25.いわば聖地巡礼
王国東方に入ると、空気が乾燥してくる。
見かける草木は少なくなって、砂埃の舞う荒野がひろがる。
やがて国境を超えれば砂漠のつづく異教の国、アルアミル王国へと繋がっていく。
「やはり、掘り出しものがありますね」
と、リアの目が輝く。
アルアミル王国から来た商人が開くバザールで、ちいさな皿を手に乗せ目をほそめていた。
ソニア商会の主力商品のひとつが、庶民のつかう食器だ。
生活に溶け込んだなんでもない品が、海を渡るだけで異国情緒あふれた名品珍品に変わり、貴族に高く売れる。
ただし、なんでもいい訳ではない。
ラヴェンナーノ帝国の人たちの感性をくすぐる希少性を備えているか慎重に見極めないと、交易船の船倉にただのガラクタを詰め込んでしまうことになる。
その目利きが重要で、ほかの商会が手の出せない、ソニア商会の強みになっているのだ。
――日本で伝統漆器をイヤというほど見てきたお陰ね。
ソニア商会が扱うのは陶器だけど、それでも器の良し悪しはなんとなく分かる。
――つくった職人さんの手ざわりが感じられるなぁ~。
と、わたしが感じた商品は、間違いなく高く売れてきた。
わたしについて歩いてくれてたリアにもその感覚が身に付いて、いまでは立派な目利きだ。
そして、価格情報を握るわたしたちだけが、安く仕入れて高く売ることができる。
「前公爵閣下にお会いして、アルアミル王国の商人と繋いでいただけたら、大きな商談になりますね」
「ふふっ。そう、うまくいくかしら?」
「クライスベルク商会を通しての契約にすれば、断られることはないと思うのですが……」
王妃アデライデ陛下のお父上で王政の重鎮、クライスベルク前公爵。
頭角をあらわしたのは、アデライデ陛下のお姉様を改宗させ、アルアミル王国に王妃としての輿入れを成功させたことからだ。
フェルスタイン国王とアルアミル国王を、ご自分の娘姉妹を通じて義兄弟とすることで、異なる神を崇めるためにギクシャクしがちだった両国関係を安定させた。
それは、香辛料、絹織物、絨毯、陶磁器、岩塩、宝石や貴金属など、東方との交易を発展させることになり、
フェルスタイン王国全体に、莫大な富をもたらした。
その恩恵を受けない者は貴族はおろか、平民にさえひとりもいないと言っていい。
そして、両国王の義父になられたクライスベルク前公爵の言葉には、引退して領地に隠棲されてなお、王政の行方を左右する重みがある。
「相手はあのクライスベルク前公爵閣下よ? 一筋縄ではいかないと思うけど」
「いえ。カロリーナ様でしたらきっと大丈夫です」
「ふふっ。なに? リアまでビットのマネしてるの?」
苦笑いして見上げた丘の先には、今晩泊めてもらう王家所有の砦が見えた。
クリーム色の石造りをした武骨な砦。
断罪され流刑となった原作カロリーナが、配流された砦だ。
当然、作中の舞台になることはなく、名前しか登場しない。
――こんなに何もないところだったのね。
と、感慨深く見上げるわたしの感覚は、いわば聖地巡礼。
せっかく王国東方に赴くのならと、足を運んだのだ。
さらに、そのすぐそばには、ちいさな修道院がある。
わたしの異腹の弟、フィオナさんの息子が叩き込まれた修道院だ。
「これはカロリーナお姉様。遠いところまでわざわざありがとうございます」
と、久しぶりに会った異母弟は、すっかり落ち着いた物腰の少年修道士になっていた。
いまの方が原作のキャラクターに近い。
王都にいた頃は幼いながらに、原作カロリーナの高慢さと横暴を、まるでわたしに代わって演じているかのようだった。
転生した乙女ゲームの世界がバランスをとろうとしていたのか、何なのかは分からない。
単純に、原作カロリーナが相手だと怖くて大人しかった少年に、わたしが舐められていただけかもしれない。
そうだとすると、人間にとって出会いがどれほど重要なのかと、つくづく考えさせられる。
だけど、わたしが〈ふつうの令嬢〉であったばかりに、彼をおかしくしてしまっていたのだとすると、すこし申し訳ない気もする。
異母弟を恐縮させるほどには充分な金額を寄進して、修道院をあとにした。
Ψ
砦の窓から澄んだ星空を見上げてミカンの花を思い描き、原作カロリーナへの手向けとしたあと、
さらに数日を経て、クライスベルク前公爵が隠棲されている山荘に到着した。
「おもったより小さいですわね……」
と、リアが見渡した山荘の敷地内には湧き水が引き込まれ、冬なのに緑豊かな庭園が広がっていた。
「……贅沢の仕方をご存じなのよ」
「たしかに、……話に聞く砂漠のオアシスのようでもありますね」
執事に案内されたテラスでは、前公爵ご夫妻が午後のお茶を楽しまれていた。
「あらまあ、あの小さかったカロリーナ姫が、こんなに美しいご令嬢に育つのね」
と、にこやかな微笑みで立ち上がり、わたしを迎え入れてくださる前公爵夫人のエストレラ・クライスベルク夫人。
ふくよかな体格に、気品のあるラベンダー色のお召し物がよくお似合い。
「さあさ、一緒にお茶にいたしましょう」
と、わたしの椅子を引いてくれた。
そして、わたしの正面にお座りになられるベルンハルト・クライスベルク前公爵閣下。
白髪の丸顔に、好々爺然とした微笑みを浮かべ、小柄ながらも背すじの伸びたお姿でわたしを迎え入れてくださる。
