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17.賭けていただきます

王都――、


シュタール公爵家の本邸に、久しぶりに帰った。


三大公爵家のひとつにふさわしい広大な敷地に、瀟洒で豪壮なお屋敷。


都会の狭苦しさを感じさせない、広々とした庭園のおかげで、なんとかわたしは幼少期を乗り切れたようなものだ。


そして、お母様との思い出も詰まっている――。



執事長にお父様との面会を求めて、待っている間、


すこし汗ばんできたのは、初夏から盛夏に移り変わろうとしている暑さのせいばかりではない。


お父様に賛同していだだけないと、わたしの計画はそこで終了。


ゾンダーガウ公爵の「海上交易を禁止せよ!」という主張に対抗する術を失う。



――あのハゲ親父、もともと嫌いなのよね~。



と、ゾンダーガウ公爵の見た目を思い浮かべるだけで、顔をしかめてしまう。


あたまがハゲ上がっているだけではない。でっぷりと肥え太っている。


そして、老境。


ハゲ、デブ、爺さんで、かつまだまだギラついていて、お盛ん。


末娘のセリーナはわたしと同い年。王立学園の同級生だった。


原作ではカロリーナの親友で、最後に裏切ってヒロインと第2王子につき、


カロリーナの断罪イベントに協力するゾンダーガウ公爵令嬢のセリーナ。


わたしとは疎遠だったけど、今頃どうしているんだろうか……?


年老いた父親と一緒になって、わたしの拓いた海上交易を潰そうと、社交界でありもしない噂話をふりまいているのだろうか?



「う~ん、よくない。こういう思考回路はよくない」



と、ちいさく声に出して、窓から空を見あげた。


空に浮かぶ雲は、すっかり夏の装い。


もくもく天に向かってそびえる真っ白な入道雲を見つめて過ごす。



――大丈夫だよぉ~。



と、不意にビットの軽い調子で、だけど澄んだ声を思い出して、クスリと笑う。


まったく。なんの根拠があるのよ?


いつも適当なことばかり言って。


そのくせ、いざという時だけキリッと凛々しい貴公子になるだなんて、



「……ズルいのよ」



苦笑いと一緒に、ようやく深く呼吸ができた頃、お父様の執務室に通してもらえた。



   Ψ



窓から差し込む陽光が、やわらかく照らし出すアンティークな調度品の数々。


交易で鍛えられたセンスが、満載に盛り込まれた、瀟洒なのに落ち着いた雰囲気の執務室で、


にこやかに微笑むお父様に迎えられた。



「おお、これはこれは。巷をにぎわす海運令嬢にわざわざお運びいただくとは、光栄ですな」


「もう……、またそんなことを仰られて……」



と、勧められたソファに腰をおろす。



――ていうか、海運令嬢ってなに? わたしの知らないところで、また変なあだ名を付けられてる?



