27.本来、無駄遣いするものではない
ともに学園入学前に実母を亡くしていた悪役令嬢カロリーナと、ヒロインのアマリア。
アマリアが親しげに見せてきた母の肖像画の入ったロケットペンダントを、原作カロリーナは引きちぎって地面に投げ捨てる。
――卑しい使用人の女などと、私の母ソニアを一緒にするな。汚らわしい。
冷酷に言い放つカロリーナは学園内で人望を失い、転落していくキッカケとなる事件だ。
もちろん、わたしはそんなことしなかった。
わたしのマリンブルーの瞳に、母の面影を見つけた話まで聞いてあげたし、
学園前庭の大きな樹の木陰にならんで腰を降ろし、互いに母の思い出を語り合い、ともに母の面影を偲び、一緒に涙して笑った。
「カロリーナ様のことを、お姉様ってお呼びしてもいいですか?」
と、アマリアがわたしに、潤んだ瞳の上目遣いで言ってきたのも、そのときのことだ。
距離を置いた。
あのときには気が付かなかったけど、ロケットのなかで微笑むアマリアの母の瞳は、鮮やか過ぎる青色で輝いていた。
「……東方の商人から、カケラとも言えない粉のようなラピスラズリを安く譲ってもらうのです」
と、アマリアが恥ずかしそうに言った。
ラピスラズリは〈瑠璃〉とも呼ばれ、ふかい青から藍色に輝く、古来からある宝石のひとつだ。
「ラピスラズリからって……、アマリア。あなた、それ〈ウルトラマリン〉じゃない……」
「そんないいものではございませんわよ。……搾り方も自己流ですし」
ウルトラマリン――、
ラピスラズリから採れる貴重な顔料で、輝度が高く鮮やかな青色に発色する上、劣化しにくく、高価で珍重されている。
その上、王国東方でもわずかに採れるけど、主な産地はアルアミル王国であり、宗教画に用いられることから流通量自体が限られる。
たとえばロッサマーレに移住してくるような若い画家にとっては、いつかは使ってみたい憧れの品と言っていい。
夫のコンラートが、アマリアの肩を抱いた。
「アマリアは粉のような僅かなラピスラズリから、効率よく青色が搾れる方法を、自分で工夫しているのです」
「へ、へぇ~~。それは、すごいわね」
「いまもマリンブルーの瞳が美しいカロリーナ様に、肖像画を描いて贈るのだと、ラピスラズリを安く譲ってくれる商人を探し歩いていたのですよ?」
「もう! コンラート様!? カロリーナお姉様ご本人にそれを言っては、台無しではありませんか!?」
「ははは、ごめんごめん」
「せっかく、お姉様に驚いていただこうと思っていたのに~。もう! コンラート様のバカぁ~~~」
うん。いま、そういうのいいや。
「アマリア?」
「は、はいっ! ……お姉様、ひょっとして気を悪くされました? 勝手に肖像画を描こうだなんて」
「ううん、とんでもないわ。嬉しくてよ、アマリア」
「やた。……お姉様なら、そう仰ってくださると思ってました」
今度は、わたしがアマリアの肩を抱いた。
反対側にはリアがスッと入って、ガードしている。
「……アマリア。王都に帰ったらゆっくり聞かせてくれない?」
「え? ……なにをですか?」
「ラピスラズリから青色を搾る、アマリアがやってる工夫」
「え、ええ……。お姉様のお願いなら喜んで……。でも、たいしたことありませんよ? 私でもできる方法ですから」
「いいこと、アマリア? わたしに話すまで、誰にも喋っちゃダメよ? いい? わたしと約束してくれる?」
「え、ええ……。お約束しますわ」
