿で立っている。
その背後――そこには、風化翼王の巨大な死骸が横たわっていた。
「あ、あいつら……そ、そんな……あの化け物を倒したのか……」
信じられない光景に、気づけばモルドンは木陰から飛び出していた。
「おーい!! おぉおおおいいいいいい!!」
声を張り上げながら、全力で駆ける。
その声に、アデルが最初に気づいた。
「ん? モルドンじゃねえか!! なんで逃げてねえんだよ!!」
振り向いたアデルの顔も、血と埃と傷だらけだ。
「おまえら……そんなボロボロで……」
息を切らしながら近づいたモルドンは、あまりの状態に思わず言葉を失う。
「わたしは、みんなほどボロボロじゃないけどね……」
リノアは、少し申し訳なさそうに肩をすくめた。
その横で、ゼーラがアデルの身体に手をかざしている。
「アデルくん、どうですか?」
「おお! ありがとうな、ゼーラ!! もうピンピンしたぜ!!」
アデルが腕を振り回して見せる。
その少し前に、ゼーラはすでにルインにも回復魔法を施していたらしく、二人とも大分まともに立てるまでには持ち直していた。
ルインは、まだ身体のあちこちに痛みを残したまま、モルドンへ歩み寄る。
「モルドン! 村のみんなは!!」
「あ、ああ……無事だ。隣の村へ行ったよ……。なあ、あの女の子、そっちに来なかったか?」
「女の子? ああ、さっきお姉ちゃんらしき人と一緒に移動してたよ」
ルインがそう答えると、モルドンは大きく胸を撫でおろした。
「そ、そうか……。にしても……倒したんだな……あの風化翼王を……」
改めて死骸に目を向け、近づいてみる。
体中が斬り傷だらけで、翼もボロボロ、ところどころ黒く爛れている。
だが、モルドンはある一点を見て、目を見開いた。
「お、おおお、おい!! コイツ、目が……!」
腹部、中心部あたり。そこに、不自然な“眼”が浮かびかけていた痕跡がある。
「うん。途中から出てきたけど、眼が開かないうちに、なんとか倒せたけど……これでよかったのかな?」
リノアは少し不安そうにモルドンへ視線を向ける。
「開眼前に倒したのか……。おまえ達……龍極者……」
モルドンは、四人を一人一人見回すように視線を巡らせた。
「オレ達が龍極者だと? んなわけあるかよ! このクソ竜、かなり弱ってたぞ! どこのどいつがやったのか知らねえけどなぁ!」
アデルが即座に否定する。
「そ、そうなのか……」
「そうです。体全体が傷だらけでした……それもあって、倒せたんだと思います」
ゼーラが淡々と補足する。
そのとき、モルドンの背後から複数の足音が近づいてきた。
「こ、これは……どういう事ですか……」
ウェール村の村長・サーラクが、多くの村人を連れて駆けつけてきていた。
倒れ伏した風化翼王と、それを前に立つ四人を見て、サーラクはただ呆然と立ち尽くしていた。
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――数時間後。隣村、アイスタース村。
「本当に隣村と近いんだな!」
「だよね! ルイン! わたしも思ってた!」
「それにしても、ここの避難場所、大きいですね!!」
「早く宿の準備してくれよー。オレは寝たい!」
風化翼王との戦闘後、状況を把握したサーラク村長は、すぐさま隣村へ救援と報告を兼ねて使いを出した。
風化翼王を倒すための部隊を結成して向かったものの、現場へ着いたときにはすでに決着がついていた。
モルドンから事情を聞き、サーラクは四人――リノアたちを休ませる必要があると判断し、アイスタース村の大きな避難所兼集会場へ案内したのだった。
「皆様!! お待たせしました!!」
サーラク村長が息を切らせながら駆け寄ってくる。
「宿の手配ができましたので、そこまでご案内しますね!」
満面の笑みを浮かべて手招きする村長の後ろ姿を、リノアたちはぞろぞろとついていく。
道中、アイスタース村の様子を見渡す。
家々の作り、畑の位置、家畜の小屋――全体の雰囲気は、ウェール村とよく似ている。
ただ、一つだけ大きく違うものがあった。
「お待たせしました! こちらが宿です」
「デカ!!」
最初に声を上げたのはアデルだった。
ウェール村の小さな宿とは違い、アイスタース村の宿は二階建ての大きな建物で、表の看板も手入れが行き届いている。避難所兼用なのか、入口も広く、頑丈そうな造りだ。
宿の中に入ると、清潔な廊下と、簡素ながら整った家具が並んでいる。
それぞれに部屋が用意されており、一人一部屋ずつだ。
「それでは、また夕食の時に皆さんをお呼びしますね!」
なぜか村長自らが頭を下げて告げる。
「あの……村長さんじゃなくても、他の村の人でもいい気がするんですが……」
