第三十八話 白樹林へ
グールたちは、最初は足を引きずるように、のろのろと近づいてくるだけだった。
腐った肉の匂いと、土に染みついた血の匂いが、じわじわと風に乗ってくる。
けれど――。
ふいに、奴らの鼻先がひくついた。
生きている人間の匂いを、はっきりと捉えた瞬間。
グールたちの動きが、がらりと変わる。
「……っ!」
濁った瞳が一斉にこちらへと向き、喉の奥から濁った唸り声を上げる。
どさどさと足音が重なり、一斉にリノアたちへ走り出した。
「来るぞぉ!!ゲネシス・ハスタ(武器生成・槍)!!」
ルインが一歩、前に出る。
空気がぐにゃりと歪み、彼の掌に淡い光が集まる。
瞬きする間に、光は細く伸び、一本の槍へと姿を変えた。
淡い茶色のマナが脈打つ、美しい槍だ。
「おいルイン!! おまえ、その武器!!」
アデルが驚きに目を見開く。
「アデル……俺も、ただただ休んでねえ。俺だって修行してるんだよ!」
グールたちが、牙をむき出しにして迫ってくる。
よろめくような足取りのくせに、速い。数が多い。
ルインは一歩前へ踏み出し、槍を構え直した。
「うぜえんだよ!! 大量にいると!!」
低く吐き捨てるように言い、地面を蹴る。
「ウェッレンス(薙ぎ払う槍)!!」
ブンッ、と空気が裂けた。
ルインの槍が大きく横一文字に振り抜かれ、その軌道に沿って、風の刃が一瞬で広がる。
突っ込んできていた先頭のグールたちの胴が、まとめて吹き飛んだ。
腐った肉片が散り、骨が砕ける鈍い音が続けざまに響く。
数体は宙を回転し、そのまま民家の壁に叩きつけられて崩れた。
「ルイン! すごいじゃん!!」
「さすがですね、ルイン!!」
「……もっと褒めろ!」
ゼーラとリノアの声に、ルインはそっぽを向きながらも、耳の先が少し赤い。
その光景を見て、ノスタはただ「すごい」という感想しか出てこなかった。
(……俺、本当にとんでもない人たちに護衛頼んじゃったのかも……)
「おいルイン! 手加減してんのか? あのキメえ奴ら、立ち上がってるぞ! ノスタ!! オレ達の後ろへ下がってろ!」
「は、はい!!!」
ノスタは足をもつれさせながらも、慌てて彼らの背後へ下がっていく。
先ほど吹き飛ばされたグールたちが、骨をきしませながら、またぞろりと立ち上がった。
折れた腕をぶらぶらと垂れ下げたまま、濁った目でこちらをにらむ。
そして――再び、一斉に突っ込んできた。
「ソルマ・ルーガ(土の皺)!!」
ゼーラが地面に手をつく。
瞬間、グールたちが踏み込もうとしている一帯の大地に、ピシピシと亀裂が走った。
足場が崩れ、グールたちの足が取られる。
「アネマ・ラミーナ(風刃)!!」
リノアの周りで、風のマナが渦を巻く。
次の瞬間、彼女の前方へ、いくつもの風の刃が放たれた。
薄く、鋭い刃が、倒れかけたグールたちの首・関節・胴を容赦なく切り裂いていく。
腐汁のような液体が飛び散り、地面を汚した。
最後の一体が断ち切られて転がると、グールたちはぴたりと動きを止めた。
「なんだクッソ!! オレ、なんも相手してねえよ!!」
アデルが地面を蹴るようにして叫ぶ。
「ごめんね、アデル!! わたしたちでやっちゃって!」
「す、すみません、アデルさん……つい」
「クッソ!! おい、起きやがれグールどもがぁあ!!」
アデルが吠えても、グールたちは二度と立ち上がらなかった。
「あああ!! クッソ!! オレなんもしてねえ!!」
アデルは心底悔しそうに頭をかきむしる。
「あ、あああの〜……ありがとうございます……」
岩陰から、ノスタが恐る恐る姿を現した。
顔は真っ青で、唇も震えている。
「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」
ゼーラが駆け寄る。
ノスタはさっき尻餅をついたせいで、手のひらを擦りむいていた。
「ヒール」
ゼーラがそっと手をかざすと、淡い光がノスタの手を包んだ。
すぐにヒリつきが消え、傷がふさがっていく。
「あ、ありがとうございます……聖女様……」
ノスタは何度も頭を下げる。
そこでリノアが、村の静けさの中でぽつりと口を開いた。
