第三十四話 連合軍、反撃の代償
銀鬣の一撃――風の刃により、前列が一瞬で肉片と化した光景は、
“魔獣シルバーメイグリズリー”という存在が、どれほど現実離れした脅威なのかを、嫌というほど全員に叩き込んだ。
黒い獣影は、部隊との距離をじりじりと詰めてくる。
ある程度まで来たところで、銀鬣はぴたりと歩みを止め、後ろ足でゆっくりと立ち上がった。
巨体が二本足で起き上がる。その影だけで、前列の兵士数人分を覆うほどの高さ。
月光と星留種の白光が、その銀の鬣と黒い毛皮を残酷なほどくっきり照らし出す。
銀鬣は上空を仰ぎ、口元へと濃密なマナをかき集め始めた。
「援護部隊!! 壁をつくれぇえええ!!」
ローデリクの怒鳴り声は、もはや絶叫に近い。
「「ソルマ・パリエース(岩壁)!!」」
前衛・中衛にいた魔法使い達――冒険者も騎士も一斉に詠唱し、
地面から幾枚もの岩壁がせり上がる。
分厚い石板が何重にも重なるようにして、部隊と銀鬣の間を塞いだ。
次の瞬間、銀鬣の喉奥が赤黒く光る。
――放たれた。
咆哮と同時に、凄まじい爆音と爆風が世界を塗りつぶした。
「ッ――!!」
轟音とともに、風圧という言葉では足りない衝撃が襲いかかる。
巨大な岩壁は、その一撃の前ではただの“紙”だった。
亀裂も抵抗もなく、最初の一枚から最後の一枚に至るまで、一直線に貫かれ、砕かれ、吹き飛ばされる。
咆哮に乗った衝撃波は、岩壁の残骸ごと部隊を薙いだ。
「ぐあっ――!」
「ぎゃあああっ!!」
前線から中衛にかけての大半が、まとめて吹き飛ぶ。
骨が折れる鈍い音。肉が裂ける音。肺から空気が強制的に抜ける悲鳴。
盾ごと宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる騎士。
魔法詠唱の構えのまま、血を吐いて動かなくなる冒険者。
――その一射で、“殆どの部隊”が重傷者か、即死者になった。
「こ……ここまで……なのか……」
ローデリクは膝をつきかけ、剣に体重を預けて辛うじて立つ。
理不尽、としか言えない。
これだけ戦力を集めても。
王国最強の騎士がいても。
寝床を崩す奇襲をしても――届かないのか。
(こんな奴に、本当に勝てるのか……?
俺たちは、銀鬣の前では、ただの“餌”でしかないのか……?)
弱気が一瞬、心を浸蝕しかけた、そのとき――。
「グルァアアアアアアアアア!!!」
銀鬣が、勝者の咆哮を上げる。
耳をつんざく獣の声は、生き残った冒険者・騎士たちの胸に、圧倒的な恐怖を刻み込んだ。
足がすくみ、武器を握る手から力が抜ける。
戦う気力さえ、根こそぎ持っていかれそうになる。
「うるせぇーな、雄叫び上げてんじゃねえ!!」
その空気を、荒々しい怒鳴り声がぶち壊した。
「フラトゥス・ファルキス(風鎌の息吹)!!」
二本のシックルを構え、銀鬣へ一人突っ込んでいく青年――グリム。
振り抜かれた双鎌の軌道に沿って、薄い風の刃が走る。
銀鬣は伸ばした片腕で、その斬撃を受け止める――だが、その瞬間、腕の周囲の空気が爆ぜた。
軽い風圧が、銀鬣の毛を後ろへとなびかせる。
「ラーミナ・ファルキス(風刃斬)!!」
間髪入れず、グリムは追撃を放つ。
シックルを振り抜くたび、いくつもの風刃が矢のように飛び、銀鬣の全身を切り刻もうとする。
「待たせたな! グリム!!」
背後から飛び込む声。
「フルクトゥス・ラメナ(奔流の刃)!!」
カミルが剣にマナを収束させ、一閃。
弧を描いて飛んだ水の斬撃が銀鬣の脇腹に直撃する――が、硬い毛皮に阻まれ、血はわずかしか滲まない。
「ボクもいるよぉお!!」
別方向から大斧を構えた影が飛び込む。
「テルリス・カエサ(大地の斬撃)!!」
マルタが地面すれすれから斧を振り上げると、その軌道をなぞるように岩の刃が隆起し、銀鬣の足元から突き上げた。
巨体がぐらつく。
銀鬣は苛立ったように右手を大きく横薙ぎに振り抜いた。
再び、風圧。
「くそが……!」
「グリム、どうする?」
「ボクがアイツの動き、封じる!!」
マルタが踏み込み、銀鬣へ正面から走り出す。
銀鬣は、迫り来る小柄な戦士に数本の風刃を飛ばした。
