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第二十三話 魔法のない強さ

 リノアたちとアデルたちは、名残惜しそうに湯気立つ池から上がると、それぞれ岸辺でタオル代わりの布をぱんぱんとはたきながら、順番に服を身につけていった。


「いや〜!! 体がすっげースッキリしたぜ!」


 まだ髪先から湯気を立ちのぼらせながら、アデルが腕をぐるぐる回して伸びをする。肌の赤みが残っていて、湯の熱がまだ抜けきっていないのが一目で分かる。


「アデルさん、まだ体から湯気出てるぞ〜」


「ラセルも出てるぞ〜、湯気」


「ぼ、僕もか!!」


 自分の腕から立ちのぼる白い湯気を見て、ラセルは目を丸くする。さっきまでの甲高い悲鳴の余韻が、まだ喉に残っているようだった。


「それよりもアデルさん、よく見つけたね! 元々ただの池だったのに、何か怪しいと思ったから思いっきり水面叩いたんだよね?!」


「その通りだ!! オレは感じたね! “何かあるぞ”ってな!!」


 胸をどーんと叩き、得意満面。アデルは湯けむりの池を振り返り、まるで自分専用の温泉でも掘り当てた英雄のように鼻を高くする。


(……いや、絶対ただの八つ当たりで殴っただけだろ....)


 ルインは内心で盛大にツッコミを入れながらも、さっき細かいことをぐちぐち言ってしまった自分を思い出し、アデルに声をかけるタイミングを計っていた。口を開いては閉じ、妙にもじもじしてしまう。


「ん? なんだルイン? しょんべんか? とっとと出してこいよー」


「ち、ちげーよ! あのよ! アデル……さっきはな……悪かった……」


 絞り出すように謝罪の言葉を告げ、そのまま深々と頭を下げる。しばらくしてから恐る恐る顔を上げると――


 アデルは、指を鼻につっこんでいた。


「へ? 何がー? ……おお!! おおお、取れぞぉお!! はあ!! デッケェー鼻くそ取れたぜ!!」


 ルインは頭をがしがしかきむしり、やり切れない顔を空に向ける。


(真面目に謝ったオレがバカみてぇだ……)


 アデルは大物を捕獲した子どものような顔で、その“戦利品”を指先で弾き、真上に飛ばした。


 ピタッ。


「ん? 何か頭についた気がする! ゼーラ、鳥の糞でもついてない?」


 半歩前に出てきたゼーラの目の前に、ちょうどリノアの頭が差し出される。


「ん〜……何か茶色のゴミですかね、ついてます」


 ゼーラは指でつまんで取り、まじまじと観察してからリノアに見せる。


「これなんだろう? まあ、何かの種ね!」


「種ですかね?」


 ゼーラは首を傾げながら、その“種”を近くの茂みにぽいっと捨てた。


(種じゃないです……)


 ルインだけが、こっそり心の中で訂正する。


「にゃは〜! めっちゃ気持ちよかったなぁ〜!!」


 ルナが、ぴょんっとその場で軽く跳ねる。濡れた髪をぶんぶん振りながら満面の笑みだ。


「そ、そうですよね!! まさかこんな場所に素晴らしい場所があったなんて、知らなかったです!!」


 フカシアも、頬を上気させ、胸に手を当てながらうっとりと池を振り返る。


「この場所、アデル少年が見つけたんだよ〜。水面を睨んでね、何か叫んで、思いっきり水面を叩いたら、水がドシャーーってなって、ジュバーーってなって、湯気立つ池に変わった〜。アデル少年はここにこれがあるって、わかってたね!!」


「さ、流石アデルさんですね!!」


 ゼーラが素直に目を輝かせる。


「……これきっと、アデルが怒って水面ただ殴っただけだよね……」


「あはは……まあ……アデルくんの事ですし、きっとそうだと思います……。ルイン、しっかりアデルくんに謝りましたかね?」


「ルインなら大丈夫よ! きっと謝ってる! ……っと思う……」


 女子組がひそひそと話していると、少し離れたところからアデルの声が飛んできた。


「おい! 腹減ったから早く野営地行こうぜ!! ルナとラセルも来いよ! オレ達仲間だろっ!」


「にゃは!! いいの〜? やった〜!!」


 ルナはぱぁっと顔を輝かせて駆け寄り、両手をぶんぶん振る。


「あ! ルナたち、カラバオしとめてたんだっけ?! ラセル!! カラバオ持ってきてよ〜」


「え?! 僕一人だけで?! 重いからルナちゃんも手伝ってよ!!」


「えー、面倒くさい〜」


「ルナちゃん魔法で持ち上げる事出来るじゃん! 僕なんてそんな上手に魔法を操る事出来ないから頼むよ〜!」


「わかったよ〜、しょうがないなぁ〜。じゃーアデル少年、ちょっとカラバオ持ってくるね〜」


 そう言って、ルナとラセルは森の奥へと戻っていく。


「二人して行ったらオレ達の野営地わからんだろ? ルイン! オレ、あいつらが道に迷わねぇ様についていくわ!」


 アデルが駆け出そうとした瞬間、その足首をリノアががしっと掴んだ。


「ちょっとアデル、待って!!」


「ん? なんだリノア」


「アデルはルイン達と野営地戻っていいよ! ここは、わたしが行くから大丈夫!」


「へ? なんでだよ! 別にいいよ」


「ダメ!!」


「声デッカ!! 唾とんだし!」


 至近距離で怒鳴られ、アデルが一歩引く。


「アデルが行って、よくわからない問題事に巻き込まれたら面倒くさいから!! だからわたしが行くの!! あと、ルナがどうやって魔法でカラバオ持ってくるか、間近で見たいのっ!!」