おふたりには、まだお母様がお元気だった頃、王都の社交の場で数回ご挨拶させていだだいたことがあった。
「カロリーナは東方は初めてかい?」
と、親しげな笑みを向けてくださるけど、わたしの緊張は解けない。
この人の良さそうな笑顔の裏で、数々の政敵を闇に葬ってきた王政の大立者だ。
礼を失しないように細心の注意を払って、微笑みを絶やさない。
「前公爵閣下ご夫妻にお目通り叶いまして、光栄ですわ」
「うんうん、そういう堅苦しいのはいいよ。いまは隠居した、ただの老いぼれだ」
ふかく刻まれたしわをクシャクシャにして、前公爵閣下は笑われた。
「だけど、カロリーナはすごいねぇ。フェルスタイン王国で港に出来る場所があるとは、儂も気が付かなかったよ」
「恐れ入ります」
「もう少し若ければ、儂もやってみたかったなぁ……、海上交易」
と、微笑みながら庭園に向けられた眼差しには、往時を思わせる鋭さが宿る。
それを見たエストレラ夫人が、弾けるような笑い声を響かせた。
「なに、年甲斐もないこと言ってるんですか。あたらしい挑戦は、若い人に任せておけばいいんですよ」
「そりゃそうだよ、エストレラ。……だけど、交易の新ルート開拓なんて話で胸を躍らせないのは、フェルスタインの男じゃないよ」
「あら、それじゃあゾンダーガウの爺さまにはお灸を据えてやらないといけませんわね」
「ああ、もちろん、そのつもりだよ」
ご夫妻が王政の枢機をサラリと語られていることよりも、
長年連れ添われた夫婦にしか流れない、つよい絆を感じられたことの方に、わたしは感銘を受けていた。
小柄なお爺さんにふくよかなお婆さん。背景には手入れの行き届いた庭園。
絵面的にも、とても微笑ましい。
まだ相手もいないわたしだけど、老後というものが訪れるのなら、こんなふうにゆったりとした時間を過ごしたいものだ。
「アデライデ陛下からの書簡を読ませてもらったよ」
「……恐れ入ります」
わたしが訪問させてもらった本題を、前公爵閣下の方から切り出してもらい、すこし恐縮した。
「カロリーナの総督就任、いいじゃないか。儂も応援させてもらおう」
「あ、ありがとうございます!」
「王国史上、もっとも美しい総督閣下の誕生ね」
と、エストレラ夫人が満面の笑みで手を打たれた。
それに楽しげに頷かれた前公爵閣下。わたしの目をまっすぐに見詰められた。
「まったくだ。カロリーナはほんとうに美しい。儂があと10歳若ければ、放ってはおかないのだけどね」
「あら、あなた? 嫁のまえで若い娘を口説くとは、どういう了見をなさっておられるのかしら?」
「はははははっ。カロリーナが目を丸くしてるじゃないか? ……儂がエストレラひと筋で側室も置かなかったことを、カロリーナ姫もよくご存知だよ」
「うふふ。ごめんなさいね、カロリーナ。すぐ口だけで、こんなことを言っちゃうのよ、この人ったら」
「いえ。……おふたりの仲のよろしいご様子に、憧れてしまいますわ」
「あら!? あなた聞きました今のカロリーナの言葉。憧れるんですって、私たちに」
「ああ、よく聞こえたよ。すこし恥ずかしいね」
「でも、若くて美しいカロリーナに『いい歳のとり方をしてる』って褒めてもらったみたいで、私、なんだか誇らしいですわ」
「ほんとだねぇ。儂もそう思うよ、エストレラ」
どこまでも仲の良さを見せていただける高貴な老夫婦に、わたしの心もなごませてもらう。
お母様がお元気だったら、きっとお父様とこんな老後を迎えられたに違いない――。
「せっかくの機会だ、カロリーナは東方をゆっくり観光して、王都には土産をどっさりと持って帰ればいいよ」
と、ちいさく頷かれる前公爵閣下。
つまり、わたしが東方観光をしている間に、前公爵閣下は王都政界に賛成の意向を伝えてくれると仰られている。
そして、王都に戻ったわたしが、クライスベルク公爵家領で購入した土産を高位貴族に配って歩けば、前公爵閣下が後ろ盾についたことを強く印象づけられるだろう。
わたしはにっこりと微笑んで、ふかく頭をさげた。
「ただね、カロリーナ。ひとつ儂からお願いがあるんだ」
「ええ、なんでも仰ってくださいませ、前公爵閣下」
「儂の息子の次男が、まだ結婚できていなくてね。どうだろう、カロリーナ? 儂の孫を、婿にもらってもらえないだろうか?」
「……えっ?」
にこやかに話してくださる前公爵閣下。
だけど、後ろ盾になるのと引き換えに、露骨な政略結婚を持ちかけてこられた。
ご子息の現クライスベルク公爵のご次男といえば、わたしより6つ歳上だったはず……。
気品ある貴公子だけど、血統なのか小柄でいらしたという印象しかない。
たしかご自身の商会はひらかれず、王宮で文官としてキャリアを積まれていたと記憶しているのだけど……。
「カロリーナのシュタール公爵家とクライスベルク公爵家との絆が深まれば、国の行方も安心というものだと思うのだけど、どうだろうか?」
決して押し付けがましい態度ではないけど、安易に断ることもできない。
おっと。
これは、どうお答えしたものか――。
本年の更新は以上になります。
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