12.それは同感だ
かすかな雪の舞い散るシエナロッソの港に、帆船カーニャ号が入港していく。
冬の港町も情緒があって素敵だ。
王都でお父様に新年のあいさつを済ませ、ロッサマーレに戻ったわたしは、すぐにカーニャ号を出港させた。
ゾンダーガウ商会に売るはずだった商品と、継母フィオナさんから仕入れた香辛料で船倉は満載だ。
さっそく、リアとふたりビットを訪ねる。
「カーニャ~! 会いたかったよぉ~!」
「ビット。新年おめでとう。今年もビットにとって良き年でありますように」
「ありがとう。去年はカーニャと出会えて最高の1年だった!」
「あら、ありがとう。わたしもビットに出会えて、人生が変わったわ」
「きっと、今年はカーニャとの関係が深まる1年になるに違いないよ! カーニャも、そう思わない?」
「もう……、相変わらずね」
「僕は変わらないよ~。きっとカーニャはすぐに戻って来てくれるに違いないって信じてた」
「まんまとビットの思惑通りになってしまったわね」
と、新年最初の苦笑いをビットに返す。
辺境ロッサマーレの、のんびりとした土地柄も好きだけど、港町シエナロッソの雰囲気も性に合う。
ビットの顔が見たかったことを否定はしないけど、それだけじゃないぞと、自分に言い訳をしてしまう。
わたしの気持ちを知ってか知らずか、ビットも顔をツンと上にあげて胸を張る。
「だから僕も、父上への挨拶もそこそこに、帝都からすぐに帰って来てたんだ~」
「……え? 皇帝陛下に?」
「そうだよ~! 大天使様より美しいカーニャに出会って、フェルスタイン王国への新航路を拓いたって申し上げたら、皆んなの前ですごく褒めてもらったよ~」
「あ、うん……。それは良かったね」
「あれ? カーニャは、あんまり嬉しくない?」
「ううん。すこしビックリしただけ。……フェルスタインにいたら、ラヴェンナーノ帝国の帝都や皇帝陛下なんて、とても遠い存在だから」
「あ、そっか」
「皇帝陛下にわたしの名前を知ってもらえたなんて……、なんだか現実感が湧かないわ」
ビットはわたしの目をのぞきこんで、やさしく微笑んだ。
急にそんな表情を見せるのは、ズルいのでやめてほしい。
「カーニャの名前は父上どころか、帝国史にのこるよ?」
「え? そんな、まさか……」
たしかに新航路の開拓は偉業なのかもしれないけど、ラヴェンナーノ帝国の歴史に名前がのこるだなんて……。
と、ビットの顔を、まじまじと眺めてしまった。
「僕のお嫁さんとしてね~!」
「ははっ……」
いつもの軽口にしても、そこまで現実感をすっ飛ばされたら、乾いた笑いしか出ない。
皇太子妃殿下に?
いずれは皇后陛下に?
わたしが?
そんな馬鹿な。
リアを促し、さっさと商談をはじめてもらった。
Ψ
相変わらず造船ギルドの親方の顔はいかつい。
丸太のような腕は、さらにひと回り太くなってるような気がするし、
よくこんな人を相手に喰い付いていったものだと、たった半年前の自分を褒めたい。
「……いいでしょう。喜んで引き受けさせていただきます」
と、ツヤのある黒ひげを撫で、親方はうなずいた。
フィオナさんから仕入れた香辛料は莫大な利益を生み、
「もう1隻、船を買いましょう!!」
というリアに押されて、船の新造を頼みに来ていたのだ。
最初にこの赤レンガ造りのモダンな建物を訪れてから半年。
ついにわたしは船主として、親方に認めてもらった。
ふわふわと現実感のないような、しっかりと地に足をつけ踏ん張っているような、不思議な感慨に包まれる。
「ただし、竣工はおよそ1年後になりますぞ」
「はい、存じ上げております」
「代金の半分を入金していただければ建造にかかります。もう半分は、進水式の際にいただくのがシエナロッソの慣習です」
――進水式!