「リノアさん! 私も行きたいです!! 私もルナさんの魔法で、どうやって運ぶのか見たいです! あと水魔法に興味があって……」


「なら、ゼーラも行こっ! って事で、アデルはルインとフカシアと一緒に野営地に戻ってね!! わかった!!」


 ぐいぐい迫られ、アデルはもはや頷くしかなかった。


「……リノア、そんなにカラバオに興味あんのか?」


「違うと思うぞ」


「じゃあなんだよルイン」


「アデルはすぐ寝て知らないと思うが、リノアは最近、夜になるとゼーラと一緒に魔法の練習してるんだよ」


「へ?! オレ知らなかったぞ!! いつからだ?」


「カヒラパで戦ったカルミネに敗れてからだ……」


「カルミネッ!!」


 その名前が出た瞬間、アデルの拳がぎゅっと握られる。血の気がさっと引き、胸の奥であの日の光景が鮮明に蘇った。


 崩れ落ちる仲間、届かなかった拳、踏み躙られた誇り。――そして、自分は何も守れなかったという感覚。


(オレが……弱かったからだ)


 ルインは横顔を見て、まだ傷が癒えきっていないことを痛感する。


「それから毎晩ずっと魔法の練習してる。どんな練習かは知らないけど、朝起きて二人が練習してた場所見ると、木々が倒されてたり、地面が抉れてたり、結構激しい練習してた……」


「そうか……」


「だから少しでも強くなる為に、ルナからも何か魔法の練習になるようなヒントをもらう為について行ったんだと思う」


 静かに告げるルインの声に、アデルは視線を落とした。さっきまでの軽口とは打って変わって、表情に影が差す。


 それを見て、フカシアが恐る恐る声をかけた。


「ア、アデルさん……大丈夫ですか……」


「ああ、平気だ……。早く野営地戻ろうぜ……」


 平静を装った声の裏で、拳には再び力がこもっていた。


 ――絶対に、もう二度と負けない。


 心に、小さく、しかし鋭くそう刻み込む。


◇ ◇ ◇


「こんな所にカラバオいたんだね! わたし知らなかった!」


「にゃはは〜、たまたま見つけたの〜」


「ルナちゃん! 僕、結構探したけどっ!! 『肉食べたい』って言うからっ!!」


「にゃは? そうだっけ?? まぁいいじゃん!!」


 森の奥。開けた一角の地面には、巨大な獣――カラバオの亡骸が横たわっていた。すでに血抜きは済み、解体しやすいように位置が変えられている。


 ルナはにこにこと笑いながら、そのカラバオの近くまで歩み寄り、軽く息を吸う。そして、両手をすっと突き出した。


「じゃあ! 行こっか〜」


 彼女の周囲のマナが揺れ、空気がしっとりと湿り気を帯びる。次の瞬間、地面から水が湧き上がるように立ちのぼり、カラバオの巨体をふわりと包み込んだ。


 透明な水の球がゆっくりと持ち上がり、まるで見えない手で吊り上げられているように宙に浮かぶ。


「ルナ凄いね! マナを上手に扱って、カラバオを包んでる……」


 リノアが素直に感嘆の声をあげる。


「確かに……マナの扱いが、とても上手です……」


 ゼーラも、聖女としての目でその精度を見て驚きを隠せない。


「ねえ、ルナ。どこで魔法習ったの?」


「ルナは師匠に教えてもらった〜。『マナでまずマルを作れ』って教えてもらったの〜」


「「マル??」」


 二人の聖女が揃って首を傾げる。


「ルナ、マルって何?」


「これだよ〜」


 言うなり、ルナは左手のひらを上に向ける。そこに、すっ……と水のマナが集まり、ピンと張り詰めた球体へと形を変えていく。


 透き通る水の玉。完璧な球形。表面張力が形を保つぎりぎりのところで、マナによって硬度が維持されているのが感覚で分かる。


「はいこれ〜。丸い形はなかなか作るの難しいから、少しでもマナが乱れると……」


 ルナはその水球のマナの流れを、わざと乱した。


 ぎしっ、と表面にひびが走ったような感覚。次の瞬間、水球は四方八方にぶるぶる震え――


 パンッ!