だけど、いまはそんなところを突っ込んでいる場合ではない。


向かい合って腰を降ろしてくださったお父様を、しっかりと見詰める。


ゾンダーガウ公爵とは真逆の、シャープな印象でまだ若いお父様。


品のあるブラウンでふさふさの髪を、さりげないセットでまとめ、おなじ色をした口ひげと合せて、


わが父ながら、まことに気品ある紳士だ。



「私の書簡は受け取ってくれたんだね?」


「はい。ご丁寧にありがとうございました」


「……うむ。じゃあ、もちろんその話で来てくれたんだね?」


「……いえ」


「いえ?」


「まわり回れば、その話にいたりますが、今日は……」


「……うん」


「お父様に、出資のお願いをするために参りました」


「ほう……」



お父様は、興味を惹かれているのだと分かる笑みを浮かべ、わたしを見つめた。



「出資と言うからには、カロリーナは父を儲けさせてくれるのかい?」


「お父様。お言葉ですが、必ず儲かる投資はございません」


「ははっ。……娘の成長を見られるのは、なにより嬉しいことだねぇ」



目をほそめ、かるく首をかしげるお父様。


ちいさく息を吸い込み、お父様の瞳を見詰めたままで話を続けた。



「投資とは、いわば賭けです」


「そうだね」


「ですから、お父様には賭けていただきたいのです」


「ふむふむ。……父はなにに賭ければ、愛しい娘の筋書きに沿うことが出来るのかな?」


「わたしの所有する帆船カーニャ号とカーニャ2号が、1回の航海を事故なく無事に終えることに賭けていただきたいのです」


「……ふむ」


「事故なく航海を終えれば、お父様の勝ちです」


「ほう」


「事故が起きて、航海が無事終えられなければわたしの勝ち」


「父の負け……、ということなのだろうけど、負けた父はどうしたらいい?」


「積荷の代金を、すべて肩代わりしていただきます」


「なに?」


「ですが、航海が無事に終われば賭け金はすべてお父様のものです」


「それは、どういう……?」


「賭け率は、積荷すべての総額、その5%。航海に出るまえにわたしがお父様にお支払いいたします」


「……ふむ」


「理論上は20回に1回、航海を無事に終えられなくても、お父様に損はありません」


「なるほど」


「こちらが、その算出根拠。これまで約1年間のカーニャ号の航海日誌の写しです」


「ほう」


「そして、さすがに全てを読んでいただくのは心苦しいので、要約をまとめたペーパーがこちらです」



と、リア支配人とルチア船長にまとめてもらった紙を、お父様に手渡す。


瞬時に上から下まで動く、お父様の鋭い視線。


きちんと〈商い〉として受け止めてもらっている証しだ。



「これまでに2隻の合計で約30往復の航海をしておりますが、激しい嵐に遭遇したのは1度だけ。すべての航海を無事に終えております」


「それだとカロリーナが損してばかりになるのでは?」


「しかし、万一事故が起きてしまったとき、すべてを失うという心配から解放されます」


「なるほどな」


「心の安心と、交易の安定をおカネで買うのです」


「おもしろい! よし、愛娘の頼みだ。カロリーナの航海に賭けよう!」


「ありがとうございます」


「うん。カロリーナの船が無事に航海を終えるたびに、父の懐も潤う。娘の商いが上手くいくことを祈るだけで儲けさせてもらえるなんて……、いいじゃないか!」



わたしが、ゾンダーガウ公爵の「海上交易は不安定だ!」という主張に対抗するために考えたのは、



――海上保険だ。



これならば、万が一、海難事故に遭ったとしても、商会を存亡の危機に陥れることはなくなる。


受け取った保険金をもとに、また交易を始めることが出来る。


文字通り、何事にも保険をかけておきたいわたしが前々から温めていたアイデア。


だけど、わざわざお父様にもちかけたのは、娘への愛情に縋ったわけではない。



「お父様、実はお願いは、もうひとつあります」


「ほう、なにかな?」


「お父様だけに賭けていただきたいのではないのです」


「……ん?」


「この賭けに、ひろく参加していただける方を募ることで、わたしの、いえ、わたしたち海上交易に取り組むすべての商会の経営を安定させることができるのです」


「……、ははっ」



お父様は、目をおおきく見開いて、乾いた笑いを漏らした。


そして、ゆっくりと目をほそめ、わたしを見つめる。



「これは驚いた。……愛しい娘が、誰も知らないまったく新しい商いを、また始めようとしている」


「恐れ入ります」


「……貴族たちが多く賭けに参加し、航海が上手くいくたびに儲かる。それは、海上交易に反対する者はいなくなるだろうねぇ」


「そして……」


「なんだ、まだあるのか?」


「はい。……船主は、もっとも安い賭け率を提示した賭け主に、おカネを払います」


「……ほう」


「わたしはその賭場――、さすがに体裁が悪いですわね。〈市場〉をひらき、皆さまが賭けに参加できる場所を提供いたします」


「そして、手数料を取るわけだ?」


「ほんのすこしですのよ?」


「やるね~。僕の娘は商魂たくましいな」


「お父様の娘でございますので」


「はははっ」


「そして、この賭けに参加しない船の、ロッサマーレへの寄港は認めません。フェルスタイン王国の海上交易は飛躍的に安定します」


「もはや不安定なんて言う者がいなくなるほどに……、か」


「そうなるかと」


「……。フィオナには?」


「お継母様には、これから」


「ねらいは?」


「王妃陛下にございます」


「よし! カロリーナの筋書きは全部読めた! そちらの準備が整い次第、賭けへの参加を募ろう!」


「ありがとうございます、お父様」


「もちろん紹介料は、はずんでくれるんだろう?」


「……まだまだカロリーナは、お父様には叶いませんわ」



と、父娘で悪い笑顔で微笑みあい、本邸をあとにした。


まだまだ、やるべきことは山積みだけど、


当面の賭けには勝ったのだ!



