16.いつか来る日だとは
今年もミカンの花が咲いている間は航海をひかえ、
ロッサマーレでのんびりと、可憐な白い花が潮風に揺れるのを眺め、
お母様の思い出にひたって過ごした。
やがて、ミカンの花が実をつけて、そろそろビットの顔でも見にいくか、なんて思っていた頃――、
突然、お父様からわたし宛ての書簡が届いた。
こんなことは、学園卒業以来はじめてのことだ。
おどろいたリアも、わたしの部屋に駆け付けてくれる。
「……公爵閣下からは、なんと?」
「うん……。ゾンダーガウ公爵が、ロッサマーレの海上交易をやめさせるべきだって、王宮で騒いでるみたい……」
「ああ……」
わたしの予想に反して、リアは納得顔だ。
「リアは知ってたの?」
「いえ、知っていた訳ではありませんが、いつかこういう日も来るかな……、とは」
「……どうして?」
「……ヴィンケンブルク王国経由でのラヴェンナーノ帝国との交易の大部分を、ロッサマーレの海上交易がゾンダーガウ商会から奪った形です」
「あ……、そっか……、そうなるのか」
「ゾンダーガウ商会は大打撃を受けているはずです」
「あ――、それは……」
正直、考えたこともなかった。
うかつと言えば、大うかつ。
ヴィンケンブルク王国に多額の関税を払わなくてよくなって、みんな儲かって大満足――、
「……わたし随分、あたまの中にお花畑を咲かせてたみたいね」
「そこまでは申しませんが、商いには獲るか獲られるかという一面もございます」
ゾンダーガウ公爵の主張が国王陛下に認められ、ロッサマーレの海上交易を禁じられたら、
わたしはたちまち窮地に陥る。
わたしの誘いで海上交易に参画してくれた商会にも顔向けできない。
お、
これは過去最大のピンチだぞぉ――。
Ψ
お父様からの書簡には、ゾンダーガウ公爵の主張がこと細かに記されていた。
いわく――、
「海上交易などもってのほか! 船が転覆したら、文字通り水の泡。そんな不安定なものに、大切な交易品を載せるなど、交易で成り立つ我がフェルスタイン王国を危機に陥れるだけだ!」
と、論陣を張っているらしい。
リアがしわの寄った自分の眉間に人差し指を押しあて、グイグイとまわす。
「王都の貴族からすれば〈ふね〉と言えば、漁師の小舟。沈没ではなく転覆という言葉をつかうところからも、それが窺えます……」
「そうねぇ……。小舟に交易品を積んでるって想像したら、不安定って言われて納得しちゃう貴族も多いでしょうねぇ」
「かと言って、全員をロッサマーレに招待し、大型帆船を目にしてもらうことも現実的ではありませんし……」
「だけど……、沈没したら水の泡ってことには返す言葉がないわ」
「う~ん……、納得するわけには参りませんが、あの嵐を体験した身としては……」
「そうなのよねぇ……」
「……商売仇に出し抜かれて悔しいと、本音が言えないだけなのは分かるのですが」
なにせ我がフェルスタイン王国は、貴族がそれぞれ個人で商会を持つお国柄だ。
――他家の商会に客を奪われたから、潰してやる!
などと主張すれば、恥をさらすだけ。
たとえ三大公爵家であっても、またたく間に権威が失墜する。
ましてやシュタール公爵家の本体ではなく、その令嬢の商会に負けて、政治力で潰しにかかるとなれば、なおさらのことだ。
それだけに、もっともらしい理由づけをしてくるし、
海上交易の経験が乏しいフェルスタイン王国では説得力がある。
「お父様は、各家各領の自治は認められていると主張してくださっているようだけど……」
「……貴族の間で反対の声が高まれば、国王陛下も無視はできないでしょうね」
「そうよねぇ……」
リアが顔をあげ、わたしを見つめた。
「どうされますか? ……王都に向かわれますか?」
「いや~~~ぁ? すっかり社交界に顔を出すのをサボってるわたしが、手ぶらで駆け付けた、とて……」
「……とて、ですねぇ」
「とて、なのよ」
リアは、ふたたび眉間にしわを寄せて、目を閉じた。
「手ぶらでなくす……、しかありませんわね」
「そうなんだけどねぇ……」
「海上交易に参画してくれた6家から、声をあげてもらうとか」
「わたしを合わせても7家でしょ?」
「……フェルスタイン王国の貴族全体で見れば、ほんのわずかに過ぎますね」
「せっかく参画してもらった商会に、あまり負担もかけたくないしねぇ~」
「それも、たしかに……」
と、ふたりで頭を抱えていると、扉の向こうから聞き慣れた声が響いてきた。
「カーニャ~! あそびに来たよ~! ミカンの花には間に合わなくてごめんね~!」
ビットの軽薄な笑い声が、だんだん部屋に近づいてくる。