 甲高い音と共に四散したしぶきが、三人の頬を軽く濡らした。


「マナをうまくコントロールしないと、こうなっちゃうの。マナのコントロールが上手く行くと、魔法の威力も上がるよ〜」


「ルナ……凄い……」


「そんな練習法があるんですね……」


 リノアの胸は、高鳴っていた。


(マナで丸……マル……。それができれば――)


 ルナは近くに生えている細めの木を一本指差す。


「リノア少年、ゼーラ少年、とりあえず見てて」


 彼女は人差し指を前方に突き出した。指先に、きゅっとマナが収束していく。


「アクア・グッタ(水滴弾)!」


 ピョンッ。


 小さな音と共に、指先から一粒の水滴が弾丸のように飛び出した。目で追えるかどうかのギリギリの速度で空気を裂き――


 ドッ。


 木の幹に命中した部分が、小さく抉れていた。


「今のが普通のアクア・グッタね〜。で、次は……」


 ルナは少し太めの別の木を指差し、再び人差し指を突き出す。先ほどよりも濃く、重たいマナが指先に凝縮されていくのが分かる。


「アクア・グッタ!!」


 ビュンッ!!


 今度はさっきより明らかに鋭い音。水滴が空気を切り裂き、木に命中した瞬間――


 ドゴッ!!


 幹の中心に穴が空き、反対側の樹皮が破裂するように吹き飛んだ。


 完全に、貫通している。


「こんな感じで、上手くマナを魔法に込める事が出来れば、威力も上がるんだよね!」


「ルナ!! すっごい!! わたしもそのマナコントロール練習する!! やり方教えてっ!!」


「ルナさん! 私も知りたいです!!」


 聖女二人の目が、同時にキラキラと輝く。ルナは「にゃはは〜」と笑い、両手をひらひら振った。


「わかったよ〜! とりあえずご飯食べてから教えてあげるね!!」


「ルナありがとう!! わたし、これでまた強くなれる!!」


「私も……自分が強くなれる気がします!!」


「じゃー、アデル少年の所まで戻ろうぉお!!」


「「おー!!」」


「……結局、僕いらんかったじゃん!!」


 カラバオを浮かせて運ぶ水の球の隣で、ラセルが肩を落としてため息をついた。


◇ ◇ ◇


 野営地に戻ると、すぐに夕食の準備が始まった。


 夜の森はしっとりと静まり返っているが、焚き火の周りだけはオレンジ色の光と笑い声で満ちていく。薪に火が移るパチパチという音と、肉の焼けるじゅうじゅうという音が、夜の腹の虫を刺激してくる。