「ねえ、今のって……全部、グールなんだよね?」
「私、初めて見ました……」
ゼーラが首を振る。
「黒雪に触れてしまった奴が、なるんだよな……」
ルインの低い声に、空気が少し重くなる。
「じゃあ、どっかで黒雪でも出たんか? オレ、全然そんな感じの景色見てねえぞ?」
アデルが、村の外れや空を見回す。
ノスタは返事をしない。
代わりに、俯いたまま、とぼとぼと歩き出した。
「おい! どこ行くんだ?」
アデルが呼びかけても、振り返らない。
他にもグールが潜んでいるかもしれない。
四人は武器を構えたまま、ノスタの後を追った。
やがて、ノスタは一軒の家の前で立ち止まる。
「……母さん」
そこは、彼の家だった。
扉は他と同じように、無理やりこじ開けられ、木片が散らばっている。
中からは何の物音もしない。
ノスタは、震える手で扉に触れた。
そして、ゆっくりと中へ入っていく。
リノアたちも、息を殺して後に続く。
暗い室内。
鼻を突く鉄臭さ――血の匂い。
視線の先、腰掛けに凭れかかるようにして座っている女性がいた。
腹部は深く抉られ、内臓が床にこぼれ落ちている。
手は無意識に何かをかき抱くように固まり、瞳はすでに光を失っていた。
ノスタの足が止まる。
「か、あ……さん……?」
小さく震えた声が、次の瞬間、爆発する。
「がぁぁさぁぁああんん!!! ぅう……ううああああああ!!」
ノスタはその場に崩れ落ち、床を両手で叩きながら泣き叫んだ。
肩を震わせ、声が枯れてもなお、しゃくりあげる声は止まらない。
リノアたちは、何も言えなかった。
ただ、静かに部屋の入口のところに立ち、彼が泣き止むのを待つことしかできなかった。
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どれほど時間が経ったか分からない。
「あの……ここまで連れてきてくださり、ありがとうございました……」
ノスタは目を真っ赤に腫らしながらも、きちんと立っていた。
外に出てきて、深々と頭を下げる。
「ノスタさんは、これからどうするですか?」
ゼーラがそっと尋ねる。
「僕は、グラマル大陸へ戻ります……」
「え! ラバン王国に住んでないの?」
リノアが驚いて目を丸くする。
「はい……聖女様。僕はここが実家で、今はグラマル大陸にある“商業都市ユンレール”に住んでるんです」
「ん? どっか知らねえけど、そこにいんだな!!」
アデルが、いつも通りの調子で言う。
ノスタは小さく笑いかけようとして、少しだけ表情を歪めた。
「僕は、しばらくこの村に残ります。いろいろと……村のみんなに、お別れしないと……いけ……ないので……」
声が震える。
言葉の最後が、かすれて消えた。
「おい、大丈夫か? 一人で?」
ルインが眉をひそめて問う。
「……はい。ありがとうございました」
それ以上、彼は何も言わなかった。
そして、リノアたちもそれ以上は踏み込まなかった。
こうしてノスタはハラビ村に残り、リノアたちはラバンへ帰ることになった。
鳥車は依頼主の持ち物。
置いていく以上、徒歩で戻るしかない。
距離は徒歩で四時間ほどだ。
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「よし! ここらで一旦休むか!」
帰り道の途中、ルインの提案で、小川の流れる場所で一度休憩を挟むことになった。
澄んだ水が岩の間を流れ、周囲には草の匂いが漂っている。
「なんであの村でグールが出たんですかね?」
リノアが、両手を水で冷やしながらつぶやく。
「それは分からない……。もしかしたら、俺たちが知らない間に黒雪が出てたのかもな……」
ルインは小石をひとつ拾い、川へ投げる。
輪がいくつも重なって広がっていく。
「黒雪……でも、そうなったら黒雪で汚染された川や木って、ずっとそのままなの?」
「それが、レナウス聖神国から浄化部隊――“天唱聖団”の方々が、黒雪で汚染された場所を浄化するみたいですよ」
ゼーラが静かに答える。
「そうなんだね! ゼーラ詳しいね!」
