第二十六話 はぐれた聖女
リノア達は、ブティック族の仲間を探してラウスリーフの中を慎重に歩いていた。
頭上では巨大な葉が重なり合い、その隙間から差し込む光が、水面に映るような揺れる紋様となって地面に落ちている。空気はしっとりと湿り、土と草と大樹の匂いが濃かった。
「ねえ、あなたは名前なんて言うの?」
リノアが腰を少し屈めて、小さな同行者に目線を合わせて微笑みかける。声はいつも通り明るくて、けれどどこか安心させる柔らかさがあった。
「おれは、フイフイって言うんだ! よろしくゴミ!」
胸を張って名乗る小人族。腰くらいの背丈しかないのに、態度だけは妙に堂々としている。
「フイフイね! わたしはリノアって言うの。よろしく!」
「うん! よろしく! リノアと友達になれて、おれ嬉しいゴミ!」
「わたしもだよ!」
ふたりはすっかり打ち解けて、楽しそうに歩く速度まで揃えだす。その後ろで――
アデルは、そのやり取りを露骨に冷ややかな目つきで眺めていた。
「おいアデル、そんな目で見るなよ」
呆れ気味にルインが肘で小突く。
「なんだよルイン。オレ別に見てねーし」
「思いっきり刺すような目してたけどね、今」
ゼーラが苦笑混じりに付け加える。
「アデルくん、私も見てました。語尾に癖はありますけど、悪い部族には見えませんよ?」
そこへ、ルナとラセルも会話に滑り込んでくる。
「アデルさんプライド高いからなぁ〜、すぐ怒るし!」
「は? オレ別にすぐキレてねぇし!!」
即座に噛みつくアデル。
「にゃはは〜、もう怒ってるじゃん!」
「ルナてめぇ!! オレはキレてねぇって言ってんだろ!!」
声がどんどん大きくなっていく。ラウスリーフの静寂をぶち壊すテンションだ。
ルインが慌てて両手を広げてなだめる。
「まあまあアデル、落ち着けって。……それか、いっそ練習してみればどう?」
「練習? なんのだよ」
「あの“ゴミ”って言葉にイラつくんだろ? だったら、いっそのこと言われまくって慣れちゃえばいいのさ」
「はあ? 慣れるって……“ゴミ”って言葉にか?」
「そうそう。ラセル!」
名指しされたラセルが、ピクッと肩を震わせる。
「とりあえず、アデルと喋る時“ゴミ”って付けてみろ」
「えええええ!? ふざけないでよ! なんで僕なんだよ!!」
「いいから。なんかあったら俺が止めるからさ。な?」
ルインがニヤリと笑って背中を押す。完全に悪ノリである。
少し後ろで状況を見ていたルナが、ゼーラの袖をくいっと引く。
「にゃはは〜、ゼーラ少年、どう思う?」
「ど、どうって……ラセルさんがアデルくんに“ゴミ”って言う事ですか……ラセルさん、大丈夫ですかね……」
ゼーラは心配そうに眉を寄せた。どう考えても、大丈夫な未来が見えない。
ラセルは観念したようにため息をつき、アデルの隣へと歩み寄る。
「ア、アデルさん!! “ゴミ”って言葉に慣れろよ! こ、これは仕方なくやる事だから、けっしてぇええ!! ぼ、僕はアデルさんの事、ゴミとは一切思ってぇ!! ないからなぁああ!!」
無駄に声がでかい。
「声がデカいんだよ。わかったから、さっさと言え」
アデルは腕を組んだままジロッと睨みつける。その視線にラセルの背筋が凍る。
(やるしかない、やるしかない、これは鍛錬、これは鍛錬……!)
自分に言い聞かせ、ラセルは一度大きく深呼吸した。そして、腹をくくり――アデルの顔を真正面から見据える。
「ア、アデルさんってマジゴミだよなぁ〜! すぐキレるとことかゴミ中のゴミ! まだ五歳の子の方が我慢できるし、それと比べるとアデルさん、ゴミ中のゴミ、超・絶・ゴォミィ!!」
一気にまくし立てた。
ルインの頬に冷や汗が浮かぶ。
(やべえ……ブティック族の“ゴミ”と違って、これ完全に悪口だ……!!)