 ラセルは慣れた手つきでカラバオの肉を解体し、筋や脂の具合を見ながら食べやすい大きさに切り分けていく。その手際を見て、フカシアが「すごい……」と小さく呟いた。


 切り分けた肉を、みんなで手分けして木の枝に刺し、焚き火で炙る。脂が滴り落ち、炎がぼっと勢いを増した。


「よしっ! みんな、いい頃合いだから食べてよし!」


 ルインがそう声をかけた瞬間――


 ルナとアデルの手が、誰よりも早く肉に伸びた。


「うんめぇ〜」


「クッソうめぇーな!!」


 二人は口いっぱいに肉を頬張り、ほぼ同時に感想を漏らす。肉汁が口の端から垂れ、二人とも急いで手の甲で拭った。


 それに続いて、他のみんなも次々と肉をかじりつく。


 しばらく、幸せそうな咀嚼音だけが続いた後――ゼーラが、ふと思い出したようにルナとラセルに尋ねた。


「ルナさんとラセルさんは、同じ村出身でしたよね。他に聖女はいましたか?……」


 ルナは、骨だけになった串を口から外しながら答える。


「そだよ〜。一緒の村で幼馴染。聖女はルナだけだよっ! みんな優しかったよー。まあ、裕福な家庭ではなかったけどね〜」


「ルナちゃん、別に裕福とか言わなくていいから〜」


 ラセルが慌てて付け足すが、ルナは気にした様子もなくニコニコしている。


「別にいいじゃん、ラセル! それよりアデル少年達の今まで、聞きたいんだけどいいかな?」


 その言葉を聞いた瞬間、アデルがぴくりと反応し、串を持ったまま立ち上がる。


「アデル……どこ行くの……?」


 リノアが不安そうに問いかける。


「ちょいトイレ……」


 短くそう言い残して、アデルは焚き火の光から離れ、暗い森の奥へと入っていった。


「ん?? アデル少年、なんかあったの?」


「別に大丈夫だよ。いつもの事だから」


 リノアは苦笑いを浮かべるが、その目にはうっすら心配の色が滲んでいた。


「ふ〜ん。……ラセル! ちょっとアデル少年見に行ってきてよ〜」


「え? 僕が!! なんで! ルインさんが行けば……」


「ルイン少年にもルナはいろいろと聞きたいのっ!! つべこべ言わず、見に行ってくるっ!!」


 ルナの押しに負けて、ラセルは「はいはい」とぶつぶつ言いながらも立ち上がり、アデルの後を追う。


「ルナさん、ラセルさんとはどれくらいの仲なんですか?」


 ゼーラが、興味津々といった様子で尋ねる。


「生まれた時からずっと一緒だったよ〜。家がちょうど隣だったからね〜。物心ついた時には、常に一緒に行動してたよ〜」


「ゼーラ少年は? リノア少年達と、冒険始めてからずっと一緒に行動してる?」


「いえいえ、違います。トーメル王国のギルドで初めて知り合いましたっ! あの時、私と同じ聖女がいて、とても嬉しかったんです!!」


 ゼーラは満面の笑みを浮かべながら答える。


「確かに俺も、ゼーラ以外の聖女見るの初めてだった。しかもいつの間にかリノア達とパーティ組んでたし。あれも急だったな!」


「確かにそうでしたね!」


 ルインも笑いながら、その日のことを思い出す。


「フカシア少年とはいつ知り合ったの?」


 聖女同士の会話を聞いて、にやにやしながら肉を味わっていたフカシアに、急に矛先が向く。彼は驚きのあまり、食べていた肉を喉に詰まらせた。


「ゲッホ! ゲッホ!」


「フカシア少年!! 大丈夫!!」


 ルナが慌てて背中をぽんぽんと叩く。


「だ、大丈夫です……ありがとうございます……」


 ルナはコップをひとつ取り上げると、掌をかざして水を満たした。


「はい! 飲んで」


 フカシアはそれを一気に飲み干し、ようやく落ち着いた。


「わ、私は皆さんとはラバン王国で最近会ったばかりで……ちょうどトラウスの塔方面へ私も行くので、一緒に行く事になった感じです……」


「へえ〜。フカシア少年は、塔にリノア少年達と挑むの?」


 ルナの質問に、フカシアは勢いよく水を噴き出した。


「そ、そんなわけないじゃないですか!! 絶対無理です!!」


「じゃあなんで〜?」


「じ、実家に帰る為です。冒険では私やっていけないとわかったので……」


「そうなんだねぇ〜。冒険者はいつ死んでもおかしくないからね……。死んで後悔するよりは、今を精一杯生き抜いた方がいいよね! リノア少年はアデル少年とはずっと一緒?」


「アデルとは、五歳辺りから知り合ったかな? 住んでる場所も違ったし、色々あって知り合う事になった……」


 リノアは少し遠くを見るような目をして、アデルとの出会いを淡々と語り始める。村での出来事、最初の喧嘩、約束、そして――彼が魔法を全く使えないこと。


 話の終わりには、ルナとフカシアの顔に、そろって驚きが浮かんでいた。


「魔法使えない人っていたんだねー!! それでもマナはあるんだ!!!」


「ア、アデルさん……それでも強いですよね!!」


「そうだね……何度も救われた場面はあるよ。その代わり……いつもボロボロになってるけどね……」


「アデルはすぐ突っ込むもんな。どんな強敵にも臆さず突っ込むし」


「ですよね! アデルくんのその行動のお陰で、私も怖がらず立ち向かう事が出来るんです」


「ほんっとに、バカアデルだよ!!」


 口では散々言いながらも、そこには揺るがない信頼と、温かさがあった。


「みんな、アデル少年の事好きなんだね!」


 ルナが嬉しそうに言うと、ルインは慌てて口を挟む。


「お、俺は別に好きってわけじゃねーし! 友達としてだし!」


「ルイン少年は、ちょっと何言ってるかルナわかんないや〜」


「なんでだよっ!!」


 焚き火の炎が、笑い声に合わせて揺れた。


「ねえ!! リノア少年達のパーティに、ルナ達も入っていいかな!! ラセルと二人っきりだと心細いし! せっかくのご縁だし! ……ダメかな……?」


 おずおずと尋ねるわりに、身体は期待で前のめりになっている。


「ルナがよかったら、全然いいよ!!」


「もちろん大歓迎です!!」


「水と火魔法か……。ルナ達がパーティに加われば、どんな弱点持ってる魔物が来ようが適応可能だな!!」


 ルインの分析に、ルナは跳ねるように立ち上がり、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「やったぁあああ!! にゃはは〜!!」


 体全体で喜びを表すその姿に、つられて皆の表情も緩んでいった。


◇ ◇ ◇


「アデルさん、どこまで行ったんだー? トイレでそこまで遠くに行くのかー?」


 森の中。ラセルは枝を踏みしめながら、ぶつぶつ文句を言いつつもアデルを探し歩いていた。


「もうー! アデルさんどこ行ったんだよ!!」


 周囲は闇が濃く、木々の影が重なり合っている。多少の月明かりがあるとはいえ、見通しは良くない。


 ふと、視線の先に六メートルほどはあろう巨大な岩が見えた。その岩が――上下に、わずかに揺れている。


「え、?? なんであの岩、上下に動いてるんだ……」


 ラセルは思わず走り出し、岩に近づいていく。


 ちょうどその時、月を隠していた雲が風に流されていく。差し込んだ銀色の光が、岩の全体を照らし出した。


「ウソ……だろ……」


「三百……六、十……七ッ!! 三百六十……八ッ!」


 岩の下――いや、岩を“背中に乗せて”腕立て伏せをしている男がいた。


 アデルだ。


「アアアアデルさぁぁん!! 何してるんだよー!! こんな大きい岩……潰れちゃう……!!」


「るっせーぞ、ラセル!! ……はぁ、はぁ……邪魔すんな……三百八十!! ……はぁ、はぁ……」


 額から汗がボタボタと地面に落ちる。腕はパンパンに張り、呼吸も荒い。それでもアデルは止まらない。


「アデルさん!! トイレだけじゃないの?! 戻ろうよ!! ちょっと時間経ってるし!!」


「うる……せぇーって……はぁ、はぁ……言ってんだろぉ……四百……」


 限界ぎりぎりのはずの声で、なおもカウントを刻み続ける。


(鍛えるのはいいと思うけどぉ!!)


