70.ガエル村 1
クレマンソー侯爵家で世話になっている限りは、お嬢様の護衛はニコレット一人でも充分であると思う。
その間に我々が身を寄せる先、ガエル村の協会へ赴いて安全の確認をせねばならない。
ガエル村の教会にはクリストフ殿が神父として住んでいる。クリストフ殿はライオネット辺境伯領騎士団で団長まで務めた忠誠心に厚い方だ。
まさか、教団の言いなりになることなどないとは思うが、確認はしなければお嬢様をお連れすることなどできない。
ガエル村は代官も引き上げ放置された村だと聞いている。向かうに当たっては諸々の物資を荷馬車に積んでいくべきであろう。
物資の仕入れには、ブランシュ商会を頼ることにしよう。
ブランシュ商会を尋ね、食料生活雑貨等を荷馬車1台分欲しいと伝えたところ、店員に『事務所へお願いします。』と連れてこられた先、ベルトラン殿の事務室だった。
「おや、テオさん。今日はお一人でどうされました? 何か緊急でご入り用でしたら、すぐにでもご用意いたしますよ。」
「以前から言っていた、ガエル村に一人で行くことになった。ついてはガエル村へ物資を持っていきたいのだが、何を必要としているのかが見当もつかない。何か見繕ってくれるだろうか。」
考える間もなく、すぐにも必要そうな物を提案してくれた。このような場合、商人は頼りになる。
「そういうことならお任せください。寂れた村ですからね、小麦を持っていくと喜ばれるでしょう。後は塩は必要ですね。他にも生活雑貨、衣服などですか。そうそう、農具も載せられるようだったら持っていった方がよろしいでしょう。最後にテオさんの移動時の食料、馬の飼い葉ぐらいですか。」
思いつくものを口にしながら、紙に書き込んでいく。
「どうですか、テオさん。今並べ立てたもの以外に必要なものはありそうですか。」
「あ、いや、私ではそこまでは思いつかなかった。それで結構だ。よろしく頼む。」
書き込んだ紙を部屋で控えていた女性に渡し、物資を馬車に積み込むように指示をする。
後は精算をしたら出発だ。
「テオさん、いつかはヴィヴィさんもガエル村へいらっしゃるのでしょう? そのときは是非ともブランシュ商会にお知らせください。」
「それは何か理由でもあるのか?」
「もちろんありますよ。ルクエールでは漁師達にいりこの製造を広め、ムーレヴリエ男爵領では干しシイタケの製法を教え、どちらもすでに産業として成り立つ勢いです。ヴィヴィさんがガエル村を訪れたら、次はどんな産業を興してくれるのかと、わくわくしているのですよ。もしお金が入り用でしたらいくらでも融資・・・ いえ、ブランシュ商会主体で産業を後押しするのも吝かではございません。」
「いや、ヴィヴィがそこまでガエル村に入れ込むかは分からぬし、行くかどうかも今は分からない。」
「行く行かないは問題ではありません。重要なのは私がヴィヴィさんを全面的にバックアップします、ということが伝わっていただければ。」
会計を済ませ、礼を言ってブランシュ商会を辞する。
王都を出てからは宿場町で一泊した後は野営を二泊、4日を費やしてガエル村に到着した。実際には侯爵邸から王都を出るまでにⅠ日かかったおかげで、5日かかっているのだが。
代官もさじを投げて放置されているといっていたが・・・・・ 確かに寂れた村だ。まばらに見かける村人達も活気というものがない。疲れ切った年寄りばかりのようだ。
近くで農作業にいそしむ年寄りに問う。
「この村の教会に行きたいのだが、どこにあるのか教えてほしい。」
年寄りは返事もせずに、腕を上げるのもおっくうだ、という態度で指だけで指し示す。
態度は悪いが教えてもらったのだから、礼を言ってその場を後にする。
指し示した方角に見えた建物、教会には見えないな。普通の民家のようだが、さっきの年寄りが嘘を教えたとも思えなかったので、その民家を目指して馬車を進める。
民家とはいえかなり大きな屋敷だった。その前に馬を繋いでいれば、扉が開き住人が出てきた。
「おいおい、今回の行商はずいぶんと早いじゃないか・・・・・おや、いつもと違うが、誰なんだ?」
「ご無沙汰しております、クリストフ殿。テオドール・ルヴィエです。」
「テオドールか。お嬢様とニコレットも乗っているのか。」
「いえ、今回は私一人です。」
「テオドール一人とは。お嬢様はどうなされた、無事なのだろうな。」
「はい、信頼の置けるお方の所にいらっしゃいます。安全は確保されております。」
「そうか、それなら一安心だな。長い旅をご苦労だった。中で休め。」
招き入れられた屋内も普通の民家だった。教会だということであったが、民家の部屋でお祈りでもするのだろうか。それにしてはヴァランティーヌ様の絵とか像が見当たらない。
室内を物色するように見回していた私にクリストフ殿が説明をする。
「この民家は私達夫婦のために村人が貸してくれた建物だ。代官が住んでいたらしいが、放置されて荒れてた家を、村人が修理して住めるようにしてくれた。ついでに教会も裏側に建ててくれたのだ。」
「遠くからの旅をお疲れ様でした。」
奥方がお茶の用意をして奥から出てきた。たしか奥方とは初顔合わせではなかったか。
「奥様、初めてお目にかかります。テオドール・ルヴィエです。クリストフ騎士団長にはずいぶんとお世話になりました。」
「そうか、テオドールは妻とは初めてだったか。妻のジネットだ。」
「ジネット・ボドワンです。よろしくお願いします。お嬢様に会えなかったのが残念です。」
「テオドールの話では、信頼できる方に預かってもらっているとの事だ。ここに連れてくるよりも安全だろう。」
「それなら安心できますね。」
そうだ、グラシアン様に命じられたのは、お嬢様をこの教会まで送り届ける事だった。しかし、お嬢様に対して教団からの追っ手がかかってる以上、ここにお連れすることに危険を感じる。
どこまでをクリストフ殿に打ち明けてよい物やら・・・ 教団に対してのクリストフ殿の考え方を探ってみるか。
これから先の話はクリストフ殿との内密の話になる。奥方には遠慮してもらおう。
部屋に二人だけになって話し始める。
「ここまでの旅の間、教団のよくない噂を耳にしました。神父として教団と接しているクリストフ殿にはそのような噂は届きますか。」
「噂か、このようなへんぴな村に噂など届くことはないな。それに教団との接点などないに等しいぞ。この村で教会を開いて5年ほどになるが、ここに金がないのを奴らも分かっているからな、一度も上納金の取り立てには来ていない。」
教団関係者が一度も来ていない? お嬢様を探しに来た教団の者達がここへは来なかったということか? まさかとは思うが、来たことをクリストフ殿が隠している?