あー、どっと疲れたぁ~。



そういえば、お父様の軽やかな語り口、ビットにちょっと似てたなぁ。


逆か、ビットがお父様に似てるのかぁ――。



   Ψ



それから、わたしは〈保険市場〉を開設するため、王都を奔走した。


参考にしたのはイギリスにある保険市場、ロイズだ。


17世紀に始まったという保険市場。保険の引き受け手と、船主が交渉するコーヒーハウスから始まったという。


ちょうど同じころ日本では北前船が盛んになっていて、海運つながりで興味を惹かれて調べたことがあったのだ。


保険、好きだし。


図書館で読んだ本の一節にあった、安全に航海を終えたいはずの船主が、沈没する方に賭けている――沈没したらおカネを受け取れる――という保険の捉え方は、当時のわたしには目からウロコだった。



ロッサマーレとソニア商会の運営はリアに任せ、わたしは王都での〈仕事〉に集中することができた。


ソニア商会の王都支店を改装し〈賭け〉に参加してくれる貴族や支配人を招き入れるのに相応しい調度品もそろえた。


継母フィオナさんも、前のめりに参加を表明してくれ、


王妃陛下にもご参加いただけるよう、取り計らってくれた。


やがてビットから、シエナロッソに寄港する数多くの交易船の航海データが届き、


より詳細に精査した結果、基準になる賭け率――保険料率を3%に定めた。


これを基準に、たとえば嵐の多いシーズンだと5%でないと保険の引き受け手が現れない、といった取り引きが行われるのが〈保険市場〉だ。



そうして走り回ること、2ヶ月――。



慌ただしく開設した〈保険市場〉には、数多くの貴族が参加してくれた。


なにせ、航海が無事に終われば、積荷の3%という結構な金額を、なにもしなくても懐に納めることができるのだ。


もちろん、事故の危険性や、その際に支払わなくてはならない保険金について、何度も説明した。


開設記念のレセプションパーティには、王妃陛下のご臨席も賜り、


わたしも久しぶりに、本気のドレスで着飾る。


シエナロッソの服飾工に発注した、夏に涼やかなターコイズブルーを基調に、ネイビーやシルバーを組み合わせた優雅なドレスが、


わたしの銀髪とマリンブルーの瞳を引き立てる。


王妃陛下をはじめ高位貴族をもてなして回るのに相応しく、マーメイドラインをベースに裾に向かってわずかに広がるAラインを融合させた、動きやすくてエレガントなデザイン。


若さを舐められないように、パールのネックレスでクラシカルな雰囲気に。


われながら完璧な装いに、優雅な微笑を添えて皆さまにご挨拶してまわり、転生後、もっとも、



――わたし、公爵令嬢やってるわぁ~。



と、思ったいちばん暑い夏の盛りに、


わたしがひらいた〈ソニア保険市場〉は活況を呈することができた。


なにより王妃陛下、つまり王家が直接の利益を受けられる仕組みを作り上げたのだ。


これが大きい。


つまり、海上交易に反対する者は、王家の利益を損なう者――、


という構図をつくりあげ、



ゾンダーガウ公爵が扇動していた〈海上交易反対派〉は、完全に沈黙した。



勝った。



そして、儲かった。


保険取引が成立するたびに〈ソニア保険市場〉には手数料が落ちる。



――ボロ儲けじゃあぁぁぁぁぁぁ!!!



心のなかで、ささやかに雄叫びをあげながら、わたしはロッサマーレに戻る馬車に揺られた。


〈ソニア保険市場〉の運営は、リアの派遣してくれた副支配人に任せた。リアの推薦なら安心だ。


あとは自動的に、わたしの懐を潤しつづけてくれる。



あー、王都は疲れる。



ドレスはテンションあがったけど……、はやく海に出たいなぁ~。


それから、ビットと軽口をたたき合って――。


本日の更新は以上になります。

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