71.ガエル村 2
グラシアン様の手紙を読み終わって気が抜けた所へクリストフ殿から声がかかった。
「それとこれが教団から届いた手紙だ。聖女は理解できる。だがここに記されている竜巻娘とは何なのだ。風の魔法で巨大な竜巻を発生させるなど可能なのか?」
「それに関しては手紙を読ませていただかないと、返事ができかねます。」
「読むのは構わんが、気分が悪くなる文面だぞ。人を人とも思わぬ表現を平気で書いてきてる。」
手紙を手渡されて文章に目を通す。手紙と言うよりも指令書か?
『ヴァランティーヌ教団 各教会長殿
ヴァランティーヌ様の加護を受けし聖女様が顕現なされた。聖女様は強力な風魔法を駆使し巨大な竜巻を操る竜巻娘に護られている。
聖女様、竜巻娘、この2名を教団にお迎えし教団のために働いていただかなければならない。
ついては、この2名の噂を聞いた、この2名を見かけた、等の情報は必ずエヴァリスト・ベルリオーズまで報せる事。
なお、この2名を教会で保護し教団へ献上した場合は、位階を無条件で2段階上げるものとする。
エヴァリスト・ベルリオーズ枢機卿』
たしかに、献上などとは奴隷として扱っているようなものか。このような文言を書いてくる人間の気が知れない。
エヴァリスト・ベルリオーズ枢機卿か。教団相手に揉め事が起こるような事があったら、まずこの枢機卿が敵対するのか? コイツの名前は覚えておこう。
「エヴァリスト・ベルリオーズ、この枢機卿についてどんな人間なのか知っていますか。」
「枢機卿ともなれば教皇に最も近い存在だ。私のような末端の神父ではお目にかかれないような雲の上の存在だ。だがこのような文面の手紙を平気で送りつけてくるぐらいだ。知能程度はお粗末なんだろうな。」
「そうですか、会った事もない人間ではしょうがないですね。」
「すまないな。教団内の情報は神父教育を受けていたときの、噂の聞きかじり程度しかない。」
どれだけの信者数がいるかも分からない巨大な教団だ。その上部一握りのわずかな人数の人となりなど分かるわけもないか。
ここはクリストフ殿を信用してお嬢様の事を話しておくか。
「先ほどの聖女、竜巻娘について、クリストフ殿が秘密を守っていただくことを前提でお話いたします。」
「それは問題ない。秘密だと言えば誰にも話さない。」
「ありがとうございます。まずお嬢様の指導を受けて治癒魔法を使えるようになった少女が聖女と呼ばれました。お嬢様は巨大な竜巻を発生させてゴブリンの集落を攻撃しました。これが聖女と竜巻娘の真実です。」
ポカーンとした顔で間が空き、はっと我に戻ったクリストフ殿。
「それはどこのお嬢様のことを言っているのだ?」
「ヴィヴィアン・ライオネット様です。」
「魔法を使えるなどとは、グラシアン様はおっしゃってはいなかったぞ。」
「ここまでの過酷な旅でお嬢様はめざましい成長をなさいました。そして教団が狙うのもこの二人の少女なのです。」
「テオドールが一人で来たという事はそういうことか。ここがお嬢様に危険か安全かを探りに来たのだな」
「おっしゃるとおりです。」
「それで、テオドールの意見は、ここは安全か?」
「クリストフ殿は信用できると思います。」
「それがお嬢様の安全に繋がるわけではないのは承知しているな。」
「もちろんです。このような過疎の村では防衛に関して難があります。王都のような人混みに紛れていた方が安全でしょう。」
「そうか、王都にいるのか。それならグラシアン様がこちらに到着次第、お嬢様宛に手紙を送ろう。何処へ送ればいい?」
そうか、今現在の所在地はクレマンソー侯爵邸だが、ずっとそこにいるわけではない。グラシアン様は暖かくなるのを待って出発とのことだ。すでにその頃にはお嬢様の家庭教師の依頼は終わっているだろう。
そうなったら無難なところはギルドか。ギルド近辺に生活拠点を置けばいつでも受け取りに行くことができる。
「今お世話になっている方の屋敷は、グラシアン様が到着する頃には出ていると思います。ついてはハンターギルド王都東支部留めにてお送りくだされば、私が受け取りに伺います。」
「ほう、ハンターギルドか。ハンターとして活躍しているのか。旅の路銀も必要であっただろうし、お嬢様の身の回りのお世話もずいぶんと金がかかりそうだ。どうだ、お嬢様は我が儘などは言ってはおらぬか?」
