第四十話 変貌の眼
「ギィガアアアアアア!!」
白い霧の奥から、風化翼王の咆哮が大地を震わせた。
「ゲホッ、ゲホッ……おい、この霧……ゲホッ……!」
「息が……ゲッホ、ゲッホ……っ」
霧を吸い込んだリノアとアデルが、肺の奥を掴まれたみたいに激しくむせ込む。
鼻の中が焼けるように痛く、喉の奥はひりつき、呼吸するたび胸がざわざわと軋んだ。
ズ、ズン……ズ、ズン……。
霧の向こうから、地面を踏みしめる巨体の足音が徐々に近づいてくる。
「おまえら……俺の盾の後ろにいろ……ゲホッ……」
ルインが肩で息をしながら、一歩前へ出る。
その声と同時に――白い霧を裂いて、風化翼王の巨大な影が突如として飛び出してきた。
振り下ろされる巨大な爪。
反射的にルインは盾を振り上げる。
土と岩で形成された盾が、爪撃を正面から受け止めた。
金属を爪でひっかいたような、耳障りな音が響き、盾の表面にひびが走る。
風化翼王は、そのまま霧の中へと後退するように消えた。
「ルイン……大丈夫ですか……? ゲホッ、ゲホ……」
ゼーラが咳き込みながらも、心配そうに声をかける。
「ああ……なんとか、な。大分、弱ってるから……攻撃自体はさっきほど重くねえ……」
息を荒げながらも、ルインは無理やり口元を吊り上げる。
だが、風化翼王は間髪入れず再び霧の中から飛び出してきた。
右からの爪。盾で受ける。
すぐさま、今度は左から薙ぎ払う翼。盾を横へ滑らせて受け止める。
さらに、上から叩きつけるような頭突き。盾ごと地面へ押しつぶそうとする。
「チッ……!」
ルインは足を踏ん張りながら、攻撃が来た方向へと必死で盾を向き直す。
視界は霧でほとんど見えない。頼れるのは、空気の振動とわずかな気配だけだ。
「ルイン……大丈夫か……? あのクソ竜……の……ゲホッ、ゲホッ……」
「アデル……しゃべんな……ゲホッ……。クッソ……俺の盾もそろそろやばい……」
盾の表面には、いくつもひびが入り、亀裂が細かく走っている。
風化翼王は霧の中へ消えては現れを繰り返し、執拗な連撃の手を緩めない。
そのとき――リノアが叫んだ。
「みんな!! 一回、全部まとめて吹っ飛ばすかも!!」
ルインとアデルが「え?」と振り向く間もなく、リノアは地面に向けて両手を突き出した。
「《アネマ・イクトゥス》(風の打撃)!!」
次の瞬間、足元から凄まじい風圧が炸裂した。
「うおおおおっ!?」「きゃあああっ!!」
リノア自身を含め、アデル達もまとめて後方へ吹っ飛ばされる。だが――
同時に、村一帯を覆っていた白い霧も、爆風に巻き上げられ四方へと一気に吹き飛んだ。
視界が、ぱあっと開ける。
そこには、息荒く肩を上下させながら、巨体をよろめかせている風化翼王の姿がはっきりと見えた。
「クソ竜がぁああ!!」
霧が晴れた瞬間、アデルは一瞬で体勢を立て直し、地面を蹴る。
風を切る音だけを残し、一気に風化翼王の腹部へ肉薄した。
「《ペガルイム・プルス》(殴る衝撃)!!」
渾身のストレートが、風を巻き込みながら偽竜の腹にめり込む。
衝撃で風化翼王の巨体がわずかに持ち上がった。
しかし、アデルの攻撃はそこで終わらない。
「《ルーナ・カルキブス》(三日月蹴り)!!」
腰を捻り、同じ箇所へ連続で蹴りを叩き込んでいく。
三日月を描く軌道の足が、何度も何度も同じ場所をえぐるように襲う。
そこへ、ゼーラも魔法を重ねた。
「《ソルマ・マレウス》(岩槌)!!」
風化翼王の頭上、高空に大きな岩塊が出現する。
ズドンッ――! その岩槌が偽竜の背へと落下し、鈍い音とともに押し潰す。
「ギィガアアアアアアァアアアァアアア!!」
断末魔のような咆哮を上げた風化翼王は、再び翼を大きく広げた。
そして、口元へマナを溜め始める。白い光が喉の奥で蠢き、空気がビリビリと震え出した。
「また撃つ気かよ……!」
だが、その瞬間にはもう――ルインは風化翼王の頭上にいた。
「させるかよぉお!!」
いつの間にか空中へ飛び上がっていたルインの手には、岩でできた巨大な槌が握られている。
「《ゲネシス・マレウス》(槌)――脳天カチ割れろぉお!!」
全身の筋肉を軋ませ、渾身の力で振り下ろす。
「ヒットォオオオオ!!!」
ズガァンッ!!
