27.テオドールからの手紙
ロクサンヌの容態が芳しくない。床に伏せってしまって食事も喉を通らない様子だ。日に日に痩せ細っていくのを止めることができない。それほどまでに自分の分身であるヴィヴィアンを愛していたのか。私では死に向かって痩せ衰えていく妻を引き止めることはできないのか。
扉を叩く音で我に返る。
「旦那様、騎士隊の者がお伝えしたいことがあると尋ねてきておりますが、いかが致しましょう。」
「隊長か?」
「いえ、騎士隊の隊員です。」
「隊長でもない者が何用だ。」
「それが、テオドールから手紙が届いたのでお持ちしました。との話なのですが、」
「なんだとっ!!」
私の剣幕に驚いた執事が後ずさり慌てて弁明をする。。
「グ、グラシアン様ヘの手紙ではないのに持ってこられても、こ、困りますよね。た、ただいま追い返します。」
「待てっ!! ここへ通せっ。」
「は? はいっ。ただいま呼んで参ります。」
あぶなかった。私が自らその騎士の元へ駆けだしてしまうところだったぞ。私はこの邸の主人なのだ。どっしり構えていなければいけないだろう。
テオドールからの手紙か。崖下に落ちてどうやって生き延びたのかはわからぬが、手紙をよこしたぐらいだ、ヴィヴィアンも無事であるとの文面のはずだ。
いや、私の元へ直接届けるのを避けたぐらいだ。ヴィヴィアンのことは記されていないかもしれぬ。手紙の内容も訳がわからない内容になっているのではないか。推測しながら読まねばいけないようだな。
「お連れ致しました。」
「うむ、入れ。」
「騎士隊に所属しております、ブリアックと申します。」
「そうか、手紙を受け取ったと聞いたが、話を聞きたい。座ってくれ。」
ソファーを指し示し座るように促す。声が震えそうになるのをこらえて平静を装う。
「テオドールとは常に手紙のやりとりをしておるのか。」
「いえ、騎士隊で同期だったというだけです。旅に出ていることも知りませんでした。」
「ほう、では初めて手紙をよこしたのか。どんな内容だったのだ。」
「よく分からない内容でした。グラシアン様に提示するようにとの記述もありましたので、こちらへお持ち致しました。」
渡された手紙を開き目を通す。あまりにも簡潔な文面で、もっと情報をと思うのだが、それも致し方ないのであろう。情報を詰め込みすぎれば、何者かに読まれたときに情報が流出する。この分からない文面、私にだけ分かる文面がちょうどよかったのだろう。
〖私は今、お預かりした物を目的地まで運ぶための旅に出ている。途中落ちてしまったりもあったが壊れることもなく無事届けられそうだ。
この旅の資金援助をグラシアン様にしていただいているのだが、土産を買って帰らねばならぬと思う。私からは直接グラシアン様に聞きにくい。ブリアックから伺ってもらえないだろうか。この手紙はグラシアン様に提示しても構わない。もしグラシアン様がこの手紙を欲しがるようだったら差し上げて欲しい。〗
そうだ、たったこれだけの文面だが、ヴィヴィアンの無事が伝わってくる。崖から落ちてどうやって生き延びることができたのか。そんな疑問などもうどうでもいい。ヴィヴィアンの無事が分かったのだ。
突然謝罪の声がしてブリアックがひざまずく。
「申し訳ありませんっ。このような意味が分からない手紙でグラシアン様のお目汚しをしてしまいましたっ。お許し下さいっ。」
「ん? 何を言っておる。」
「顔が赤く手が震えております。お怒りのようでしたらその手紙は持ち帰ってすぐにでも処分致しますっ。」
はっと、手を見遣る。確かに小刻みに震えている。その手を頰にやれば火照っている。確かにこの状態は怒りに打ち震えているとみられてもしょうがない。顔が緩んでしまいそうになるのを必死で押さえていたのだ。
「待て、これは怒りではない。この手紙を届けてくれたことに礼を言う。この手紙は私がもらっても構わないか。」
「ええ、そのように書いてありましたから差し上げます。」
「土産の件はもう気にしなくてよい。それとこれは私からの心付けとして受け取ってくれ。」
ブリアックに金貨を一枚渡せば、こんなに頂いてよろしいのですか、と言いながらも喜んで受け取って帰っていく。
ロクサンヌに伝えねばっ。ロクサンヌの伏せっている寝室に走る。
寝室では侍女がロクサンヌの口にスープを運んでいた。ヴィヴィアンの話は侍女達に聞かせてよい話ではない。人払いをせねばいけない。
「私が変わろう。おまえ達は部屋から出てくれ。」
心配そうな顔をしながらも、侍女達は素直に従った。
「ロクサンヌ、元気を出すんだ。ヴィヴィアンに笑われてしまうぞ。」
「ヴィヴィアンはもうヴァランティーヌ様の元へ旅立ってしまったのです。わたくしも間もなくヴァランティーヌ様に召されるでしょう。ヴィヴィアンに会えるのも間もなくです。」
