革命とカレンダー
フランス革命。その言葉を聞いて思い起こすのはなんだろう?
監獄の襲撃だろうか。それとも、悲劇の王妃の処刑だろうか?
いずれにせよ、多くの人が思い起こすのはとても血生臭い話ばかりだろう。
しかし、私は別の言葉を想起する――
フランス革命の成果を示す「革命暦」というカレンダーを。
十日からなる週、三週からなる月。そして、十二か月と余った五日で、一年の三百六十五日を形作る。
この革命暦は、暦だけにとどまらない。
一日も一時間も一分も、十進法が導入された。
大胆な合理性は、まさに革命的な発明ではなかろうか?
それだけでも驚きなのだが、このカレンダーにはフランスらしさも存分に詰め込まれていた。
各月の名称は詩人が命名し、全ての日付にも名がつけられた。
日本の旧暦月名のような雅さを、合理化と同時に表現したのだ。
だが、革命暦は短命に終わる。
美しく合理的であったこの暦も、民衆には不評であったのだ。
性急な改革は、多くの人を置き去りにしていた。
一週間が七日から十日に増えると、休日の頻度が減った。
時間法さえも変更したため、対応する時計の出現が遅れた。
なにより……政治色が強すぎたのだ。
カレンダーというのは、民衆の生活に寄り添うべきである。
しかし、革命政府はカレンダーすらも政治に利用した。
それは、カトリック教会への対抗。宗教権力の打倒を目的としていた。
フランス革命によって目指した打倒対象は、なにも王侯のみではない。
高位の聖職者すら、その範囲に収まっていたのだ。
だからだろう。グレゴリオ暦を廃し、独自のカレンダーを作り上げたのは。
カトリック教会への攻撃を、カレンダーによって行ったのだ。
革命暦は、十二年ほどで撤廃された。
革命思想から距離を置くナポレオンが、カトリックとの和解を成した。
皇帝も民衆も、新たなカレンダーにノーを突き付けたのだ。
革命暦というカレンダーは、表舞台から消え去った。
革命という名の炎も、ナポレオン後の反動主義的な欧州情勢に、一時はその勢いを失う。
だが、革命の炎は再燃した。
燃えては鎮まり、また燃え上がった。そして、現在に繋がる共和制へと繋がっていく。
しかし、革命暦というカレンダーは、現在に繋がる事は無かった。
この結果から、私は思う事がある。
人々の心を汲んでこそ、思想も技術も後の世に繋がっていくのだと。
今の世では、革命とカレンダーが=で結ばれる事は無いのだから……。