12. 筋肉野郎
筋肉に連れてこられたのは、一階廊下から階段を昇り、二階に上がった一番突き当りの洋室だった。
この部屋まで迷いなく来たのだから、彼がこの屋敷の人間だというのは間違いないのかもしれない。
だとしても、だ。
この状況は、非常によくない。
筋肉が部屋の鍵を閉めたのを横目で確認して、潮は冷や汗が流れるのを感じた。
「……出してください」
無意味だろうが、反抗はしてみる。部屋に来てからようやく離された腕がじんじんと痛んでいた。
「そんなに警戒しないで。大丈夫。少し確認したいことがあるだけだから」
こちらにゆっくりと近寄ってくる筋肉に、潮は一定の距離を開けたまま後ろに下がっていく。
室内はこざっぱりしており、ベッド、文机、オイルランプの他に多少の装飾品しか置いていない。多分、客間なのだろう。ベッド横の小さな扉は、風呂かお手洗いに繋がっていそうだ。
筋肉の背後に出入り口の扉がある以上、彼をかわさないと外には出られない。窓から出ようにも、ここは二階。身投げになってしまう。
潮は筋肉を睨む。
「確認したいこととは、一体なんですか」
「気にしないで。すぐに終わるから」
「質問に答えてください!」
潮の腰に文机が当たる。これ以上後ろには下がれない。絶望する潮の目の前に、筋肉の壁が立ち塞がる。
試合終了、逃げ場がなくなった。
「ちょっと失礼するよ」
筋肉が潮の肩を持ち、ぐるりと回した。体勢を崩し、潮は文机に突っ伏すようにして倒れ込んだ。それを後ろから筋肉が押さえつけてくる。
「やめっ、止めてください! 離して!」
「大丈夫大丈夫。痛くしないから」
何も大丈夫じゃない。
肩口と腰のあたりを掴まれているせいで身体が起こせない。潮はスカートが捲れることも気にせず足を蹴り上げるが、後ろに立つ筋肉にはほとんど当たらない。
筋肉が潮の背中のファスナーに手をかけて引き下ろし始めた。潮は悲鳴を飲み込む。ぞぞぞと鳥肌が立つ。
本当に無理だ。この男、話を聞きやしない。絶対脳味噌まで筋肉で出来てる!!
最後の抵抗でもがく潮。頭の中は警報音が流れている。絶体絶命である。
必死で暴れる潮の手が、文机の上に飾ってあった花瓶に当たる。倒れて中の水が溢れ、潮の服を濡らしていく。
もう、これしかない。
潮は倒れた花瓶をなんとか引き寄せ、両手に持った。
「離してくださいと、言ってるんです!! この筋肉野郎!!」
◆ ◆ ◆
浅葉は焦っていた。
なんとか令嬢の群れから開放されて玄関ホールに戻れたのが、潮と別れてから15分後のことだった。
戻ってくるも、彼女の姿はどこにもない。
遅刻したことに怒って先にホールに入ってしまったのかと思ったが、見渡しても彼女らしき姿はない。
人間より視力も聴力もいい式神のこん太をもってしても、ホールに潮はいないと言う。
浅葉の屋敷内ならば、浅葉の張る結界内であるため、こん太は浅葉から離れて自由に動き回ることができる。が、ここは浅葉邸ではない。こん太も浅葉から離れて行動し、潮探しを手伝わせることができない。
完全に、詰んでいる。
潮は何も言わず、ふらりといなくなるような子ではない。誰かに連れ去られた可能性もある。
焦る浅葉は、庭の方を探そうと玄関ホールから走り出る。階段を降り終わったところで、こん太が影から声を上げる。
「あるじ、二階です」
見上げると、真っ暗な建物の中で、二階の端、庭に面した部屋だけ明かりがついていた。
「人影が2つ。1つは潮殿です」
浅葉の視力では人影は見えないが、こん太が言うならば間違いはない。
浅葉は急いで階段を引き返す。
普段全く運動をしない浅葉が、自身の足を全速力で動かして目的の部屋に向かう。
何かあってからでは遅いのだ。
「潮!!」
浅葉が部屋に着き、扉を開けようとするも鍵がかかっていて開かない。
嫌な予感が更に募る。
「こん太、やれ」
影からこん太が姿を現す。派手な術は使えないが、式神は人間より当然力も強い。
ぬらりと現れたこん太が扉を蹴破ると、紙を破るように分厚い木製の扉が散り散りになった。
「潮!!」
今度こそ部屋に入った浅葉が見たものは。
床に倒れた男と、はだけた服を押さえて花瓶を抱えて立ち尽くす潮だった。
「せ、先生……申し訳ありません……! やっちゃいました……」
「やった……? いや、殺ってないよ!? こいつ、まだ息してるから!」