第1話 皇帝ファンロン
「どうして籤の内容を天子様がお決めになるの?」
少年は言った。
「そりゃあ天子様は偉いんだぞ。天子様の言うことはぜったいだ」
また違う少年が言った。
「まあそうだなあ。天子様はとてつもなく偉いけど…」
今度は彼らより少し歳が上の男が言った。
繁華街に一番近い小さな集落では街での出来事、皇室の噂がよく飛び交う。今日の話題は皇帝陛下が即位するたびに決められる帝籤についてだ。
帝籤
新たに皇帝陛下が即位すると、百の詩が詠まれ、それを民に公布する。しかし、これはただ配るのではなく、籤の形式をとって民の運勢を占う。それは皇帝陛下、神の仲介者として絶対的な言葉となるのだ。
最近、ちょうど皇帝が変わった。第一皇子であったファンロン皇子が皇帝陛下の後を継いだのだ。彼は歴代皇帝の中でも頭が切れ、幼少期から皇帝になることが約束されていた人であった。しかし、小さな村の人間がファンロンのことを知るはずがない。想像で話すしかないのだった。
「今回即位された天子様はかの有名な太子殿下でしょう」
「中庸と大学を齢15歳で学び終えたという?」
「中庸?大学?なんだいそれは」
「俺は10歳で学び終えたと聞いたぞ」
このように民の言うことは統一されていない。
けれどもこのファンロン皇子、新皇帝陛下は素晴らしい人であるということだけはどんなに遠い村でも伝わっている。
実際のファンロン皇子は、民が噂するよりもさらに素晴らしい才能の持ち主である。
皇帝、皇后両陛下の元に産まれた彼は正室の子であることからすぐに世継ぎとされた。ファンロンには他にも異母兄弟がいるが、同じ母を持つ兄弟は他におらず、その地位は確立した。
幼い時から、勉学はもちろんのこと武術にも長けていた。ユンナンを聞いたことはあるか。ファンロンが10歳の時に西方の将軍による謀反が起きた。その時の英雄として都を守ったのがユンナンである。ユンナンは1人で100人を抜き、見事謀反人の首もとった当時齢15の武人である。このことが称えられ、皇帝陛下はファンロン皇子の護衛とした。以後、ファンロン皇子が行動する際にはユンナンと内官を連れている。以後、ファンロンの武術の師はユンナンであった。彼ら二人は後に2大剣士と呼ばれるようになる。
もちろん、内官もただ者では無い。ファンロンはユンナンを迎えると共に内官も自ら選んだ。条件は厳しい。
○自分の身の回りのことをなんでもできる人。
○命令には絶対に従える人。
そして1番難しいのは
○太子殿下の出す問題に答えられる人
太子殿下よりも頭が回るものなど宮廷には存在しなかったといってもいいだろう。宮廷内の官吏、新たに民を集めてこの問題を解かせた。そしてこれを正解した者が1人だけ現れた。
それが怜怜。山奥出身の農民である。彼の身分は決して高くはないが、太子殿下の出した問いに唯一答えられた男である。彼は当時齢14。ユンナンよりも歳下であり、太子殿下よりも歳上。こうして怜怜はファンロン皇子に迎えられたが、問題があった。ファンロン皇子、ユンナン、怜怜が揃えば敵なし、いわゆる最強なのだが、武官と内官の仲が悪すぎるということだ。息を吸ったものなら相手の悪口を言う。ファンロン皇子もはじめは注意をしていたものの、徐々に慣れてきて何も言わなくなった。そのため、東宮殿(ファンロン皇子が暮らしている場所)はいつも騒がしい。しかし即位してからは東宮殿ではなく、神龍殿が騒がしくなった。太子殿下が皇帝陛下になっても小競り合いは止まらなかった。
そんな神龍殿は現在、帝籤に関して議論されている。ファンロン陛下の元に大臣らが集まる。
「陛下、即位された今、早めに帝籤を」
「帝籤を」
1人の大臣に合わせて皆が復唱する。
帝籤は皇帝が即位してすぐに世継ぎよりも先に話題に出される。少しでも早く帝籤の100詩を完成させようと宮廷は大騒ぎなのである。
「もちろん、帝籤に関しては少しずつ進めていくつもりだ。心配する必要はない」
ファンロンはみなを落ち着かせるように言った。
百の詩を考えるというのは優秀な皇帝でも早くて3年はかかる。歴代には15年かかったものもいた。
しかし、ファンロンの実力は小さな村でも知っているくらいだ。大臣らはファンロンの言葉に安堵した。