あまりの衝撃に空気が震え、風化翼王の頭蓋に亀裂が走る。
喉の奥で練り上げられかけていたブレスが霧散し、偽竜の目から光が一瞬ふっと消えた。
「ギィガァァァ……」
うめき声とともに、風化翼王はその場へドサリと崩れ落ちた。
地面が揺れ、土煙がゆっくりとあがる。
「倒したんですか?」
息を切らしながら、ゼーラが尋ねる。
「オレの攻撃二発食らってるからな! 倒せねえわけねえ!!」
アデルはドヤ顔で鼻を鳴らす。
ルインは慎重に偽竜へ近づき、脈を探るように目と体全体を確認した。
「……反応はない! 倒せたぞ!!」
安堵の色が、一気に周囲へ広がる。
ただ、リノアだけが――まだ険しい顔を崩さなかった。
彼女はゆっくりと右手を前へ出し、掌の前にじわじわとマナを集め始める。
「おいリノア、もう終わったんだぜ? 死骸はほっとけばいいだろ?」
アデルが肩で息をしながら言うと、リノアは視線を風化翼王から外さないまま答えた。
「アデル……モルドンが“偽竜が黒雪の影響を受けてる”って言ってたよね」
「ん? ああ、確かにそんな事言ってたな」
「だから、まだ油断できない!! せめて、頭か心臓を“貫かない”と安心できない!!」
その声には迷いがなかった。
「リノアさん、そこまでしなくても……」
「リノア、確かにそうだけ……ど……」
ルインが言い終える前に――
風化翼王の巨体が、ピクリ、と小刻みに動いた。
ルインの目が細くなる。
次の瞬間、偽竜の尻尾が鞭のように走り、ルインのほうへ飛んできた。
「くっ……!」
避けきれない――そう悟った瞬間には、もう直撃していた。
「ぐはっ……!」
ルインの体が大きく宙を舞い、地面を何度も転がった。
「ルイン!! てめえ!!」
アデルが怒号と共に飛び出す。
風化翼王の全身が、糸の切れた操り人形みたいに無軌道に暴れ始めた。
爛れた腹部が蠢き、そこから黒いモヤのようなマナがじわじわと漏れ出している。
「クソ竜がぁああ!!
《プラーガ・カルキス》(踵落とし)!!」
アデルは高く跳躍し、頭上から踵を叩き込む。
だが、風化翼王はその瞬間、反射的に翼を打ち上げた。
バキャッ!!
「ぐっ……!?」
アデルの体は、翼のカウンターをまともに受け、そのまま横へ吹き飛ばされる。
「アデルさん!!
《ソルマ・クラヴィス》(岩釘)!!」
ゼーラの魔法が地面を走り、岩の釘が無数に飛び出して風化翼王の脚や腹へ突き立つ。
だが――
「……止まらない……」
偽竜の動きは鈍るどころか、ますます荒々しさを増した。
よく見ると、岩釘が確かに刺さっている箇所と、まるで“弾かれている”箇所がある。
ゼーラの視界に、その違和感の原因が映り込んだ。
「そ、そんな……あれは……」
風化翼王の腹部。
先ほどまで斬り傷と火傷のような痕しかなかった場所に――薄く、しかし確かに、“目”の輪郭が浮かび始めていた。
その“眼”から、じわじわと黒いマナがにじみ出している。
「ゼーラ!! 避けろぉお!!」
アデルの声で我に返る。
気づけば、風化翼王の口元には再びマナが凝集しており、白い光がゼーラの方角を狙っていた。
「避けきれない……!」
逃げ場はない。そう悟ったゼーラが、ぎゅっと目をつぶったその瞬間――
「《ゲネシス・スクートゥム・マグヌム》(大盾)!!」
割り込むようにルインがゼーラの前へ飛び込み、巨大な岩盾を展開した。
「ぐぅううう!! なんだぁ、コイツのブレス……さっきより威力が……!」
白い奔流が盾へ直撃する。
轟音とともに衝撃波が吹き荒れ、盾の表面に今度は大きな亀裂が走った。
「やべえ……このままだと……」
「ルイン!! 《ソルマ・パリエース》(岩壁)!!」
ゼーラも震える手を前に出し、盾の前にさらに岩壁を形成する。
だが、その岩壁はブレスに触れた瞬間、紙のようにあっさりと砕けた。
「そ、そんな……」
「まずい……クッソ……こわ……れ……!」
盾の亀裂が一気に広がっていく――その瞬間。
「隙だらけだぁあ!!