なんて、素敵な響き。
いまの帆船カーニャ号は、ビットから譲ってもらったものだ。
それはそれで思い入れがあるのだけど、わたしのために造られた真新しい船が海を進みはじめる、その瞬間!
想像するだけで、胸がワクワクしてしまう。
そのとき、親方が目をほそめ、わたしに笑顔を向けてくれた。
はじめて見る親方の笑顔。
「あっという間に、立派な船主になられましたな」
「……あ、ありがとうございます」
「デザイン、仕様……。決めていただかねばならぬことは多いため、これから何度も足を運んでいただくことになります。どうぞ末永く、シエナロッソの造船ギルドをご愛顧ください」
「はい! ありがとうございます!!」
バネがはね返ったみたいに、勢いよくお辞儀をしてしまった。
心のなかは跳び上がらんばかりに嬉しい。
はじめて〈大人〉に認めてもらえた。
はじめて〈プロ〉に認めてもらえた。
もちろんわたしだけの力ではないことは、重々わかっている。
リアがいないとダメだし、船長ルチアさんも欠かせない。継母フィオナさんに背中を押してもらったのも事実だ。
なによりビットの存在を抜きに、いまのわたしを考えることはできない。
でも、嬉しい!
黒々とふとい眉毛を八の字にして、親方はわたしにいかつい笑顔を向けてくれている。
カロリーナに転生してから初めて、お父様の爵位ではなく、わたし自身を見てもらえてる。
わたしにとって今日という日は、特別な日になった。
Ψ
宿に帰る馬車のなかでも興奮がさめず、喜びをリアに熱く語ってしまった。
良かったですわねと優しく微笑み、何度もうなずきながら聞いてくれるリア。
言葉に出来るかぎりのことを語り終えても、まだ胸の奥から湧き上がるような昂ぶりが去ってくれない。
はぁ~っ! と、おおきな息が漏れる。
すると、リアがお姉さんな笑みを浮かべて、わたしの顔をまっすぐに見つめた。
「もうひとり、いらっしゃるではありませんか」
「えっ?」
「カロリーナ様ご自身を、ずっと見てくださっている方が」
「えっと、……どなた?」
「ヴィットリオ殿下でございます」
「え? ……ビット?」
言われてみたらその通りではある。
港町シエナロッソに着くや否やナンパされた。わたしの身分を知って声をかけてきた訳ではない。
そして、それからずっと、わたしによくしてくれてる……。
「カロリーナ様は、殿下の求婚をお受けになられないのですか?」
「きゅ、求婚!? あはは……。あれは、そんないいものじゃないでしょ?」
「いえ、ヴィットリオ殿下は本気でいらっしゃると、わたしの目には見えます」
「はは……、まさか……」
「侍女の身で失礼な物言いにあたるかもしれませんが……、ヴィットリオ殿下とカロリーナ様は、真逆に不器用!」
「ま、真逆に……不器用……?」
「はい。わたしの目には、そう映っております」
……た、正しいのかもしれない。
でも、そんなことを言われてしまったら……。
火照ってきた頬に手をあて、リアをチラッと見る。
「……こ、交易の……た、大切な……パートナーなのに」
「はい」
「……リアにそんなこと言われたら、変に意識してしまうわ」
「不躾なことを申し上げてしまいました」
「い、いいんだけどね……」
頬に手をあてたまま、馬車のガラス窓に額をつける。
冬の冷たさが、いまのわたしには心地いい。
相変わらずの賑わいをみせるシエナロッソの街を、焦点をぼやかせた目で眺め続けた――。
Ψ
リアに意識させられ、できた心の壁を、
瞬時に馬鹿らしくさせてくれるのが、ビットの軽薄でナンパな笑顔だ。
「カーニャ~、今日も大天使様よりキレイだねぇ~!」
「あら、ありがと」
「あたらしいカフェがオープンして、そこのチーズケーキが絶品なんだけど、一緒にどう?」
「それは、いいわね」