お嬢様の我が儘? 一般の貴族家のご令嬢の我が儘などとはあまりにもかけ離れているお嬢様の質素な生活ぶり。確かに侯爵家でお世話になっていれば美味しいものを食べるだろう。しかし、旅の間はあの固いパンを文句も言わずに食べてくれた。もっと我が儘を言うのが子供の特権だと思っていたのだ。
いやっ、別の方向に向けて思いっきり我が儘なお嬢様だ。普通のご令嬢は魔物に向かっていかないぞ。それが嬉々として魔物に向かって行くなんて、お嬢様を護れなかった時の私の恐怖を少しは察してほしい。
「なんだ、お嬢様は我が儘なのか?」
「ある意味で聞き分けがよく、ある意味でとても我が儘です。その我が儘はすでに私では止めることができません。」
「小さな女の子の我が儘だ。テオドールも娘を持てば分かる。父親の目線で笑って許してやることも必要だぞ。」
「先ほど竜巻娘の話をしました。お嬢様はそれほどの魔法の才を発揮し、現在Dランクハンターとして魔物を狩りに行くことも躊躇しません。」
「は?」
クリストフ殿が指折り数え始めた。その指が8で止まる。
「私はお嬢様が1歳の時にお顔を拝見している。その後騎士団を退団して、教団に神父教育に赴いたのだ。お嬢様の年齢は勘定できる。まだ8歳のお嬢様がDランクハンターなどとはおかしいだろう。」
「ギルドの年齢確認が、本人の主張で通ってしまったんです。そこでランクアップ審査を受けましたところ、ギルドマスターがAランク並の魔法使いだと認めました。」
「Aランク並? だと・・・ いやだからといって魔物のハンティングなどに連れ出しているわけではないだろうな。」
「私が反対しても自ら依頼を請けてしまうのです。」
「そ、そんなことをして、お嬢様にケガはっ、ケガはないのかっ!!」
「Aランク並の魔法使いです。ケガをする以前に我々が護られています。」
「それでもだっ!! どんな状況でもお嬢様の安全を最優先にしろ。」
「承知いたしております。」
「まさか今も魔物狩りに行ってるわけではないだろうな。」
「いえ、今は貴族家のご令嬢の家庭教師に入っております。お嬢様の安全確保は問題ありません。」
クリストフ殿はソファーに背を預け天井を見上げる。こめかみをぐりぐりとほぐし始めた。お疲れのようだ。
我が儘を聞きながらもお嬢様を王都まで連れてきた私も疲れている。誰か私をいたわってくれ。
お嬢様の報告は大方済んだな。後は馬車の物資を下ろせば王都に戻れそうだ。
「馬車に諸々の物資が積んであります。保管できる場所を教えてください。」
「それはありがたい。何があるんだ?」
「小麦に塩、生活雑貨、衣服、他には農具も持ってきました。」
「それはまた、気が利くじゃないか。村民が欲しがるものばかりだな。商品代と運送費、併せていくらでよいかな。」
「いえ、いずれお嬢様がお世話になるのです。お金を受け取らないようにお嬢様から言付かっております。しかもグラシアン様ご夫妻がいらっしゃるのです。ご夫妻用の物資を運びなさい、と命令されそうですね。」
「ハンターとは・・・ それほどまでに利益が上がる仕事なのか?」
「いえ、依頼を達成しなければ報酬をもらえないどころか違約金がかかります。誰も違約金なんか払いたくないですからね、身の丈に合った依頼を請けるんですよ。駆け出しの若いハンターは報酬の安い依頼を請けますからね、それほどお金は持っていないでしょう。」
「テオドール達も駆け出しだろうっ。」
そんなことを話しながら馬車の荷物は二人がかりでどんどん下ろされていく。
馬車は物資が下ろされ馬の飼い葉が残った。
「今から村を出たら野宿になるだろう。家で休んでいきなさい。」
「そうさせていただきます。」
クリストフ殿のもの言いたげな表情、何を言いたいのかを問う。
「どうされましたか?」
「あ、いや、せっかくテオドールが来ているのだ。剣の稽古でもどうだろうかと思ってな。」
「クリストフ団長と稽古をできるなど、願ってもないことです。是非お願いします。」
「あ、いや、私ももう年だ。期待するほどの稽古にはならんと思うぞ。」
「はっは、ご謙遜を。」
家の外に移動をして、これを使え、と手渡された木の棒。木剣とかではない。単なる木の棒だ。このような片田舎に木剣を売りに来るような商人などいないということか。