さすがのルインも「やめろ」と言い出すタイミングを見失う。恐る恐るアデルの表情に視線を向けると――
意外にも、アデルの顔は無表情だった。怒ってもいない。笑ってもいない。ただ、じっとラセルを見ている。
それを見てラセルは、完全に調子に乗った。
「アデルさんのカス、ゴミ、バカ、アホ、すっとこどっこい、ちんちくりん!!」
日頃溜まっていた鬱憤まで吐き出すように、暴言が歯止めを失う。顔つきも、誰が見てもムカつく挑発顔だ。
さすがにルインが慌てて口を挟む。
「おい……ラセル! ちょっと、言い過ぎじゃ……」
しかしラセルは止まらない。
「アデルさ〜ん、ベロベロベロベロバァァァカァァ!!」
舌まで出し始めた。
少し離れた位置で見ていたルナが、こそこそとゼーラにささやく。
「ラセル〜、なんかアデル少年の空気やばくない〜? ラセルの“調子乗る癖”すぐ出ちゃってるよ〜」
「は、はい……今にも爆発しそうな……」
そして――
ラセルの勢いが、ぴたりと止まる。
「あ、ア、アデルさん……ど、どうですかねー……ゴミに対する、えーっと、そのーー耐性ですか、つ、つつつ……つきまじだ……」
ラセルはもう涙目だった。もはや自分が何を言っているのか、本人もわかってない。
その一部始終を見ていた全員が、同時に手を合わせて心の中で祈る。
(南無……)
――ゴッ。
鈍い音が、ラセルの頭蓋から響いた。
・
・
・
「にゃはは〜、でもラセル一発だけで済んでよかったじゃん〜」
少し後。ラセルは頭をさすりながら、涙目で訴える。
「一発でも痛ぇーんだよ!! ルナちゃん、ヒールかけてよ〜!!」
「自分自身で蒔いた種じゃ〜ん! ルナはマナもったいない〜」
「アデル、ラセルのおかげでわかっただろ?」
ルインが真面目な顔で言う。
「悪意ある言い方と、悪意が全くない言い方の違いをさ」
「おう。なんとなくだがわかったぜ!! あの小人族の“ゴミ”は自然に口から出てた。ラセルのはマジでクソ腹立つ言い方だったぜぇ!!」
「でもアデルくん、最初言われた瞬間から殴ると思ってたんですけど、よく耐えましたね……」
ゼーラが心底不思議そうに首をかしげる。
「オレの頭の中では、ラセルは何百回も地面に埋め込んでたけどな」
アデルが平然と言うから、逆にゾッとする。
「埋め込むって……どうやってるんですかね……」
ゼーラは変なイメージが浮かんでしまい、肩を震わせた。
その頃、リノアとブティック族のフイフイは、アデル達より少し前を歩きながら、まだ楽しげに話し続けていた。
「ねえフイフイ。わたし達以外にも、聖女って見た?」
「うん、見たよ〜。昨日くらいに見たゴミ! でも、その時会った聖女、目が虚ろで何も反応なかったんだよね……仲間達もおれを睨むし、めっちゃ怖かったゴミ……」
フイフイの表情が曇る。いつも軽い語尾と裏腹に、その時の恐怖は本物らしい。
「ここまで来る間に、きっと大切な人を失ったのかもしれないね……」
リノアは小さく呟く。その胸の奥に、聖女達の過酷さがずしりとのしかかってくる。
フイフイは少し俯いた。リノアはその頭を、ぽんぽんと優しく叩いた。
「フイフイの仲間、まだ見つからないね。何人ぐらいいるの?」
「三人ゴミ!」
「そっか、三人か。……あ、フイフイ。さっきからずっと気になってたんだけど、その“ゴミ”って何?」
