9 国境の街(1)
「なんでセリーヌ共和国なんですか? 王城とは逆方向っすよ?」
アンヌの答えに、カインが疑問を呈する。
セリーヌ共和国は、リンドブルグ王国と国境を接する隣国。大陸の北側の海に面する比較的小さな国で、王国とは友好的な関係を築いている。
今いるアルタ山は、王都から見て西側に位置しているが、ここから更に北へと進むと共和国の領土となる。
「いい質問ですね、カイン。……いま騎士団の方々は何をされていると思いますか?」
「何って――もしかして、犯人探し?」
「察しが良いですね。ええ、正解です。事件が起きた日から起算すると、今日は2日目――今日か明日か、そろそろ本格的な捜索が始まっていてもおかしくないですね」
ここから第6騎士団の本拠地までは、おおよそ徒歩で2日。
情報自体の把握はすぐにしているだろうから、すぐに捜索隊が組織されたとすれば、そろそろ集団が到着しはじめてもおかしくない時間だ。
「それに、今のノエル様の人相も既にある程度バレていることでしょうし――何よりその頭」
「ああ、確かにそうだな」
アンヌが指さしたのは、ノエルの頭の角。
一発で魔族と見分けられるのだから、彼らとの接触を避けるのは自明だ。
「だから一旦、事態が沈静化するまで共和国へ逃げるんです……実は伝もありますし」
「ほう、お前に共和国との繋がりがあるのか」
「ふふん、私の師匠が共和国の南に住んでいる……らしいです。まだ時間もありますし、ノエル様を鍛えてもらおうかと思っています」
ノエルは「らしい」という単語に少し引っかかったが、アンヌのことだしなと深く追求しないことにした。
適当なのか、抜かりが無いのかいまいち読めない。
それにしても師匠だなんて、どのような人物なのかが気になる所だ。
共和国自体は、この王国と同様に魔族を敵だと見なしている。だからもちろん魔族は討伐対象なのだが、アンヌやレオノーラのように潜入している可能性も十分に考えられる。
「その師匠とやらは、アンヌと同じ魔族なのか?」
「ええ、そうですよ。……しかし、魔王国を捨ててからしばらく消息不明だったんですよ。でも先日、ようやく情報を掴みましてね」
うふふと笑うアンヌ。……素直に師匠との再開を喜んでいるのだな、とノエルは感じた。
なんというか、いつもの胡散臭い笑い方とは少しだけ違うような。
実際、アンヌは鼻の穴を広げて揚々と語っている。
その様を見れば、その師匠とやらを本当に尊敬しているのだとわかる。
「さあ行きましょう! うかうかしてると捕まっちゃいますよ!」
アンヌは左手の拳を天高く突き上げ、跳ねるように前に進んだ。
「元気なやつだな……」
「全くっすね」
顔を見合わせ、困ったように肩を竦めるノエルとカイン。
ここだけ切り取れば悪いやつには見えないのだが……、とノエルは心の中で吐露した。
◇
「この先に街があります!」
「たしか、『ベナウ』っすよね」
「……? 街の名前はよく知らないですけど、多分そうです!」
ふわっとした知識で答えるカインと、それに対して適当に肯定しておくアンヌ。
……ちなみに不正解である(ベナウはもう一つ隣の街)。
軽い高台になった場所から見下ろしたのは、国境付近の宿場町。
王国と共和国の間は、両国の友好の証として街道が整備されており、商人たちの交易路としてだけでなく、一般人向けの移動路としても機能する。
代表的なものでは「乗合馬車」が運行されていることが挙げられるだろう。お金を払えば目的地まで連れて行ってくれる。
この街へ来たのは、その乗合馬車に早いうちに乗車して王国を脱出する算段によるものだった。
「アンヌ、これはどうするんだ?」
ノエルは、アンヌの角を指した。
「ふふ、私は大丈夫ですよ――ほら」
アンヌは自身の角を軽く撫でるように触れる。すると、一瞬アンヌの角が淡く光ると、その光は霧のようになって散っていった。
自慢気にする彼女の頭の上には……なにもない。
まるでそれは――普通の人間。
「……そ、そんなことができるのか」
「ふふふ、凄いでしょう凄いでしょう」
鼻を高くするアンヌ。ぴょこぴょこと飛び跳ねて自慢する様は、もはやただの生意気な町娘だ。
彼女を魔族と呼ぶものはいないだろう。
「俺はどうすれば良い?」
「えーと……ノエル様はこれを使ってください」
アンヌが鞄から取り出したのは、暗めの色のローブ。青みがかった黒い生地で、裏地は紫。
少しサイズが大きく、ノエルにとってはブカブカだが、これは意図している。
ローブをがばっと羽織り、そしてフードを頭に被る。
――すると、ちょっとオーバーサイズのフードの中に、それなりに大きな角がすっぽり隠れた。
頭の上が左右にちょっともっこりとしているような気もするが、観察しないと気づかれない程度だろう。
「……怪しくないか、これ」
「ふふ、ノエル様かわいいですよ」
ノエルの疑問に、答えになっていない答えを返すアンヌ。
「団長、大丈夫っす。アンヌさんの言う通りです!」
便乗してカインも団長のことを褒める。
いや怪しいか怪しくないかを聞いたのだが……、とノエルは困ったような顔をした。
だが実際、「怪しい」という感想よりも「女の子が背伸びしてブカブカのローブを着ていて微笑ましい」という感想の方が多そうではある。
袖も丈が余っており、手の甲までしっかりと隠れており、指先までしか見えない。
「……というか、俺の角を消すことはできないのか? お前がやってみせたように」
「残念なことに、効果範囲が極めて限定的な術式なので、他人に使うことは難しいです。それ以上に術式も難解な上、消費する魔力も馬鹿になりませんからね。自分で使うので精一杯ですよ」
「そういうものなのか」
「ええ、そもそも魔族だとしても、私以外に使える人はそうそういませんよ。……ですが、そのうちノエル様には使えるようになってもらいます。覚悟しておいてくださいね」
若干脅しともとれるような言葉に、ノエルは「あ、ああ」と少し慄いた様子で答えた。
どうやら、この角を隠す魔術はそれなりに難易度が高いらしい。
簡単にやってのけたのは、ひとえにアンヌの技術力が高いのか、それともただの見栄っ張りか。
ノエルにとっては複雑な気分だ。
こうやって魔族が擬態をできるとなると、人里に魔族が混ざり込んでも外見だけではそれを知ることが出来ない。
つまり、今も既に他の魔族が紛れ込んでいる可能性が否定できなくなってしまう。
要求される技術が高く、これをできる魔族が少ないことがまだ救いだろうが。
――この魔術の存在が巷で知れたら、どうなってしまうんだろうか。
人々は疑心暗鬼になって、無実の人を「魔族かもしれない」という理由で殺してしまうかもしれない。そうなれば、混沌とした世界になることは目に見えている。
このような魔術が存在している事自体が、王国にとって脅威だと言うのに。
目の前のコイツは……そんなことは考えてなさそうだ。
ただただ、目立たないようにするための道具の一つだとしか思っていない。
「さあそろそろ行きますか! いやー、美味しいご飯食べたいですねぇ~」
そんなノエルの思考は、アンヌのデカい声で中断される。
どうも一人だけは観光気分のようだが……一行は街へと歩みだし、共和国への旅路を急ぐのだった。