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5. カフェーにて(前編)



 

 (うしお)の体調がすこぶるよく、七日連続で寝込むことなく動けた偉大な新記録を樹立した、ある日。


 突如、浅葉(あさば)の奇声が屋敷中に響き渡った。

 

 洗濯中で裏庭で洗濯板と格闘中だった潮と三つ子は、一斉に彼の仕事部屋のある二階を見上げた。


「旦那さま、とうとうおかしくなりました?」

「もとからでは?」

「しっ、言ってはいけないこともあるんですよ」


 囁きあう三つ子に、潮も眉を寄せる。

ここ最近締切とやらに追われて部屋に缶詰状態だったので、とうとう限界がきたのかもしれない。

 誰も真剣に浅葉の心配をしていないのがおかしな話である。


 と、いきなり二階の窓が開いた。そこから長髪がだらりと覗く。


「潮! カフェーに行こう!!」


 髪の毛が喋る。いや、髪の毛おばけの浅葉だ。ボサボサ頭で裏庭を覗き込んでいる。


「仕事が終わった! やっと休める!! 外界に降りよう!! 糖分を摂りに行こう!!!」

「本当におかしくなりました……?」


 窓を見上げる潮に、浅葉はにかりと笑った。









「なんで私なんですか」


 帝都市営バスに揺られながら、潮は隣で寝こけそうな浅葉をつつく。

 睡眠不足なのだから大人しく屋敷で寝ればいいものを、浅葉は外に出るんだと言って聞かなかった。呆れたこん太に三時間で強制帰宅させますよと脅されて今に至る。


「えー? 三つ子は外食するとものすごく食べるから予算的に厳しくて、こん太は式神で食事しないから……かな?」

「消去法」

「ただの消去法じゃないよ。ここ数日潮の調子がいいって聞いてたからさ。一緒に外の風にあたりに行きたいと思って」


 外に出してもらえただけでありがたいので、文句を言うつもりではないのだが。

 潮は呆れ混じりに息を吐き出して目線を落とすと、足元のパンプスが目に入った。日を反射して爪先がきらめく。


 今日の潮は洋装を身に着けていた。浅葉がせっかくの外出だからと用意してくれたのだ。白のブラウスに、膝が隠れる長さの紺のプリーツスカート。今時珍しい服装ではないが、バスの乗客の大半は和服である。洋装を普段から身に着けるような人種は、移動に自家用車を使うものだ。

 周囲から投げかけられる物珍しそうな視線に落ち着かず、潮は座席に何度も座り直す。


「潮は美人だから洋装も似合うねぇ。屋敷にあった服の大きさがぴったりでよかったよ」


 周囲の視線も気にせず、浅葉が潮を満足気に見やる。ちなみに彼は黒のインバネスコートに中は和服を着ている。


「先生の屋敷にはこんな女物の服があるんですね」

「うん、あるんだよ」


 浅葉は詳しく説明する気はないようだ。この調子の浅葉につっこんでなぜあるのかまではさすがに聞けない。


 誰の持ち物なんだろうか。

 三つ子が着るには大きすぎるので彼女達のものではなさそうだ。生地も仕立ても古くないので、おそらく最近のものだとは思うのだが。

 恋人、友人、仕事関係の人。色々あるが、どれも浅葉に当てはめて考えるとしっくりこない。

 潮は正体不明の女性の服を着せられて、首を傾げた。


「あ、着いたよ。行こう」


 バスが停まり、浅葉が潮の手をとった。

 二人が下車したのは銀座の大通りだ。車や人の往来がすごい。


「輸入車だけじゃなくてオートモ号も随分増えてきたねぇ」


 通り過ぎるオートモービルを目で追いながら、浅葉が足取り軽く歩き出す。手は繋がれたままだ。


「先生、ひとりで歩けます」

「ん? 人が多くて迷子になるといけないから、予防のために一応ね」


 この歳になって他人と迷子防止のために手を繋ぐとは思わなかった。

 まあ、潮は自分が何歳なのか知らないのだが。


 潮はされるがまま浅葉に手を引かれていく。

 斜め後ろを歩きながら、なんとなしに彼の影に目を落とすと、浅葉の影が生き物のようにうぞうぞと動いていた。

 おそらく、こん太だ。

 式神遣いにとって、影は式神そのものだ。つまり、影を踏むということは式神にとって身体を踏まれるのと同義で、痛いのだ。雑踏の中、なんとか踏まれまいとこん太は頑張っているのだろう。

 周りを見ると、ごく僅かだが同じように影が揺らめいている人がいる。銀座という場所柄、そういう人達も集まりやすいのだろう。

 

 この人は本当に式神遣いなんだと、潮は浅葉の横顔を盗み見る。

 鼻筋の通った高い鼻だ。黙っていれば、この整った容姿にコロリといく女性も多いことだろう。黙っていれば、だ。実際、すれ違う女性達は浅葉の顔をちらちらと見ていた。

 容姿がいいのは得である。

 本当は潮にも男性の視線がいっているのだが、それは本人の知る由のないことである。

  

「さ、入ろう」


 知らないうちに目的地に着いていたようだ。見上げるほど大きな煉瓦造りの建物に、ガラス張りの窓と大きな木の扉が目立つ。カフェー・フルールと片仮名の看板が入り口に下がっていた。

 

 浅葉に背を押されて、潮は入店した。


 

 


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