「それはダメだ。元気にならなければヴィヴィアンに会うことはできぬぞ。テオドールから無事を伝える手紙が届いた。」
力が入らないながらも私の手を掴んできたロクサンヌの手。必死な眼差しで問いかけてくる。
「・・・・・それは・・・・・ まことでございますか。」
「ああ、テオドールも手紙を奪われるかもしれぬと思ったのだろう。訳のわからぬ文章を友人経由で送ってきておるが、私が読めば確実に理解出来る文面を送ってきた。これがそうだ。」
私の渡した手紙を食い入るように目を通しながら、大粒の涙をボロボロとこぼし始める。
「う、あぁー、ヴァランティーヌ様、ありがとうございます。ヴィヴィアンを護って頂けたのですね。」
「あ、ああ、そうかもしれぬ。ヴァランティーヌ様の力が働いたとしか思えぬ。ヴァランティーヌ様に感謝しよう。」
「ええ、ええ、そうですとも。これで心置きなくヴァランティーヌ様の元へ旅立つことができます。」
「何を言っておるっ!! ヴィヴィアンに会いたくはないのかっ。」
「ヴィヴィアンとは遠く離れてしまったのです。もう会うこともかないますまい。」
「私はヴィヴィアンに会いに行くぞっ。ロクサンヌも連れてだっ。」
「わたくしもでございますか。」
「そうだ、ライオネット辺境伯家を従弟のフェルナンに継がせるように叔父には伝えてある。私と共にここを出よう。そしてヴィヴィアンと共に平民として生きるのも悪くはないのではないか。」
「おおー、ヴィヴィアンに会えるのですか。グラシアン様、わたくしも連れて行って下さい。」
「ああ、必ず連れて行くとも。それまでに元気を取り戻すのだぞ。」
心のよりどころとしてのヴィヴィアンの存在は大きかったようだ。ヴィヴィアンに会いに行くと決めたときから、ロクサンヌの生に対しての執着が強くなった。
だからといって、いきなり元気に走り回れるものではない。徐々に体力を取り戻していくしかない。それも長旅に耐えられる体力を付けねば、ヴィヴィアンの元までたどりつくなど無理であろう。
次に来る冬の季節を過ぎ、暖かくなった春に旅立つ予定を立てよう。およそ一年越しの計画だ。
それまでにフェルナンに領主の仕事をしっかりと引き継がねば。
「領主の仕事の引き継ぎとか、もっとずっと先の話だと思ってましたよ。グラシアン様はまだまだ元気じゃないですか。」
「私は元気かもしれぬが、妻が病で伏せっておる。妻と共に静かに暮らしたいのだ。」
快方に向かっている事はまだ侍女達ぐらいしか知らない。元気が出たとしてもいつまた容態が急変するかも分からないのだから、元気になりました、との噂が広まるほどではない。ここであえて教えてやる必要もないだろう。
「ロクサンヌ様ですか。お子様もいらっしゃいませんし、第二夫人を娶るようにと私の父からも勧められてるでしょう。」
「いや、新しい妻など迎える気はさらさらない。この辺境伯領はフェルナンに任せる。」
「はっきり言って、今のこの国で領主なんかやりたくないっていうのが本音なんですけどね。グラシアン様に跡継ぎがいないんだからしょうがないか、ってところですよ。」
「うむ、すまない。押しつけるような形になってしまって。」
今のこの国で国王を諫める者はいない。王族の廻りには甘い汁を吸おうとする取り巻きばかりが目立つ。意見を言う者達はその取り巻き達に失脚させられ王宮内での居場所はなくなる。
重税で民は飢え、国力は低下していく。
他国からの侵略などされずとも、いずれ内部から崩壊するだろう。
国家転覆を謀る者達が出てきてもおかしくはない。現在の王族を排除して新しい旗印を担ぎ上げねばならんが・・・・・ 金銀の子が生まれた候爵家・・・・・ まさか、その子を旗印として担ぎ上げられないために候爵家諸共処分されたというのではあるまいな。
もしヴィヴィアンを表に出していたら、ヴィヴィアン諸共ライオネット辺境伯家が同じ道をたどったということか。
よかった、もうヴィヴィアンは誰の手も届かないところへ逃げ延びている。後はロクサンヌが元気になるのを待ってヴィヴィアンの元へ旅立つだけだ。
「グラシアン様、どうされました。」
はっとしてフェルナンに目をやる。
「ああ、少し考え事をしていた。」
「心ここにあらずという雰囲気でしたね。」
「う、うむ、この国の先行きを考えるとだな、」
「どこかで反乱は起きるでしょうね。」
「やはりそう思うか。」
「もしそうなったらどちらにつきます?」
「私は隠居する身だ。そのような話が持ち上がったとしても口は出さない。」
「全部私の責任でということですか。」
そうだ、その時には私はここにはいないだろう。全ての決定は領主を引き継ぐフェルナンがしなければならない。
「ライオネット家を頼んだぞ。」