「一度も教団関係者が来ないのですか。教団も金を回収できないような教会は関与もしない、ということですか。」
「いや、集金に来ないだけだ。先日初めて教団の若者達が手紙を届けに来たな。枢機卿名義の手紙なんだが、聖女ともう一人・・・そうそう、竜巻娘とかを探している、見かけたら保護をして必ず教団に伝える事、とそんな内容だったかな。」
「ほう、聖女と竜巻娘ですか。そのような女性を見かけましたか?」
「聖女と言えばヴァランティーヌ様の加護を持ち光の魔法で人々を癒やす存在だ。こんな村にそんな高貴な女性が来るわけがなかろう。まかり間違って聖女様が迷い込んだとしても、教団に伝えようとは全く思わないがな。」
「神父でありながら教団の意に背くのですか。」
間を置いた後、ふ~と息をつき話し始めたクリストフ殿。
「ヴァランティーヌ教の上の方、教皇とか枢機卿あたり、奴らは金のことしか考えていない。信者から金を集める事、その金をより多く教団に上納する事によって教団内での階級があがる。女神ヴァランティーヌ様にお祈りを捧げていたとしても形骸化されているだけ、信者に対してのパフォーマンスになりさがっている。」
グラシアン様も教団に対して、奴らは金の亡者だ、と言っていたのを耳にした事がある。クリストフ殿も同じ考え方をしているという事か。しかも神父の立場で教団にすり寄ろうとはしない。
これならお嬢様のことを打ち明けてもいいだろうか。
「教団に関しての考え方は理解しました。その上で打ち明けたい事があります。」
「ん? 打ち明けたいとは?」
「今でもグラシアン様に忠誠を誓えますか。」
「いや、退団して領も離れているから忠誠とは違うな。私はグラシアン様にお世話になって恩義を感じている。その恩に報いたいという気持ちが強いな。それにグラシアン様は領主を退かれるそうだ。手紙が届いているから渡しておこう。」
壁付けのレターホルダーから2通の手紙を持ってきて、1通を手渡された。
「差出人が奥様の名前になっているがグラシアン様の手紙だ。届け物の事が書かれているが、届け物とはお嬢様の事だろう。その手紙はお嬢様に渡してくれ。」
「これは私が読んでも構わないのですか。」
「ああ、今読んでもらっても構わないだろう。」
『親愛なるクリストフ殿
届け物を送付するのが予定より遅れてしまった事をお詫びする。
妻が一時、病に伏したが、テオドールとニコレットが無事そちらに向かっているとの報せを受け元気を取り戻した。暖かくなるのを待ち妻の体力が戻れば、ヴァランティーヌ教国へ礼拝の旅に出るつもりだ。その時には足を伸ばしてガエル村も訪ねてみようと思う。旅に出るに当たって私の立場は、従兄弟のフェルナンに押しつける事になった。おかげで安心して家を離れる事ができる。クリストフ殿に会えるのを夫婦共々楽しみにしている。
追伸、届け物がどうなっているのか、とても楽しみにしている。
グラシアン・ライオネット』
奥方様が病に伏したとは、我々が崖から転落した事によって心労を与えてしまったという事か。真に申し訳ない事をした。まだ王都からの使者がいるかもしれないと思って手紙を普通に送ったが、こんな事なら我々の無事の報せを緊急で送るべきだったか。今となってはとても悔やまれる。
しかもお嬢様に会うためにここまで足を運ぶ? そのために領主の座をフェルナン様に明け渡してしまう? という事はグラシアン様はこの村で生活をするとでも言うのだろうか。平民としてこの村に移住をして、農民として作物を作る生活をできるのだろうか。
・・・・・これは、アリステイド・クレマンソー侯爵様に相談してみるか。
いや、そんな事よりも、お届け物・・・・・ グラシアン様はお嬢様のあの変わりようを受け入れられるのだろうか。あの塔で暮らしていた頃と比べたら全くの別人と言ってもおかしくはないぞ。
いやいや、人は苦難を乗り越えて成長するものだ。グラシアン様には大きく成長したヴィヴィアン様と再開していただいて、その成長に喜んでいただこう。