ところで、どうして帝籤は世継ぎよりも重要視されているのか。これには皇帝自身も定かではない伝説がある。ファンロンの先祖であり、何代も前に太子殿下と呼ばれる男子が生まれた。彼は容姿端麗なことから皇帝皇后両陛下から大変愛された。そんな彼は溺愛されても傲ることは一切なく、誰からも好かれる存在であった。そんな太子殿下が生まれる直前に、預言者にこう言われていた。
「後に産まれてくる皇子は優秀で歴史に名を残す方となるでしょう。しかしそれと同時に悪名高き皇帝にもなる可能性もあるやもしれません。どうなるかは私にはまだわかりませんが、そうならぬよう皇后陛下は太子殿下をお支え下さい」
この奇妙な預言を残した者は後に皇帝によって処刑された。生まれてくる世継ぎに対し、悪いことは決してあってはならない。その後、無事元気な皇子が生まれ、齢17まで秀才であると囃し立てられながら、難なく育った。18の時、皇帝が亡くなり、皇子が即位することとなった。皇后陛下は皇太后となり、相変わらず陛下を支えることとなった。そんなある日、事件が起きた。それは皇帝陛下が皇后を迎えたあとのことである。当時、何よりも世継ぎをつくることが国の大事とされていた。妃の父親は国の兵を支配する位の高い大臣であった。みな、彼には逆らえなく、さらに位の高い大臣ですらも、口出しすることは難しい。しかし、そんな中でも対抗したのが皇帝陛下であった。皇帝だから当たり前だろうと思うかもしれないが、かつての皇帝で大臣に逆らえず、操り人形となったお飾りの皇帝は大勢いる。もちろん、皇后の父は皇帝のこういった態度は気に食わない。自然に皇帝と皇后の父という派閥で対立した。そのせいか、皇后は皇帝に愛されることはなかった。その中で起きた事件とは、ある日の晩、皇帝の夕食に毒が盛られた。毒見役によって皇帝の死は免れたが、目の前で人が苦しみ、死んでいく様子を見て、精神が異常となった。誰も信じなくなって、食事もほとんどとらなくなった。やがて、皇帝の姿を見ることはほとんどなくなった。
「皇帝陛下はもうだめだ」
「あんなに聡明で在られたのに」
皇帝陛下に退いてもらい、新たに皇帝をたてようとする動きが始まった。そんな時、皇帝の夢枕にある人物が立った。それは先帝である父親と彼に殺された予言者である。
「東宮よ。さぞかし辛いだろう。そなたに毒を持ったのは義理の父だ。すぐに殺せ。皇后もみな、一族もろとも。そして、奴らの派閥も。そうすればそなたは再び素晴らしき、王になれる」
「陛下、辛いのはわかります。しかし、陛下の手で殺してはなりません。国には法というものがあるではないですか。それに従う必要があります」
「殺せ。お前の命を脅かす者全て」
「なりません、陛下」
気づけば皇帝は、神龍殿で皇后の父親を含めたその派閥全員を殺していた。さらには皇后、側室、実の母である皇太后までも。
ここで、皇帝はさらに眠りにつこうとしたが、再び夢枕に人が現れた。
今度は父親の姿はなく、予言者だけであった。
「陛下、あなたはとんでもない罪を犯しました。彼は確かに悪人でした。しかし、皇后様や皇太后様は何をされたのですか。貴方を支えました。皇后様は貴方に慕ってもらえないと分かりながらも、側室を気遣い、貴方の食事や薬を寝る間も惜しんで作りました。陛下、今目の前に川が流れていますね。しかしこれを渡らせる訳には行きません。貴方にはまだやらなければいけないことがある。民のための詩を読みなさい。百詩です。私はあなたに呪いをかける。お前の子孫はこれからこの百詩に縛られることになるだろう。この百詩が完成しないまま、皇帝が死ねば、子孫、国に大きな災いが降り注ぐ。そなたにもわずかに猶予をやろう。この間に作らなければ、そなたの名は悪名高き皇帝として、歴史に名を刻む。そしてこの縛りは永遠につづくだろう」
こうして予言者は皇帝が生きている間、夢に出てくることはなくなった。皇帝はこの日から毎日詩を作るのに取り組んだが、わずか七日後、息を絶った。皇帝の姿を見かねたお付きの宦官が皇帝を殺したのだ。百の詩は75で止まった。しかし、七日で75まで作ったのである。しかもその出来は見事であった。宦官は皇帝と側室の息子を皇帝に立てた。皇帝は死に際、宦官にこういった。
「息子に、子孫に詩を作らせろ。百。私が守ってあげるのはそれしかできない」
皇帝はしかとこの事を伝えるだけではなく、七日の間に自分に起こった出来事を全て記し、その本を「神龍伝」と名づけた。それが、今もなおファンロンを初め、宮廷に伝わる伝説になっている。
「他に報告のある者はいるか?いなければ本日はこれで…」
