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4. 屋敷の生活




 (うしお)浅葉(あさば)のもとに身を寄せて一月が経った。 

 失くなった記憶が戻る気配は微塵もなく、浅葉の助手として働く日々を送っている。

 

 助手といっても仕事の直接的な手伝いをするわけではない。部屋に茶を運び、食事を下げ、部屋が散らかれば片づける。ほとんど女中のような仕事だ。

 基本的な家事が一通りできる潮は、三つ子らに大歓迎で迎え入れられた。浅葉邸には、浅葉、こん太、三つ子しか住んでおらず、広大な屋敷を回していくには人手不足だったようだ。

 やることは毎日山積み。潮は毎日そこそこ楽しんで暮らしていた。

  

 そんな潮の目の前に、今は割烹着を身に着けたこん太がいた。


「潮殿、申し訳ありません。これをあるじの部屋までお願いできますか」


 彼はこの屋敷で厨房を任されていた。式神なのに、だ。通常式神は式神遣いと共にもっと特殊な仕事に就くものだ。割烹着を着た式神など前代未聞である。

 

「わかりました」


 潮は差し出された盆を受け取る。見ると、昼餉のうどんだった。溶き卵の上にご丁寧に三つ葉まで飾られている。本当に器用な式神だ。

 

「重くはありませんか」


 こん太が気遣うように潮の手首を見るので、潮はひらひらと手首を振ってみせた。


「大丈夫です。もうほとんど治っていますから」

 

 潮の手首や腕には未だに包帯が巻かれている。身体中の痣や傷は思ったより深く、まだ完全に治り切っていない。気怠さも抜け切らず、日によっては一日中床に伏せている日すらあった。

 

 原因不明の体調不良だった。

  

 記憶喪失の反動かもしれず、医者ですら、元々が虚弱体質なんじゃないのと匙を投げたほどだ。 

 体調を万全にして浅葉の屋敷から出るのが今の目標だが、しばらくかかりそうで潮は自身の体調にやきもきしていた。


 潮は盆を持って浅葉がいる仕事部屋へ向かう。

 浅葉邸は本当に大きい。潮は長い廊下を歩きながら、仕事部屋への最短の道のりを考える。

 2階建ての横長の洋館に広大な日本庭園をもつ浅葉邸は、部屋数も多く、未だ全体を把握しきれていない。曲がる角を間違えると、見知らぬ廊下に出てしまうことも多々あった。迷子になると絶望である。大声で助けを呼ぶしかない。

 

 と、廊下の先に閉まり切っていない扉があることに気づく。浅葉の私室だ。潮は通り過ぎ様にちらと覗く。

 

 散らかる本。置きっぱなしの食器。ベッドから落ちた布団。

 

 物が氾濫した惨状に、潮はため息を落とす。

 せっかく昨日綺麗に片付けたのに、一日でもとに戻ってしまっている。数日は保つと思ったが、見込みが甘かった。


 浅葉は片づけができない。

 

 潮がこの一月で学んだことだ。

 そして、仕事に没頭すると寝食を忘れる。平気で三日ほど寝ずに部屋に籠もり、そして力尽きて廊下で倒れてる。

 夜更けの月明かりの下、人が生き倒れているのを目撃するのがどれほど恐ろしいことか。

 潮はここに来てから何度も心臓が止まりそうな思いをしていた。


 潮は浅葉の仕事部屋に着くと、扉を三度叩いて中から返答を待つ。これはノックというのだそうだ。

 中から返事はないが、潮は気にせず入室する。 


「先生、お昼ご飯です。ここに置いておきますから――」


 潮は浅葉を“先生”と呼んでいた。色々呼び方を模索したが、作家ならば先生が一番しっくりくると思い、先生に落ち着いた。

 

 机に向かう丸まった背中に声をかけるが、また返事はなかった。よくあることなので気にはしないが、浅葉が微動だにしないことの方が気になった。


「あの……先生?」

 