魔獣が放つそれは、一撃ごとに地面をえぐり、当たった場所の土を根こそぎ吹き飛ばす。
当たれば、ひとたまりもない。
「当たらなければ、問題ない〜!!」
マルタはギリギリのところで風刃を紙一重で避け続ける。
髪を掠め、頬を掠め、その度に血が一筋、二筋と飛ぶ。
それでも速度を落とさない。
「ルプトゥラ・ペトラエ(岩砕破)!!」
銀鬣の足元に滑り込み、大地へ斧を叩きつけた。
地鳴りと共に、銀鬣の足元の地面が一気に割れ落ちる。
支えを失った巨体が、バランスを崩してどしんと横倒しになった。
「グリム! カミル! 今だよっ!」
「言われなくても!」
グリムはシックルを構え直し、倒れ込んだ銀鬣へ一直線に駆ける。
「コロナ・ファルキス(風輪鎌)!!」
双鎌を回転させながら斬りつける。
その軌道に沿って、円状の風刃が発生し、銀鬣の胴体を輪切りにしようとする。
「ヴォルテクス・エンシス(渦剣)!!」
カミルもグリムの隙間を縫うように滑り込み、剣を叩きつけた。
刃が銀鬣の毛皮を削った瞬間、遅れて渦を巻く水刃が発生し、内部を抉るようにダメージを与える。
「す、すげえ……」
一人の冒険者が、思わず声を漏らした。
他の冒険者や騎士たちも息を呑む。
誰もが“もしかして倒したかもしれない”という期待に胸を膨らませる。
――が。
現実は、やはり甘くない。
銀鬣の周囲から、再び風圧が一気に吹き出した。
「うっ――!?」
「くそっ!」
「わぁっ!?」
マルタ、カミル、グリム――三人まとめて、爆風のような風に吹き飛ばされる。
「グルァアアアアアアアアア!!!」
銀鬣が再び咆哮を上げる。
さきほどよりも低く、怒気を孕んでいるような声。
だが、その巨体のあちこちから――わずかに血が垂れていた。
毛皮の隙間から滲む深紅の筋が、確かに傷を負っていることを証明している。
その光景を見たローデリクの瞳に、ようやく光が戻る。
「……やれる……」
握った大剣に、力が入る。
「お前らぁああ!! 俺達も行くぞぉお!! 何の為に集まったんだ!! ビビる為か? 違うだろぉ!!」
喉が張り裂けんばかりの怒号。
「立ち上がれ!! 俺達は勝てるぞぉおお!! あの三人が証明してくれた!! 相手は神じゃない!! ただの魔物だぁあ!!
もう――この悪夢を終わらせるぞぉおお!!
死ぬ覚悟ある奴は、俺についてこい!!!」
「「「うぉおおおおおおお!!!」」」
冒険者、騎士――生き残った者達は、ローデリクの言葉に感化され、再び武器を握りしめた。
「俺はお前を倒し、名誉を手に入れる!!」
「家族の仇は、私が討つ!!」
「この国の為に、お前を殺す!!」
叫びながら、それぞれが胸に秘めた思いと共に銀鬣へ飛び込んでいく。
グリム、マルタ、カミルも、その流れに乗って再び走り出そうとした、そのとき――。
「お前達は休め! その間、俺たちに任せろ!!」
屈強な男が、騎士達と共にグリムたちの前に飛び出した。
バルドゥインだ。
彼は三人をぐっと押し返すように前へ立ち、そのまま金棒を振り上げて雄叫びを上げる。
「銀鬣!!! お前、そろそろくたばれやぁああ!!」
「モーレス・テッラエ(大地の質量)!!」
振り下ろされた金棒は、魔法によって異常なまでに重くなっていた。
地面を踏み抜きそうな重量が、そのまま銀鬣の肩口に叩きつけられる。
「グルァア!!」
銀鬣が初めて明確な苦痛の声を上げた。
「まだまだ終わらんぜぇ!! 沈め、銀鬣!!」
「グラヴィタス・ソルマ(土重力)!!」
命中した箇所に、土の重力が纏わりつくように発動する。
銀鬣の右肩から胸にかけて、目に見えない“重し”がかけられたように、動きが鈍くなった。
「お前ら、一気にやれええええ!!」
バルドゥインの掛け声に、騎士たちが一斉に突撃する。
銀鬣は動きの鈍さを振り払うように腕を振り回すが、最初に比べれば明らかにスピードが落ちている。
「よし! 動きが遅いぞ!!」
「流石、バルドゥインさん!!」
六十人近い冒険者・騎士が、一斉に斬撃と魔法を浴びせかける。
それでも銀鬣は倒れないが、確実にダメージは蓄積していく。