ゼーラが遠慮がちに言うと、サーラクはぶんぶんと首を振った。
「いえ! そんなこと到底できません!! なんせ、貴方がたは村を救ってくださった方々ですので!! 僕自らやりたいんです!!!」
「そ、そうですか……」
サーラクの過剰な熱量に、ゼーラは思わず一歩引いてしまう。
各自、自分の部屋へと散っていく。
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「おおお!! クッソ広いな! 晩飯、ぶどう出ねえかな? オレめっちゃ食いたいぜ!」
アデルはベッドにダイブするように倒れ込んで、天井を見上げながらそんなことを考えていた。
そこへ――宿の扉が、ノックもそこそこに、勢いよく開いた。
「へぇ〜、アデルの部屋も広いんだね!!」
「リノア!! てめぇ!! なんで勝手に入ってくんだよ!!」
「別にいいじゃん!! 一人になって寂しくないか心配して見に来たのに!!」
「寂しくねえよぉお!!」
言い合いをしていると、また扉が開いた。
「お、部屋の作りは俺の部屋と変わんねえな!! ん? リノアもいんじゃん!」
「ルイン!! おまえもなんで来たんだよ!!」
「へ? なんでかって? それはアデルが寂しくしてねえかの確認だよー」
「オレは寂しくねえって!!」
「やっぱり? ルインもそうだよね! わたしも一緒!!」
「だよね! アデルすぐ寂しいって言うからな!」
「言ってねえよ!!」
さらに、また扉が少しだけ遠慮がちに開いた。
「アデルくん、皆さんどこ行ったか分から、ええ!! ここにルイン、リノアさんいたんですか!!」
「ゼーラまでもオレの部屋に……」
「皆さん探してたら、アデルくんの部屋に来たんです……勝手に入ってすいません……」
「ゼーラ気にしなくていいよ! わたし達も勝手に入ったから」
「ゼーラも、アデルが寂しいと思って来たんだよな!」
「ん? ルイン?」
ゼーラは一瞬ぽかんとした顔をした後、ルインの意図に気づいて顔を赤くする。
「そ、そうです! ルインの言う通りです!!」
「ルイン!! それはねえだろぉお!!」
そこへ、またしても扉がノックもなく開いた。
「おい!! 今度は誰だぁ!?」
「取り込み中だったか? 悪い、俺だ」
髭面の男――モルドンが、申し訳なさそうな顔で立っていた。
「すまん、おまえらの全員の声がしたから、勝手に入ってしまった……」
「全然大丈夫だよ! モルドン!」
「リノアが返事すんなぁ! ここは“オレの部屋”だぁ!!」
「えー別にいいじゃん! それでモルドン、どうしたの?」
リノアに流されつつも、モルドンはぎゅっと帽子を握りしめる。
「その……な。あのとき……風化翼王が落ちてきたとき、俺だけ逃げて申し訳なかった……」
深々と頭を下げた。
「それはしょうがねえよ。俺もモルドンの立場なら逃げるし」
「私もです」
「わたしも、かな……」
ルイン、ゼーラ、リノアがそれぞれ素直にそう口にする。
「なんだ? おまえら? オレは挑むぜ!!」
「何言っての! バカアデル!!」
「うるせぇー!! ビビリノア!!」
アデルとリノアがまたしても睨み合うと、ルインが苦笑しながら二人の間に入る。
「まあ、皆さんそう思ってるので、気にしないでください。私達はモルドンが無事に生きていてよかったです!」
ゼーラが柔らかく微笑んだ。
その優しい笑みを見て、モルドンの目からぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「ああ! ゼーラが泣かした!!」
ルインが冗談めかして言うと、ゼーラは慌ててモルドンの背中をさすった。
「すまねえ……取り乱しちまった……」
モルドンは涙を拭いながら、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
ゼーラは、まだ心配そうにそっと背中をさすっている。
「おい! モルドン! なんで急に泣いてんだよぉ」
「もう〜! アデル! なんで言い方がいつもキツいの??」
「そうか?」
「そうよ!!」
口喧嘩を始めかけた二人を見て、モルドンは小さく笑い、ぽつりと口を開く。
「その……なんだ……昔を思い出したんだ」
「昔ですか?」
「ああ。俺は元々グラマル大陸出身でな。今はもうねえ、“商業都市ココリア”に住んでたんだ」
その都市の名を聞いた瞬間、アデル以外の三人の動きが一瞬止まった。
「おい、それって……」
「やっぱりおまえらも知ってたか。そう、“五つ目闇獣ミジェロ”に滅ぼされた都市だ。まだ俺が十五歳の時に起こった出来事だ……十五年前だ……」
「おい!! マジかぁ!! グレックがそんな話ししてたな!!」
アデルが思い出したように目を丸くする。