 ラセルは額を押さえた。


「マナ量上げればもっといい気がするんだけどぉ! 魔法撃ってマナ量上げた方がいいからさ!! 腕立てやめてくれよ!!」


「オレは……はぁ……魔法撃てないんだ……」


 その一言に、ラセルの足が止まる。


「魔法が撃てない……? だって……そんな人いるわけないだろ! アデルさん、嘘はやめよ!」


「本当だ……ボケッ……四百二十……」


 ラセルは言葉を失った。


(魔法撃てない……? 本当に……?)


 今までの常識が、ぐらりと揺らぐ。彼の中に、驚きと一緒に、別の感情が芽生え始めた。


(……魔法撃てない奴、戦闘で役に立つのか?)


 その芽は、あっという間に膨らんでいく。


「アデルさん。ルナちゃんはきっと冒険一緒に行きたいって言うんだけどさ、僕もいいと思うんだよね。二人だけだと心細い所もあるし、“アデルさん以外”強いと思うし――」


 言っているうちに、口から出る言葉がどんどん辛辣になっていくのを自覚しながらも、止められなかった。


「僕は、魔法使えないあんたを足手まといだと思うんだよね〜」


 その瞬間、アデルは背負っていた岩をぐいっと持ち上げ、横へと放り投げた。ズシン、と地面が響く。


 そして、ラセルの方へ振り返る。


「おい? てめぇ、今なんつった? あん?」


 月明かりに照らされたその瞳は、底の見えない暗い色を湛えている。その圧に、ラセルの喉がひゅっと鳴った。


「え? 足手まといだけど……だってそうだろ!! 肉弾戦だけで塔なんて攻略できるかよ! 僕はルナちゃんも守らないといけない! 幼馴染として! 頼もしい仲間が増えれば安心できるしね!!」


 勢いで言葉を重ねながらも、内心では(やべぇ)と思い始めていた。


「でも、あんたは何ができるんだ? なんもできないんじゃないのか? なんで聖女の旅について来てるんだ? お荷物運びか? それなら納得がいくよ! だってそれくらいしか役に立たねえじゃん!!」


 止まらない。言えば言うほど、戻れない。


「正直言うけど! 僕あんたより強いよ! 流石にリノアちゃん、ゼーラちゃん、ルインさんには少し劣るけどね」


「んで? 結局おまえは、オレに何言いてぇの?」


 アデルの声は低い。怒鳴るでもなく、静かに。


 だからこそ、逆に怖い。


「パーティ抜けろよ! 荷物持ち、正直そんな奴はいらねーだろ! 嫌なら僕と戦ってよ。僕を倒せば文句は言わないよ。マナない奴&魔法撃てない奴に負けないけどな!! はは!」


 ラセルは、見下すように笑ってみせる。剣を抜き、構えを取った。


「おまえ、マジで言ってんのか……? “雑魚ほどよく吠える”って言ってた奴がいたなぁ!!!」


「雑魚はあんただ……来いよ!! 荷物持ち!!」


「フォルマ・エンシス(火剣)!!」


 ラセルの剣が炎をまとい、刃が赤く燃え上がる。夜の闇を、炎の軌跡が切り裂いた。


 ――だが。


「え……何、この殺気……。魔獣でもいるのか……――ッ!! まさか……」


 ラセルの背筋を、ぞわりと冷たいものが這い上がる。


 この異常な“圧”を発しているのは、他でもない。目の前の青年――アデルだ。


「おい雑魚。骨折れても別に問題ねぇよなぁ!! 聖女が三人もいんだからよぉ!! 先攻は雑魚に与えてやるよぉ! さっさと来やがれ!!」


 その挑発に、ラセルは歯を食いしばる。


「マナなしがぁああ!!」


 火剣を振り上げ、一気にアデルへと踏み込んだ。


 炎の軌跡が空を裂き、剣が唸りを上げる――が。


「クソ、こいつ……僕の全部、見切ってるのか?! クソ!! クソ!!」


 アデルは、一歩、半歩。最小限の動きで、その攻撃を紙一重で躱していく。火剣が空を切るたび、風圧で草がなぎ倒された。


 ブンッ、ブンッと虚しく空を裂く音だけが響く。


 汗が背筋を伝い、ラセルの呼吸が荒くなる。


「まだまだぁあ!! ――ッ! マナなしが、僕から少し距離を取ったな!!」


 数合打ち合った後、ラセルは距離をとられていることに気づく。


 対してアデルは、腕を組み、顎をしゃくり上げて――


 手招きした。クイクイッ、と。


「バカが!! 僕は近接しかないと思ったかぁ!! フォルマ・ラメナ(飛火)!! オラオラオラ、全部避けてみろよぉ!!」


 火剣の刃先から、圧縮された炎の弾が連射される。夜の闇を赤い閃光が連続で走り、アデルへと殺到した。


 アデルは――口元に、不敵な笑みを浮かべた。


 次の瞬間、飛来する炎弾に向かって拳を叩きつける。


 ドッ、ドッ、ドッ!!