「へ? 何がゴミか?」
きょとんと目を丸くするフイフイ。本気で意味を理解していない様子だ。
「やっぱり大丈夫!」
(言っても絶対通じないやつだ……)
リノアが苦笑した、その瞬間だった。
フイフイの小さな体が、突然何か長い物に絡め取られる。
「え――」
ぬらりと光る、異様に長い舌。フイフイの体を鞭のように締め上げ、そのまま森の奥へと引きずり込んでいく。
「フイフイ!!」
リノアは反射で手を伸ばすも、指の先からするりとフイフイの姿が遠ざかっていく。そして。
「きゃっ……!」
今度はリノア自身の腰にも、同じような舌が巻きついた。ぐん、と強い力で体が引っ張られ、そのまま地面から足が離れる。
視界が揺れ、木々が流れ、空と葉と大地がぐるぐると入れ替わる。
声を上げる暇も無く、リノアもまた森の奥へと連れ去られていった。
・
・
・
「にゃはは〜? あれ〜、リノア少年と小人って、もう先行った?」
ルナが急に首をかしげ、きょろきょろと辺りを見回す。
「急にどうしたんですか? ルナさん」
ゼーラが問い返す。
「いや〜、リノア少年達が見えなくなったからさ〜」
「へ? リノア達なら先に――」
アデルが言いかけるのを、ルインが遮った。
「……にしては、行き過ぎじゃね? もしかして、はぐれた?」
「ええっ……この場所で、はぐれるってまずくない?」
ラウスリーフの中は、視界こそ開けているが、上からの“エルフの涙”と魔物の気配で気が抜けない。迷子が出ていい場所ではない。
「リノアさん、ブティック族を守りながら移動するの危険すぎますよね……ただでさえエルフの涙が降ってきたりしたら、探すのが困難になります……」
ゼーラとラセルの焦りが一気に高まる。
「ゼーラ、ラセル! 焦んな! とりあえず探すぞ!」
アデルが声を張る。
「探すって、どこを探すんだよ!! アデルさん!!」
ラセルが半泣きで返した、その時――
パラ……パラパラ……
上から柔らかい音と共に、水が落ち始めた。
ルインの眉がぴくりと跳ねる。
「おいおい、これって……」
「ルイン少年、勘がいいね〜! くるよ、“エルフの涙”!!」
「ざっけんなぁ! ボケ!! 一粒一粒、一撃で破壊してやる!!」
拳を握るアデルに、ラセルが全力でツッコむ。
「アデルさん!! バカなんじゃないですか!! 拳砕けますよ!!」
「お前ら! 言い合ってる場合か!! 移動するぞ!!」
ルインの指示で、一行はすぐさま近くのラウスリーフの根本へと走った。頭上から落ちる巨大な水滴が、あちこちの地面を抉り、ズバーンッ、ズドォンッと爆発じみた音を響かせる。
「リノアさん達……大丈夫かよ……」
ラセルが不安そうに呟く。
「クッソ、クッソ、クッソ!! あああ!!! クソうぜぇーな!! エルフの涙!!」
アデルは苛立ちを地面にぶつけるように、靴で土を蹴り上げた。
「まあ〜まあ〜、アデル少年落ちつこう〜。でも、探す当てないよね〜?」
ルナが頬をかきながら言う。
「私も……どうしたらいいかわかりません。塔の位置もラウスリーフが邪魔してわからないですし……」
ゼーラが不安げに周囲を見渡した、その時だった。
――ドサァッ。
頭上から、何か重いものが落ちてくる音がした。
着地したそれは、折れた木の枝や幹が不自然な角度で絡み合い、一つの塊となってうねっている“何か”だった。ぎしぎしと音を立てながら立ち上がると、その高さは三メートル近くにまで達する。