「絶対、破っちゃダメよ?」
「もちろんです。私、お姉様との約束を破ったりしませんわ! ……うふふ。お姉様とふたりの内緒ですわね」
「そうね。絶対、誰にも内緒よ?」
「はいっ! ……お姉様」
リアとふたり、笑顔でアマリア夫妻を見送り手を振った。
「ね、リア。いい娘でしょ? アマリア」
「ボロ儲けの匂いがする人は、みんないい人ですわ」
「……リアのそういうとこ、わたし大好きよ?」
「カロリーナ様こそ、女性を口説かれるのがお上手ではないですか。アマリア嬢、ぽおっと瞳を潤ませていましたわ」
「商談なら得意なのよ」
「そのあたり、絶妙にカロリーナ様らしいですわね」
Ψ
クライスベルク公爵家領で、東方色豊かな土産の品をたんまり買い集めて王都に戻った。
もちろん東方商人のバザールなどではなく、貴族向けの高級店で、貴族向けの瀟洒な品を買いそろえた。
それを持ち、高位貴族の邸宅を挨拶してまわる。
「クライスベルク前公爵閣下から、ゆっくりしていけと仰っていただきまして」
と、にこやかに告げると、相手は微笑で応えながらも目の奥が怪しくひかる。
――王政の黒幕クライスベルク前公爵が、シュタール公爵家の令嬢カロリーナの後ろ盾についたというのは本当だった。
高位貴族のあいだを噂が駆けめぐり、
国王陛下周辺へのお父様の政界工作、王妃陛下周辺へのフィオナさんの根回しが加速してゆく。
お父様とフィオナさんの息もピッタリだ。
「……この短い間に3組も仲のいい夫婦を見せられると、さすがに考えちゃうわね」
と、リアにボヤいた。
「新婚のアマリアとコンラート夫婦に、熟年のお父様とお継母様、それに老境の前公爵閣下ご夫妻。……みんな、幸せそうだしねぇ~」
「カロリーナ様も、そろそろ結婚を真剣に考えてよい頃合いですからね」
「……だけど、めぼしい相手もいないしなぁ~。政略結婚ってガラでもないし、前公爵閣下のお孫君の話も断っちゃったし……」
「カロリーナ様には、ヴィットリオ殿下がいらっしゃるではありませんか?」
「ええ~? ビットぉ!?」
「……カロリーナ様のそんな顔を見られたら、泣かれますよ? ヴィットリオ殿下」
「だって、ビットはまがりなりにも皇太子でしょ? わたしはロッサマーレの総督になっちゃう予定だし。……皇太子妃とか皇后とか、無理だって」
「ふふっ」
「なによぉ?」
「きっとヴィットリオ殿下はそんなことは百も承知で、カロリーナ様に総督職をお勧めになられたのだと思いますよ?」
「ええ~っ!?」
「ヴィットリオ殿下は、なにか秘策をお持ちなのだと拝察しておりますが……」
「秘策ぅ~?」
「カロリーナ様を妃にお迎えするための」
「ちょ……、やめてよ」
「ダメですか?」
「……か、顔があかくなっちゃうじゃない」
「ふふっ。……では、私からは黙っておくことにいたします」
「えっ!? ……リア、なにか知ってるの?」
「いいえ、とんでもない。おふたりのことにこれ以上は口出しいたしません。……と、申し上げただけです」
「な、なんだぁ……。ビックリするじゃない」
「おや? なにか驚かれるところがありましたか? 結婚する気もない相手なのに?」
「……リア。ちょっと意地悪になったわよね?」
「いいえ。私はカロリーナ様の幸せを祈っているだけですわ」
リアとは、主君と侍女、商会主人と支配人を超えた、友情を感じるようになっている。
だ、だけど……、
ちょっと、からかい過ぎじゃないかしら……?