 拳が触れた瞬間、炎弾は形を崩し、そのまま霧散していく。


「な……バカな!!」


「どうした雑魚!! 何驚いてやがる!」


 ラセルの放った飛ぶ火は、アデルの拳によって一つ残らず打ち消されていた。


 拳の皮が少し焦げ、煙を上げている。それでもアデルは気にも留めないように、足を一歩踏み出した。


「今度はオレからいくぞ!!」


「クソが!! このマナなしが!! 所詮、正面突破だろぉ!」


 アデルが一瞬で懐に入れる距離まで詰めてくる。そのタイミングに合わせ、ラセルは再び火剣を突きだした。


「フォルマ・エンシス!! このまま串刺しになれやぁあああ!!――――え……」


 剣先が、アデルの胸に届く――その寸前で。


 アデルの身体が、わずかにスライドする。剣先は空を刺し、アデルの左手がラセルの手首を軽く押さえた。


 同時に、ラセルの腕は突き出した反動で伸び切ってしまっている。


「インド・ラプト(関節粉砕)」


 低く呟かれた瞬間――


 ボキッ。


 鈍い音が、骨伝いにラセルの脳に届く。肘から先に、ビキビキと嫌な感覚が走った。


「ぁ――――ッ!!」


 声にならない悲鳴をあげる前に、アデルはすでに動いていた。


 ぐいっと懐へ踏み込み、腰を深く落とし――


 その顎めがけて、爆発的な力でアッパーを叩き込む。


「~~~~ッッ!! は、あああ……ああああああ!!」


 視界が白く弾け、世界が反転した。


 ラセルはよろめきながらも、必死に膝を踏ん張って立ち上がる。呼吸は乱れ、心臓が喉元までせり上がってくる感覚。


 その胸の中心――心臓の真上に、人差し指がそっと添えられた。


「っひょっと……ふぁっ」


「何言ってんのかわかんねぇよ!! ペガルイム・プルス!!」


 指先から、圧縮された衝撃が爆ぜる。


 ズドンッ!!