「おい……なんだコイツ……」
アデルが思わず顔をしかめる。
「僕、初めて見るよ!! なんだよこの木の化け物は!!」
ラセルは一歩、二歩と後ろに下がった。
魔物が完全に動き出すより早く、ルインが土を踏み締めて前に出る。
「ゲネシス・グラディウス(武器生成・剣)!」
大地のマナが凝縮し、ルインの手に土色の剣が形を成す。
「くらえ!! オキデレ!!」
地を蹴ったルインの剣が、木の魔物の胴を大きく薙ぎ払う。同時に、ゼーラも詠唱を終えていた。
「私もいきます! ソルマ・マレウス(岩槌)!!」
空間に浮かび上がった巨大な岩の槌が、木の魔物の肩口に叩きつけられる。二人の攻撃が連続で命中し、ぐらりと体勢を崩した木の魔物は、地面へと崩れ落ちた。
「ルイン!! ゼーラ!! もうやっちまったのかよ! オレもやりたかったぜ!!」
アデルが悔しそうに叫ぶ。
「さっすが〜! ナイス、ルイン少年! ゼーラ少年!!」
ルナも手を叩いて笑う。
ラセルは恐る恐る、倒れた木の魔物に近づき、つま先で小突いた。
「……ほんとに、倒せたんだよな……?」
遠慮がちなキックが、何度も繰り返される。
「ラセル〜、さすがに死骸蹴るのはよくないよ〜」
ルナが眉をひそめると、ラセルが慌てて両手を振った。
「ち、違うんだ!! ルナちゃん!! もしかしたら生きてるかもしれないだろー!! 確認、確認!!」
――パキパキッ。
木の折れるような音が、ラセルの後ろから聞こえた。
ぞわっと背筋が冷たくなり、ラセルが振り向く。
そこには――いつの間にか背後に接近していたマンティスが、鎌を振り上げてラセルを狙っていた。
「マンティス!!! フォルマ・エンシス!!」
ラセルが炎の剣を構えた、その瞬間。
マンティスの体が、何本もの木の根っこ――いや、触手のようなものに絡め取られた。
「うわっ!!?」
そのまま、ずるずると地面を滑り、先程倒れたはずの“木の魔物”の方へと引きずられていく。ラセル、そしてアデルたちも、その行き先を目で追い――戦慄する。
ぐにゃり、と木の幹が裂け、マンティスの体が、木の魔物の内部へとずぶずぶ飲み込まれていく。
「おいおい、マジかよ……」
ルインの喉がごくりと鳴った。
木の魔物は、マンティスだけでは飽き足らず、周囲に潜んでいた他の魔物たちへも触手を伸ばす。バッタ型の魔物や、小型の獣魔が次々と絡め取られ、悲鳴をあげる間もなく吸収されていく。
絡み合う木々がうねり、ねじれ、積み木のように組み替わっていく。やがて――一本の巨大な“歩く木の怪物”が姿を現した。
「こ、これは……なんだよ、ああああ……歩く木の化け物じゃねぇーかよ!!」
ラセルは声を震わせた。
その中心部だけが、心臓のように淡く緑色に脈打つように光っている。丸太のような太い腕が二本、軋む音を立てて動き始め――
ブン、と一撃。ラセル目掛けて振り下ろされる。
「あ――」
腰が抜けたように、その場に尻もちをつくラセル。恐怖で体が言うことをきかない。
「ラセル、何してる!! 避けろ!!」
ルインが叫ぶが、ラセルの足は地面に貼り付いたままだ。
魔物の腕が、迫る――
「アクア・ヴァル(水壁)!!」
ルナの鋭い声と共に、水の壁がラセルの前方に立ち上がる。
ドガァンッ!!