「以前、アルナディス湖に行ったじゃないですか? あそこのおじさんに教えてもらいました!」
「あー、あの白い馬がいたとこか!」
アデルが、ぱっと顔を明るくする。
「よしっ! 行くぞ!!」
ルインが突然立ち上がり、荷物を背負い直した。
「わ、分かりました!」
ゼーラとリノアは慌てて片づけをし、四人は再び歩き出した。
しばらく進むと、ラバン王国の城壁が見え始める。
門をくぐり、石畳を踏みしめてギルドへ向かう。
扉を開け、カウンターへと歩み寄る。
リノアたちに気づいた受付嬢が、慌てて帳簿や報酬袋を準備し始めた。
「任務完了だ!」
ルインが告げると、受付嬢はすぐに報酬の入った袋を差し出した。
「任務達成おめでとうございます! 他に何か問題がありましたか?」
ルインは少し間をおき、淡々と告げる。
「ハラビ村に、グールが出た……」
「っ……!」
グールという言葉に、受付嬢の表情が強張る。
「全部殺したけど、それでいいよな?」
「は、はい……問題ありません。無事でよかったです。この件は――他言無用でお願いします」
そう言って、受付嬢はすぐに奥の部屋へと消えていった。
「他言無用だってさ」
「なんでですかね?」
「わからない!」
「知らねえ! ……で、金入ったから、さっさとあの髭面のおっさんの所行こうぜ!!」
アデルが意気揚々と言いかけたところで――
「あのさ、行くの明日にしねえか。俺、ちょい疲れたわ」
ルインがふっと視線を外しながら言った。
「はあ? なんでだよ!! オレは早く行きてえんだけど」
「ルインがそう言うなら、わたしは明日でもいいよ。せっかくなら体力万全な状態で行きたいからね」
「アデルさん? どうします?」
ゼーラが問いかける。
「……まあ、いっか。じゃあ明日な! オレは街、ぷらぷらしてるわ」
「悪いな、みんな。今日は一旦、解散しよう」
ルインの一言で、四人はいったん別行動を取ることになった。
リノアとゼーラ、アデルがそれぞれの方向へ散っていくのを確認してから――
ルインは一人、鳥車舎の方へ歩いていく。
鳥車舎に着くと、なぜかそこにはリノアが先に立っていた。
「な、なんでいるんだよ!!」
「ルイン、行くんでしょ? 昔いた教会へ。わたしも行くって言ったじゃん。忘れたの?」
「あ……そうだったな。……じゃあ、行くか」
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ルインとリノアを乗せた鳥車は、街の外れ――小さな教会の近くで止まった。
ルインの頼みで、御者には「すぐ戻る」と告げ、少しのあいだ待ってもらう。
「……人の気配、ほとんどしないね」
「そういうとこは、昔と変わらんな……」
懐かしい、と言うには苦い記憶の場所。
それでもルインの足取りは、教会が見えた途端、自然と早くなっていた。
リノアも黙ってその背中を追う。
「……っ」
視界に飛び込んできた“それ”は、ルインの知る教会の姿ではなかった。
「うそ……だろ……」
壁は崩れ、屋根は一部抜け落ち、窓は割れ、草が石畳を侵食している。
かつて人々の祈りが響いていたはずの場所には、もう生活の影も気配も一切なかった。
ルインはしばらく、その場に立ち尽くした。
何かを言おうとして、何も言えず。
握りしめた拳だけが、わずかに震えていた。
「ルイン……大丈夫……?」
リノアが、そっと隣に立つ。
ルインは振り返らず、小さく息を吐いた。
「……帰るか」
それだけ言って背を向ける。
リノアは何も言わず、その肩を追いかけた。
鳥車に戻り、再びラバンへ向かう道すがら――
ルインはずっと外を眺めていた。
「ルイン……ごめん。なんて声かけたらいいか……」
「リノア、気にするな。……まあ、きっと、いろいろバレたんだと思う。……ただ、弟達がどうなったか、それだけは気になるんだ……」
低く吐き出すような声。
リノアはしばらく迷った末、言葉を選ぶ。
「ルイン。……わたし、わからないけどさ。旅してれば、いつか“その時”が来たら、きっと出会えると思うの。それまで、旅続けよう……ね……?」
「……まあ、そうだな。クヨクヨしたってしょうがねえ。……明日に備えて、体休めるわぁあ!」