鈍くなった銀鬣の攻撃は、ある程度見切ることができる。
振り回される腕や薙ぎ払いの一撃は、ぎりぎりで避けきれる。
だが――急に繰り出される噛みつきだけは別だった。
「うわっ――!」
油断していた騎士の上半身が、銀鬣の顎の間であっさりと消える。
血飛沫と骨の砕ける音が、戦場の一部を真紅に染める。
それでも、もう誰も足を止めない。
冒険者と騎士の手数が、銀鬣の周囲から絶えることはなかった。
「おいグリム……このまま、勝てそうじゃねえか?」
「ボクたちの出番ないかも〜」
カミルとマルタが息を整えながら言う。
だが、グリムは黙ったまま、銀鬣の動きを穴があくほど見つめていた。
「俺も行くぞぉおお!!」
ローデリクも大剣を構え、銀鬣へ突き込む。
「おおお!! フェルルム・アルデンス(燃える鋼)!!」
大剣の刀身が赤熱し、灼ける鉄の色を帯びる。
そのまま銀鬣の横腹へ斬りつけると、硬い毛皮に阻まれつつも、熱と刃がじわじわと肉を焼いた。
銀鬣もすかさず腕を振り下ろすが、動きが鈍いおかげで、ローデリクは紙一重でそれを避けきる。
少しずつ――銀鬣の上半身の毛に変化が現れていた。
黒かった毛並みの一部が、じわりじわりと“銀”へと変わり始めていたのだ。
鬣ではなく、肩や胸のあたりにまで、銀色が侵食していく。
「お前らぁああ!! このまま銀鬣を葬るぞおおお!!」
「「「おおおおぉおおお!!」」」
ローデリクの声に、冒険者・騎士の士気は最高潮に達する。
攻撃の手数も速度も、さらに上がった。
「はっはっはっは!! いいぞ!! いいぞ!! 銀鬣!! これで倒れろおおお!!」
「フェルルム・テッラエ(大地の鉄)!!」
バルドゥインの金棒に、地面から鉄骨石の成分が巻きつくように集まり、さらに重量を増す。
それを全身のバネを使って振り下ろす。
バコッ、と鈍く重い音。
銀鬣の肩に、確かな手応え。
――その直後だった。
銀鬣の全身が、ぶるり、と震える。
「――ッ!」
次の瞬間、獣の身体から風圧がほとばしる。
「下がれぇええ!!」
誰かの叫びが聞こえた時には、ほとんどの者は条件反射で距離を取っていた。
バルドゥインだけが――一歩、前へ。
「俺を舐めるなぁああ!!」
気合で風圧の中を踏み込もうとした、その瞬間。
銀鬣が、身体を軸にして一周するように大きく腕を振り抜いた。
世界が、丸く割れた。
目に見える輪が開くように、半球状の“風牙”が周囲に展開し、
その中にいた者たちを、まとめて切断していく。
「――――」
叫ぶ暇もなかった。
バルドゥインの首は、胴から綺麗に消えていた。
その身体は、まだ数歩ほど惰性で歩き、遅れて地面に崩れ落ちる。
近くにいた連合軍の兵たちも、まるで糸を切られた人形のようにバタバタと倒れていく。
胴と脚が別の場所に転がる者。腕だけ飛んだ者。
あまりにも一瞬の出来事で、誰も状況を即座に理解できなかった。
「グルァアアアアガァアアアア!!」
銀鬣が、さらに高く咆哮を上げる。
そのまま後ろ足で立ち上がり――再び、口元に凄まじいマナを集め始めた。
「グリム!!! エル級魔法をアイツ放つぞ!! 今すぐ止めないと俺達全滅するぞ!!」
カミルが叫ぶ。
「ああ!! あの攻撃、止める!! ――おい、マルタァアア!! 何してる!!」
グリムが振り向いた時には、マルタはもう、銀鬣目掛けて全力で走っていた。
早くも、こうなる未来を理解していたのだろう。
それを変えるために、誰よりも早く動いていた。
「撃たせないよ〜銀鬣!! 絶対に撃たせない!! おおお!!」
「スキッシオ・ペトラエ(岩断裂)!!」
銀鬣の口元を狙って、大斧を振り下ろそうと跳ぶ。
だがその瞬間――。
銀鬣の口元に集めたマナが、膨れ上がり、マルタへと向けて解き放たれた。
「……ッ!」
防御の体勢を取る暇もなかった。
咆哮と共に放たれた光と衝撃が、マルタの小さな身体を丸ごと呑み込む。
「「マルタァアア!!」」
グリムとカミルの叫びが、喉を裂く。
光と爆風が収まり、そこに残っていたのは――
粉々に砕けた、大斧の残骸だけだった。
本日も見て下さりありがとうございます!