「陛下、ひとつよろしいでしょうか」
前に出たのは若い大臣であった。
「陛下は噂をご存知ですか?」
「噂とは?」
「東宮殿に出る女の鬼です」
この大臣の一言によって一瞬でざわついた。ファンロンは何のことかわからず、若い大臣を問いただした。
「なんだその噂は」
すると近くに立っていた年老いた大臣が先に話した。
「ただの噂です。それよりも大事なことが・・・」
若い大臣を見ると震えが続いている。
「私は今そなたに聞いたのではありません。その噂について話しなさい」
ファンロンがそういうと、瞬く間にその場は静かになり、大臣は口を開いた。
「半月前、女官が水汲みに東宮殿を通ったらしいのです。すると芙蓉池の中に白い服をまとった女の鬼がいて、此方に近づいてきたと。その女官は怖くなって、水汲みの桶を捨て逃げたとか。その後も見回りの武官や陛下の元へ訪れた医官なども目撃したと」
話していくうちに周りのものまでも震えだしていた。一部の皇帝に近い席にいる者は怯えている者を蔑んだ目で見ている。おそらく信じていないのであろう。ファンロンはどうにかこの場を収めようと落ち着いた様子で皆をまとめた。
「噂がある以上何かしら問題があるということだ。ただ、本当に噂なだけかもしれないゆえ、1度私が内密に調べておこう」
噂を持ち出した大臣はそっと頷いた。
「ありがたき幸せ」
「くれぐれも噂がこれ以上広まらぬようそなたたちはこの話を控えるように」
会議が終わり、次々と大臣らは神龍殿を後にした。この場に残ったのはファンロンと優秀な部下2人だけだった。
「陛下、鬼なんて噂にすぎません。適当にあしらっときましょう」
怜怜は大臣の言うことを終始蔑みながら聞いていた。それ故に今も鬼のことを信じていない。
「噂かどうか見に行きゃいいだろ」
怜怜に反論したのはやはりユンナンだった。
「まさか鬼を信じるのか?」
「お前こそまさか鬼が怖いのか」
また始まったと呆れながらファンロンは話に割って入った。
「問題は噂かどうかじゃない。なぜこの噂が出回ったかだ」
ユンナンと怜怜は睨み合いをやめ、ファンロンに着いていく。
「でもおかしいですね。陛下が東宮殿に居られた時には1度も鬼らしきものは見ませんでしたが」
怜怜はふと思いついたように言った。
「そうだ。私が東宮殿にいた頃そのような噂も何もなかった。霊が急に現れるだろうか」
「俺が調べますか?」
ユンナンはファンロンの後ろから声をかける。
「いや、私が自ら調べる。怜怜は女官たちにこの噂について聞いといてくれ」
「わかりました」
東宮殿には大きな池が2つ、蓮の花がそれを覆う。ファンロンは生まれてすぐにこの東宮殿で過ごした。ファンロンが7歳の時、両親やお付の宦官たちに内緒で都に出たことがあった。その時に街で出会った少年に蓮の実が食べれることを聞いて、驚いた。東宮殿に戻ってからすぐに試してみたこともあった。今では芙蓉池の水を全て抜いてしまい、蓮も枯れている。その代わり、神龍殿から一番近い池で蓮の花が見られる。
「流石に昼間は何も無いのでは?」
ユンナンは辺りを見回しながら言った。鬼を見たという情報は全て夜の出来事である。昼間に来るのは無駄足だったかもしれない。
「明日の夜出直す」
「今日ではなく、明日ですか?」
ユンナンは驚き、ファンロンに問いかけた。
今日の夜は急ぎの執務があると言い、2人は1度神龍殿に戻った。
神龍殿に戻ると怜怜も既に戻っていた。
「陛下!白い服の鬼を見たという女官を見つけました!連れてきますか?」
怜怜は顔が広く、人懐っこいことからこういった人探しに大変向いている。
「呼びなさい」
怜怜が連れてきたのは、若く見えるが宮廷使いはそれなりに慣れている女であった。彼女は怯えているようにみえる。
「へ…陛下!」
鬼に怯えているというより、陛下にお目にかかることに怯えているのであろう。この女官は水汲みである故に身分はそこまで高くない。陛下に呼ばれるなど二度とないことだろう。
「面をあげなさい。そう緊張することはない。」
ファンロンはその女官を落ち着かせ、鬼について聞こうとした。怯えていた女官はようやく今回の出来事について口を開いた。
「私は洗濯係で、次の日に向け井戸の水を運んでおりました。恐れながら多くの女官や宦官にとって東宮殿の庭は近道となるため、東宮様がおられない今、通り道とさせて頂いてます。あの日も東宮殿を通ったところ、水のない池から音がしたのです!見てみるとそこには白い衣の女が立っていました。私は恐ろしくなってすぐにその場から逃げました。それ以降、東宮殿を通ることはなくなりました。私の後に何人か通ったという者も同じ白い衣の女を見たようで、7日経てば誰も東宮殿を近道とする者はいなくなりました」