取り次ぎするから、すこし待てと言うメイドの話を聞こうともしてない。
若干、苦笑い気味のリアが、扉を見つめた。
「……他国の皇太子に、自国の恥をさらすようですが、ヴィットリオ殿下のお知恵をお借りいたしますか?」
「そうねぇ……。もう来ちゃってる訳だし」
わたしも肩をすくめて苦笑いを返し、扉を開けるために立ち上がった――。
Ψ
ビットがお土産に持って来てくれたチーズケーキを、リアも一緒に3人で頬張りながら話を聞いてもらった。
「ふ~ん……。でも結局のところ、ゾンダーガウ公爵の言い分を突き崩すしかないんでしょ?」
「ま、まあ……、そうね」
「でも、本当はカーニャ。もうどうすればいいか、アイデアは浮かんでるんでしょ?」
「えっ……?」
ニヤリと笑うビットの言葉に、リアが「そうなのですか!?」と驚きの声をあげる。
「僕はカーニャのことは、顔を見ればなんでも分かっちゃうんだよ~」
「……そ、それは」
と、わたしの方にぎこちなく顔を向けてくるリア。
表情もぎこちない。
うん。リアの方がわたしと長い付き合いだ。
だけど、ビットの適当な話でプライドを傷つける必要はないと思うな。
「カーニャの考えてること、僕が当ててあげようか~?」
「……どうぞ」
「ズバリ、お父上のシュタール公爵に海上交易に参画してもらおうと思っている!」
「……はずれ」
「あれ~?」
お父様のシュタール商会は、南方のカフィール王国との交易を独占している。
それだけで莫大な利益をあげており、
わざわざ海上交易に参画してくる必要など、まったくない。
もちろん、わたしも声はかけていない。
「じゃあ、分かった!」
「……はい、どうぞ」
「お継母上の商会に参画してもらおうと思っている!」
「……はずれ」
「あれれ~?」
継母フィオナさんには一応、最初に声をかけた。
だけど――、
「わたしの商会の商品は、カロリーナ様のソニア商会が優先的に扱ってくださるでしょう?」
「ええ、まあ……」
「だって、いちはやくカロリーナ様のなさる海上交易の魅力に気が付いて、誰よりもはやく取引をはじめさせていただいたんですものねっ」
と、愛らしい微笑みを浮かべるフィオナさん。
これも一種の先行者利益と言えなくもない。
――母娘関係にあるから優遇せよ!
ではなく、あくまでも商取引上の既得権を主張してくるあたりも、実にフィオナさんらしい。
そして、そんなところにも、わたしは好感を抱いてしまうのだ。
お父様の正妻としての権威をふりかざすわけでもなく、どこまでもわたしを対等なビジネスパートナーとして見てくれている。
まだまだ『小娘』と言っても不自然ではない、わたしなのにだ。
ビットはことごとく、わたしの考えを外しつづけるけど、その表情から軽薄な笑みが消えることはない。
「でも、カーニャはなにか思い付いてるよね~?」
「う~ん……」
「それは結構、大変なこと?」
「……うん」
「そうかぁ~」
「……ずっと前から思い付いてたけど、こんな大げさなこと、わたしに出来るのかしら? って、思っちゃうようなこと」
「ふ~ん、じゃあ……、それは最初にシエナロッソに船を買いに行こう! って決めたことより大変なこと?」
「そういう言い方をされたら……」
「大丈夫だよぉ~」
「ええ~っ?」
ビットの軽い調子に、さすがに笑ってしまった。
軽薄な笑顔を浮かべたまま、わたしの顔をのぞきこむビット。
す、すこし近い……かな……?
「大丈夫。カーニャが思い付くことなら、きっと素敵だし、きっと上手くいくよ?」
「も、もう……、当てる気はないのね?」
「あ、ほんとだ。だけど楽しみにしてるよ? カーニャが思い付いたこと」
「う~ん……、よし。じゃあ、やるだけやってみますか!」
と立ち上がったわたしに、リアが目をまるくした。
「……ほ、ほんとうに何か策がおありなのですね?」
「うん。……だけど、リアもビットも手伝ってね?」
「それはもちろん……」
「いいよ~、なんでも言ってねぇ~」
政治にも、王都の社交にもあまり関わってこなかったわたしだ。
ここは商い――、経済に関するアイデアで勝負だ。
それでうまくゾンダーガウ公爵を黙らせられるか、たしかな自信がある訳ではない。
だけど、これも結局はお母様のミカン畑を守るためだ。
――やるだけ、やってみよう!
と、最初に船を買いにシエナロッソに旅立ったときと同じ気持ちになれたのは、
たぶん、またしても軽薄皇太子ビットのおかげだ――。
まずは、とにかく急いでお父様に会いに行かなきゃ……。
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