自分は結婚する気がないくせに、人の色恋沙汰には興味津々なんだから……。
と、火照った頬に、両手をあてた。
Ψ
やがて王命が降り、わたしのロッサマーレ献上と世襲総督への就任が正式に認められた。
わたしは、高位貴族が円卓を囲む、王宮にある奥の間へと招かれる。
「カロリーナ・シュタール公爵令嬢。お見えにございます」
という、衛兵の声と同時に、磨き込まれて漆黒に輝く重厚な扉が開き、わたしは王政枢機の一室へと静かに歩を進める。
王国東方、クライスベルク公爵家領の服飾工に発注していた、東方色豊かでエキゾチックなドレス。
緋色の絹地に、金糸で織り込まれた幾何学模様が神秘的な雰囲気を醸し出す。
裾には、黒の紗が幾重にも重なり、歩くたびにふわりと揺れた。
わたしの紫がかった銀髪は、ドレスの緋色に映えて、より一層輝きを増している。
他国からは国家元首としての礼遇を受けることもある総督に、わたしが相応しい存在であり、いかに領民たちに君臨するのか分かりやすく演出した装いで、優雅に微笑んだ。
「カロリーナ・シュタールにございます」
と、名乗り、微笑を浮かべたままで、しばらく沈黙した。
フェルスタイン王国の頂点。
その高貴な円卓に着座を許された、王政の枢機を握る、王国最高峰の高位貴族たちが、
悪役令嬢カロリーナの美貌に、
見惚れる時間を設けて差し上げたのだ。
誇らしげにわたしを見詰めるお父様と、苦々しげに睨むゾンダーガウ公爵のおふたりを除き、
国王陛下を含むすべての高位貴族の心を、悪役令嬢カロリーナの圧倒的な美貌が、
制圧した。
「この度は……」
と、わたしが口を開くと〈偉いさん〉たちはみな一斉に、ハッとして表情をあらためる。
――見てるかぁ~? 原作カロリーナぁ~? 貴女の美貌は本来、学園で学生なんかを相手に無駄遣いするものではなくて、一国を動かせるほどのものだったのよぉ~!?
と、優雅に微笑んでみせた。
ロッサマーレ献上の承認と世襲総督権の授与に、感謝の言葉を述べる。
そして、ビットからのアドバイスに、わたしは少しアレンジを加えていた。
国王陛下が、厳かに宣言される。
「カロリーナ・シュタール新総督の功績と忠義に報いるため、ロッサマーレの山岳部を改めて下賜する」
お母様から受け継いだミカン畑だけは、わたし個人の領地として戻ってきた。
過去の領有権の継承にどのような経緯があろうとも、王家より賜ったという最新の事実が優先される。
――ソニリアーナ。
と、わたしとお母様の名前、それにリアの名前も合体させて命名したわたしの新領地――ミカン畑の領有権は、この先だれからも文句を付けられることはない。
恭しく頭をさげて、円卓にあたらしく設けられた、わたしの席につく。
常に出席を求められる訳ではないけれど、総督になるということは、わたしも王政の枢機を預かる立場になったということだ。
となりに座るお父様が、チョンチョンっと、わたしの膝をつついた。
――もうっ! これでも緊張しているのですよ!? ビットのしそうな軽薄な悪ふざけ、しないでいただけます!?
と、お父様の浮かべる悪戯っ子のような微笑みに、眉をよせ、
わたしの総督任命式に関する議論に、耳を傾けた。
Ψ
任命式の準備に慌ただしい日々を送り、
やがて王都に、来賓としてご出席いだけるラヴェンナーノ帝国の皇太子にして帝国自由都市シエナロッソ総督、
ヴィットリオ・ラヴェンナーノ殿下の隊列が到着した。
供をする帝国騎士は、わずかに100名。
帝国皇太子を大使に戴く外交使節団としては、異例となる数の少なさだ。
しかし、それはフェルスタイン王国の軽視を意味するのではなく、篤く信頼していることの表れだ。
「いやあ、僕ひとりで行ってもいいんだけどねぇ~? だって、カーニャの国の都でしょ~?」
というビットからの書簡には、
――まじめにやれ。
と、返しておいた。
わたしからの書簡が効いたのか、ビットは実に凛々しく、悠然と王都に入り、
沿道で出迎える民を熱狂させた。
そして、国王陛下と王妃陛下とに拝謁し、フェルスタイン王国とラヴェンナーノ帝国の国交樹立が正式に宣言される。
両国間の詳細な取り決めは、窓口となる新総督、つまりわたしに委ねられることになった。
任命式を明日に控えた晩、約束の〈唇と唇のキス〉をビットと交わし、ふたりで顔を真っ赤にした。
「どうする? ついでだから任命式を結婚式にしちゃう?」
「……しないわね」
イッとにくまれ笑いを返し、わたしは明日に備えて、早めにベッドに入ったのだけど、
転生後19年、通算44年の人生で初めてのファーストキスに気持ちを昂らせてしまったのか、
なかなか寝付くことが出来なかった。
――ファーストキスは、だいたい初めてよね?
と、自分にツッこむことも忘れて、ベッドのなかでモジモジしつづけてしまったのだった――。
本日の更新は以上になります。
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