女官は浅い呼吸をしながら語った。
震えはまだ止まらないが、今は陛下に対する恐れというよりは鬼に対する恐怖からだろう。
「女の顔は見たのか?」
ユンナンは話が終わってすぐに女官に尋ねた。
女は自分の手を見ながら小さく首を横に振った。
「お前は馬鹿か?こんなに怖がっているのに鬼の顔なんて見れるわけないだろ!」
怜怜はユンナンの冷たい言い方が気に食わなかったのかすぐに食らいついた。
「怜怜の言う通り、怖かったはずだ。顔なんて見る余裕はないだろう。だがそうユンナンに噛み付くな」
今回ばかりは目の前に女官もいるため、ファンロンは2人を落ち着かせた。その後も話を聞こうと思ったが、すぐに逃げ出してしまったということでこれ以上有益な情報は得られないと思い、彼女を帰してしまった。
「やはり我々が出向くことになりそうですね」
ユンナンは持っている剣を強く握りしめた。最初からいざと言う時は行く気満々であったのである。
「そうだな。まあまだ害はないから焦る必要はないだろう」
怜怜はその言葉を聞いて驚いたようだった。
「今宵、東宮殿に行くのではないのですか!?」
「陛下は本日執務があるゆえ明日の夜にするようだ」
「今東宮殿を使う者がいないのであればすぐに対処する必要はないだろう」
怜怜もユンナンも納得して、神龍殿から下がった。
ファンロンは神龍殿付きの女官や宦官、ユンナンと怜怜の監視を難なく通り抜け、再び東宮殿へと向かった。水のない芙蓉池は夜になると底なし沼に見える。ファンロンは橋を渡って、その真ん中で止まった。
「貴様だな」
ファンロンが指さす方向にいたのは白色の衣を纏った女だった。不気味なことに、水のない池の中に立っている。ファンロンに気づいたその女は枯れた芙蓉を踏みつけながら近づいてくる。
ファンロンは微動だにせず、彼女が近づいてくるのを黙って見たままだった。女の足取りはとても重く、まるで足に枷がついているようであった。
そしてついに女はファンロンの目の前にきた。その瞬間先程の歩いている様子からは想像も出来ないほどの速さで腕を動かし、ファンロンの首を締めようとした。しかし、女の動きよりも機敏にファンロンはそれを躱した。女はその動きについていくように爪を立て、再びファンロンの喉元へ突き刺した。女は喉を鳴らす。声を出しているがそれは言葉にはなっていなかった。その様子を見たファンロンは口角をあげた。
「何が目的だ?」
女は悲鳴をあげるが答えない。
鬼は話すのかと疑問に思う人もいると思うが、話せる鬼は稀である。鬼は負の感情を持った死人から生まれるもので、多くはその負が大して大きい訳ではないため、弱い鬼となる。では強い鬼とは一体何なのか。例えば、人に殺されたとか。戦争で死んだなら話は変わるが、思ってもいなかった死は強い鬼になりやすい。さらには生前悪い事をしたという人も当てはまる。人間のほとんどは生きていた時のことを忘れることが神によって許されるが、極悪人はそれが許されない。あの世へいっても、罪を覚えていなければならないのだ。そしてその罪を覚えさせるために現世にはびこる悪鬼とされる。天界にも鬼界にもいけず、人間界で過去の大きな罪と向き合わねばならないのだ。最後に1つ。強い鬼は、強い鬼によって作り出されることがある。人間界にファンロンという皇帝がいるように、鬼界にもきちんと階級がある。鬼界でいうファンロンと同じ立場の鬼は、人間を殺して鬼にすることが可能なのだ。弱い鬼もつくれるし、時には鬼に特別な力を与えることで、その鬼を強くすることができる。とにかく鬼にも優劣があるということだ。ファンロンはこの鬼に話しかけている時点で、奴が強い鬼であることは理解していた。動きはファンロンと同じくらい速い。橋の上だけが戦闘場であるファンロンは圧倒的不利である。
ファンロンは持っている札を鬼の額へと当てた。この札の役割は鬼の感情を聞くことができる。本来ならば下級、中級の話すことの出来ない鬼に使う。札によって、女の動きは止まりその場に座り込んだ。ファンロンはその様子を見たあとに目をつぶり、奴の言葉を聞いた。その瞬間ファンロンから笑みがこぼれる。
「なるほど、お前か」