丸太の腕が水壁に叩きつけられ、激しい水飛沫が飛び散った。防いではいるが、その衝撃だけで水壁にヒビが入り、次の瞬間には崩れ落ちる。
「ナイスだ!! ルナ!! 今度はオレの番だぁ!!」
アデルが地面を蹴って跳ぶ。魔物の懐へ飛び込み、その巨体の脇腹めがけて鋭く蹴り込んだ。
「ルーナ・カルキブス(三日月蹴り)!!」
三日月の軌跡を描いた蹴りが、木の魔物の胴を強烈にえぐる。怪物はのけぞり、重い足取りで二、三歩よろめき後退した。
「ゲネシス・ノワークラ・ドゥオ(岩の短剣二本)!」
ルインの両手に、二本の短剣が形作られる。
「クイス・オキデレ(回転斬り)!!」
ルインが跳躍し、体を回転させながら淡く光る中心部めがけて斬り込んだ。多くの手数による連撃が、その“核”らしき部分の周囲の木を削り取っていく。
「ソルマ・クラヴィス(岩釘)!!」
ゼーラの魔法が追い打ちをかける。無数の岩釘が木の表面を貫き、守りを削ぎ落としていく。中心の光る部分にはっきりとヒビが走った。
「たたみかけるぞぉお!!」
ルインの掛け声と共に、ラセルも立ち上がって突っ込む。
「ぼ、僕はお前なんかに、ビビってねぇ!!」
火を纏った剣が、鋭い突きとなって核めがけて伸びる――が。
「っ……!」
その瞬間、核の前に木の根が生え出て、盾のように剣を弾いた。
「なんでっ!」
「何してるラセル!!」
ルインが苛立ち混じりに叫びつつ、再び斬り込む。
「クイス・オキデレ!!」
だが、左右から丸太の腕が同時に迫り、ルインは即座に攻撃を中断して後方へ飛び退くしかなかった。
「クッソ……まだ根が邪魔か!!」
「ルイン少年!! まっかせてぇ!! 根っこごと貫通させちゃうよ〜!」
ルナが人差し指をピンと前に突き出す。
「アクア・グッタ(水滴弾)!!」
高速で撃ち出された水滴が、鋭い弾丸となって根っこを貫通し、そのまま核に突き刺さる。ぱきん、とさらに深いヒビが走った。
「ナイスだぜぇ! ルナ!!」
アデルがにやりと笑う。
気づけば、アデルはもう怪物の目の前にいた。
「ペガルイム・プルス(殴る衝撃)!!」
拳が核に突き立った瞬間、衝撃が内側から爆ぜるように弾けた。淡い緑の光が一気に膨張し、次の瞬間――
ぱんっ、と核が砕け散る。
支えを失ったかのように、木の魔物の体が軋みながら崩れ落ち、バラバラになった木片と根が地面へと散乱していく。
静寂。
「……マジなんだよ、コイツ。面倒クセェー奴だったわ」
アデルが鼻を鳴らした。
「アデル少年!! ナイスタイミングだったよ〜! それと比べて〜ラセルは、最初っからビビって尻もちついてたもんね〜」
ルナが容赦なく追い打ちをかける。
「う、うるせぇー!! コケただけだし!!」
「はいはい〜」
ルナはさらっと流す。
そこでルインが、ぴしゃりと声を張った。
「お前らなー。緊張感まだ持てよ! リノアと小人が、まだ見つかってないんだぞ!」
その言葉に、場の空気がもう一度引き締まる。
――パラ、パラ。
再び水滴が落ちる音がした。
「え……また来るの……僕、やだぁあああ!!」
ラセルがしがみつくようにゼーラの背中に隠れる。
「うるせぇーぞ!! ラセル!! オレだってうんざりしてんだよ!! とっとと根本にまた行くぞ!!」
アデルがラウスリーフの茎の下へと全員を誘導する。四人は再び、エルフの涙を避けて雨宿りをすることになった。
「さっすがに、こう頻繁に涙流されるときついよね〜。エルフちゃん、泣き止まないかなぁ〜」
ルナが、上空の見えない“エルフ”に話しかけるように言う。
「ルナがなんか面白いことすれば、泣き止むんじゃね?」
「にゃはは〜、ルイン少年。ルナはぜーんぜん思いつかな〜い」
「……リノアは水滴に押し潰されてねぇよな」
アデルがぽつりと呟く。
「アデルさん、怖いこと言わないでください!! あぁ、心配ですね……リノアさん……無事だといいですけど……」
ゼーラの声が、かすかに震えていた。
・
・
・
一方その頃。
リノアは、あの長い舌に絡め取られたまま、森の奥へと引きずられていた。体が横に振られ、視界が常に揺れ続ける。
(くっ……なに、これ……! とりあえず、フイフイを助けないと!!)