 ラセルの身体は、後方へ吹き飛んだ。数本の木々をなぎ倒し、地面を転がりながら止まる。


◇ ◇ ◇


「ねえルナ、ラセル大丈夫? 全然戻ってこないけど……」


 野営地の焚き火の前で、リノアが心配そうに森の闇を見つめる。


「リノア少年、大丈夫だよ〜。ラセル、あー見えて意外に強いからね〜!」


「ラセルさんって、なんか見た目優しそうですよね! ルインとは大違いですっ!」


「おいゼーラ! 俺もちょーー優しいから!!」


「んー、ラセルは優しいけど……自分より『こいつ弱いな』って思うと、めちゃくちゃ見下すんだよね〜」


「そ、そうなんですか……わ、私見下されてますかね……」


「フカシア少年見下したらボコボコよ!! てか、仲間を見下したらボコボコのボコだよ〜」


 ルナが笑いながら言った、その瞬間。


 ボキッ、ボキッ、ボキッ――


 森の奥から、木が折れる音が響いた。徐々に近づいてくる。


 空気がぴんと張り詰める。


「ゼーラ!! ルイン!! フカシアを守って!! わたしとルナで魔物を相手にする!!」


「にゃはは!! 初めてのパーティでの戦闘だ〜!!」


 リノアが立ち上がり、杖を握る。ルナも隣に並び、手を前に突き出した。


 音は、近づいてくる。影が揺れる。焚き火の明かりの外から、何かが飛び出してきた――。


「みんな!! くるよぉ!!」


「リノア少年!! まっかせてぇ〜!! アクア・ヴァル(水壁)!!」


 ルナの前方に、大きな水の膜が展開される。透明な壁が、焚き火の光を歪ませながら揺らめいた。


 次の瞬間。


 森から飛び出してきた何かが、その水壁に、ドンッ! と吸い込まれるようにぶつかり、そのまま中に押しとどめられた。


「ん? なんだぁ〜? 人みたいだったよ〜」


 ルナが首をかしげる。


 水の膜の中を見ると――ボコボコに腫れ上がった顔、破れた服。判別しづらいが、見覚えのある髪形。


「え……ラセル!!」


「あちゃ〜。ラセル、どうしたの〜。ボッロボロじゃん〜」


「急いでヒールかけますね!」


 リノア、ゼーラ、そしてルナまでもが両手を掲げ、同時に回復魔法を発動する。三人の聖女の光が重なり合い、ラセルの身体を包み込んだ。


 血の跡が消え、腫れが引き、折れた骨が光に飲み込まれていく。


「んんーー……あああああっ!! ア、アデル様がぁあああ!!」


 意識を取り戻したラセルが、いきなり叫ぶ。


「アデルさま? なんだラセル急に、“アデル様”って。アデルの下僕にでもなったのかよ?」


 ルインが眉をひそめる。


「ああああ……く、くる……――ッ!!」


 ラセルはガタガタ震えながら、ルナの背後に隠れた。さっき自分が吹っ飛ばされてきた森の方向を、恐怖で見開いた目で凝視する。


 全員がそちらを見ると――


「ラセルァアアアアアアア!! まだ殴り足りてねぇからなぁああ!!」


 森の奥から、アデルの怒鳴り声が響き渡った。


「ひいいいいいいい!! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!! 許してぇええ!! アデルさまぁああ!!」


 さっきまでの尊大な態度はどこへやら。ラセルは土下座寸前の姿勢で、泣きながら懇願している。


「おい〜ラセル〜……もしかして、アデル少年が魔法使えないって知って下にみた〜?? また荷物持ちって言って、使えないとか雑魚だとか暴言をアデル少年に言った〜?」


 ルナの問いかけに、ラセルの顔が真っ青になる。


「はい〜、当たり〜。まあしょうがないね! アデル少年にボコボコにされちゃおっか!」


 あっさりと言うルナに、ラセルは「ひぃいい」と情けない声を上げる。


 しばらくして、森からアデルが姿を現した。汗と土埃にまみれた姿だが、その目だけはまだ鋭い。


「おい! ラセルいんだろ? 出せよ!!」


 アデルの一言に、空気がぴたりと止まる。


 リノア、ゼーラ、ルイン、フカシアが一斉に前へ出て必死にアデルをなだめにかかる。


「ア、アデル!! 落ち着いて!!」


「そ、そうです!! まず事情を説明してください!!」


「おい、どうどう。ここで本気出すなって……!」


「ア、アデルさん……怒ってる顔もかっこいいですけど、怖いです……」


 必死の制止の一方で、ルナはラセルを水のマナで球状に包み、ぷかぷかと浮かせてアデルの方へ滑らせる。


「はい!」


 ぽとっ。


 途中で水の膜が破れ、ラセルは地面に落下した。その衝撃よりも早く、彼は凄まじい速度でアデルの前まで這い寄り――


 土煙を立てながら、見事な土下座を披露した。


 その後、リノア達はアデルから、ラセルが言ったことの一部始終を聞かされた。


 しばしの沈黙。


 そして――


 すーっ、と全員が、何事もなかったかのように自分の座っていた場所に戻り、肉を食べ始めた。


「ええええーーー!! み、みんなーー助けてぇーーー!!」


 ラセルの悲鳴は、誰にも拾われなかった。


 彼はアデルに首ねっこを掴まれ、そのままズルズルと森の闇の中へ連れて行かれる。


 その後どうなったかは――戻ってきたときのラセルの顔を見れば、誰でも容易に想像がついた。


◇ ◇ ◇


 深夜。


 焚き火は小さくなり、土のかまくらの中からは穏やかな寝息がいくつも聞こえている。


 その中でただ一人――リノアだけが、森の中に立っていた。


 周囲には、何度も試した痕跡が残っている。抉れた地面、小さく折れた枝。そこだけ空気が、わずかにマナの余韻で震えていた。


「んーもぉ!! 全然できない!! もう一回!!」


 リノアは両手を前に差し出し、集中する。胸の奥で、マナの流れをイメージする。


 風の属性。軽く、速く、でもぶれさせない。


 やがて、掌の上に薄く緑がかった透明な球体が――風の“玉”が形作られる。


 最初はすぐに丸く作れる。そこまでは、何度も成功している。


 だが――


「……っ」


 ほんの僅かに、マナの流れが乱れる。


 ぼそっ、と表面が揺れ――


 パァンッ!!


 風の球は爆ぜ、周囲に突風を撒き散らして消えた。リノアの髪とローブがばさりと大きくなびく。


「本当に難しい!! ルナ、凄いな……」


 小さく息を吐き、額の汗をぬぐう。


 カルミネに敗れた日の感覚が、胸の奥に刺さったままだ。


(強くならないと……)


 風の玉を作る。崩れる。もう一度。何度も、何度も。


 夜は、ゆっくりと更けていった。


◇ ◇ ◇


「にゃはは〜!! みんなおっはよ〜」


 翌朝、一番に目を覚ましたのはルナだった。


 彼女はゼーラの土魔法で作られたかまくらの中を順番に覗いて回る。ルイン、フカシア、ゼーラはすでに起きていて、簡単な身支度を整えていた。


 ルナの明るい声に続いて、リノアもかまくらから顔を出す。目の下に少しクマができているが、表情はどこかすっきりしていた。


「アデルくんはまだ寝てます? ラセルさんも?」


 ゼーラがルナに問いかける。


「ラセルはもうじき起きてくる感じだけど、アデル少年は見かけないなぁ〜」


「あいつ、どこ行っただよ! また森か?」


「ルイン、探し行くなら、わたしも行くよ」


 ルインとリノアが森に入ろうと考えていると――


 森の木々をかき分けて、汗だくになったアデルが戻ってきた。


「ア、アデルさん……今までどこ行ってたんですか……?」


「なんだ? フカシア。ちょい森で修行してただけだ」


 さらりと答えるアデルの肩先からは、まだ熱気が立ち上っている。拳には新しい擦り傷が増えていた。


 しばらくすると、かまくらの一つからラセルも顔を出した。アデルの姿を目にした瞬間――


 ばっ!!