「そう言ってくれると思った! カーニャ、チーズケーキには目がないもんね」
「ふふ~ん。リアと行こうかしら?」
「そりゃないよ~。僕とデートしようよ~」
とまあ、相変わらず大帝国の皇太子殿下とはとても思えない。
ビットと軽口をたたき合うのを楽しみながら、
辺境ロッサマーレと、港町シエナロッソを帆船カーニャ号で往復する、充実した日々がつづく。
ロッサマーレには、老漁師の息子一家が帰ってきたり、あたらしい住民も徐々に人が集まり始めて賑やかになってきた。
やがて春がきて、初夏となり――、
「やっぱりキレイね~っ!」
と、山一面で真っ白に咲き誇るミカンの花を見上げた。
あれから、一年。
お母様の愛したミカンの花を、わたしは守ることができたのだと、あらためて胸が熱くなる。
去年は花が咲いているうちにシエナロッソに向けて出発してしまった。
今年は航海をリアに任せ、白く可憐なミカンの花を眺めて、ロッサマーレで過ごすことにした。
ミカン畑の全体を、港湾施設が整いつつある入り江から見上げたり、
老農夫ヤンの孫娘エリカと一緒にミカン畑に登って、近くで眺めたりと、
最初に思い描いていた、辺境暮らしのイメージに近い日々を堪能した。
そして、花は実をつけ、わたしはふたたび航海の日々にもどる。
「カーニャ~。商品の目利きの腕が上がったねぇ~」
「あら、そう?」
「運んでくれた商品、どれも立派な品ばかりだ。特に陶器が素晴らしい。ああいう柔らかな幾何学模様は、ラヴェンナーノでは珍しいからね」
「ラヴェンナーノ産の草花をモチーフにした陶器の繊細な意匠は、フェルスタインやさらに東方で人気になってるわ」
「う~ん。まさか、こんなに身近に人気商品が埋もれてたとは……」
と、ビットが珍しく、リアのような笑い方をした。
「……僕もカーニャも、庶民の使う品が貴族に飛ぶように売れて」
「ボロ儲けですわね」
「キレイなだけじゃなくて商才まであるなんて大天使様を超えて、もはやカーニャは女神さまだね」
「もう、言い過ぎよ」
「言い過ぎじゃないよ~。儲けるだけじゃなくて、みんなを笑顔にしてる。カーニャはほんと女神さまだね!」
と、ビットとも相変わらずの関係で、往復の航海をつづけた。
船旅にもすっかり慣れて、船酔いに苦しむこともなくなった秋――、
ロッサマーレの港に帆船カーニャ号が近づくと、キレイなオレンジ色になったミカン畑が見えた。
今年もお母様のミカンが、シエナロッソの皆さんを笑顔にするんだと微笑んだとき、
埠頭に荷物が山積みにされているのが目に入った。
――ん? ……ソニア商会の荷物を、あんなところに置きっぱなしにするはずないけど?
と、怪訝に思いながら船を降りると、たくさんの『おっさん』が駆け寄ってくる。
「カロリーナ様! ぜひ、ウチの商品も取り扱ってください!」
「ブレーメンタール商会の者です! 我が商会の扱う高級絨毯は、西方でも人気で……」
「いやいや、我が商会の絹織物! 交易の定番商品です。ぜひ一度、手に取ってみていただけませんか!?」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ……」
おっさん達の凄まじい勢いに、戸惑うわたしのまえにリアが立ちはだかり、
「お話は順番にうかがいます。いい大人が、なにを礼儀知らずな振る舞いをなさっているのです?」
と、一喝してくれた。
しゅんと息を呑むおっさん達。だけど、目はギラついている。
お、大ごとになってしまった……。
だけど、ふり向いたリアは悪い笑顔を浮かべて、
――ボロ儲けの匂いしかしません。
と、顔に書いてあった。
それは、同感だ。
本日の更新は以上になります。
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