受け取った木の棒の重さ、振り具合を確かめる。ニコレットが使うサイドソードぐらいの重量か。この私には少し軽すぎるようだが、それはクリストフ殿にとっても同じ事だ。軽い剣を持って自分だけが剣速が早くなったと思わない事だ。
さて、騎士団長時代は最強を誇っていたクリストフ殿に何処まで迫れるものなのか。私も充分に鍛錬はしてきたつもりだが、胸を借りるつもりで思う存分戦ってみよう。
いざ対峙してみれば、クリストフ殿の恐ろしいほどの威圧感が肌にヒシヒシと突き刺さってくる。
私に向けられているのは単なる木の棒だ。しかし、その木の棒はすでに私を貫く凶器と化している。
クリストフ殿は動かない。これだけの威圧を放ちながら。初手を私に譲ろうとでも思っているのか。
では、クリストフ殿の木の棒を思い切り横になぎ払い脳天に一撃、いや当てるつもりはない。いくら木の棒でも当たったらケガをするだろう。お嬢様やソフィがいてくれたら治癒ができるのだが。
雑念は捨てろ。返り討ちにあうぞ。飛び込みながら棒を横に振るう。
よしっ、とらえた。棒と棒のかち合う瞬間、手の握りを緩める。しっかり握っていれば衝撃で手がしびれてしまう。これはクリストフ殿も同じだ。棒を飛ばされまいと握りしめれば手がしびれる。
何の衝撃もなく私の棒は空を切る。まずいっ、青眼に構えたクリストフ殿の棒がくるりと一周回って目の前にきている。このまま頭を叩かれる前に横っ飛びで回避、間に合うか。
横に跳んでゴロゴロ転がる私に追撃の棒が打ち付けられるが、かろうじて受けきった。
「避けきったか。なかなか鍛えておるようだ。だが今のはテオドールの油断だぞ。」
「いや、クリストフ殿は剛の剣では? あのような小手先の技は初めて見ましたよ。」
「私は年寄りなんだ。騎士団長時代のようにガッツンガッツン打ち合ってたら体が付いていかないだろう。体の動きを最小限に、効果を最大に、だ。」
「そうですか、クリストフ殿はまだいけますか?」
「まだまだいけるぞ。」
「では、まいりますっ。」
今度は真正面から打ち込めば、受けた棒で受け流されひらりひらりと躱される。すごい、私もこの身のこなしを覚えたい。クリストフ殿はこのへんぴな村でどうやって鍛錬をしていたのだ。剣術の稽古の相手など誰もいないはずなのに。
何十合と打ち合った末の隙を突かれた。喉元に突きつけられた棒が、私の敗北を如実に表していた。
「まいりました。」
「私も限界だったな。今のが決まってなかったら、疲労で私が負けていたぞ。」
「いえ、クリストフ殿はいまだ衰えを感じさせません。本日は稽古をありがとうございました。またこちらへ寄りましたときには、稽古をお願いしてもよろしいでしょうか。」
「うむ、私も久しぶりに楽しかった。またやろう。」
最後にどんな鍛え方をしているのかを見せてもらった。裏の立木の枝に吊るされた木の棒、その両端に吊るされた木片。高さをずらしながら3カ所にぶら下がっている。
「この木片を打ってみろ。反対側の木片が自分に向かってくるから注意しろ。ああ、外に向かってはじいてやらないと、ロープ同士が絡むからな。絡まないように打つのも技術だぞ。」
一番手前の木片を打ってみる。木片を吊るした上の天秤棒が揺れ、天秤棒の反対側に吊られた木片も揺れ始める。天秤棒同士がぶつかり合い他の木片までもが揺れ始める。
今はまだゆっくりゆれて目で追えている。あまりにも不規則なその揺れは、避けるために棒で打ち始めればもっと複雑な動きで私に向かってくるだろう。
なるほど、これで身のこなし方を鍛えろという事か。面白い。
木片が揺れる中心へ斬り込んでいく。
カンッカンッカンッカンッカンッ
ボクッ ぐっ、クソ カンッカンッカンッ
ドスッ うぶっ ボコッ ドカッ
木片を受けすぎて体勢が立て直せない。地面に伏せゴロゴロと横に逃げる。
「最初はそんなもんだな。」
「あまりにもふがいない。もう一度いいでしょうか?」
「やめとけ、もう暗くなる。体を休めろ。」
言われたとおり、もう日が沈む。薄闇の中でやるのは危険だろう。
王都に戻ったら侯爵邸の庭の木を拝借して同じようなものを設置してみよう。
明くる朝、クリストフ殿夫妻に別れを告げ、まだ夜も明けきらぬうちに王都に向けて旅立つ。
帰りは荷が乗ってない分馬車が軽い。これなら1日ぐらいは早く帰れそうだ