 勢い良く飛び出し、深々と頭を下げる。


「アデル様! おはようございます!!」


 昨夜の出来事が、彼の態度を根本から変えていた。


◇ ◇ ◇


 簡単な朝食を済ませた後、ルインはみんなを集め、地図を広げる。


「今までのペースで行くと、ナハル・ヴィーラまで着くのに、五日ぐらいかかる」


 焚き火の名残で暖められた地面に地図を広げ、指で現在地を示す。


「でも昨日の夜、ルナ達は『このまま道に沿って行ってたら急にドュドゥが暴れるかも』って言ってたよな。あれ、どういう事だ?」


「んーっとね、ルイン少年が言ったままだよ。このまま道に沿って進んだら、急にドュドゥが暴れちゃってね〜。それでラセルと一緒に必死で振り落とされないようにしがみついたら、このあたりで最終的に振り落とされちゃったんだ〜」


「え! ルナ、そうだったんだね」


「リノア少年、そうだよ〜。でもそのおかげで、みんなに会えたからラッキー!!」


 ルナはケロっと笑う。


「ルナの話を聞くに、ドュドゥはこのルートで、何かの気配を感じてビビって逃げた可能性が高いな……」


 ルインが顎に手を当て、真剣な顔になる。


「ルイン、ドュドゥがビビったって、何に怯えて逃げたんだ?」


「アデルは何だと思う?」


「知らねぇー」


「……魔獣かもしれない……」


 ルインの声がわずかに低くなる。その言葉に、リノアとゼーラの背筋もぴんと伸びた。


「ルイン! それってシルバーメイグリズリーですか!!」


 ゼーラが青ざめた顔で問い返す。


「分からない……。ただ、明らかにやばい奴がいたのかもしれない。俺達ではまだ到底かないそうにない相手だ……。そこで! 二つ目のルートに行きたいと思う」


 ルインの指が、地図の別の場所――尖った印のついた山へと移動する。


「フカシア! いいよな!!」


「は、はい。魔獣に出くわすよりマシです!」


「ここの“尖り山”に向かう! この山を越えれば、ナハル・ヴィーラ村まで一日で着く」


「はあ? 一日だと!! フカシア!! なんでこのルートを最初にしなかったんだよ!!」


 アデルが思わず声を張り上げる。注がれた視線に、フカシアはびくっと肩を震わせた。


「アデル!! 声デカい!! 何か理由があって選ばなかっただけでしょ! そんな怒らないの!!」


「いや、怒ってねえわ!! で? 理由はなんだ……?」


「こ、この尖り山は、ゴブリンが多く生息してる山なんです……」


 フカシアが恐る恐る答えたところで、ラセルが急に声を上げた。


「そ、そうなの……。でもゴブリンって、ダンジョンだけにしかいないんじゃないの??」


「こ、この尖り山は“ダンジョンブレイク”が起こって、それでゴブリンが生息し始めたんです」


「ダンジョンブレイク?? なんだそりゃ??」


「アデル少年は初めて聞くの〜?? ならルナが教えるね!」


 ルナは「えへん」と胸を張る。


「ダンジョンブレイクはね、魔物がダンジョンから溢れ出ちゃう事を言うんだよ〜」


「そんな溢れる事あんのかよ!」


「うん! あるよ〜。ダンジョンで倒した魔物は魔石落として金稼ぎになるから、冒険者達はこぞって魔物狩りして、上手くダンジョンに魔物が溢れないようになってるんだけど、こっそり出来たダンジョンは誰にも見つけられず、そのまま放置されて魔物が増え、それでダンジョンブレイクしちゃうって感じなんだ」


「マジかよ……。尖り山がまさに知らんダンジョンのせいで、ゴブリンの住みかになったんかよ!! それでフカシアは通るのやめたんだな!!」


「そ、そうです。この山、ホブゴブリンなど、少し危険なゴブリンが出るんです……。それでもみなさん行きますか?」


 フカシアが不安げに皆を見回す。


 だが――全員の首は、迷いなく縦に振られていた。


「よし! って事で、今から出発するぞ!」


 ルインの掛け声と共に、みんなはそれぞれ荷物をまとめ、装備を整える。


 尖り山へ向けて、一歩を踏み出す。


 その背中で、アデルが拳を握りしめ、低く笑った。


「待ってろぉお!! クソゴブリン共!! 一撃でぶっ飛ばしてやる!!」

本日も見てくださりありがとうございます!

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