最後だけ、いつもの調子に戻そうとするように声を張る。
リノアはそれを聞いて、少しだけ笑った。
ーーーー
翌日。
四人は宿屋の前に集合し、その足でモルドンのいる鳥車舎へ向かった。
鳥車舎に入ると、奥の部屋で、相変わらず髭面の男・モルドンが丸椅子に腰掛け、ウトウトしている。
「おい! 髭面、起きろ!!」
「アデルさん! 口が悪いです!!」
ゼーラがいつものようにツッコミを入れる。
モルドンが半目で顔を上げた。
「おお? なんだ?? 随分早かったなあ?」
ルインは迷わず、用意しておいた金を机に置いた。
「これでいいだろ? 俺達をさっさと白塵港に連れてってくれ!」
「そんな焦るな。ちゃんと連れてく。……ちょっと外で待ってろ」
モルドンの指示に従い、四人は外へ出る。
しばらくして――モルドンが鳥車と共に現れた。
「おまえら、待たせたな。じゃあ、ちゃっちゃと行くぞぉ〜」
頑丈そうなドゥドゥが繋がれた鳥車に、四人は乗り込む。
行き先は、白塵港。その先にある“塵埃の島”。
「ねえ、モルドン。白塵港にはどれくらいで着くの?」
リノアが御者台に向かって声をかける。
「んあ? そーだなあ……ざっと考えて三日だなー」
「三日なんだ! ありがとう!」
「三日ですか……案外早いですね!」
ゼーラが感心したように言う。
「なんか二つ目の塔行くのに、案外早いな! まだトラウスの塔攻略してから、そんな経ってないよな?」
「だよね! まあ最初はお金とかランクアップとかあったからね!」
リノア、ゼーラ、ルインの三人は、明るい調子で話を続ける。
一方でアデルは、荷台の縁に肘を置き、ぼんやりと流れていく景色を眺めていた。
「アデルさん……どうかしました?」
「ん? 別に……」
「アデル〜、もしかして〜、わたしたちだけ盛り上がっちゃって、アデルだけ一人でいるから拗ねちゃったの〜?」
「はあ? 拗ねてねーし! ただ景色眺めてただけだわ!! あほ!」
「最後の一言が余計なんだけど!! バカアデル!!」
「おいおい、口喧嘩すんなよ」
ルインが苦笑する。
たわいもない会話を交わしながら、鳥車は街道を進んでいった。
やがて、道の脇に、奇妙な木の枠がいくつも並んでいる場所に差し掛かる。
古びた木製の台と梁。
縄の切れ端だけが風に揺れている。
「これ……なんですか……?」
ゼーラが小さく尋ねると、モルドンが前を向いたまま答えた。
「ここは、“吊骸街道”だ」
「なんだそれ? 何してたんだ?」
アデルが改めて周囲を見回す。
「ここはかつて、悪人を処刑していた場所だ。昔は、ここ吊骸街道に連れてこられて、みんな処刑されてたんだ」
「そんな所なんですね……」
ゼーラが小さく身震いする。
「あ、そうだ!!」
不意にモルドンが声を張る。
「白塵港に行く前、絶対に寄らないといけねえ場所があった!」
「はあ? そんなの知らねえよ! 寄らなくてもいいよ!」
アデルが即座に食ってかかる。
「前にも言っただろ。白塵港は白い粉が空気中にあって、吸い込むとくしゃみと息苦しさがあるって。そうすると、おまえら、塔行く前に死ぬぞ。息ができなくてな!」
「それは嫌だよ!! じゃあ、どこ行くの?」
「“白樹林”だ」
「白樹林? 聞いた事ないです……」
ゼーラが首をかしげる。
「この白樹林にな、“濾息茎”っていう植物があるんだ。それを切って自分の鼻に詰めれば、埃を吸っても大丈夫になる。むしろ、この濾息茎がないと、塵埃の島で塔なんか目指せねえぞ」
「マジか! それは重要だ! なら頼む、白樹林へ連れてってくれ」
「元々そのつもりだよ」
モルドンがにやりと笑い、手綱を操る。
鳥車は、死者の影が残る吊骸街道を抜け――
白く霞む、“白樹林”へと向かっていった。
四人は、それぞれの胸に新たな決意と不安を抱えながら。
植物図鑑
濾息茎 別名 息通し草
地面や岩肌からまっすぐ伸びる植物。
茎は中空で、表面と内部に無数の微細な穴がある。
断面はスポンジや蜂の巣状で、乾くと脆くなるため新鮮なものが必須。
臭くなったら取り替えないと効果なし
本日も見てくださりありがとうございます