「俺には姉貴がいてよ。逃げる時に、俺に向けた笑顔が……聖女さんと被って、つい思い出して泣いちまった……急に泣いて驚かせたよな……」
モルドンの声がわずかに震える。
「私は大丈夫ですよ……。あの風化翼王の状態を見て、闇獣になるってあの時言いましたよね?」
「ああ……言ったな……」
「なんで分かったんですか?」
ゼーラの問いに、モルドンはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「十五年前、俺は薬草探しに森にいた。そしたら急に、目の前に“カールフォックス”が現れたんだ。黒雪に汚された状態でな。
そいつはのた打ち回ってもがいていた。怖かったけど、目が離せなくて、しばらく観察してたら――額に目が浮かび上がってきたんだ」
その光景が脳裏に焼き付いて離れないのだろう。モルドンは奥歯を噛み締める。
「俺は怖くて、その場から逃げた。しばらくして都市に戻ったら、“五つ目闇獣ミジェロ”が街で暴れていた。
ミジェロを見た時、額にある目が、森で見たカールフォックスと同じ場所にあったんだ。……だから、カールフォックスが変貌した姿がミジェロだと確信した」
ゼーラは、その後に続くであろう惨状を想像して、口を閉ざした。
「風化翼王も、あのときのカールフォックスと同じようにもがいていたからな。もしかして、と思ったんだ」
「モルドンさん……」
しんと静まり返る室内。
だが、その沈黙を破るように、アデルがいつもの調子で声を上げた。
「モルドン、元気出せよ! オレ達は何回も言うけど、気にしてねえよ」
「アデル……」
「アデルの言う通りだよ! 結果、わたし達で倒せたからね!」
「だな!」
「皆さんそう言ってるので、全く気にしないでください!」
ルインも笑って肩を叩く。
そのとき、アデルの部屋の扉がトントン、と控えめにノックされた。
「入っていいぞーー」
アデルが返事をすると、扉が開き、サーラク村長が顔を覗かせる。
「え?! 皆さんここに全員いらっしゃったんですか?! 最初の部屋がアデルさんでよかったです」
「おい村長!! 飯か?」
「はい! お待たせしました! 夕飯の用意ができましたので、そちらまでご案内しますね!」
「いつの間にか、そんな時間経ってたんだ……」
「リノアはいつもボケ〜っとしてるからな!」
「はあ?! してないし!!」
「おまえら、すぐ喧嘩すんなよー!!」
「モルドンさん! 一緒にみんなでご飯食べましょう!」
「ああ……ありがとうな……」
アデルたちはサーラクの案内で部屋を出て、夕食が並べられている建物へ向かった。
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――同じ頃。
風化翼王の巨大な死骸の前に、白髪の人物が二人立っていた。
一人は長身で、落ち着いた雰囲気を纏う女。
もう一人は背が低めで、どこか子供っぽい仕草の少女だ。
「あっれ〜? 開眼前の状態で倒されてるじゃん!」
軽い調子で言ったのは、背の低い方――レミラ。
「体の傷を見る限り、かなりの腕が立つ者だな」
冷静に分析するように言ったのは、長身の女――ラヴィラだ。
「ラヴィ姉どうする〜? 闇獣が出るからって言われて来たのにっ! ここまで来るのに、一ヵ月だよ! なんで転送石が置いてないのっ!!」
「レミラ、落ち着け。騒いでもしょうがない!!」
「えぇ〜、だって〜!!」
レミラが頬をふくらませるのを横目に、ラヴィラは胸元へ手を伸ばす。
胸の谷間から、一つの指輪を取り出した。
指輪にそっとマナを流し込むと、淡く光が灯る。
「ラヴィ姉〜、その通話できる魔導具、いつもそこに入れてるんだ〜!」
レミラのツッコミを完全に無視して、ラヴィラは指輪に向かって話し始める。
「ラヴィラだ。獲物は開眼前に倒されている……この後、私らはどうすればいい?」
少し間を置いて、指輪から誰かの声が返ってくる。
ラヴィラはそれを静かに聞いていたが――途中で、眉をぴくりと跳ねさせた。
「なんだとぉ! ここまで来ているのにか!!……わかった。指示に従う」
通話を切ると、レミラがすぐに身を乗り出す。
「ラヴィ姉! ケー姉なんて言ってた?」
「用はないから、さっさと戻ってこい、だと」
「も〜う、人遣い荒いなー」
二人は風化翼王の死骸をもう一度だけ見下ろし、その場から背を向ける。
去り際――レミラの右頬と、ラヴィラの右耳に刻まれた白い“龍の翼”の刻印が、淡く、静かに光を放っていた。
ヨーロ鉱石
少し柔らかめな鉱石、衝撃が加わると他の鉱石より硬くなる
魔物図鑑
カールフォックス
見た目が狐、だが牙が一本しかない、基本その牙で獲物に致命傷を負わせ、弱って息絶えた所を食べる