必死に意識を揺れに奪われないよう耐えながら、斜め前方を見る。少し離れた位置で、フイフイも同じように舌に絡まれ、泣きそうな顔で引きずられていた。
リノアは、なんとか腕を舌の方へ自由に動かせるよう体勢をねじり、狙いを定めてマナを練る。
「――上手く当たって!! ラミーナ(風刃)!」
放った第一撃は、揺れる視界と動く舌のせいで軌道が逸れ、空を切った。
「お願い!! ラミーナ!! ラミーナ!!」
二発目もかすめただけ。三発目――
ヒュンッ、と鋭い風の刃が舌に食い込み、切断する。
「リノア!! う、うわああああ!!」
支えを失ったフイフイの体が、ふわっと空中に浮いて、地面へ落下する。
「フイフイ!」
リノアは自分の体に絡みついた舌にもラミーナを叩き込み、切断。空中でぐるりと体をひねり、地面に転がりながらも受け身を取って衝撃を逃がした。そのまま跳ね起き、フイフイのもとへ駆け寄る。
「フイフイ、大丈夫!? ヒール!!」
淡い緑の光が、リノアの手から溢れ出す。フイフイの擦り傷だらけの体が、じわじわと癒されていく。
「リノア……ありがとうゴミ……」
涙目で笑うフイフイの姿に、リノアもほっと息を吐く。
「聖女様、すっげーゴミ!!」
喜びを全力で表現しているのだが、語尾のせいで褒められているのかどうか、一瞬わからない。
その時――
ザッ、ザッ……ザ……。
乾いた足音が、複数。周囲から近づいてくる気配に、リノアの背筋が伸びる。
「フイフイ!! 静かに!!」
リノアはフイフイの口をそっと押さえた。ラウスリーフの根と根の隙間から、影がぬるりと姿を現し始める。
フイフイの顔から血の気が引いた。
「フイフイ、大丈夫?」
「あ、ああ……大丈夫ゴミ……。あの魔物は“カメリドゥ”だゴミ……」
「カメリドゥ?」
リノアが小声で聞き返す。
「さっき、おれ達に巻きついた舌、あのカメリドゥの舌なんだゴミ……。あの鋭い牙と爪で獲物を殺して、捕食する……」
緑がかった鱗。ねっとりとした舌。ギョロリとした大きな目。カメリドゥは、幸いまだリノア達に気づいていないようで、ゆっくりと別の方向を見回していた。
(このまま、どっか行ってくれないかな……)
リノアとフイフイが、心の中で同じ願いを抱く。
――パキッ。
乾いた枝を踏む音がした。リノア達のいる場所とは別方向からだ。
カメリドゥの首が、ゆっくりと音の方へ向く。舌をちろちろと出しながら、足を引きずるように、その音のする方角へと移動を始めた。
リノアとフイフイは、息を殺してじりじりと後退する。ラウスリーフの影に紛れながら、距離を取っていく。
ふと、フイフイの視線がラウスリーフの根元に向かって止まる。
そこには――
怯えた顔で、こっそりとリノア達を見ている、小人族が一人。ラウスリーフの根の陰に必死に身を潜めている。
フイフイは小声でリノアの袖を引いた。
「リノア!! おれの仲間がいたよ!!」
「どこに!」
フイフイが指差す先――それは、カメリドゥが向かっている方向だった。
リノアはフイフイを見つめ、すぐに決意を固める。
「フイフイ! 隠れてて!! わたしが“いいよ”って言うまで、絶対出て来ないでね!!」
「リノア……どうするんだよ……」
「決まってるじゃない! カメリドゥを倒す!」
さらっと言い切る。
「リノア……」
フイフイの瞳が揺れる。不安と期待とが混じった視線。
リノアは笑顔を作って親指を立てる。
「心配しないで〜。あんなやつ、一撃で倒すんだから!」
つい、アデルの「一撃」癖を真似してしまい、自分で少し笑ってしまう。でも――胸の奥は、きゅっと張り詰めていた。
リノアは深く息を吸い込み、マナを集中させる。
「行くよ、カメリドゥ……!」
手のひらに風の気配が集まる。
「ラミーナ!!」