《プグヌス・ディレクトゥス》(直進する拳)!!」
アデルの拳が、横合いから風化翼王の脇腹へ突き刺さった。
「ギィガアアアアアア!!」
偽竜が苦痛の叫びを上げ、上空へ向けて首を仰け反らせる。
ブレスの軌道が逸れ、白い奔流は空へと抜けていった。
「はぁ、はぁ……アデル……助かった……」
「ルイン!!」
ゼーラは今にも崩れ落ちそうなルインの肩を支える。
再び、周囲には白い霧が立ち込め始める――が。
風化翼王が強く羽ばたいたことで、霧は今度は上空へと散り、視界が再び開けた。
偽竜は少し空中へ浮かび、ゆらゆらと不安定に対空している。
その腹部――ルインとゼーラはそこを見て、血の気が引いた。
中心の“目”が、今にも開きそうに蠢いている。
さらに、その周囲には新たな三つの眼孔が、うっすらと浮かびかけていた。
「うそ……だろ……こいつ、“闇獣”になるのか……」
「まだ……です……ルイン。戦いは……終わっ、て……ない……」
ゼーラの声は震えながらも、確かな意志を持っていた。
「ギィヤァアアアア!!」
風化翼王の咆哮とともに、その場の空気が一変した。
肌が粟立つ。
心臓を直接握られたような“殺気”が四方八方から襲いかかり、ルインとゼーラは思わずその場にしゃがみ込んでしまう。
「もう……俺達は……」
喉から漏れたルインの言葉を遮るように、アデルが二人の前へ歩み出た。
ボロボロの体で、まだ前に出るのか――。
「アデルくん……?」
ゼーラが息を呑む。
そのとき、アデルはふと“風向き”が変わったのを感じた。
周囲の風が、自分達ではなく“後ろ”へ流れていく。
振り返ると――リノアが、震える腕を前に伸ばしていた。
「集中……集中……」
リノアの手の周りには、膨大な風のマナが集まり始めている。
彼女は目を細め、その形を“長く、重く、貫通する槍”としてイメージする。
その姿を見て、アデルはニヤリと笑った。
「ルイン! ゼーラ!! まだリノアは諦めてねえぞ!!
そして、オレもだ!」
「……っ」
二人がリノアの方を見ると、風が唸りを上げる。
「みんな! お待たせ!!」
リノアが言い終えた瞬間――
彼女の前に、風で形作られた巨大な槍が現れた。
「《アネマ・ランケア》(風の重槍)!!」
リノアが手首を捻り、槍を解き放つ。
投擲された槍は、唸りを上げながら回転し、空気をえぐりとるように一直線で風化翼王の腹部の中心――“眼”へと飛んでいった。
ズドンッ!!
重槍の穂先が、中心の眼球に突き刺さる。
「リノア……」
「リノアさん……」
ルインとゼーラは、呆然とその光景を見つめた。
だが――
槍はたしかに眼を貫いた。
しかし、貫通までには至らなかった。
異様に硬質な何かが、槍の進行を阻むように、その奥に存在していた。
「そ、そんな……これだけマナを集めてもダメなの……」
リノアは限界までマナを搾り出していた。
その反動で足元から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「リノア!!」
誰かが叫ぶのと、ほぼ同時に――。
アデルが、迷うことなく風化翼王へ向かって全力疾走を始めた。
「ゼーラ!! 魔法で、あのクソ偽竜に届くくらいの足場を作ってくれ!!」
「アデルくん!!」
ゼーラは即座に手を前に出し、アデルの進行方向へ次々と土の足場――階段のような突起を作り出す。
アデルがそれを踏むたびに、足場は崩れ、土が砕けていく。
だが、その崩れる反動すら利用して、アデルはさらに高く跳躍した。
「――行くぞ……!」
最後の足場を思いっきり蹴り、風化翼王の腹部――重槍の根本めがけて拳を構える。
「あいつは、リノアの槍で刺さってる……なら、オレがやることは一つだろ……!」
アデルは、中心部に刺さっている重槍の“後ろ”を狙い、拳を引き絞る。
「貫けやぁああ!!
《プグヌス・ディレクトゥス》(直進する拳)!!」
渾身の一撃が重槍の柄の部分にめり込み、全体をさらに奥へ押し込んだ。
ギュルルルルルッ!!
槍は押され、そのまま風化翼王の腹部を貫通しそれと同時 に中心の“眼”を穿つ。
「ギィヤァアアアア!! ギィガアアアアアア!!」
断末魔の叫びが空を引き裂く。
風化翼王の翼が痙攣し、瞳から光が完全に消えた。
巨体ががくりと力を失い、そのまま重力に引かれて地へと落ちていく。
ドォオオオオンッ!!
風化翼王は、地面を割りながら完全に墜落した。
その身動きは、今度こそ――一切、無くなっていた。
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