 潮が横から浅葉の顔を覗き込むと、浅葉は持った鉛筆の頭に額をめり込ませる形で寝ていた。器用なものである。


「先生、寝るなら布団へ行ってください」


 呆れた潮が肩を揺すると、びくりと震えて浅葉が目を開けた。


「……ぼく、ねてた……?」

「寝てました」

「不覚……寝ないよう気をつけてたんだけど……」


 浅葉がのっそり頭を起こす。こちらを向いた額には、くっきりと鉛筆がめり込んだ赤い跡がついていた。


「あれ? 今日は起きても平気なの?」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 やや抑揚の欠いた端的な物言いは潮の特徴だ。淡々としているといってもいい。冷たい印象を受けるが、本人は驚いても喜んでも同じ調子のため、ただの気質なのだと思われる。

 浅葉も気にした様子もなく、いつもの人好きのする笑顔で潮を見上げると大きく伸びをした。その仕草は幼子のようだった。


 潮は改めてまじまじと浅葉を観察する。

 三つ子情報によると、浅葉は三十二歳、独身。

 気の抜けた表情が多く、歳より若く見える。その癖、動きが年寄りくさいので年齢不詳感が否めない。

 生まれも育ちもここ帝都らしいが、生家がどこかは不明だ。それでもって、名字も不明であった。どんなに聞いても答えてもらえず、潮が家中を調べあげて、届いた封書を盗み見ても名が書いてあることはなかった。屋敷には表札すら出ていない。

 

 潮は現状、名前が浅葉という式神遣い兼作家、ということくらいしか彼のことを知らなかった。作家業が売れてるのかすらも知らない。

 浅葉が命の恩人であることには変わりないが、潮はこう思う。


 この人、大概な変人だな、と。


「おっ、今日はうどんだー」


 浅葉は潮の胡乱げな視線を物ともせず、机の脇に置いた盆ににじり寄る。


「これって潮が作ったの?」

「いいえ、こん太さんです」

「なんだぁ、潮の手作りかと思ったのに」


 浅葉は残念そうに盆を机の上に置いた。

 潮は部屋から引き上げる頃合いを見失い、そのまま浅葉が食べている横に座った。


「私の料理をご所望ですか」

「うん、食べれるなら食べてみたいよ」

「……そうですか」


 どういうつもりで言っているのかわからないが、浅葉は時折人誑(ひとたら)しのようなことを言う。本人に自覚がないのが余計たちが悪い、と潮は思う。


「ちなみに潮は料理ってできるの?」

「できます」

「得意料理は覚えてる?」

「…………ビーフシチュー?」


 記憶を漁って出てきたのはそれだった。

 浅葉はへぇと声を上げる。


「随分ハイカラな料理が作れるんだねぇ」

「なぜかはわかりませんが、洋食は得意だったみたいです」


 自身が何が好きだったのか、誰と暮らしていたのかは覚えていないくせに、料理や家事の一般的な知識だけは残っている。

 虫食いような記憶の残り方に、潮自身も他人事のような返事をしてしまう。


「なら、せっかくだしお願いしようかな。おーい、一花二子三重(いちかにこみえ)ー」


 呪文のような召喚の呼び掛けに応えて、時間を置いて三つ子が姿を現す。この時間は呼び出しにすぐ応えられるよう、浅葉の仕事部屋近くで洗濯をしていることが多いのだ。


「なんでしょう」

「お呼びですか、旦那さま」

「おや、潮さんもいらっしゃったんですね」


 三角巾を被って腕まくりをした三つ子が入り口に整列する。最近覚えたが、おさげを結う紐の色が、一花は赤、二子は緑、三重は青なのだそうだ。


「ビーフシチューが作れるよう材料の買い出しに行ってきて。明日か明後日にでも潮が作れるように」

「かしこまりました」


 揃ってお辞儀する三つ子に、潮が腰を浮かす。

 

「私も行きます」


 材料の買い出しをやらせて作るだけは申し訳ないと思っての発言だったが、即浅葉に却下された。

 

「潮はいいよ。まだ病人みたいなものなんだから、家にいなさい」


 こういうときの浅葉は押しが強い。普段は弱々としているのに。

 有無を言わせない浅葉に、潮は頷くしかなかった。

 頭をポスポスと撫でられる。犬猫か何かと勘違いされている気がする潮である。


 浅葉は、潮に対して過保護でもある。

 

 潮が知る浅葉の数少ない一面であった。


 

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