風の刃が一直線に飛び、カメリドゥの尻尾を切り裂く。鮮血が飛び散り、カメリドゥのギョロ目がリノアを捉えた。
次の瞬間、狂ったような勢いで突進してくる。
「速っ――!」
リノアは地面を蹴って左へ跳ぶ。すれすれでそれを躱し、振り向きざまにもう一度マナを込める。
「ラミーナ!!」
鋭い風が鞭のように走り、尻尾の根元を断ち切った。
「キィイイイイイイイイイ!!!」
耳をつんざくような奇声が、森全体に響き渡る。ヨダレを垂らし、さらに速度を上げて、一直線にリノアめがけて突っ込んでくる。
「行動パターン、丸わかりなのよ!!」
リノアは踏ん張って両足を地に固定し、真正面からそれを迎え撃つ。
「アネマ・フルゴル(瞬風衝撃)!!」
凝縮した風の衝撃波が、突進してくるカメリドゥの頭部に直撃した。
鈍い手応え。カメリドゥの体がぐらりと揺れ、そのまま前のめりに倒れ込む。地面に叩きつけられた頭がピクピクと痙攣し――やがて、完全に動かなくなった。
風が、少しだけ静かに吹き抜ける。
「リノアァァ!! すっげぇええ!! すっげぇえ!!」
フイフイが堪らず飛び出してきて、リノアの足元をぴょこぴょこ跳ね回る。
それに釣られるように、ラウスリーフの根元に隠れていたブティック族が、恐る恐る姿を見せた。
「フイフイ!!! どこ行ってたんカスか! 心配してたんカスよ!!」
「おおお!! ムイムイ!! 会いたかったよぉおお!!」
フイフイが勢いよく飛びつき、小さな体でムイムイをぎゅうっと抱きしめる。
「フ、フイフイ、く、苦しいカス……」
「ご、ごめんムイムイ!!」
リノアは思わず笑ってしまう。
「ねえ、フイフイ。この子、お友達?」
リノアがムイムイに目を向けると、フイフイが胸を張る。
「はい! そうだよ!!」
ムイムイは慌ててリノアの前に進み出て、深々と頭を下げた。
「あ、あの!! 聖女様!! 助けてくださり、本当にありがとうございますカス!!」
「怪我してない? 怖かったでしょ? 大丈夫だった?」
リノアはしゃがみ込み、ムイムイの顔を覗き込むように近づいた。距離が近すぎて、ムイムイの頬がみるみる真っ赤になる。
「リノア〜、ムイムイと距離、近いよ〜。ムイムイの顔見てみ! すごく赤いよ!」
フイフイがクスクス笑う。
「ああ!! ごめんね!! 近かったね!! 嫌だったよね!!」
リノアが慌てて下がると、ムイムイが両手をぶんぶん振る。
「そ、そそそ、そんなことぉお!! ないカス……!!」
(フイフイは“ゴミ”、ムイムイは“カス”……ん〜、どう聞いても悪意なさそうなんだよな〜)
リノアは心の中でだけ突っ込み、言葉にはしなかった。
その時、ムイムイが顔を上げて言う。
「おい、ムイムイ! 鎧亀のところまで案内してくれ!」
フイフイが横から割り込んだ。
「すぐ案内するカス! フイフイが見つかって本当によかったカス!」
「ねえ、ムイムイ! その鎧亀、わたしも乗せてくれない? あと、実は仲間とはぐれちゃってて……見つけないといけないの……」
リノアが不安そうにお願いすると、ムイムイはびくっと肩を震わせたあと、真剣な表情で頷いた。
「も、もっちろん構いませんカス!! 僕の命の恩人カスので、ぜひ乗ってください!!」
「やったぁああ!!」
リノアは両手を上げて飛び跳ねる。
胸の高鳴りが、さっきの戦いの興奮と混ざって、全身を熱くする。
「待っててね、みんな!! すぐ合流するからね!!」
リノアは心の中でそう叫び、フイフイとムイムイに続いて、鎧亀のいる方角へと駆け出していった。
魔物図鑑
カメリドゥ
鋭い牙と長い舌で獲物を捕食する魔物、普段は緑色をしているが、繁殖期になると茶色へと変化する、ごくたまに、体の色を自由に変化できる個体もいる
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